トルコ外交の新たな展開

ウェンディ・クリスチャナセン特派員(Wendy Kristianasen)

ジャーナリスト、在ロンドン

訳:日本語版編集部


 1月21日、トルコ憲法裁判所は、軍事裁判所の特別権限を縮小する法律の無効化を宣言した。この決定から、またクルド系最大政党への活動禁止命令から読み取れるトルコの現状は、民主化の試みに伴う国内の緊張の高まりだ。その一方で、政府による新たな外交政策に関しては、広範なコンセンサスが形作られつつある。[フランス語版編集部]

 「最も大事なのは、物事を見る視野だ」とトルコ外相のアフメト・ダウトオールは言う。外相自身の視野はなかなか広い。地域の平和と安全を目標とし、G20とNATOの両方に加わっているトルコはそれに適任だと考えている。彼が構想する新たな外交政策の基本は、「近隣諸国とトラブルなし」の原則、そして説得と交渉を旨とするソフトパワーである。ダウトオールは、2002年11月3日の国政選挙における公正発展党(AKP)の大勝後、外交担当の首相主席顧問となり、2009年5月以降は外相を務めている。

 「わが国は、テュルク系(バルカン諸国、カフカス地方、ロシア、キプロス、中東地域に居住)をはじめとする多様な民族・言語集団との強固な関係に基づき、様々な紛争で調停役を果たす準備がある」とダウトオールは明言する。しかし、彼の野心はそこに留まるものではない。「わが国の安全保障についての考えは、万国のためのものである。平和については、政治面でのハイレベル対話、経済面での相互依存、そして文化多様性への配慮を求めるものである」

 ダウトオールはいわゆる政治家ではない。選挙で選ばれたわけではない大学研究者であり、トルコにとって革新的な外交について熟慮するだけでなく、それを自ら実践するようになった。そして自分の成果を数え上げてみせる。「シリアとは61件、イラクとは48件の協定に調印、近隣8カ国に対してビザ取得義務を廃止、レバノン大統領府とシリアの間の問題を解決、アルメニアとは2つの議定書に調印」。イスラエル・パレスチナ間の調停を試みたことは言うまでもない。成果リストはまだまだ増えるだろう。2007年から2008年にかけては、シリア・イスラエル間の間接協議の後見役を務めた。ダウトオールは言う。「和平にまでは至らずとも、直接交渉に向けた合意が成立する寸前だった。一連の作業は、2008年12月にイスラエルがガザを攻撃したせいで停止した。ガザが協議の対象に入っていたわけではないにしても、この戦争は我々の協議に負の効果をもたらした。調停が有効に機能するには、和平に向けた意志が必要だ。イスラエルがその意志を持つようになれば、わが国はそれに耳を傾ける用意がある」

 こうした外交戦略は、経済および安全保障上の野心からの首尾一貫性があり、世界の中のトルコの位置についての明確な考え方によるものだという点では、信条の違いを超えて国民的に意見が一致している。このような外交政策が出てきたトルコの内政は、非常に重要な転機を迎えている。現政権が軍の政治介入を抑え込むのと並行して、「深層国家(1)」の暗い秘密が明るみに出た。新しいエリート層が誕生し、非常に活動的な中産階級が拡大するなかで、トルコの新たな外交政策は、政権構造の民主化への道を開きつつある。

 「新たな力学が存在する。国民に後押しされたものだ。しかし、西洋諸国はこれを理解していない」と警察学校教授のイフサン・バルは指摘する。「始まりは2003年、米国がトルコをイラク侵攻の入り口として利用しようとした時だ。そこで『ノー』と言ったのは国民、つまり国会議員と有権者の声だ」

 国民の最大の関心事は世界的経済危機の影響と失業問題だと想像されるかもしれない。失業率は15%に上り、若者世代ではおそらく30%に達している。ところが現実には、国民の関心はむしろガザに向けられているのだ。1年前、国旗を手にした5000人の群衆が、ダヴォスの世界経済フォーラムから帰国したエルドアン首相を出迎えた。2009年1月29日に、首相がイスラエルのペレス大統領とのテレビ討論の場から「憤然と立ち去った」事件を受けてのことだ。エルドアンはペレスに対して「あなたは人々を殺している最中だ」と言い放った。ペレスは、その1カ月前にガザに対して仕掛けた戦争を正当化した。司会者は、それにエルドアンが反論する余地を与えなかった(2)。トルコ人はパレスチナに高い関心を寄せている。そして、エルドアン首相の率直な感情表現、カリスマ性、庶民階級出身であることを評価している。

 識者の指摘によれば、米国はトルコが「和平プロセス」の再開を助けるために、ハマスだけでなくファタハとも協調することを望んでいたが、ペレスとの一件(これによりエルドアンはアラブ・イスラム世界のヒーローとなった)を問題視はしなかった。ハマス政権への支援は、その指導者ハーリド・マシュアルをアンカラに招待したことからも明らかだ。それがトルコにとって実を結ぶはずだと見る向きもある。たとえば、2006年6月25日にハマスの捕虜となり、以来ガザに拘束されているイスラエル兵、ギルアド・シャリートの解放が期待できるかもしれない。

イランとは競合

 2002年にAKPが政権に就いたことは、イスラエルとの緊密な関係維持の妨げにはならなかった。それはトルコがイスラエル・シリア間の調停に尽力したことからもうかがえる。しかし、2008年にイスラエルがガザに侵攻してからは、空気が変わった。これを裏付けるのが、2009年10月の共同軍事演習の取り消しである。2010年1月には、トルコの在イスラエル大使に対するイスラエルのダニー・アヤロン副外相の「侮辱的」な扱いに、トルコは激しく反応した(3)。外交官を引き揚げると脅し、謝罪を要求したのだ。イスラエルは謝罪した。

 両国の関係は根本的に変わったのだろうか。アンカラの中東工科大学教授のメリハ・アルトゥヌシュクの解説によると、ガザ戦争の後では「どんな政権だって、トルコはイスラエルを批判する方向に舵を切ったにちがいない。それにイスラエルは、現在の指導部になってから、ますます孤立を深めている。オバマの就任後、イスラエルの戦略的重要性は低下している」。多くのトルコ人が、今や経済面においてさえ、イスラエルにとってのトルコの重要性はその逆よりも大きいと力説する。トルコでは、両国関係の縮小は考えても、それ以上の措置までは考えていない。トルコにせよアラブ諸国にせよ、イスラエルと絶縁することは望んではいない。

 アルトゥヌシュク教授はこうも指摘する。「中東の指導者たちは、トルコに目を向け、トルコが建設的な役割を果たすよう求めている。その鍵は経済だが、エルドアン首相の人柄も一役かっている。私はダマスカスの中心街で、彼がきっかけでトルコ語を習っているという女性たちに出会った。すべては2003年、トルコ政府が米国に逆らって、自国がイラク戦争の基地に使われるのを拒否した時に始まった。彼は他の指導者たちと違うぞ、やってくれたじゃないか、という感情が広がっている」

 彼女は続けて言う。「他方、テヘランとは明らかに競合関係にある。トルコはガザへの公然たる支援、シリア・イスラエル間交渉への関与、レバノン政治危機の解決への貢献などによって、イランのお株を奪ってきた。協力関係で問題を解決しようとする姿勢によって、アンカラはいくつものメリットを引き出している。アラブ諸国およびイランとの関係強化、経済的な利益、そして地域の安定だ。トルコによれば、長期的に見てウィン・ウィンな戦略なのだ」

 トルコ人の意見が分かれる唯一の外交テーマが、イランだと言ってよいだろう。政府に近い日刊英語紙トゥデーズ・ザマンの政治記者であるヤヴズ・バイダルによると、エルドアン首相とアフマディネジャド大統領の関係を心配する必要はない。「どちらも庶民層出身であり、振る舞いも庶民的だ。互いに警戒しているにしても」。しかし、イランの核問題を調停しようと試みるのは、よくて世間知らず、悪くすると危険だと指摘する者もいる。イランについての意見の不一致は、テヘランの野心が掴みにくいうえに、トルコの鼻先で一触即発の状況が生まれることへの危惧があるからだ。

 アラブ諸国の中で、トルコ人の夢をかき立てるのがシリアだ。大学では教授たちが、ダマスカスに旅行した時のことを語って聞かせる。両国の関係は、古くから芳しくなかった。シリアは1980年代には、クルド労働者党(PKK)を支援していたし、オスマン時代にアレクサンドレッタと呼ばれたハタイ県(4)の返還をトルコに請求している。水資源の分配問題もある。こうしたことを考えれば、現在の両国関係は奇跡に近い。

 イラクに関しては、経済的・社会的関係が利となっており、またスンニ派グループを交渉の席に着かせるためにトルコが努力しているおかげもあって、国境地帯は相対的に安定している。2007年にイラク北部でPKKに対してトルコが行った攻撃も終息した。リビアとスーダンをはじめ、アフリカ諸国との関係も発展している。ただしスーダンに対して、エルドアン首相は最近「失言」を犯した。同国訪問中の2009年11月9日に、バシル大統領が国際刑事裁判所に起訴される原因となった犯罪にもまして、イスラエルの戦争犯罪はひどいと発言したのだ(5)。他方アフガニスタンでは、1750人の「非戦闘」部隊の派遣が、トルコのイメージアップに貢献している。

 とはいえ、トルコはイスラム諸国だけを見ているわけではない。ロシア、セルビア、グルジア、さらにアルメニアにも働きかけている。アルメニアとは2009年10月10日に、外交関係樹立と国境開放を規定する2つの議定書に調印した。難題であるキプロス問題については、ギリシャのパパンドレウ新首相との間で何らかの進展が得られるのではないかとの期待が生まれている。

欧米の視線

 トルコの新たな外交路線、東方と南方への野心に反映されているのは、欧米メディアが書き立てるように、「オスマン的なミッション(6)」の再来なのだろうか。そのような考えは、トルコの指導者や国民の言葉遣いにも見解にも見られない。トルコの元外交官で、1980年代にヨーロッパ問題担当省の初代局長を務めたテメル・イスキトによると、「新オスマン主義」という非難の目的は、「トルコはイスラム化しており、もはやEU入りにこだわっていない」と信じさせることにある。しかし、そうした非難は不当であり、「発信元は、トルコのEU加盟を拒否する諸国の政府や、親イスラエル系の米国メディアだ」と言う。

 イスキトはかつては共和人民党(CHP)を支持していた。世俗主義の中道左派野党で、トルコ独立の父たるアタテュルクことムスタファ・ケマルが創設した単独政党の流れを汲む。この政党の路線と指導者デニズ・バイカルに対して、彼もまた他の多くの国民と同様に信頼感を失った。「私はアルメニア、キプロス、クルド人など、タブーであった一連の問題について、自国を擁護する人生を長らく送ったが、その後に考えを改め、自分の主張を語ろうと決意した」。彼は現在、イスタンブールの独立系日刊紙タラフ(7)に時評を書いている。

 国際舞台におけるトルコの新たな姿勢は、戦略方針の変化を意味するのだろうか。「トルコは常に地政学上の中心的な位置を占めてきた」とイスキトは考える。「しかし、新しい国、独立闘争をくぐり抜けた国として第1次世界大戦直後も、そして冷戦直後も、我々の国はいつも守勢に置かれていた。その後に何が変わったかと言えば、民主化を始めたことだ。AKPが政権に就く以前からコペンハーゲン基準(8)を意識し、軍があらゆる政治介入をやめることに同意したおかげだ。こうした民主化が、協調と交渉という新しい発想を生み出した」

 世俗的な日刊紙ミリエトの論説記者であり、テレビの人気コメンテーターでもあるカドリ・ギュルセルは「どんな政権でも、今のような外交方針を採っていることだろう」と言う。「2002年から2003年の好景気、EU加盟交渉の開始、アブドゥッラー・オジャラン(9)の拘束による治安上の大きな問題の解決といった要因で、トルコの外交カードは増えた。冷戦終結とグローバリゼーションは新たな力学を生み出した。今の動きはそうした現実へのトルコの自然な適応だ。だが、世俗主義の政権であれば、これほどうまくはやれなかっただろう。AKPは中東で、とくにスンニ派とそりが合うからだ」。とはいえ、たとえば閣僚や顧問にアラビア語を話す者が多いとしても、ギュルセルに言わせると「東洋の軸」があるわけではなく、従来の同盟関係に変化が起きているわけでもない。

 ギュルセルの見解によれば、トルコの経済状況によって多くのことが説明できる。「トルコ経済は輸出依存型にならざるを得ない。国内貯蓄の構造が存在しないからだ。したがって、新たな市場を見つけなくてはならず、その筆頭が中東市場だ。これは総じてうまく機能してきた。政府の閣僚は、仲間内で利益を独占する傾向があるものの、経済を正しく運営しており、ビジネスのセンスがある。そのおかげで、AKPの社会的な支持基盤であるアナトリア地方で、新しい中産階級の誕生が促進された。それが、安定した民主制度の担保になっている」

 イスタンブールにあるビルギ大学の国際関係学教授のソリ・オゼルによれば、西洋諸国には、トルコが自国の優先課題を自ら設定することを受け入れがたいと見る向きが多い。AKPは米国と非常に良好な関係を保っており、イスラエルやイランと違って安定を望み、地域の繁栄と安全と平和志向を願っている。オゼルもまた、トルコ外交の継続性を強調し、「AKPはこうした考え方を他の政党よりも上手にまとめ上げた」と指摘する。

 「トルコの『西洋性』という問題は、トルコがどのような戦略的な方向性を採るかという点よりも、この国が真の西洋国になるのかどうかという点に関わっている」とオゼルは説明する。「実際には西洋諸国の利益にも沿っているトルコの行動がよく理解できないからと、EUが自主的に降板するならば、わが国の対外関係の窓口はほぼ米国ということになる。もしそうなれば、米国政府はトルコが真の西洋的民主国になることを強く求めてくるのではないか。米国がEUにトルコ加盟を推進するよう圧力をかけるとすれば、わが国がそこまでの水準に達したことの何よりの証拠となる」

トルコのソフトパワーはうまく行くか

 トルコ政府は、オバマ大統領がブッシュ大統領よりうまくやってくれるだろうと期待している。「彼は物事の見方が違う」とタラフ紙の編集長で、米国が専門のヤーセミン・チョンガルは説明する。「彼にはいくつもの強みがある。ルーツもそうだし、多文化の環境で成長し、イスラム世界のことを知っている。彼がフセインという名も持っていることをトルコ人は忘れない」。オバマが2009年6月にカイロで、イスラム世界との対話と人権の尊重を強調した演説を行ったことは、アンカラの関心と呼応する。しかし、イスラエルにパレスチナへの入植を全面的に停止させられずにいること、アフガニスタンへの増派を決定したことは失望を呼んだ。トルコ世論の不信感を解くには、パレスチナ問題に関して米国政府が強力なサインを送る必要があるだろう。

 ヨーロッパに対しては、トルコは紛れもなく苦々しい気持ちでおり、それは外交政策に関する発言の端々にも表れている。EU加盟をあまり熱心に目指してこなかったという政府批判は、サルコジ仏大統領とメルケル独首相が「ノー」を表明して以来、ほとんど意味をなさなくなった。それよりも広まっていると思われる考え方は、中東をはじめ世界的にトルコの威信が高まれば、EUへの良い手土産になるというものだ。もしEU加盟が歓迎されないとしても、国際舞台におけるトルコの役割がこれから高まっていくのは確かだ。

 伝統的にイスタンブールの世俗的な旧家が牛耳ってきたトルコ実業家協会(TUSIAD)の事務局長、ザフェル・ヤヴァンは不満を漏らす。「政府がEU加盟に関して、とりわけ政府調達その他の経済分野において、素早く動いたとは言えない。政府の取り組みに疑問が起きている」。だが、こうも言う。「加盟プロセスが遅れているのは、トルコのせいというよりサルコジ大統領のせいだ。今の政府であれ、別の政府であれ、トルコは前進するだろう。AKPの始めた民主化が続いていくからだ。これは逆戻りなしのプロセスだ。AKPは着々と粘り強く改革を進めている。過去の政府の行動とは比べものにならない」

 かつてCHP出身の法相を務めたアイシェ・チェリケルには、AKP政権に異議を唱える理由が大いにある。しかも、彼女が主宰し、世俗的な女子教育を行っている協会(チャーダシュ・ヤシャム・デルネーイ)は目下、「14人の職員が罪状も不明なまま尋問を受けるという、政府の圧力」の下にある。自分は「ケマル主義者だがオープンな精神を持つ」というチェリケルの見立てによれば、「政府はEU加盟を二の次にして、東方と南方への開放という曲芸にいそしんでいる」。とはいえ、「ヨーロッパとの距離が広がったり、イランに接近したりしない限り、それでいいと思う」と彼女は付け加えた。

 退役将軍であり、新設の中東戦略研究所の主要メンバーであるアルマアン・クルオールにも話を聞いてみよう。彼はケマル主義者ではなくアタテュルク派として、「民族的な基盤に基づいたトルコ国家の防衛」を唱えているのだという。現政府の外交政策に対しては、予想通り批判的で、古い教条を擁護する。「北キプロスは国家として認知されるべきだ。クルド人問題は存在しない。アルメニアは虐殺があったと主張するのをやめるべきだ、等々」。とはいえ、彼もまた次のように見ている。「同盟関係における方針の変更や転換は一切見られない。政府は単に近隣諸国との良好な関係を求めているだけだ。まったく初めての出来事だ」。それが可能になったのは、シリア、イラク、そしてイランに変化があったからだ。政府の対EU政策についてはとくに批判はない。「ただし、譲歩をのむというなら話は別だ」という。「トルコはEUに加盟しないほうがいい。わが国の主権を分与することになるからだ」。つまり、トルコは「オランダやイタリアではないのだから、主権の分与は安全保障に差し障る」という趣旨である。クルオールは、軍が伝統的に演じてきた政治的な役割を擁護しつつも、軍が影響力を失った一方で「エルゲネコン事件に見られるような野心的な振る舞い」もあると認めている。

 多くのトルコ人はAKP政権が、多くの手玉を操るあまり、そのいくつかを取りこぼしてしまうのではないかと懸念する。「近隣諸国とトラブルなし、ムチは不要」という考え方、つまり説得と経済的便宜を通じた紛争解決に賛同しない者もいる。それに、ムチなしのアメがうまく行かなかったらどうするのか。トルコはソフトパワーの潜在力を過大評価して、危地に陥ることになるのではないか。

 中東工科大学のアルトゥヌシュク教授は、こうした懸念に独特の回答を与えている。「そんなことを問題にするのは時期尚早だ。しかも、ポイントを外している。外交では進め方が最終結果と同じくらい重要だ。トルコは以前は近隣諸国にとって、周辺的な大国にすぎなかった。ところが今では、トルコの話を抜きには、世界の多くの地域の将来を論ずることはできないのだ」

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2010年2月号)