資源と外資、モザンビークの場合

アウグスタ・コンキーリャ特派員(Augusta Conchiglia)

ジャーナリスト

訳:エマニュエル・ボナヴィタ


 2009年8月1日に、モザンビーク中部にあるソファラ州カイアで、アルマンド・ゲブザ大統領が、アフリカで4番目に長いザンベジ川に架かる橋の開通式を盛大に執り行った。この式典は政治的に重要な意味を持っていた。対岸のザンベジア州は、マルクス主義を掲げていたモザンビーク解放戦線(FRELIMO)(1)と、南アフリカのアパルトヘイト政権の支持を受けたモザンビーク民族抵抗運動(RENAMO)の間で、1977年から92年まで繰り広げられた内戦により、最も被害を被った地域だった。ザンベジア州と北部一帯は数十年にわたり、中央政府のある豊かな南部との架け橋を求め続けていたのだった。

 ゲブザ大統領は御満悦である。与党FRELIMOが2009年10月28日の総選挙で初めて、RENAMOの拠点だったソファラ州、ナンプラ州、そしてサンベジア州で勝利を収めたのだ。南北の統一を象徴するあの橋が、勝利につながったと言えるだろう。

 モザンビークは紛争後の復興の成功例である。アフリカ開発銀行(ADB)と経済協力開発機構(OECD)共同の2009年アフリカ報告書は、モザンビークに関して「政治およびマクロ経済が安定して」おり、「2000年から2006年にかけて平均8%という高成長を遂げた」と指摘している(2)。また、予算の多く(22%)が教育に充てられている。とはいえ、一人当たりの所得は230ユーロ相当にすぎず、未だ最貧国のひとつにとどまっている。洪水や旱魃などの自然災害もあいまって、地域間の格差は広がる一方である。サハラ以南アフリカ諸国の中で、モザンビークは政府開発援助(ODA)の最大の被援助国のひとつとなっている(3)

 沿岸国モザンビークはポルトガル植民地時代(1895-1975年)から、経済活動の活発な旧ローデシア(現ジンバブエおよびザンビア)や南アフリカと緊密に結び付き、その輸出拠点となっていた。首都マプトと中部ベイラを結ぶ回廊(鉄道と道路)や、北部太平洋岸のナカラと内陸国マラウィを結ぶ鉄道が、この国の重要な収入源となっていた(他の収入源は、南アフリカの鉱山で働くモザンビーク人からの送金)。しかし、その収入は内戦によって激減した。南アフリカはモザンビークへの投資を控え、自国のダーバン港へと通ずる交通網に力を入れたからだ。

 内戦終結後のモザンビークは、経済活動の多様化を図っている。切り札には事欠かない。国内総生産(GDP)の27%を占める農業・漁業はもちろん、エネルギー(天然ガス、水力発電、また海洋油田も有望)、鉱山(石炭、チタン、金、宝石)がある。さらに観光客も大幅に増加している。

 2000年代になると、大規模採掘産業の「メガプロジェクト」が始まった。そこにはモザンビーク経済の陥っている矛盾が映し出されている。投資額が数十億ドルにのぼるイニャンバネ州の天然ガス開発が、その一例だ。産出されたガスの95%はパイプラインで南アフリカに送られている。開発の主体は南アフリカのサソール社とモザンビークのモザール社である。アルミ精錬のモザールは、英豪資本の大企業BHPビリトンが率いるコンソーシアム(4)によって設立され、2000年から2002年の間に生産性を倍増させた。

電気を輸出する一方で輸入

 だが、国際金融機関の求めにより、事業の大半は「経済特区」で実施されてきたため、モザンビーク政府の税収にはほとんどつながっていない。だから、輸出が大幅に増えたにもかかわらず、2008年の国際収支赤字が8億ドルにも達するのも不思議ではない。モザンビークが取りはぐれた税収は、国際援助によって穴埋めされている政府予算の赤字額にほぼ相当すると見られる。

 経済学者のカルロス=ヌーノ・カステル=ブランコによると、モザールがモザンビーク企業として設立されたのは税制優遇措置よりも、むしろ南アフリカの経済発展が絡んでいる。南アフリカは地域最大の大国であり、このプロジェクトに二重に関与している。コンソーシアムに出資しているほか、電力の供給も担っているのだ。BHPビリトンはプロジェクト参加に当たり、モザンビーク電力公社(EDM)、スワジランド電力公社(SEB)、南アフリカ電力公社(ESKOM)と契約を結んでいる。これら3社はモザールに電力を供給するために、モザンビーク送配電会社(MOTRACO)という独自の電力会社を立ち上げた。「ESKOMは長期契約の条件として、モザールをモザンビークに設立することを要求した。自社の電力ネットワークを地域一帯に広げるためだ」とカステル=ブランコは解説する。

 エネルギーが足りず、数年前から深刻な電力不足に悩む南アフリカは、隣国モザンビークの潜在的な水力発電能力の活用に多大な関心を寄せる(5)。目覚ましい成長を遂げる南アフリカの電力供給の95%を担うESKOMは、モザンビークのカオラ・バッサ・ダム(HCB)で生産される電力の最大の買い手となっている。

 1974年に南部テテ州に、ポルトガルのコンソーシアムによって建設されたHCBは、もともと南アフリカへの電力供給を主眼としていた。当時のモザンビークには、これといった工業がなく、国内向けとしては採算が合わなかったからである。 ダムから伸びる高圧線は、そこからすぐ西のジンバブエ国内に入り、モザンビーク領内には一度も戻らずに、そのまま南アフリカまで南下する。

 モザンビーク政府は、経済の発展した南部をはじめとする国内向け電力をESKOMから買っているが、価格交渉は熾烈をきわめた。23億ドルかけてモザンビークの北部と南部の間に高圧線を通さない限り、ESKOMへの依存が続くことになる。HCBには2000メガワットの発電能力があるが、そのうちモザンビークに供給されているのは400メガワットにすぎない。200メガワットは(代金未払いを続ける)ジンバブエに、1400メガワットは南アフリカに送られている。この契約の期限は2029年にならないと来ない。

 そのため、エネルギー自給を志すモザンビーク政府は、ポルトガルが82%を保有するHCBの買収を目指した。内戦時のRENAMOの破壊活動によって、同社は20億ユーロ相当の債務を抱えていたからだ。

 債務は最終的に7億ドルに縮小された。モザンビークのエネルギー省は、買収資金を提供した仏カリヨン率いる銀行団に対し、HCBの収入を財源として、12年間で返済することを約束した。ついに2007年11月、モザンビークはこの国の重要施設、HCBの持ち分の85%を獲得した。「2度目の独立のような気分だった」とエネルギー局長のパスコアル・バセラは語る。同局では、合計6000メガワット超となる7つの発電所の新設を計画しており、やがては地域の主要な電力輸出国になることを狙っている。

新たな諸国の参入

 南アフリカはモザンビークの外国直接投資の35%を占めており、250の南アフリカ企業が進出している。また、南アフリカからモザンビークへの輸出は、モザンビークから南アフリカへの輸出の20倍にのぼる。

 南アフリカは、ブラジルと同程度の中所得国と見なされている。その経済力の一部は、アフリカ南部諸国に対する影響力を(それらの宗主国ポルトガルとイギリスの了解の下に)形成したことによるものだ。この地域の発展の鍵を握る同国は、アパルトヘイトが終わってからさらに発展を遂げている。しかし、地下資源を狙って新たな諸国がモザンビークに参入してきたため、南アフリカの存在感は以前よりも薄くなった。2007年以降の投資額では、ブラジルとオーストラリアの合計が南アフリカを上回っている。投資の標的は、第1に石炭、第2にチタンである。

 長い間マイナーな資源だと思われていた石炭が、にわかに大手の鉱山企業を引き付けるようになった。初めての入札案件となったモアティーゼ炭鉱では、まずブラジル企業のヴァーレ(旧ヴァーレ・ド・リオ・ドセ、鉱山開発で世界第2位)が落札した。次に隣接地区の入札が行われ、インドのタタ・スチールと組んだオーストラリア企業リヴァースデールが落札した。採掘が始まってしばらくして、両地区に世界最大級のコークス用炭の鉱脈があることが発覚した。ヴァーレとリヴァースデールはそれぞれ年間生産量が数年後に2000万から2500万トンに達するとの見通しを示している。今や、アルセロール・ミッタルなど鉄鋼業界の大手企業も参入を図っている状況だ。

 だが、運送の問題が解決されたわけではない。インフラは不充分あるいは不適切である。付近には、20世紀の初めに敷設された鉄道がある。650キロにわたってモアティーゼとベイラ港を結ぶセナ線と、インド洋沿岸からジンバブエを経て大西洋岸アンゴラのロビト港に至るベイラ線だ。セナ線は2002年から改修工事が続いているが、それでも輸送能力は足りないだろう。工事はインド鉄道公社(インディアン・レールウェーズ)傘下のRITESとIRCONが担当しており、2010年初めに完了の予定である。両社はセナ線の運行も担うことになっており、インドにとってアフリカ初の鉄道事業となる。他方、リヴァースデールの側では、採掘した石炭の一部を平底船に積んでザンベジ川を下り、数百キロ東に位置する河口まで運送することも考えている。

 ヴァーレとリヴァースデールは、炭鉱および鉄道に必要な電力源として、それぞれの鉱区に1800メガワット規模の火力発電所を建設する予定だ。モザンビークの環境保護団体がプロジェクト全体を監視しているため、両社は環境に配慮した最先端の技術を競い合っている。

 モザンビークの選択肢は限られてきた。一方には、無視できないが不都合な点もあるパートナー、南アフリカへの依存がある。他方には、国際援助への依存がある。しかし、その状況から解放される日が近付いているのかもしれない。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2009年12月号)