インド組み換えナス論争は氷山の一角

ミーラー・カンダール(Mira Kamdar)

世界政策研究所(ニューヨーク)研究員

訳:清水眞理子


 米国モンサント・グループは、インドで生産の認可を得るために、虚偽のデータを提出したことがある。今回、インドの関連企業が開発した遺伝子組み換えナスでも、同じことが起きたのだろうか。そうは言いきれない。しかしインド政府がこのほど、世界初の遺伝子組み換えナスの商品化を差し止めたことは事実だ。[フランス語版編集部]

 世界初となる遺伝子組み換えナスは、インドで商品化される手はずに見えた。2009年10月16日にインドの公的機関、遺伝子工学認可委員会(GEAC)がゴーサインを出していた。ところが予想に反して2010年2月、ラメシュ環境大臣が認可延期の最終決定を下した。組み換え綿花の大生産国のインドが、今後は組み換え作物に背を向けるということなのだろうか。そうは言えそうにない。

 とはいえ今回の延期措置は、インド市民社会の勝利を意味する。遺伝子組み換えナス反対キャンペーンは、ガンジーがスワデシ(食糧自給)思想の下に、大英帝国に反対して国民を動員したことを思い出させる。今回の組み換えナス導入もまた、インドの遺伝子資源と食糧主権に対する外国からの攻撃だと受け止められた。こうした捉え方によって国民が警戒感を募らせ・・・国内10州が連邦体制の下で認められているように組み換えナス禁止という独自の措置を取るに至った。このような猛反発を前に、ラメシュ大臣は商品化を遅らせる道を選んだ。

 この顛末は、遺伝子組み換え推進派の完全な敗北ではないにせよ、このナスを米系多国籍企業モンサントと共同開発したマヒコ社にとっても・・・また米国政府にとっても、大きな失敗となった。というのも米国政府は長らく対外経済政策の柱として、モンサント社の遺伝子組み換え作物を容認させることに力を入れてきたからだ。

 遺伝子組み換え関連のバイオ企業と手を組む米国政府に言わせれば、気候変動から予想される水不足と気温上昇に対抗して世界の人々に食糧を安定供給できるのは、組み換え作物だけである。他方でインドは、栄養不良の国民が大きく増加するおそれのある国のひとつである。中国に次ぐ世界第二位のコメ消費国インドは、昨年は旱魃と大洪水に見舞われ、今年300万トンのコメと400万トンの乾燥野菜の輸入を見込んでいる。

 皮肉なことに、新種のナスの扱いについてラメシュ大臣が決定を発表したまさにその日、これもモンサント社製のトウモロコシMON810の問題が欧州委員会で再燃した。周知のようにバローゾ委員長は、MON810の早期導入を推進する立場を取っている。

 遺伝子組み換え食糧の販売に待ったをかけたからといって、インドが別の道に進もうとしているわけではない。それどころか、インドが組み換え作物の消費だけでなく、開発と商品化の面でも世界の中心地になる準備は万端だ。いわゆる「Bt」ナス(バチルス・チューリンゲンシス菌の遺伝子を持つ)は、人間の食品用としては最初の組み換えナスだが、これが最後ということにはならないだろう。

 熱心なマーケティングにより、Bt綿花の栽培を全国に広げるのに成功したマヒコ社は、米国国際開発庁(USAID)を介した米国政府の直接的な後押しの下、数々の遺伝子組み換え作物の導入を準備している。USAIDは発展途上国への組み換え作物の普及を推進し、その仕事を(意外でもなんでもないが)米系の大手アグリ企業やその子会社に委ねている。Btナスの開発にも、USAIDは農業バイオテクノロジー支援プロジェクト(ABSP)を通じて寄与している(1)。バナナ、落花生、パパイヤ、トマト、コメがあとに続くにちがいない。

 USAIDの戦略は常に変わらず、その「理想的モデル」を踏襲している。大学で研究を進め、研究成果の迅速な商品化は民間企業に任せるというものだ(例の官民連携である)。Btナスの場合、マヒコ社はたとえばインドではABSPに参加するタミル・ナドゥ農業大学、米国ではモンサントの主要な提携大学であるコーネル大学に支援を仰いだ(2)。ABSPの参加者リストには、米国や諸外国の大学、モンサントやマヒコ、バイエル傘下のヌンヘム・シーズのような遺伝子工学企業、それにアグリ分野のコンサルティング会社、サットグルといった名前が並ぶ。このサットグル社は驚くなかれ、自社のウェブサイトに「ビジネスパートナー」として、米国農務省、USAID、コーネル大そして、ABSP(3)を掲げている。民間利権と公益の境界が見えにくい状態だ。

 この不明瞭さは偶然ではない。米印両国は、2005年から交渉が続いた原子力協定に注目が集まるなかで、もうひとつ別の協定を締結していた。少なくとも潜在的には原子力協定と同じほど重大な世界的影響を及ぼし、農業分野の人材育成、研究、サービス、貿易関係を対象とする協定だ(米印農業知識イニシアティブ、AKI)。シン首相とブッシュ大統領が2005年7月18日に調印したAKIは、「インド農業の人材育成・研究制度の基盤作りへの米国の大学の積極的な参画」を規定し、「新たなパートナーシップの形成」を提案している(4)。それに際して設けられた理事会には、米国側の民間代表として、2大アグリ企業のモンサント、アーチャー・ダニエルズ・ミッドランドとスーパー最大手ウォルマートが入っている。

第二の「緑の革命」

 AKIはインドの野望を十分満足させる。インドのねらいは、第一に増加する国民を食べさせること、第二に「知識社会」への移行推進によりインド経済とインド企業を世界一流の座に押し上げることだ。インドはAKIによって、経済成長の原動力となってきた企業向けサービス(経理業務、コールセンターによるアフターサービス、情報処理など)の「海外移転」の受け入れ先、というモデルを農業部門にも適用する。インドが「可変的」外交の原則の下に、世界貿易機関(WTO)やドーハ・ラウンドで、自国農業の完全自由化を拒絶し続けていることは事実だ。しかし矛盾は表面的なものにすぎない。いずれの場合もインド政府が追求しているのは、自国の大企業の権益保護である。

 農業の問題はインドで独特の位置を占めている。独立当初、食糧不足に苦しんだインドは、穀物のありあまる米国に物乞いをするという屈辱的な立場におかれた。独立したばかりの国々に反共産化の砦を築くために、ミネソタ州選出の上院議員だったヒューバート・H・ハンフリーが考えたのは、米国農業を「外交の武器」にして、各国の伝統的な食糧を米国産の食糧に置き換えることだった。彼の説明によれば、とりわけ給食を通じて、外国の子供たちの味覚を形成することがポイントだった。日本の子供はパンになじみ、ユーゴスラヴィアの子供は新鮮な国産乳より米国産の粉ミルクを好むようになった。インドでは「子供がなめらかなバターに指を入れ、それを味わい、恋する者の口ぶりで『アメリカ』とつぶやくことになるだろう(5)

 飢餓に直面していたインドは米国に接近した。1960年には、米国からの援助の92%が食糧関連だった。こうして、フォード財団やロックフェラー財団を介した米国の援助によって、「緑の革命」がスタートした。それはインドを飢えから救った。しかしインド農業市場の完全自由化は、この革命によっても、1991年の外資開放によっても、ブッシュ政権による両国の戦略的接近によっても成し遂げられなかった。

 確かに、この「緑の革命」はかなりの穀物増産を実現した(1954年の7000万トンから今日では2億200万トン)。しかしインドは重いツケを負った。水路や地下水は干上がり、土壌は塩田化した。農民は借金に追われ(10年足らずで10万人以上の農民が自殺)、がん羅患率が急増した。政治的、社会的にも重大な影響を及ぼしたことは言うまでもない。たとえば1980年代にパンジャブ州で起こった独立派の反乱について、多くの人々が緑の革命を主因とみなしている。インディラ・ガンジー首相が1984年にボディガードのシーク教徒に暗殺され、反乱勢力が拠点としたシーク教の聖地、黄金寺院を軍が急襲した時期である。

 そして今日、飢餓が再びインドに迫っている。世界の栄養不良児の40%がこの国にいる。モンスーンへの気候変動の影響、憂慮すべき水不足(6)、可耕地を削り取る都市と工業地帯の拡大により、インドの農業生産は脅かされている。

 インドの今年の成長率は、世界金融危機にもかかわらず7%に達する見込みだが、農業部門では2%前後にとどまる。これを大幅に引き上げなければ、インドは国民を食べさせることはできないし、8〜9%の成長目標を達成することもできない。

 AKIはインドに大規模投資や技術移転、食農産業インフラ整備などをもたらすと考えられている。安上がりな贈り物だ。というのも、ノウハウを商品に結実させるのに必要な権利は、多国籍企業の手中にあるからだ。

 これが、米国の提供する第二の「緑の革命」だ。「米国は対インド農産物貿易を増やしたい。これは双方の利益になることだが、そうなるかどうかはインドの農業部門の変革にかかっている(7)」。ここで言う変革はまず、インドの研究者をインドや米国の大学に招き入れることから始まる。続いて、米国で数十年前からよく見られるように、彼らは大学から大手アグリ企業、あるいは企業から大学へと渡り歩く。民間企業で高収入を得た後、たとえば農務省の幹部になって、以前の勤務先が大量生産する遺伝子工学商品の効果を管理する・・・。

 マイケル・テーラーの経歴は、こうした「回転ドア」の好例だ。モンサントの幹部になったあと、農務省に入った(農務省はその少し前に、この多国籍企業の開発した牛の成長ホルモンrBGHの商業化を認可している)。それからジョージ・ワシントン大学に移り、やがて自国に戻るインド人を含む若手エリートを育成した。米国政府は最近、ホワイトハウスの芝生の真ん中に有機菜園が設置されたというニュースを公にした。これに重要な象徴的意味があるのは確かだが、だからといって農務省とアグリ産業の結託がゆるんだわけではない。新政権の顧問には、テーラー氏も名を連ねている(8)

国連機関による警鐘

 要するに、農業分野での米国の対インド戦略は、公共部門の役割を縮小することにある。インドには他にないような利点がある。貧しい農民が、売られた種子に関して面倒な疑問を投げかけることはまずない。広大な耕作可能地があり、市場には巨大な潜在性がある。高級官僚は、あらゆる面で技術による解決を熱心に支持し、飢餓や外国依存を極度に恐れている。とはいえ、農業民営化によって開かれる可能性に幻想を抱いているのは、米系多国籍企業だけではない。シンジェンタ、バイエルクロップサイエンス、カルフール、テスコなどの欧州勢、タタ、バールティー、リライアンス・アンド・マヒンドラのようなインド系グループなど、多数の企業が名乗りを上げている。

 老舗の企業グループ、タタはとりわけ熱心だ。米国をモデルに、グループ総帥ラタン・タタ氏の留学先であるコーネル大学と共同で「タタ教育・開発トラスト」を創設した。タタ・グループは2008年に5000万ドルを提供した。その半分は、インドに関係する「タタ・コーネル農業・栄養イニシアティブ」に回り、もう半分は、コーネルに在籍する若いインドの学生・研究者向けの奨学金に充てられる。さらに、インド農芸化学分野のリーダーであるタタ傘下のラリス社が、遺伝子組み換え綿花およびハイブリッド品種の「種子取引へ本格的に乗り出すことを決定した」という(9)

 インドは「食糧作物にバイオテクノロジーを応用すれば、食糧自給ができるようになるだろう」と米国は誘惑的に断言する(10)。そんなに単純にいくだろうか。2008年4月に国連機関が発表した「開発のための農業科学・技術の国際評価(IAASTD)」によると、少なくとも400人の科学者が疑念を持っている。

 IAASTDは現行の工業的農業生産システムに警鐘を鳴らす。「ここ何年もの間、農学はもっぱら農家の生産性を引き上げるための技術の普及に専心してきた。市場に加え、政府の設けた制度的メカニズムが、新しい技術の採用を促してきた。絶えず革新を続け、生産者価格を下げ、コストを外部化することが、一般的なモデルであった(11)

 生産面での目覚ましい成果は、社会的平等、地方自治体による地元のノウハウや文化の把握、自然環境の吸収力を犠牲にしたものだった。IAASTDは、技術に偏した解決に深刻な留保を付け、遺伝子組み換え作物についても潜在的危険を強調し、その有用性に疑問を呈している。米国がこの結論に異を唱えたのは意外ではない。

 現在の世界的な危機によって、インドが米国の論法に影響されにくくなると予想する余地もあった。だが実際には、2009年11月にインドで開かれたダヴォス地域フォーラムで、インド首脳はかつてないほど熱く官民連携を語った。彼らは外国投資家に対し、インド経済の自由化を拡大することを約束し、連携協定を結ぼうと誘いかけた。

 同様に、米外交に真の変革をもたらすというオバマ大統領の美しい公約が、農業分野にも当てはめられるとの期待もあった。ところがクリントン国務長官は農業外交を強化し、USAIDのトップにラジヴ・シャー氏を任命した。遺伝子組み換え作物を厚遇する姿勢を農務省でもビル・アンド・メリンダ財団でも見事に示した人物だ。この人事により米国は、貧しい国の「開発」に際して、遺伝子工学をこれまで以上に重視することになるだろう。

 だが、遺伝子組み換えナスへの反対運動は、モンサントをはじめとする大手アグリ企業の想定外だった。認可延期の決定を下す前に、ラメシュ大臣は公聴会を重ねた。最も脅威にさらされている小農を含め、ありとあらゆる意見を彼は聞いた。一連の討論はメディアを通じて広く公開された。彼は2010年2月9日の公式声明で、選択に当たっては透明性を心がけ、熟考を重ね、とりわけ慎重さを重んじたと述べた。「科学界の中にも明白なコンセンサスがなく、さまざまな州政府に強い反対があり、市民社会のリーダーからの増え続ける真剣な質問に対する満足な回答がなく、世論がはっきりBtナスを拒否し、(・・・)発売を急ぐ必要性がないという状況からすれば、予防原則を採用し、延期を命ずることが私の義務であります(12)

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2010年3月号)

* 註(8), (9), (10) 中のスペルを修正(2010年4月13日)