外国人が8割を超える国で

アクラム・ベルカイド特派員(Akram Belkaid)

ジャーナリスト

訳:今村律子


 アラブ首長国連邦(UAE)の首都、アブダビの主要ショッピング・センターの一つ、マリーナ・モール。その大理石の上で、ローラー・シューズを履いた10歳くらいの男の子が、くねくねと走り回ってはおかしなポーズを決めてみせる。上の階の欄干から、真っ白な伝統装束ディスダーシャをまとった父親が、「とっとと上ってこい」とアラビア語で呼びかける。息子は聞こえないのか、そばのスケート・リンクにいる2人の西洋人女性の真似を続けている。しまいに苛立った父親は、今度は英語で、「ローラー・シューズは没収だ、お灸を据えてやるからな」と宣言した。坊主は直ちに言うことを聞いた。父親は、これを見ていた友人たちと周りの野次馬一同に向かって言った。「『連中の』英語の行き着くところがこれですよ。アラビア語だと、あの子は全然わからないという振りをするんでね」

 父子が立ち去ると、隣のテラスでテーブルを囲んでいた地元のアラブ人たちが、この出来事に寸評を加えた。ドバイのビジネスマン、ジャラール・アッ=スルターンはこう説明する。「多くの家庭がこんな有り様です。子供たちが地元の子なのか、それとも、アラビア語でまともにしゃべれない米国人だか英国人の子になりかけているのか、なんとも言えません。本当に気がかりなことです。教育制度をどう改革したらいいのかと、考えさせられますよ。我われのアイデンティティを守ることに関わる問題ですから」。彼の隣にいた連邦職員(1)、ユーセフ・アル=イーサは、この国では英語があらゆる問題の解決策のように持ち上げられていると指摘する。「礼拝の呼びかけにも、そのうち英語を強要されるようになる、それもオックスフォード訛りの英語でね、なんて冗談の好きな人たちは言っていますよ」

 連邦政府が公式に「国民アイデンティティ年」に定めた2008年以来、時には驚くほどの激しさで、英語の使用をめぐる論争が社会を揺さぶり続けている。一方の側は、世界に開いていくためにも、時代に遅れを取らないためにも、教育現場で英語を使うべきだと主張する。他方の側は、そんなことでは、在留西洋人たちの言うところの「現地人」として、UAE人でありながら同時にアラブ人、イスラム教徒でもあるというアイデンティティが崩れてしまうと主張する。

 2009年末、UAE建国38周年記念祝典に参列するため世界中から集まったジャーナリストたちを前に、半数公選の諮問機関である連邦評議会のアブドゥルアジーズ・アル=グレイル議長は、次のような明確なメッセージを述べた。「わが国は開かれた社会です。とはいえ、我われのアイデンティティを失うようなことがあってはなりません。注意を怠れば、グローバル化の波に呑まれて我われは滅びゆくでしょう。自分自身でいられる権利が、ケベック人にはあるのに我われにはない、そんな理由が一体あるものでしょうか」

 同じ日に同じ聴衆を前にして、非常に影響力のあるナヒヤーン・ビン=ムバーラク高等教育相が、全く別のスピーチを行った。「我われは自分たちの言語とアイデンティティに誇りを持っていますが、英語が科学と技術の言語として重要であることには変わりがありません。グローバルな国際競争で遅れを取ることはできません。グローバル化の中で競争力強化に向け、我われが子供たちの貢献を望むのであれば、英語で授業を行うほかに選択肢はありません」

200近くの異なる国籍

 2010年2月にアブダビの大手シンクタンク、エミレーツ戦略研究調査センター(ECSSR)が開催した大卒者就職シンポジウムを見ても、この論争が幕引きにはほど遠いことがわかる。大学研究者のハリーファ・アッ=スウェイディが、皮肉な口調でこう教えてくれた。「最初は、わが国の大学は欠点だらけで、英語を導入すべきだという話でした。お次は、レベル・アップのために海外の大学に協力を要請しなければならないというのです。なのに、大卒の若年失業者の問題は、今日でも依然解決されていません。もっと悪いことに、彼らの多くは自分が何者なのかわからなくなっています。英語をしゃべっても、しゃべらなくても、失業者であることには変わりありません」

 英語をめぐる論争は、湾岸諸国の硬直した社会という紋切り型になりがちな報道のイメージとはかけ離れている。それが示しているのは、より深く、より広範な問題提起である。ドバイの金融ショック(2)にもかかわらず、アブダビの莫大な財力のおかげで、UAEは世界の最富裕国の一角を占め続けている。2010年の経済成長率は5%台に乗る見込みだ。外国人労働者の移入は金融危機後も続いており、2009年10月に公表された数字によると、推定総人口500万人の83%近くという割合を維持している。専門職でも単純労働でも外国人労働者に依存した現状は、国民アイデンティティに関わる重要課題を突き付けている。

 匿名のある上級公務員はこう語る。「我われは自国内で少数者でしかありません。ここには200近くの異なる国籍の人びとが混住しています。周りを包囲されている感覚になり、それでアイデンティティに凝り固まるのです。英語論争もそれで説明できます。我われは国づくりのために他国の人びとに助けを求めましたが、その人たちとの違いは保ちたい。彼らの言語を話すようになったら、我われも同じになってしまいます。それを多くの人は恐れています。すべての公務員の民族衣装着用が、これほど厳しく義務付けられているのも、同じ理由からです」

 国内の専門家の多くは、アイデンティティ問題の重要性を意識しつつ、いかんともしがたい人口動態に対する懸念を隠さない。どのような経済展望を描くにせよ、UAE人は外国労働者を常に必要とし、自国内で少数者であり続ける。憂慮すべき予測によれば、2020年には人口の10%しか占めなくなるだろう。エミレーツ高等教育カレッジの研究員、ジャミール・ムハンマドはこう警告する。「この問題に関して、我われが真の国民的議論を行うことが急務です。もし何も手を打たず、外国人労働者への依存を減らすための解決が見つからなければ、いつか湾岸諸国のアラブ人が、この地域の先住民になってしまう可能性も排除できません。数の少なさゆえに、代々伝えられてきたものとはなんの関係もない伝統や価値観を押し付けられた米国のインディアンのような『先住民族』ですよ」

 こうした懸念が広がっている背景には、一部の外国人コミュニティからの要求が高まり始めていることもある。例えば、3世代にわたってドバイやアブダビに定住しているインド系の実業家たちは、UAE国内で生まれた外国人への国籍付与を求める陳情団を定期的に送っている。若い広報コンサルタントのナンシー・R・ナティヤムはこう証言する。「私はここで生まれ、両親の出身地のインドには一度も足を運んだことがありません。ドバイは私の町、UAEは私の国だと思っているのに、一夜にして国外追放される可能性もあるのです。それは不当です」

「フランスやカナダのようには出来ない」

 英語紙をはじめとする地元プレスは、インド亜大陸出身者や英米系知識人の筆により、厳しい帰化法制の改正を支持する論陣を張っている。10年前には考えられなかった動きだが、政府当局の取り締まりにあってはいない。そうした主張を行っている外国人コミュニティは、経済的にうまく社会に溶け込んでいる場合が多く、物理的な生活水準の面でも、建設工事の必要上「輸入した」大量の臨時労働者とは段違いだからだ。

 とはいえUAE支配層は外国出身者、特にアジア系の大量帰化を断固として認めない姿勢だ。アブダビのある高官はこう打ち明けた。「我われの存在がゆくゆくは薄められてしまいかねない。そうなったらUAE人というアイデンティティもおしまいだ」。彼によれば、「地元の若者に就職を促し、外国人労働者への依存を減らす」ことが急務である。そして、隣の首長国バーレーンのマジード・アル=アラウィ労相の発言を引用する。「湾岸諸国民にとって、外国人労働者は、原子爆弾あるいはイスラエルからの攻撃にもまして、深刻な危険となっている」

 そうした警戒感は、他のアラブ系の外国人にも向けられている。確かに、1948年から住み着いているパレスチナ人など、彼らのうちごく少数が、貴重な国籍を取得するに至ったのは事実だ。しかし、彼らのケースは例外に留まる。「エジプトやマグレブ諸国の出身者を帰化させれば、アラブとイスラムという我われのアイデンティティの一部を保ちながら、人口を増やすことはできるかもしれません。インド亜大陸の出身者の中に埋もれたくないのなら、そうするほかないでしょう」と、ドバイのある銀行員は分析しつつも、そうした方向に進む可能性は低いと言う。「帰化したとたんに政治的な要求を持ち出してくる」おそれのあるアラブ諸国の出身者に、UAE政府は警戒感を持っているはずだからだ。

 外国人を統合するつもりがないのではないかという疑問に対し、政府当局は外国人嫌悪があるわけではないと主張する。ハリーファ大統領の側近はこう語る。「誰にも嘘はついていない。有能な人はUAEに歓迎だが、労働契約が終われば帰国しなければならない。数年滞在すれば国籍の得られるフランスやカナダのようには出来ない。そんなことをすれば、それほど数の多くない我われにとっては、とんでもないことになる」

 マスコミによく登場するドバイ警察のダーヒー・ホラファーン・タミーミー長官は、この問題を公の場で、役人言葉なく語る数少ない人物の一人だ。彼に言わせれば、人権尊重を盾にして、UAEに何十万人といる移民の帰化を要求するのはおかしい。この件に関して訊かれる度に、彼はこう疑問を投げかける。「UAE人を自国内の少数者に留めおくことが人権だというのか。移民がUAEのインフラ建設に大きく活躍してくれたことは事実だ。しかし、彼らが得た利益はそれ以上に大きい」

 タミーミー長官はさらに、2008年春にドバイで開催された国民アイデンティティ会議で、連邦政府高官が列席する中、そのうちインド人が大統領の候補になることだってありうるのではないか、と声を大にして問いかけた。この爆弾発言はマスコミを賑わせ、以後、UAEのアイデンティティと不均衡な人口の問題が論じられる度に引き合いに出されるようになった。彼の発言は、政府と大部分の国民の保守的な立場を端的に伝えている。しかし、それはさしあたり、2011年12月に独立40周年を祝う国の抱える最大の課題に、解決の糸口を与えるものではない。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2010年5月号)