ハイチ、悲劇の地層

クリストフ・ヴァルニー(Christophe Wargny)

著書 Haiti n'existe pas. 1804-2004 : deux cents ans de solitude,
editions Autrement, Paris, 2008 ;
Les Esclavages, du XVIe siecle a nos jours, editions Autrement, Paris, 2008

訳:今村律子


 ハイチを襲った大地震は、推定15万人近くの人びとの生命を奪い、100万人以上の避難民を路上、あるいは数少ない空き地に放り出した(1)。ハイチの歴史には災害がまとわりついてきた。それらは見た目通りの自然災害とは言いきれない。大規模な暴風雨が起きれば、多数の死者が発生し、孤立する地区も出る。ペティオンヴィルでは学校が倒壊し、50人の子供たちが生き埋めとなる。さほどでない暴風雨でも、400人乗りのフェリーが沈没し、1000人以上の溺死者が出る(2)。ハリケーンが上陸すれば、キューバやフロリダでは4、5人どまりの死者が、ハイチでは数百人に達する。

 2008年には4つのハリケーンが上陸し、2004年にも被災したゴナイヴの町がとりわけ打撃を受けた。いずれの災害の時も、政府は対策に乏しく、意欲に欠け、汚職にまみれていた。それは、最低限の社会保障についてはNGO、国民の忍従についてはペンテコステ派その他のキリスト教団体に、丸投げしている政府である。それは、支出がずばぬけて少ない政府でもある。2003年には、人口数が上位の100カ国の中で、公共サービス支出が最低の国がハイチだった。社会支出の削減では右に出る者がない国なのだ。それがどれほどの惨状をもたらしているかは、現地から伝えられる情報や映像を見ればよくわかる。

 ハイチは震災前から長年にわたり、激しい環境破壊に蝕まれてきた。農村部は土壌浸食で荒れ、スコールが降れば土砂流となった。何の権威も持たない政府当局は、仮死状態のハイチ社会にとって、せいぜいのところ無自覚あるいは無力な傍観者でしかなかった。そして200年近くなかった地殻変動が起こり、都市部のカオスは修羅場と化した。2010年1月12日以前も、人口が50年で10倍に膨れ上がったポルトープランスは、既に都市の体をなしていなかった。それは、日々200人の割合で住民が増えているのに、設備もない街区の集合にすぎなかった。ルールがないのが都市形成の唯一のルール、空き家占拠はあたりまえ、質の悪い建材や許可逃れも日常茶飯事、建築場所は河川敷だ。勾配率50%を超える斜面や、ゴミ捨て場の海岸低地に、スラム街ができあがった。極貧状態にある4分の3のハイチ人にとって、住居に金をかけることなど不可能である。

 これは自然災害なのか。半分はそうだ。ハイチの人びとのせいなのか。そんなことはない。宿命なのか。安易な発想だ。呪いなのか。そうかもしれない。でも、何の呪いが、どこからやって来たのか。ずっと遠く、はるか昔からだ。ハイチはその誕生の高い代価をいまだに払い続けているのだ。1802年から1804年のハイチの出現が望まれていなかったことは少なくとも言える。ナポレオン統治下のフランスをはじめとする西洋諸国は、このフランス革命の不義の子を誕生時に始末できず、その後に息の根を止めようとした。ハイチの独立戦争は、2010年をも上回る史上最悪の流血の惨事だった。奴隷反乱が生み落とした唯一の国家であるハイチは、宗主国フランスが認知を拒否したことで誕生した。先進諸国への大逆罪である。

 フランスには、このような敗北は受け入れることができない。ナポレオンの伝説にとって、それに対外貿易上も、許しがたい禍根である。1789年当時のサン・ドマング(現ハイチ)は、世界の砂糖の半分を生産する最も豊かな植民地と見なされていたからだ。世界の半分を植民地化しつつあった19世紀のヨーロッパには、このような独立解放は容認できなかった。揺籃期の米国もまた、黒人奴隷所有主の国として、そんな国が近傍にできることを認めるわけにはいかなかった。欧米いずれにとっても解決策はただひとつ、闇に葬ってしまうことだった。ハイチを記憶から抹消し、存在を禁じることだった。

 ハイチのエリート層が共謀したおかげで、作戦は成功する。1825年、彼らはハイチ独立の「付与」に対する代価をフランスに支払うことを了承したのだ。入植者たちへの賠償を名目とした莫大な金額である(3)。この身請け金が、長きにわたって国内投資を封じることになる。見返りの少ない取引だった。ハイチが得たのは、200年にわたる孤立だけだった。それが中断されたのは、ヨーロッパの旧来の植民地主義、そして米国の新たな帝国主義が、衰えを知らない支配欲を発揮した時だけだ。その最高潮は、1915年から34年である。20年間の米国占領、現地の実状に合わない経済モデルの導入、数千人にのぼる犠牲者。これが一度目の後見体制である。

10億ドル近くにのぼる債務残高

 フランソワおよびジャン=クロード・デュヴァリエ父子の長期独裁政権(1957-86年)は、30年間で3万人もの犠牲者を生み出した。暴力が、ハイチ政治の常態となった。米国政府にしてもフランス政府にしても、キューバの目と鼻の先に強烈な反共政権が維持されるなら、ハイチの人権抑圧や、一族郎党による援助金の横領に目をつぶるのはやぶさかではなかった。自然災害が確実に増大するような地盤が整えられたのだ。デュヴァリエ政権以来の頭脳流出はやむことがなく、さらに拡大しかねないのが目下の状況だ。それがハイチの経済的な離陸を難しくする。

 呪いなのか、宿命なのか。ここの地層の主要部分をなすのは、ありえないほどの貧困、ひどすぎる不平等、少数支配層のおごりの混成物である。この病人に、300年にわたって毒を盛り続けた諸国も、ここ数十年は目をかけるようになった。お気に入りの処方箋は、国内農業を崩壊させる市場開放と、社会的投資を牽制する構造調整計画であり、窓口はおおむね支配階級に限定だ。ハイチの支配階級は米国政府でさえ「道徳的嫌悪感をもよおさせるエリート層」と呼ぶような連中である(4)

 2009年にハイチでは、長期に及んだ社会運動が起きた。久しく見られなかったことだ。国民の4分の3が1日1.50ユーロ以下で暮らしている国で、その2倍を超える日給200グールド(約460円)の最低賃金(5)が要求された。投資家の関心をつなぎ止めたいプレヴァル大統領は、過大すぎるとして応じなかった。その前年に起こったことはこうだ。プレヴァル政権は米と食用油の高騰を放置した。それが原因で食糧を求める暴動が起こった。政治危機が長期化し、外国からの援助は遅延した。清廉で意欲的だが、政党基盤を持たないピエール=ルイが2008年に首相に任命され、知識人と一部の社会運動団体から強く支持された。ところが、2010年の総選挙を睨んだプレヴァル大統領は、この首相を罷免する策を取った。

 ハイチ国民の200万人近くが、世界食糧計画(WFP)の支援で食いつないでいる。経済成長率はほぼ例年、人口増加率を下回り、1人あたりの国内総生産(GDP)は20年来、下降の一途をたどっている。国家歳入の半分を占める国際援助に加え、経済危機のあおりで2009年には低下した麻薬密売と在外者からの送金(国家予算の3倍にもなる)が、インフォーマル部門に支えられた瀕死状態のハイチ経済の資金源だ。大部分がジャン=クロード・デュヴァリエ政権下で借り入れられた資金の一部は、ヨーロッパの銀行口座に積み上げられている。この2年来、ハイチの債務帳消しの「適格性」が何度も宣言されたが、債務残高はなお10億ドル近くにのぼる(6)。世界銀行は返済義務を一時凍結し、「全額帳消しについて検討」しているという。検討によほど難儀しているのだろう。

 1月12日の震災後の迅速かつ大規模な人道介入は、同じくらい素早く強力な軍事占領を伴っている。2004年から駐留している国連ハイチ安定化派遣団(MINUSTAH)は、幹部職員を大量に失った。派遣要員の主力はブラジルであり、任務はハイチ国家の主権機能の回復である。成果のほどは微妙だ。選挙は成功した。犯罪集団は弱体化した。警察は再建中である。人権教育は遅々として進まない。刑務所の環境は劣悪だ。司法はいい加減である。そうしたハイチで大統領官邸、官庁施設、裁判所といった国家の象徴が倒壊した時、それらの実効性がほとんどゼロに近かったことは忘れられた。刑事施設から4000人の収容者が脱走したことが大々的に報じられた。極度に深刻な治安をさらに悪化させる危険な強盗集団だ、という論調だ。実際には、彼らの80%以上は、起訴されても弁護士も付かず、裁判官の顔を見たこともないのだ。

 米国は地上要員4600人を派遣し、その援護に海上要員1万人を動員した。その現地部隊は、MINUSTAHを装備で凌駕し、要員数では互角である。ハイチの人道問題に直面し、現地当局の無力を見たオバマ大統領の対応は素早く、米国しか持っていない巨大な兵站システムを徹底活用した。ただし現場では不始末も多発している。そこに表れているのは米国の尊大な姿勢であり、指揮権を確保しようとする(実際に表明もされた)意向である。今回の軍事介入は、この16年間で3回目だ。干渉に干渉を重ねた1世紀を通じて、これまでの軍事介入は何の解決にもならなかった。

未来に向けた論理を作り出すこと

 1994年の経緯はこうだ。アリスティド大統領(7)を転覆させたクーデタ政権に対する3年にわたる経済制裁は、効果を上げず、脆弱なハイチ経済を痛めつけただけだった。そのため米国は、セドラ軍事政権にピリオドを打つために2万人の部隊を送り込んだ。米軍が睨みつけただけで相手は退散したようだ。こうして、ジョージ・H・ブッシュ政権と米中央情報局(CIA)が転覆に加担したアリスティド政権が、クリントン大統領によって復職した。米軍はとりわけ次の2つの行動を反射的に遂行した。住宅街ペティオンヴィルの周囲に警備線を張り巡らせることと、調査の手の届かない安全な場所にハイチの公文書の一部を移すことだ。1995年には、米軍に替わって国連ハイチ派遣団(UNMIH)が駐留した。

 それから10年後、米国はフランスの協力の下に、再びハイチに介入した。今度はアリスティドを追放するためだ。彼は専横的な傾向を強め、武装勢力との衝突のおそれが生まれていたからだ。この時は、侵攻した米軍に替わって、米国抜きでラテンアメリカ諸国を主体とするMINUSTAHが派遣された。2006年にプレヴァル大統領が選出されるまで、欧米諸国が据えておいたのがラトルチュ暫定政権である。ラトルチュもまた前任者たちと同じぐらい金にあざとく、縁故主義で、どうしようもない人物だったばかりか、アリスティド政権への復讐心に凝り固まっていた。

 今回のオバマの介入は人道支援が主だと信じたいところだが、米国のカリブ海政策を貫いている要因を想起せずにはいられない。アメリカ大陸はアメリカの人びとに、というモンロー主義が「西半球」の他のどこよりも熱心に実践されてきたのが、カリブ海地域なのだ。マイアミから1000キロメートル、キューバの至近にある地域の動揺は、すべからく米国にとっては危険の兆候である。いかなる原因であれハイチが崩壊すれば、難民がとめどなく流出することになりかねない。1994年に、クリントンが介入を決定した理由のひとつはそこにある。彼はまた、ハイチ介入は、難なく手に入れることのできる外交成果になると考えていた。今回の介入に際しても、同様の判断が働いているのだろうか。それとも米国は、自らも加担してきた不正義の縮図たる隣国ハイチの再生を、史上初めて支えようとしているのだろうか。

 国際的な支援の動きはハイチ人の勇気と連帯を支え続けるだろうか。メディア報道は本質的に変わりやすいが、支援には莫大な金額が必要となる。誰が陣頭指揮を執るのかも問題だ。米国か、国連か。あるいは、哲学者レジス・ドゥブレが友愛の名の下に提案したように、この種の災害発生時に設けられ、ハイチを「人類の被後見国」に指定する新たな機関か(8)。目的は、ハイチが「立ち往生しているだけの存在」から脱することだ(9)。未来に向けた論理を作り出すことだ。それが、奴隷反乱の指導者トゥーサン・ルーヴェルチュールの祖国に対し、フランスと米国が過去に加えた蛮行への償いではないだろうか。ハイチ人のために新境地を切り開くことを考えなければならない。どうすれば、膨れ上がった首都に流れ込む人々を農村部に留めることができるだろうか。どうすれば、いつもの同じ連中ではなく、すべてのハイチ人が、安心して暮らせるようになるだろうか。常に虐げられきた下層のハイチ人や、専門技能を備えた在外ハイチ人も関与させなければならない。メンタリティーを変革しなければならない。そして、国家を今のような強奪者ではなく、戦略を編み出し、国民を保護する存在に作り替えなければならない。

 米国、ドミニカ共和国、カナダ、フランスは、この順に在外ハイチ人の数が多い。ブラジルとカリブ海諸国は以前からハイチに関与している。支援額が最大なのはEUである。これらの国々が何を提案するにせよ、ハイチ社会のあらゆる層に依拠したものでない限り、どんな計画もハイチを建て直すことはできないだろう。修復すべき被害は、2010年の震災に始まるわけではなく、都市構造は問題の一面でしかないことを胸に刻んでおくべきだ。

 問題は、ポルトープランスとその周辺の復興で終わるのか、それともハイチ国家の建設に携わるのか、ということなのだ。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2010年2月号)