都市空間をめぐる闘争

ジャン=ピエール・ガルニエ (Jean-Pierre Garnier)

社会学者

訳:エマニュエル・ボナヴィタ


 ムンバイからロンドン、ニューヨーク、パリ、北京に至るまで、「創造的破壊」を通じた都市の再構造化が世界中で進められている。立地のよい民衆地区は再開発の対象となり、住民は周辺部に追い出され、質の悪いアパートに住むことを余儀なくされる。彼らが以前いた地域には高級マンション、企業本社、豪華な文化施設などが建ち並び、投資家や不動産開発業者、企業の経営者や高級管理職、そして裕福な観光客を呼びこもうとする。「世界中のスラムと世界中の建設現場とが衝突状態にある」と地理学者のデヴィッド・ハーヴェイは要約し、「この非対称状況は壮大な階級対立と解釈するほかない」と述べる(1)。となると、市街や建物が様変わりしているだけでなく、都市空間の奪取(や奪還)をめぐり、大昔から展開されてきた支配者と被支配者の闘争が、常のごとく繰り返されているということなのだろうか。

 それは正しいとは言えない。社会集団の再編によるイデオロギーや政治面の変化を無視することになるからだ。この変化は、工業化に替わって「第3次産業化」が進んだ国において特に著しい。20世紀最後の四半世紀から、いわゆる「サービス」産業の振興につれて新たなミドルクラスが増大した。と同時に、世界的あるいは国内の「中心都市」に、金融・法務・文化の主要機能が集中するようになった。こうした変化に関して指摘しておきたいポイントが二つある。ひとつは台頭した知的労働者についてである。豊かな学歴資本(高等教育とその学位)を持つ彼らは、それに見合った報酬を何よりも求め、ブルジョアジーと手を結んだ。もうひとつは労働運動の低迷、次いで壊滅である。その結果、社会の根本的な改革に向けた構想も、そうした構想を支える解放の理想も消え去ってしまった。

 ハーヴェイの言う「対立」は必ずしも「対決」を意味するわけではない。階級間の溝は、現在の都市空間ではむしろ分離の様態として表れており、持てる者と持たざる者の正面衝突はまれになった。都市空間の獲得をめぐる闘争が消え失せたのは、闘う者が少なくなったからではない。常に攻勢に立つブルジョアジーに対して、他方の側には対抗するすべがないからだ。ブルジョアジーは「階級的な属性を保っている。境遇や運命を共有し、帰属意識を持ち、再生産戦略を繰り出している。そこには労働者層を弱めるための行動も含まれる」(2)。他方、労働者プロレタリアは集団意識を失った。そして、既成秩序を覆すべき革命的主体という、社会主義の理論家が労働者階級に見出した「歴史的な役割」を忘れてしまった。

 民衆層を追い立てようとする支配階級の企ては、絶えず抵抗を生んできたと言ってよい。中南米では、犯罪や反乱を抑えるという名目で、警察や軍隊がスラムの住民と対決する。北アフリカやブラックアフリカでは、武力でスラムから人々を追い出す。「人民」共和国をうたう中国では、住民を強制退去させ、住宅を取り壊して更地にした上で、ビジネスのグローバリゼーションの時代の大都市に必須のインフラやビルを造る。ベルリンでは、かつて「アンダーグラウンド」の拠点となり、ドイツ統一後は新ブルジョアジーに占拠された地区で、高級車が頻繁に燃やされる。

 アメリカでは1960年代を通じて、ゲットーに押しこめられた黒人が反逆した。イギリスでは1980年代初め、サッチャー政権が「再開発」の対象とした郊外の貧困地区で、アフリカン・カリビアン系の住民が反逆した。フランス、イタリア、スペインでも、1970年代にデモや土地占拠、空き家占拠が相次ぎ、住民が家賃を一方的に引き下げたり、住民組合や地区委員会を創設したりといった動きがさかんになった。批判社会学の分野では、これらの新しい社会運動は「都市闘争」と呼ばれた。この命名には、誰もが「都市に住む権利」を要求する運動であるとの認識があった。だが、これらの運動こそ反資本主義闘争の新たな戦線だという極左の理論家や運動家の期待は、すぐに裏切られることになる。

「都市を変える」の限界

 階級闘争の場を居住問題にも広げることで、労働者と都市住民の共闘を実現するという展望は、数少ない例外を除いて現実とはならなかった。チリやアルゼンチン、また一部のイタリア(トリノ、ボローニャ)やスペイン(バルセロナ)の都市のように、工場における搾取に対する闘争と、開発業者や地主および彼らのバックにつく政治勢力に対する闘争との連携が、成功を収めた場合もあった。しかし、これらの抵抗運動は一時的なものに終わり、多くは弾圧によって息の根を止められた。連携に至らなかった地域では、当事者の取り込みによって抵抗は骨抜きにされた。反逆した住民の闘争心と急進性は、政権側と交渉することで結果的に弱められたからだ。運動のリーダーが名士化した例もある。ダニエル・コーン=ベンディットが1989年に、社民党(SPD)市政のフランクフルトで、多文化問題担当の助役に抜擢されたのは、象徴的な例だ。

 「都市闘争」が高まれば、資本と闘うプロレタリアに他の社会層の加勢が得られるはずだと言って、その種の闘争をときにリード、多くの場合は理論化したのは、教員、研究者、建築家、ソーシャルワーカーなど大学出の「反体制派」運動家たちだった。しかし彼らは「生活の枠組み」を重視する一方で、「労働の世界」の実態には無関心か、端的に無知だった。その極端な例がフランスで、「第二左派」を名乗る有力な大学人、平たく言えば社会自由主義の先駆者たちを旗振り役として、こうした闘争は疲弊した労働運動に代わるべき「新しい社会運動」であると位置づけられた。都市闘争とは、資本主義は乗り越え不可能であり、その廃絶を考える必要はないとの前提の下で、「生活を変える」ものだった。「都市を変える」ことは、もはや社会を変えることを意味しない。「都会的」な表情を加えることで社会の変化を促せば、それで十分だったのだ。

 そうした仕事に取り組んできたのが、資本主義的な都市化をかつては非難していた人々だ。今や、社会学者、地理学者、建築家、都市計画家、都市工学者、地方政治家が手に手を取って、「ポストモダン」資本主義の要求に見合うように都市空間を作り替えようとしている。彼らはマルクス主義社会学者アンリ・ルフェーヴルが理論化した「都市への権利」の中から(3)、革命的な意味合いを取り除いた上で、いくつかのテーマを援用してはばからない。数より質の優先、街区の歴史・本来の姿・個性の保全あるいは回復のための画一化拒否、自発的な社交の場たるべき公共空間の重視、といったものだ。

 かつては住宅やオフィスにする高級物件をどんどん建てる「更地を作り出す」ために、不衛生と見なされた区域、場合によっては長らく放置されていた地区全体を取り壊していた。昔からある曲がりくねった狭苦しい道に代えて、「都市を車に適応させる」ためのバイパスや放射状の幹線道路を造っていた。そんなふうにブルドーザーを駆使して、過去を白紙にするような再開発の時代は終わった。既存の建物が使いようなしというのでもない限り、もはや建物の破壊ではなく「復権」「蘇生」「再生」「復興」へと時代は変わった。これらは再開発関係者が好んで用いる言葉だが、そこには大きな意図がある。「レベルアップ」した空間はハイレベルの人々の専用にするという階級的論理を覆い隠すことだ。あるベルギー人の地理学者は言う。「この手の言葉は都市にとって一見ポジティブだが、社会的問題を完全にそぎ落としている。ある地区が最先端でファッショナブルになるというのは、そこに住んでいた一群の住民が追い出されることでもある。地区が『良くなる』といっても、以前の住民にとってではない」(4)。フランスでは「多元的左派」政権の時期に「都市政策」の一環として、「都市の刷新」なる怪しげなコンセプトが打ち出されたが、仮にそのようなものがあるとすれば、最大の狙いは住民の刷新だ。活発で魅力的な「中心都市」という新しい役割に見合う住民こそが、大都市の中心部にはふさわしいというわけだ。

競争原則に絡め取られた都市

 所得レベルが中から高で、「情報化社会」の進展から生まれた自由業を営む社会集団が、かつての労働者地区に移り住むようになった。それは徐々に進行したが、以前からの住民は侵略されたように感じた。彼らの多くにとって、それは結局のところ、土地や住宅が高騰し、引越を迫られることを意味していた。裕福で教養の高い新住民は、その社会的地位と同様に一様な住宅環境の確立を急いだからだ。こうした「ジェントリフィケーション」の作用は、都市建築の空間だけでなく、政治的な空間にも及んでいる。特に目立つのが主要左派政党の変容であり、支持基盤に占める民衆層の割合は下がる一方だ。

 「ヨーロッパ全体の現象だ。ほぼ各国で社会民主主義の『ジェントリフィケーション』が見られる」と、地理学者のクリストフ・ギユイは指摘する(5)。左派市政の自治体が、都市計画、住宅、文化施設・計画などの分野で、新たな支持層の要望の先取りに傾くのも意外ではない。

 社会党市政のパリでは、21世紀のパリのあり方とそれに向けた再開発について語る豪華なパンフレットを作成した。そこで都市計画・建築担当の筆頭助役アンヌ・イダルゴが述べるところによれば、今日の大都市の為政者に求められる課題は「グローバル都市」としての地位とアイデンティティを確立することであり、「その地位をめぐってフランスの首都は世界中の主要都市と競い合っている」という(6)

 周辺部からの「都市中心部の孤立を解消する」必要性だの、「都市圏におけるその位置付けに新たな視線」を向ける必要性だのといったことが、どこでも熱っぽく語られているが、それに惑わされてはならない。「大パリ圏」構想で想定されている自動運転の環状鉄道と同様、旧来のアントヴェルペン市街を囲む環状道路を完成させる計画も、市民の差し迫った交通需要に応えるためのものではない。それは経済拠点と高速インター、空港と駅、つまり資本の流通にとって最重要とされる場所を結ぶためのものだ。それらを相互に結べば、他のヨーロッパの都市にひけを取らなくなるという発想だ。「大ハノイ圏」の「誘致力」を増すための壮大な計画も、同様の発想に立っている。つまり、かつては反帝国主義の抵抗拠点として鳴らし、現在では開発業者の新しい黄金郷、欧米の観光客に人気の高い「ショッピングの都」となったハノイが、シンガポール、香港、さらには上海と伍していくための計画だ。サンフランシスコの大規模な「トランジットセンター」建設計画も同様だ。各種の公共交通機関を結びつけることで、湾岸部の交通を円滑化させるという計画だが、超高層ビルや娯楽施設も含めた「都市刷新」事業が「街の物理的な顔つきを変える」ことになるのは確実だ。そして、それは街の社会的な顔つきも変えていく。占拠された空き家の多い旧ダウンタウンの一部が、完全に取り壊されることになるからだ(7)

 これら一連の「共同計画」は、都市の中心部と周辺部を「共同の運命」に結びつけることを目的にうたう。しかし実際には、世界中の社会を従えようとする基本原則が、都市空間に適用されたものにほかならない。「自由かつ歪みなき競争」がそれである。

本稿は、近著 Une violence eminemment contemporaine. Essais sur la ville, la petite bourgeoisie intellectuelle et l'effacement des classes populaires (あまりにも現代的な暴力:都市、知識プチブル層、民衆階級の消滅に関する試論), Agone, Marseille, 2010 の序章に依拠している。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2010年4月号)