銀行の政府か、人民の政府か?

セルジュ・アリミ(Serge Halimi)

ル・モンド・ディプロマティーク編集総長

訳:エマニュエル・ボナヴィタ


 2010年5月10日、投機の嵐を鎮めるために、7500億ユーロの追加投入が決められた。ソシエテ・ジェネラル銀行の株主にとっては、23.89%の株価上昇だ。同じ日に、サルコジ大統領は緊縮財政の一環として、困窮世帯向けの150ユーロの特別手当を打ち切ると発表した。金融危機が起こるたびに、政府の行動は株主の意向に従っているとの確信が強まっていく。ただ民主主義という建前があるため、政治家は折につけ国民に訴えかけはする。といっても、「市場」があらかじめ選別しておいた無難な政党に、支持を与えろと言っているにすぎない。

 公共の利益などと言われても、実際の行動は正反対だという疑念が募るだけで、だんだん信じられなくなってくる。オバマ大統領は金融規制の根拠を強めようとして、ゴールドマン・サックスを槍玉に挙げたが、共和党はすかさず、2008年の選挙でオバマ陣営が同社から受け取った献金を列挙して、「民主党:450万ドル、共和党:150万ドル。金融業界を批判しながら、ウォール街から数百万を受け取っている政治家たち」というスポット広告を流した(1)。イギリスでは、アルコール飲料の最低価格導入について、貧困世帯の家計への配慮という名目で保守党が反対している。その姿勢は、労働党からすれば、スーパーマーケット業界にすり寄ったものでしかない。へたすれば水よりも安いビールを若者向けの目玉商品にしてきたスーパーは、最低価格導入に反対しているからだ。フランスでは、サルコジ大統領が国営テレビのCM放送を廃止した。友人のヴァンサン・ボロレやマルタン・ブイグが経営する民放を利するためなのは見え見えだ。広告収入をシェアする競争相手を減らしてやることになるからだ。

 この種の疑念は、はるか昔から存在する。ひんしゅくものの現実が、そんなものだと納得されてしまい、「いつだって存在してきた」ものだと片付けられてしまう。たとえば1887年、フランスでジュール・グレヴィ大統領の女婿が、大統領との関係を利用して勲章の売買に走ったことがある。20世紀初めのアメリカでは、スタンダード石油が多数の州で、自社の意向を知事に押し付けていた。金融業界の専横と言えば、既に1924年のフランスで、「公債保有者による日々の人民投票」という表現が生まれている。またの名を「カネの壁」という。しかし時代が下るにつれ、政治への資本の介入を規制する法律が整備されるようになった。アメリカでさえも、政治的な突き上げを受けて、1880-1920年の「革新主義時代」、次いでウォーターゲート事件を受けて1974年に、規制法が作られている。フランスの「カネの壁」も、第二次世界大戦の直後には政府の監督下に置かれるようになった。つまり、政治とカネの問題は確かに「いつだって存在してきた」のではあるが、変わることもあり得るのだ。

 そして、さらに逆の方向に変わってしまうこともあり得る。アメリカでは、かつて議会が可決した政治資金の主要な規制が、1976年1月30日に最高裁判所によって無効にされた(バックリー対ヴァレオ判決)。判決理由は、言論の自由が「公共の議論に加わるための資金力に依存してはならない」であった。もってまわった表現をかみくだけば、献金額を規制すれば言論を圧殺してしまうという趣旨だ・・・。この判例は、2010年1月にさらに拡大され、企業は候補者を支援する(あるいは落とす)ために、好きなだけ献金できるようになった。他の国でも同様だ。ロシアでは旧ソ連時代の党官僚が少数富裕層に変わり、中国では企業経営者が共産党で要職を占めている。ヨーロッパ諸国の政府首席や大臣、議員はアメリカ流の「民間」転職を図っている。イランの聖職者やパキスタンの軍人はビジネスに血道を上げている(2)。この20年の間に、金銭ずくの仕組みが復活し、世界中で政治の方向を変えてしまった。

クリントン政権の「コーヒー会合」

 1996年の春のこと、1期目にたいした成果のなかったクリントン大統領は、再選をめざして選挙運動の準備にかかっていた。資金が必要だった。そのため彼は、大口献金者にホワイトハウス、例えば「リンカーンの寝室」での一泊をプレゼントすることを思い付いた。「偉大なる解放者」リンカーンが眠っていた場所での一泊というのは、小口献金者の手の届くものではなかったが、大口献金者の誰もが夢見るものとも限らなかったため、ほかにも献金者向けの特典が考案された。たとえば、ホワイトハウスでアメリカ大統領と「コーヒーを飲む」というのがそうだ。というわけで、民主党への潜在的な資金提供者たちが、業界規制を担当する政府要人の面々と会合を持つようになった。それについて当時の大統領報道官ラニー・デーヴィスは「規制担当者が対象業界の抱える問題をよりよく知るためだ」と、あっけらかんと説明した(3)。しかし、世界経済に数兆ドルの損失を引き起こし、諸国の政府債務を急拡大させ、数千万人を失業に追い込んだ原因が、このような「コーヒー会合」のひとつにあったと言えるかもしれないのだ。

 それは1996年5月13日のことだった。アメリカの主要な銀行幹部がホワイトハウスに招かれ、90分にわたって政府首脳と会談した。クリントン大統領に加え、財務長官ロバート・ルービン、国内金融担当の財務次官ジョン・ホーク、それから通貨監督庁長官のユージーン・ルドウィッグがいた。奇遇なことに、民主党財務局長のマーヴィン・ローゼンも同席していた。「銀行幹部は、銀行と他の金融機関との垣根をなくすことも含め、今後の法的措置について論じた」とルドウィッグ長官のスポークスマンは述べている。

 銀行は、1929年の大暴落を受けたニューディール政策によって、軽率な投資に走るのを禁じられるかわりに、倒産の危機に瀕した場合には多数の預金者を保護するために、政府から資金注入を受けられることになっていた。1996年の時点でもなお、F・ルーズヴェルト大統領の署名した1933年の規制(グラス・スティーガル法)は維持されていた。それが、「ニューエコノミー」の恩恵にあずかりたい銀行幹部たちには気に入らなかった。彼らにとって「コーヒー会合」は、再選をめざして銀行からの献金を欲しがっていた大統領に、そうした不満を突き付ける機会だった。

 この会合の数週間後、財務省が議会に一連の法案を提出したことが発表された。それらは「60年前に確立された銀行規制を見直し、保険・証券事業への銀行の広範な参入を可能にする」ものであった。その後のなりゆきは周知の事実だ。潤沢な選挙資金のおかげもあって再選されたクリントン大統領は(4)、それから3年後の1999年に、グラス・スティーガル法の廃止法案に署名した。それが2000年代の投機をあおり(サブプライムのような担保証券など金融商品がどんどん複雑化した)、2008年9月の暴落を引き起こすことになる。

 同じ時期に同じ場所で開かれた103回もの会合の中で、1996年の「コーヒー会合」は、既に金融業界に有利な方向へと傾いていた流れに棹さすものだった。共和党が過半数を占めていた議会は、その自由主義イデオロギーにのっとり、その「スポンサー」の意向に沿って(共和党議員もまた銀行業界から資金提供を受けていた)、グラス・スティーガル法の廃止法案を可決した。いずれにせよクリントン政権は、「コーヒー会合」があろうとなかろうと、ウォール街の意向に長いこと逆らえはしなかっただろう。その財務長官ルービンは、かつてのゴールドマン・サックス会長だったのだから。2008年9月の暴落の時の財務長官ヘンリー・ポールソンも、同じ経歴の持ち主である。ポールソン長官は、ゴールドマン・サックスのライバルだったベア・スターンズとメリルリンチを見殺しにしたうえで、AIG(アメリカン・インターナショナル・グループ)への資金注入を行った。この保険会社が破綻していれば、その最大債権者のゴールドマン・サックスも痛手を受けるところだった。

政界引退後が稼ぎどき

 国民の多数は富裕層ではない。それなのになぜ国民は、自分たちの選んだ政治家が、企業経営者や渉外弁護士、銀行幹部の満足を優先させていること、そして政治が、経済的な力関係を民主的な正当性によって抑えるどころか、それを強化するものに成り下がっていることを容認するのだろうか。そして富裕層はなぜ、自ら当選を果たした場合に、悪びれもせずに資産をひけらかすのだろうか。彼らはなぜ、社会の一般的利益をかなえるには特権階級の個別利益をかなえる必要があり、そうした特権階級だけが経済の実行手段(投資)、抑止手段(事業所の海外移転)を持っており、彼らを引き寄せること(「市場を安心させる」こと)や引き留めること(納税上限額を設けるといった発想)が必要だなどと主張するのだろうか。

 これらの疑問からすぐに思い浮かぶのが、イタリアの例だ。この国では、世界有数の富豪ベルルスコーニがビジネスの利益を守るために、既存の政党で影響力を及ぼそうとするかわりに、自前の政党「フォルツァ・イタリア」を結成した。1994年以降、彼の事業を優遇したり、起訴回避を許したりした18本の法律が、2009年11月23日付のレプブリカ紙に掲載されている。お次はどうなるか、それについては、コスタリカの検事総長フランスシスコ・ダラネーセの警告を聞こう。一部の国で現に見られるように、政府が金融業界のみならず、犯罪組織にも奉仕するようになるというのだ。「麻薬カルテルが政党を乗っ取り、選挙資金を出し、あげくに政府を牛耳ることになる」と彼は言う(5)

 レプブリカ紙が(改めて)明らかにした事実は、イタリア選挙での右派への投票に影響を及ぼしたのだろうか。2010年3月の地方選挙の結果を見る限り、皆無だった。政治道徳が日常的に緩んでいるせいで、国民には「免疫」ができてしまい、政治腐敗も甘受するしかないといった様子だ。どうせ政治家の関心なんて、新たな少数富裕層を満足させたり、所得ピラミッド上位の仲間入りをしたりすることにしかないのだと、憤慨する気力も起きないのだ。共和党の大統領候補だったジョン・マケインの指摘、「貧乏人は政治献金をしない」は的を射ている。彼はその後、金融業界のためのロビー活動を行うようになった。

 クリントンは、ホワイトハウスを去ってからの1カ月間で、それまでの53年間に匹敵する金額を稼ぎ出した。4回の講演の報酬としてゴールドマンサックスから65万ドル。フランスでの1回の講演で25万ドル、こちらの支払いはシティグループだ。クリントン夫妻の申告所得額は、任期最終年度に35万7000ドルだったのに対し、2001年から2007年には1億900万ドルにのぼる。政治キャリアを通じて得た知名度と人脈は、とりわけ政界を引退してからカネになるのだ。公選職の埋め合わせは、民間の役員や銀行の顧問などの仕事がたっぷりとしてくれる。統治とは、未来を予見することなのだから。

 民間への転身は、少数富裕層の終身メンバーでいたいという動機だけで説明しきれるものではない。というのも、民間企業、国際金融機関、あるいは多国籍企業とつながったNGOは、時には各国政府以上に、権力と知的ヘゲモニーが集中する場所となっているからだ。フランスでは、国立行政学院(ENA)や高等師範学校、理工科学校の卒業生が、金融業界のステイタスや金ピカの将来に目がくらみ、公共の利益に奉仕するという使命を捨ててしまっている。ENAと高等師範学校を卒業した元首相のアラン・ジュぺも、同様の誘惑にかられたことを告白している。「我々はみな、失礼ながらメディアも含め、金融に魅了されていました。『ゴールデンボーイ』というのは、なんともすごいものでしたからね。若者がロンドンに行って、複数のスクリーンを前に数十億ドルを瞬時に動かし、月々億単位の報酬をもらう。誰もが魅了されていましたよ。(・・・)私が心の中で時折こんなふうに思わなかったと言えば嘘になります。『おい、こんな仕事をしてたなら、今の自分の状況は違っていたかもしれないぞ』とね(6)

金融と運命をともにする国民の増大

 元貿易相のイヴ・ガランは、そんな「心の葛藤」とは無縁だ。彼はエアバスのライバル企業、ボーイングのフランス支社長におさまっている。元経済・財務・産業相エルヴェ・ゲマールの妻、クララ・ゲマールも同様だ。財務省の官僚、対仏投資誘致担当の移動大使を経て、ゼネラル・エレクトリックのフランス支社長に転じた。クリスティーヌ・アルバネルも然りである。3年にわたり文化・通信相を務め、2010年4月にフランス・テレコムで広報担当役員となった。

 アメリカでは、引退した上院議員の半分がロビイストとなる。在職中に規制を担当した企業に関わることが多い。クリントン政権時の上院議員のうち283人、ブッシュ政権時の上院議員のうち310人が、そうした活動に従事する。ロビー活動の年間総額は80億ドルに迫る。多大な金額だが、見返りは莫大だ。たとえば2003年には、シティグループ、JPモルガン・チェース、モルガン・スタンレー、メリルリンチの海外利益に課せられる税率が、35%から5.25%に引き下げられた。ロビー活動の費用として850万ドルかかったのに対して、減税で20億ドルも得をした。この時の法律の名は「アメリカ雇用創出法」である(7)。ENA卒業生で、サルコジ大統領の顧問(無給)と大手企業の顧問(高給)を務めているアラン・マンクは、こう一言で言ってのける。「社会の一般的利益に奉仕できるのは、政府ではありません。民間企業です(8)」。社会の一般的利益、すべてはそれに尽きるというわけだ。

 左派もまた、企業(と彼らのくれる報酬)の魅力に負けてしまった。2006年に当時のフランス社会党第一書記フランソワ・オランドは、こんなふうに説明していた。「1981年に左派が政権を獲得した時期に、資産家層が入れ替わった。(・・・)国家機関が資本主義に新たなリーダーを供給した。(・・・)公共サービス畑にいた者たちが新興富裕層となり、かつて自分たちを任命した政治家に偉そうな口をきくようになった(9)」。そして、この政治家たちもまた同じ道に進んだ。

 彼らには罪悪感があまりない。年金基金や投資信託を通じて、図らずも金融と運命をともにする国民が次第に増えてきたせいもある。だから、給与や年金の足しにするために株を購入した貧しい寡婦やヒラ社員を心配するふりをしながら、銀行と証券取引所を擁護するといった芸当が可能になる。2004年、再選をめざすブッシュ大統領は、そうした「投資家階級」を選挙運動のテーマに据えた。「有権者は、株式保有率が増えれば増えるほど、共和党の唱える自由主義経済政策を支持するようになる。(・・・)直接的あるいは間接的に金融市場に投資しているアメリカ人は、6年前は44%だったのに対して、現在では58%にのぼる。あらゆる所得階層を通じて、直接投資を行っている者はまったく投資をしない者より共和党を支持する傾向がある」とウォール・ストリート・ジャーナル紙は解説した(10)。ブッシュが年金制度の民営化を思い描いた理由が分かろうというものだ。

 経済学者のフレデリック・ロルドンが先月こんな論評を書いている。「20年前から金融業界に従属する諸国政府が、もしも彼らに背を向けることがあるとすれば、許せないと思うほどの直接攻撃を彼らから受けた場合だけだろう(11)」。これから数週間のうちに、ドイツ、フランス、アメリカ、G20が、投機に対してどの程度の措置を講ずるかに注目しよう。諸国政府は毎日のように金融市場から屈辱を味わわされている。銀行の恥知らずな姿勢は民衆の怒りを募らせている。はたして我々の為政者は、従僕あつかいされることに嫌気がさし、わずかに残っている誇りを蘇らせたことを示せるだろうか。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2010年6月号)

* 二つ目の記事原題を修正(2010年7月5日)