インドネシアのパプア民族は存続できるのか?

フィリップ・パトー=セレリエ特派員(Philippe Pataud Celerier)

ジャーナリスト

訳:エマニュエル・ボナヴィタ


 スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領が楽勝で再選を決めた2009年6月の大統領選は、インドネシアの独裁時代に完全に幕を引いたと言える。だが、パプア地域(ニューギニア島西部)をはじめ、国内少数民族の処遇は相変わらずだ。住民同士を対立させ、地域を分断し、私財を侵害する、という手法が続いている。[フランス語版編集部]

 「SBYだろうが、誰だろうがね・・・。路線はとっくに決まっているのさ」と、リヌスは言った。そして少し間を置いて、「どのみち将軍なんだし。今は『バンバン』でドンパチな将軍ってわけさ」と付け加え、友達のアグスに顔を向けた。2人は30代のパプア人である。彼らも皆と同じように、2009年6月8日のインドネシア大統領選で、SBYことスシロ・バンバン・ユドヨノの再選を予想していた。リヌスとアグスはニューギニア島西部、パプア州の州都ジャヤプラの出身だ。公務員の内定者で、東ジャワ州の大都会、スラバヤで研修中だ。同期の数は15人ほどで、多くはジャワ人である。パプア地域は2002年1月から特別自治州となっているが、法的措置の多くは実際には死文化している。

 アグスに言わせると、「独立の代わりが、特別自治権というわけさ。どうにも特別すぎて、うさんくさいと誰もが思っている。でも私の場合は、パプア州の南部にできた新しい県で、職員として働くことになる。独立派のパプア人からすれば、そんなやつは裏切り者だ。訓練官の大半のジャワ人からすれば、地上での生活を教え込むべき樹上の猿でしかない。私は家族を養おうとしているだけなのに・・・」。と、そこで隣のホテルから団体客が出てきたため、アグスは口ごもった。デリケートな話題だからだ。

 数カ月前に、弓矢を持ったパプア人の一団がジャヤプラ郊外の警察署を襲った。警察は銃を使い、1人を殺害した。インドネシアのメディアは、パプアの分離勢力が、今や民主国家となった国の自由な選挙の妨害を図っていると非難した。「自由? 民主主義? だったら、なんでパプア人の犠牲者がいっこうに減らないんだ?」とアグスは憤る。

 30年以上にわたってインドネシアを支配したスハルト軍事独裁政権が1998年に崩壊したときには、将来への希望がふくらんだ。有人島6000を含む1万7000の島が、東西5000キロに広がる世界最大の列島であるインドネシアで、人種・民族・宗教の違いは、中央集権と強権政治、そして軍隊によって抑え込まれていた。その力が政権崩壊によって緩み、西のアチェから東のパプアまで、各地で独立の気運が高まった。首都ジャカルタから見て周辺部に住む多くの民族は、独立の回復を望んでいる。そして、90%がイスラム教徒のインドネシア人2億4000万の圧倒的多数に共有されているジャワ文化の下に、抑えつけられていた自分たちのアイデンティティを回復したいと願っている。

 ニューギニア島西部(1)の人々は、1962年にインドネシアに併合されたことも、1969年に住民投票もどきによって公式にインドネシア領とされたことも(2)受け入れなかった。この地域に与えられたのは、特別自治州という地位だけである。ところが、それでもインドネシアのナショナリストは「甘すぎだ」と言う。津々浦々で噴き出した要求に応じるために、何度も憲法を改正して、各地域の違いを公式に認め、自治州を創設し、税の一部を地方分権にしたと主張する。彼らに言わせれば、これらの法改正は、民族国家の根幹を揺るがしかねない。今は統一を強化すべき時代であって、これ以上の自治権を与えるべきではない。そんなことをすれば、パプア独立の第一歩となり、国内各地の独立派の主張を煽り立てるだけだ。

 彼らとは政治的に対極の立場を取るのが、独立派の主要勢力であるパプア評議会(PDP)である。2001年11月に当時のメガワティ大統領がパプア自治法を公布した際も、PDPは拒否している。その同じ月、PDPのカリスマ的な議長、テイス・エルアイの死体がジャヤプラ郊外で発見された。パプアは爆発寸前となった。インドネシア社会ではあまり話題にならなかった事件だが、独立派の活動を国家統一の脅威と見なす人々にとっては朗報だった。

州の分断という手法

 「この国ではナショナリズムが非常に強い。インドネシア人の目から見れば、国の分裂につながるような行為は、インドネシアという一体であるべき国家や国土、そして国家観への攻撃にほかならない。政治の議論も、インドネシア史の教育や再解釈も、こうした考えを支えている。しかも、インドネシア政府はパプアの統合を世界に認知させている。つまり国際法上も正当性があるということだ」と、トロント大学(カナダ)で政治学を教えるジャック・ベルトランはコメントしている(3)

 政府はエルアイを殺害した犯人を見つけるため、悪名高いコパスス(陸軍特殊部隊)を動員した。人心不安が急進派支持を拡大する恐れがあると見たメガワティ大統領は、パプア自治法を撤回し、一触即発状態のニューギニア島西部を3つの州に分割するという政令を出した(4)。実に巧みな戦略だ。「パプア人というアイデンティティは、より細かなアイデンティティに比べ、まだ歴史が浅く、弱いものでしかない(150万から200万人のパプア人は、310の民族・言語集団に分かれる)。政府は州の分断という手法によって、パプア人が単一の(豊かな)自治政府の下にまとまって発言し、統一的な主張を掲げる道を封じた。パプア人の分裂傾向に付け込んだのだ」とベルトランは説明する。

 新たな地方行政単位の創設は、パプアの支配的階層にとっては、自らの社会的地位や権威を高め、資産を増やす絶好のチャンスである。「州や県の数が多いほど、知事とブパティ(県長)のポストが多くなるし、中央からの資金も増える」とメルボルン(オーストラリア)にあるヴィクトリア大学のリチャード・ショーヴェルは解説する。分裂を正当化する歪んだ政策だ。民主化を果たしたインドネシアでは、全33州の首長(州知事および県長)は普通選挙によって選ばれている。「選挙はパプア人の有力者の間に、健全とは言いがたい新たな競争の種を作り出した。国軍関係者は軍に有利な政策を約束する候補者を支援するため、軍内部の派閥間、それに軍と警察の競争が激化している」と、ジャヤプラのチェンドラワシ大学のある教授は述べる。もともと3つの予定だった州のうち最終的に創設されたのは、パプア州と西パプア州の2つだけになった。

 2009年に中央政府が、パプア州と西パプア州の予算として24兆ルピア(約2300億円)を計上すると、州の分割を求めるロビー活動が盛んになった。彼らの狙いは地方行政機構が生み出す雇用である。パプア自治法が施行されて以降、公務員の採用には移住者であるジャワ人ではなく、パプア人が優先されるようになったからだ。「不満を感じる側が入れ替わったにしても、無能で腐敗した公務員に現地住民が苦しめられているのは相変わらずだ」と、ある事情通は言う。

 多額の資金投入を伴う2つの自治州の創設は、中央政府の真剣な姿勢の表れであり、辺鄙なパプア地域の医療や教育を底上げする手段にもなる、と政府関係者は言う。しかし、ある独立派の活動家はこう述べている。「2つの自治州創設の最大の結果は、行政機関や警察署、学校を過剰に作り出したことだ。これらの学校では、ジャワ人の移住者である教師が、バハサ・インドネシア(インドネシアの公用語であるインドネシア語)しか教えない」

 信頼性の高い推計によれば、ジャワ人はすでにパプアの総人口(240万人)の48%を占めている。パプア人に言わせると、「ジャワ化」は政府のかねてからの計画である。東ティモールの場合は住民投票を経た後、2002年に独立を果たした。だが、パプアの場合、同じことは期待できない。政治的な理由に加え、現実的な経済要因があるからだ。パプアには金、銅、ウラン、ニッケル、油脂、天然ガス、森林(インドネシアの森林面積の4分の1)など天然資源が豊富にある。4200万ヘクタールの熱帯林のうち、半分以上は開発可能だとインドネシア政府は見ている。それに加えて、アブラヤシなど農業開発用地とされた土地が900万ヘクタールある。アグリ産業やアグリ燃料の原料として需要の高いヤシ油は、スマトラ島とカリマンタン島を荒廃させた。次に産地にされたのが、世界の生産量の85%をマレーシアとともに担うようになったパプアだ。ヤシ油のインドネシア最大手シナル・マスは、最近パプアで300万ヘクタールを獲得した。

激変する人口比

 インドネシアへの投資額が群を抜いて最大の外資系企業が、鉱山開発会社のフリーポート・マックモラン(本社フェニックス)である。だが同社は、その開発手法に関して最も非難されている会社でもある。2008年の収入は180億ドル近くあったが、その一部は現地住民を移住させて得たものだ。パプアのアムンメ族が、涼しい高地トゥンバガプラから、マラリア流行地域である南方の沿岸湿地帯ティミカへの移住を余儀なくされたのだ。これについてはBPインドネシアでさえ、環境と人間と社会にとっての大惨事だと非難している。BPインドネシアは、そこから約500キロ離れたビントゥニ湾を拠点としており、2009年から数百万トンの液化天然ガス(LNG)を中国などに輸出し始めている。このガス田は、インドネシアで3番目という巨大な規模を持つ。

 パプア人のほとんどは、この富の分け前を受けていない。貧困率は全国平均の2倍、幼児死亡率は地域によって2倍から6倍だ。エイズ感染率は40倍にものぼる。感染の広がりは、売春婦の常連となっている軍が彼女らの健康を全く気にかけないことに無関係ではない。

 インドネシア軍は、中央政府から財政の面でも(必要資金の30%しか提供されていない)距離の面でも隔てられているため、自らの正当性を強化し、収入源を確保するために、独自の事業活動を展開している。社会の秩序を乱そうと死者を出そうとお構いなし、売春、ギャンブル、武器や酒の密売、森林の違法な伐採、様々な業界(道路建設、運送、警備など)での談合や恐喝といった活動だ。ただし、東ティモールの独立、マルク諸島とセレベス島の情勢安定化、それからアチェの紛争終結によって、軍の展開地域は狭まっている。だからこそパプアで、金になる取引をめぐって、部隊の間で激しい競争を繰り広げているわけだ。

 資金の大部分を自力で調達することを強いられる軍は、まさに略奪者と化している。1963年から83年までの期間に軍の犠牲になったパプア人は、公式統計によれば15万人とされる。常に引き合いに出される数字だが、パプアでの軍事行動は過去40年にわたって絶え間なく続いているのだ。軍による迫害、レイプ、拷問、殺人、住民の強制移住、住宅の破壊や家畜の殺害といった暴行が、ヒューマン・ライツ・ウォッチやサバイバル・インターナショナルなどのNGOによって報告されない月はない(5)。絶えることのない暴行を前に、これは民族虐殺だと言う者もいる。2015年には移住者の数がパプア人のそれを上回ると予測されているのは事実だ。

 人口比の激変は、それ自体が民族虐殺とは言えないとしても、パプア社会の崩壊を大きく助長している。2001年以降に強制移住させられた人々は2万人以上にのぼる。隣接する独立の兄弟国、パプアニューギニアでは1万3500人の亡命者が暮らしている。

 インドネシア政府はパプア民族を全滅させるつもりなのか。そんなつもりはないと言うのなら、世界のメディアやNGO、人権保護の活動家をパプアに迎え入れるべきだ。法治の回復も必要不可欠だ。政府の無策が力不足によるにせよ、計算尽くであるにせよ、揺るがぬ事実がひとつある。インドネシアの民主主義はパプアでは停止しているということだ。いったん生まれた無法地帯は、どこまで広がるか知れたものではない。パプア人だけでなくインドネシア人全体が、それを身をもって知ることになるかもしれない。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2010年2月号)