シャルル・ドゴール空港の裏舞台

マルク・アンドヴェルド(Marc Endeweld)

ジャーナリスト

訳:日本語版編集部


 ロワシー・シャルル・ドゴール空港(CDG)。極めて象徴的な名称だ。1964年、パリ最大の空港を作る計画に取り掛かったのが、当時のフランス大統領シャルル・ドゴールだった。今や利用客数(1)ではアトランタ(ハーツフィールド・ジャクソン)、シカゴ(オヘア)、ロンドン(ヒースロー)、東京(羽田)に次いで、世界で5番目である。首都の北東約20キロに位置するこの空港の開港は1974年、第1次石油ショック直後のことだ。当時からすでに、途方もない規模だった。11階分の足場が組まれ、36本の支柱が昼夜を問わず打ち込まれた。地下にはいくつもの回廊が掘られ、10万人規模の都市への暖房供給能力を持つ自前の熱電発電システムに接続された。

 「30年前、空港と言えば、日曜日に出かける場所だった」と空港の西にあるグサンヴィル市の住民は語る。「工事の進み具合を見に行ったものだ。あの頃に比べ、とくに高速道路のインターチェンジができてから、空港はとてつもなく巨大化した。ところが近隣住民の我々が得たのは、公共交通機関のとんでもない渋滞、それから騒音だけだ」。というのも、工事は延々と続いているからだ。新しい搭乗サテライト「S3」の場合は3年で済んだ。22万6000平米の鉄とガラスの化け物で、26機の駐機能力を持つ。2004年から2007年にかけ、空港を運営するパリ空港会社(ADP)の指示のもと、無数の下請け会社に雇われた5000人の作業者が立ち働いた。同社は、この3250ヘクタールに及ぶ空港をほぼ一手に取り仕切る。ヨーロッパ最大の空港施設であり、パリ市の3分の1に相当する広さを持つ。

 この会社は「S3」に6億5400万ユーロを投じ、大きな賭けに出た。搭乗サテライト2Eに付設された「S3」は、開設後は「ギャルリー・パリジェンヌ」と呼ばれ、ショーウィンドーになることを期待されている。フランスのショーウィンドーだ。2007年6月26日の除幕式には、フランス大統領に選出されたばかりのニコラ・サルコジが出席した。彼は「大パリ」計画を発表する場として、この式典を選んだのだ。「イル・ド・フランス地域圏(首都圏)が有力な金融センターであり続け、科学の一大拠点であり続け、企業本社の誘致でロンドンと競り合うことを望むなら、ロワシーを発展させなくてはならない。設問は単純だ。パリが今後20年間、世界の主要都市の第1リーグ、第2リーグのどちらでプレーすることを望むのか、ということだ」

 シャルル・ドゴール空港の発着便数は2009年最初の5カ月で6.6%減少したが、ルネ・ブラン常務には心配した様子はない。「経済危機だろうと、多額の投資を続けることを決定した」と請け合う。「空港の経済モデルは、航空会社のそれとは比べようがない。それに、競合する空港も投資の手を緩めていない。ロンドンは滑走路の増設、フランクフルトはそれに加えて新ターミナルを計画している。マドリードは余剰能力があるほどだ」

 過熱する拡張競争の中で、パリ空港会社は2010年末までに、27億ユーロを様々な工事に投資することになる。さらに25億4000万ユーロを2009年から2013年の間に投資することが、今年1月の取締役会で承認された。

 ブラン常務にも満足のいく決定だ。「旅客受け入れ能力は、2007年6月から2008年末までの間に40%増加し、4700万人から7200万人になった。4年後には8100万人に達する見込みだ」

 笑止千万な数字かもしれない。1997年、不満を募らせる近隣住民をなだめつつ、2本の滑走路を増設するために、当時のジョスパン内閣のゲソ運輸相は、この空港の旅客数が5500万人を超えないようにすると約束したのだから。

 2002年には、ラファラン内閣(2002〜2005年)が、パリ圏に第3の空港を建設することを断念した。パリ第2のオルリー空港(旅客数は2008年に2600万人)については、年間便数は上限25万便という1990年代中盤の規定があるため、パリ圏の増加分のほとんどがシャルル・ドゴール空港に集中するのは明らかだ。パリ圏の空港旅客数は2020年には1億2000万人に達すると予想されている(2)

 NGO団体FoE(地球の友)のアンヌ・ジュレは次のように非難する。「政府は、素知らぬ顔で物事を進めている。実際には、彼らは空港の業績向上にしか関心がない。拡大競争は常軌を逸している。上限を提案したり、目標を定めたりする勇気を持つ人が誰もいない。我々は、たとえば地方の空港に発着便を振り分けることを提案する」。空港騒音公害規制局(ACNUSA)の試算によれば、防音工事を必要とする住宅数は10万6000戸を超える。

 夜間、近隣住民はなかなか眠れない。670機の飛行機を有する宅配便(3)の世界最大手、アメリカのフェデックス社が国外最大のハブをシャルル・ドゴール空港に置くと決めた1996年以後は、いっそうひどい。ハブというのはアメリカ生まれの放射状ネットワークで、横断的な輸送を減らし、中継拠点から放射状に様々な目的地への輸送を行う(4)

 「パリでは、我々は待望されました」とフェデックスで南欧支社と1999年に開設されたロワシーのハブを統轄するアラン・シャイエ副社長は熱く語る。「当時のイドラック運輸相は、当社誘致のためにあらゆる手を打った。空港が24時間稼動していること、これが重要な条件だった。フランスの税関はとても協力的で、貨物の99%は事前に通関されている」。しかし、シャイエは夜間の作業が非難されていることを承知している。滑走路の延長線上に位置するゴネス市のジャン=ピエール・ブラジー市長(社会党)は「午前0時から5時までの作業停止を、できるだけ早く」実施するよう何度となく求めている。

ハブ化に邁進

 夕方だ。フェデックスの最初の便が仕分けセンターに到着するのが見える。ベルトコンベアの周囲で、作業員が数十個単位で入ってくる荷物の仕分けにいそしむ。集中作業だ。1個あたりの滞留時間はほんの30分ほど。作業チームは早番(17時から24時まで)と遅番(23時から翌朝4時まで)に分かれている。当然ながらパートタイムで、週25時間から30時間の勤務契約だ。

 ハブ開設から10年後、フェデックスはこの9月末に新施設をオープンした。これまでの毎時間2万4000個に対して、新施設では3万1500個の貨物を処理できる(5)。この米企業は投資を躊躇しない。この空港で1900人を雇用する同社は、政府に対して強く出ることができる。

 ロビー活動も活発で、国際空港評議会(ACI)は努力を惜しまない。この機関によると、空港利用者が100万人あるいは貨物が10万トン増えれば、1000人分(間接的には4000人分)の雇用が生み出されるという。この魔法の処方箋は、たしかにシャルル・ドゴール空港では効いているように見える。近隣の63市町村では、1975年から99年の間に雇用が72%増加した。イル・ド・フランス地域圏全体では、同時期の増加率は8%でしかない。地域圏の経済開発局によると、10万人が空港で働き、28万の雇用が空港に依存している(6)

 シャルル・ドゴール空港のような大規模空港は戦略的重要施設として、欧州各国政府の関心の的になっている。規制緩和が進む中で(欧州単一航空市場の設定、2008年4月1日には欧米間の航空開放協定が発効)、空港は国内航空産業を支える最後の手段となっているのだ。「民間航空総局(DGAC)は公益に応える管理機関とは言えない」と先のアンヌ・ジュレは批判する。「局員はみな、あの国策企業の利益のために働いている。行政とエールフランスの間には緊密な関係がある」

 エールフランスは一度つぶれかけた。1993年には、300億フランの債務にあえいでいた。1996年に総裁に任命されたクリスティアン・ブランは、アメリカの成功体験を輸入した。イールド・マネージメント(料金のこまめな改定)を採用し、シャルル・ドゴール空港にハブを作り、本社も空港に移転した。それから10年ほどで、エールフランスは見違えるように生まれ変わった。1999年に民営化が開始され(7)、2004年にはKLMオランダ航空と合併し、スカイチーム(デルタ航空など)との提携によって発展を確実なものにした。グローバル企業となったエールフランスは、この空港を自社の縄張りと見なしている。2003年に開発担当専務のジル・ボルド=パジェスは、こんなふうに率直に警告していた。「もしエールフランスがイル・ド・フランス地域圏では持続的な事業発展を望めなくなれば、提携先のどこかよそに拠点を探す(8)」。同社は経済危機以前には、シャルル・ドゴール空港における供給量を2012年まで年間5%ずつ増やすという目標を立てていた(9)

 ある幹部職員が「地上サービス」担当常務のミシェル・エメリアを交えた会議の席で、エールフランスの野望の確認を求めた。「2020年頃にはパリ空港会社との間で、1億PAX(輸送旅客数)という目標を議論するのですよね。経済危機のせいで4年ほど棒に振るとしても」。しかしエメリア常務は慎重な姿勢を見せた。「経済危機によって、非常に長期的な計画を立てる必要性が薄れている。目下の経営は短期ベースだ」

 エメリアは、数カ月前にはまだ同港の現場で指揮を執っていた。彼は次のように説明する。「ハブの場合には、離着陸のピーク時に作業が集中する。その結果、チェックイン用のスペース、搭乗ロビーの数、要員数など、すべてがあまりにも手狭になった」。1日のうち、エールフランスの作業は(およそ800便、旅客10万3000人をさばく)、6回の乗り継ぎピーク時に集中する。数分間で数十便が離着陸するのだ。

 「こんな混雑を避けられる直行便の需要は確実にある」と研究者のリシャール・ド=ヌフヴィルは指摘する(10)。「旅客は、格安航空会社の直行便戦略を支持している。エールフランス・KLMの採用しているハブや、エアバスのA380型機(11)の方向性とは逆に」。フランスでは、2008年の便数の増加は全体では1.3%だったのに対し、格安便は14.6%にのぼった。

 しかし、エールフランスはいまだにハブこそ「経済危機対策」だとして、毎週2万2672便という他社を引き離す乗り継ぎ便数を自慢する。エールフランスの同港乗り継ぎサービス責任者、アンヌ・リガーユはこう言う。「ハブの決め手は時間だ。コンピュータ予約システムのスクリーン上では、乗り継ぎ時間が短い航空会社の便ほど優先表示される。ロワシー・シャルル・ドゴール空港はもともとハブとして設計されたわけではない。パリ空港会社が新ターミナルを建設しているのはそのためだ」

安全対策も下請け

 パリ空港会社は、エールフランス・KLMのハブ路線に伴い、「S3」と同じタイプの搭乗サテライト「S4」を建設するとともに、2016年から2020年の間に第4ターミナルの建設も予定している。こうした新設のインフラの費用は利用航空会社全体が負担するが、最大の利用会社はエールフランス・KLMである(12)。さらにシャルル・ドゴール空港の使用料が、経済危機のさなかの今年、5.5%引き上げられている。

 しかも、値上げはこれが初めてではない。パリ空港会社の2008年度の純益は、32%増の2億1700万ユーロにもなる。株主は大喜びだろう。この旧公団は2005年に株式会社化され、上場された。政府は株式の過半(52%)を維持しつつも、空港の敷地は、自由に利用し処分できる完全所有権のかたちで同社に譲渡した(13)。ピエール・グラフ会長にしてみれば順当な展開である。彼はラファラン内閣時代に、民営化政策を進めたド=ロビアン運輸相の官房長だったのだから。

 シャルル・ドゴール空港を運営するパリ空港会社は、公共サービスの一部(航空管制、航路管理)は民間航空総局に任せ、もっと実入りのよい売店(14)や不動産に力を入れるようになった。「売店の面積と乗客一人あたりの売上が厳密に連動していることがようやくわかった。面積を20%増やせば、乗客一人あたりの売上が20%増えることになる」と、グラフ会長は2007年6月に言い切った(15)。というわけで、「S3」サテライトでは3200平米が売店用に確保された。さらに近々、2Aサテライトと2Cサテライトの間に3000平米規模のショッピング街が開設される。商業スペースは2010年には、2004年と比べて34%増える見込みだ。

 さらに野心的なのが、不動産開発業者ユニバーユ・ロダムコによる「空港シティ」プロジェクトだ。2012年をめどに、空港内の10ヘクタールの土地の上に、5万平米にわたる商業施設やサービス施設を開設するという。オー・ド・セーヌ県の第3セクター会社(SEM92)の副社長を務め(16)、サルコジ大統領の当選から数日後にパリ空港会社の不動産担当常務に任命されたフランソワ・カンガルデルには、ほかにも不動産開発プロジェクトをがんがん進める力量があるに違いない。

 パリ空港会社のこうした変化に対し、空港騒音公害規制局は2006年に手厳しい批判を向けている。「パリ空港会社は、社会的な取り組みとか、ISO14001(環境関連の規格)の認証とか、ショッピングセンターといったことについては積極的に広報するようだが、中核事業についてはあまり広報しないようだ。つまり、なんだかんだと言っても多少の騒音を起こす飛行機の離着陸については」。会計検査院も2008年7月の報告書で、「ターミナル間の移動の困難、乗客に与えられる情報、行列の管理、売店や飲食店の質と価格の関係、離着陸ラッシュ時の入管手続きの進捗状況」など、多くの「問題点」があることを指摘している(17)

 つまり乗客は悲惨な状態に置かれている。それに輪をかけて大変なのが空港職員だ。公共交通手段はどうしようもなく足りない。遠方に住む者も含め、9割が自家用車で通勤する。職場環境も劣悪だ。食事をとるのに「エールフランスやパリ空港会社の社員にはりっぱな食堂がある。でも僕は下請け会社だから、食堂は利用できない」とエリックは語る。「6ユーロでサンドイッチを買うはめになるんだ、旅行者みたいにね」。休憩をとるにも控え室はほとんどない。あったとしても、大体はぼろぼろで明かりもなく、人目につかない奥まった一角にある。

 ここはもちろん、フレキシビリティの世界である。ほとんどの職員が正規雇用ではあるが、パリ空港会社の調査によれば、変則勤務の者が79%にのぼる。2年ほど売店で働いたハミドは言う。「開店のために朝の6時には出勤し、一日じゅう立ちづめさ。そのくせ、最後の便まで閉店できなかった。遅れがあった場合だってね。変則勤務ってやつは、とんでもないもんだよ。そのうえ昇進もないし」

 10万人の職員に対し、労働監査官は3人だけで、労組の事務所もない。「空港は経営陣の実験場と化している」と、ある組合員は言う。労働協約が七つもあって、職員の給与や身分には多くの格差がある。それに加えて、組合活動も自由にできない(18)

 特別区域で働く職員に対し、「テロ」対策という名目で、入構バッジを取り上げるという脅しが突き付けられることも、職場の雰囲気をさらに悪化させている。「同僚の中には、入社から10年以上も前の若気の過ちを責められるやつもいます」と、滑走路で働く職員の一人は言う。「ある日突然、『操行』という基準をタテに、一家の収入源が断たれてしまうんです(19)

 一方では行け行けどんどんで、一方では無責任。フランスの関係当局は、2001年9月11日の事件を受けて空港安全対策の政府直轄を決定したアメリカとは逆に、この国家権力業務を空港運営会社に委託するという矛盾した道を選んだ。空港運営会社はさらにこれを下請けに出しているが、下請け先の多国籍企業には、アメリカのブリンクス、スウェーデンのセキュリタス、イスラエルのICTS(インターナショナル・コンサルタンツ・オン・ターゲッテド・セキュリティ)など外資系も多い。安全対策と収益の両立は、これらの会社に丸投げされる。「コストの論理ですよ。委託に出す側は責任の一部を免れる」と非難するのは、労働総同盟(CGT)のオリヴィエ・スカイだ。「安全対策のほころびのせいで、飛行機が墜落するかもしれないのに」

政府の青写真

 シャルル・ドゴール空港では日々20万個の荷物が処理されており、しかも近年は便数が増大している。「下請けの錯綜した関係を管理するのが極めて困難なことは明白だ。この航空会社のこの飛行機の荷積みが終わったら、あの航空会社のあの飛行機、といった案配なのだから」と、2008年10月2日付のフィガロ紙でパリ空港会社の関係者が語っている。2003年の労働監査報告書は、「職員がトランクの中にある物を取って、それを区域外に運び出せるのなら、逆に何かを運び入れることも考えられなくはない」と警告し、次のように記していた。「空港は、そこで操業する企業の業務の評価は管轄外だと考えているが(・・・)、下請け利用の実態を政府が把握することが望ましいのではないか(20)

 「一つの飛行機に関わる下請けの数が増え、互いに面識がなくなりました」と、滑走路で働く職員の一人は言う。「身元確認もしなくなりました」。パリ空港会社は、支援業務を子会社のアリジアに委ねている。エールフランスでも同様の仕組みが進行中だ。2008年にはCDG勤務の1万5156人のうち、1万160人の「作業員」が子会社出向だ。2年前には出向者は7488人「どまり」だった。

 複数の産業医によれば、空港荷役による病気(腰痛、肩の障害)や事故は、工場や倉庫の荷役に比べても多い。一人の作業員が一日に扱うトランクやバッグは約7トンにのぼる。「腰曲がりくん、なんて呼ばれるんですよ、僕たちは」と作業員の一人は嘆息する。ハブの論理が彼らにのしかかる。乗り継ぎの集中する時間帯には、限られた時間で仕事を片付けなければならない。

 幸いにも、と言ってよいものかどうか、「イル・ド・フランス地域圏は、専門技能をもたない若者がたくさんいる求職者の宝庫だ」とフェデックス南欧支社のシャイエ副社長はコメントする。空港職員の20%はセーヌ・サン・ドニ県、16%はヴァル・ドワーズ県、15%はセーヌ・エ・マルヌ県、13.5%はオワーズ県の出身だ。ブラン・メニル市の低所得地区で働くソーシャルワーカーは言う。「空港はあこがれで、ステイタスが高い。羨望の的です。だから、相談に来る若者は『ロワシーを仕事にしたい』と言ってくるのですが、半年もすると幻滅しています」

 一部の大企業には若干の提携関係もあるが、諸々の企業が入り乱れていることから、空港全体としての総合戦略があるとは言いがたい。空港の運営には三つの県、三つの商工会議所(およびイル・ド・フランス地域圏)が関与する。さらに困ったことに、騒音公害に悩まされる周囲の市町村には、たいした税収が入らない。「人口2500人の小さな町、ロワシー・アン・フランスが毎年3600万ユーロの事業税を得ているのに対し、人口13万人の我が町は110万ユーロだけだ」と、サルセル市の社会党市長は憤慨する。

 さらにおかしなことには、「ロワシー地区は単なる空港以上のものになったというのに、左派は関心を向けていない」と、スヴラン市の共産党市長、ステファヌ・ガティニョンは嘆く。フランスで最も貧しい市町村の一つで、空港から電車で三つ目のところにある町だ。たしかにロワシーは通過点であるだけでなく、パリ地域の四つ星ホテルの12%が集中し、ヴィルパント見本市会場があり、産業団地「パリ・ノール2」を擁し、2500の企業で1万6000人が働く地区となっている。オフィス街の増強に向けたプロジェクトも目白押しだ。

 フェデックス南欧支社のシャイエ副社長は、同社のアメリカでの成功体験を好んで語る。「発展がパリ空港会社どまりになってはいけない。メンフィス市にある我が社のハブは、多数の物流会社が集まるアメリカの倉庫となった。ミシシッピ川の水運も再活性化している。鉄道では今や国内第3の拠点だ。その結果、10年間で25万人の雇用が生まれたのだ」

 こうした経済発展の夢が、フランス政府関係者の脳裡にも躍っている。彼らはシャルル・ドゴール空港とオルリー空港とパリの主要オフィス街を結ぶ自動運転の地下鉄路線を計画している。「今日、人々が買うのは時間なのだ」と、クリスティアン・ブラン首都圏開発担当大臣は言う。

 歴史の皮肉によって、この元エールフランス総裁は目下、鉄道に未来を賭けている。背景には、3時間以下の移動では、高速鉄道が航空を制して市場シェアの9割を握っている現状がある。ブラン大臣は言う。「ロワシーにもオルリーにも大規模な駅を設ける計画だ。高速鉄道の出現によって状況が大きく変わった。フランス第2の航空会社はTGVだ。オルリーに鉄道の駅を設け、また自動運転の地下鉄も走らせれば、このパリ第2の空港は様変わりする。交通手段が補強されれば、どんな企業だって関心を向けるだろう。競争条件を整えて、地域経済を再活性化させるのだ」

 エールフランス・KLMはシャルル・ドゴール・ロワシー空港のハブ化戦略に軸足を置いているようだが、ブラン大臣の側ではむしろオルリー空港を国際化し、長距離の直行便を就航させるという展望を歓迎することだろう。だが、「グローバル・ビレッジ」の信奉者をどんどん誘致しようとするための代償は、どれほどのものにつくのだろうか。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2009年11月号)

* 8段落目「年間旅客数は上限25万人」を「年間便数は上限25万便」に訂正(2009年11月23日)
* 小見出し「安全対策も下請け」の直前の段落「そろそろハブ問題に決着をつけるべきだ」を「ハブの決め手は時間だ」に訂正(2009年11月28日)
* 小見出し「安全対策も下請け」から5段落目「多くの『不明点』がある」を「多くの『問題点』がある」に訂正(2009年11月28日)