子どもの権利条約20年

クレール・ブリセ(Claire Brisset)

フランス人口・家族高等評議会委員、前子ども擁護長官(2000年から2006年まで)

訳:北浦春香


 10年という歳月と困難な交渉を経て、1989年11月20日、ニューヨークで開かれた国連総会で子どもの権利条約が全会一致で採択された当時、世界中で子どもが置かれている状況は悲惨というよりなかった。これに先立つ20年間、1960年代末から80年代にかけては、大きな進歩が見られた一方で、憂うべき悪化の兆しもあった。「前進が滞っている」という警告の言葉が、当時ユニセフ事務局長だったジェイムズ・グラントから発された。

 世界通貨基金(IMF)と世界銀行が、経済を「健全化」するとして最貧国に課した構造調整政策の結果、保健や教育の予算はばっさり削減されていた。第三世界の債務は1兆ドルの大台を超える一方で、政府開発援助(ODA)の額は富裕の国内総生産(GDP)の0.35%にも満たなかった。貧困層の平均収入は地域によっては数年間で25%も低下していた。

 条約の採択の大きな目的は、こうした事態の進展を阻止することだった。栄養失調状態にある上、治療法が確立されていたり予防接種で防げるはずの病気に襲われ、世界で5歳以下の子ども1400万人が命を落としていた。未成年が半数を占める十億人の人々が医療へのアクセスを全く欠いており、この人々を治療するための100万人の人手が不足していた。

 20周年という節目は、子どもの権利条約の根拠と必要性について改めて考えるとともに、条約が現実に与えた影響を分析する好機だが、そうした作業は大変困難だ。これほど主観的で感情に訴え、政治性を帯びた主題はなかなかない。フランスでは手放しでこれを祝う風ではない。政府は9月、条約遵守を監督するために2000年に創設された機関である子ども擁護長官のポストを廃止する意向を表明した。これには激しい反発が起きたため、現行のものとは別の形になるかもしれないが、同様のポストが維持される見込みはある。いずれにせよ、この激しい抗議には、フランス社会が子どもの権利を重視していることが示されている。

 未成年者に特有の権利があるという考え自体が、1980年代末の世界各国ではまだ芽生えたばかりだった。確かに、欧米諸国では法律の複雑な規定によって、誰の目にも明らかな犯罪、とりわけ虐待や殺害から子どもを守ろうとしていた。子どもが犯罪を犯したときには、教育的効果を第一として、成人よりも軽い刑罰を課すことができるような法律もあった。フランスでは、有名な1945年の政令がそうした思想に基づいているが、政府は現在、この政令を見直そうとしている。家族法の分野では、両親が離婚した場合の処遇や未成年者の財産保護といった点をはじめとして、世界各地で大きな改善が見られた。

 しかし、これらの法律は、総合的な視野のないバラバラな規定にすぎなかった。そこに、1989年の通称「ニューヨーク条約」が新風をもたらした。全く新しい考え方に基づいて、中心となる原則を打ち立てたのだ。個人的なものであれ集団的なものであれ、未成年者に関する決定では、その未成年者の「優越的利益」を第一に考慮すべきであって、そのためには成人の権利を害することもやむを得ないという原則だ。たとえば米国の右派が今なお認めようとしない考え方のひとつが、この原則である。

児童労働による製品

 中心原則を核として、条約文には3つのタイプの規定がある。各国は、子どもに対して、生存と成長に不可欠なサービス(特に保健、栄養、教育)を提供しなくてはならないこと。あらゆる行政および私人は、子どもを暴力(政府、機関、家族による暴力)から保護する義務を負うこと。行政および司法機関は、未成年者に関する決定について、その未成年者の視点を取り入れるべきこと。

 このようにまとめると、複雑な条文も比較的簡単に見える。しかし、その意味するところは大きい。少しずつ、先進国も途上国も、批准プロセスに着手した。国内法の改正が必要になることを承知の上で、議会が条約の批准を可決したわけだ。この条約は、今日では世界のほとんどすべての国によって批准され、最も広く承認された条約のひとつとなった。欠けているのは、たった2つの国だけだ。ひとつは一番豊かな国である米国だ(この問題について常に非難の的となるのに嫌気のさした政府が、条約を議会の票決に付す意思を表明した)。もうひとつはソマリアだ(政治的、軍事的に混乱を極めているため、条約の批准に必要な機関、つまり議会が存在しない)。

 採択にこぎつけ、ほぼ世界的に批准されたこの条約は、はたして大きな変化を引き起こしただろうか。確かに進歩が見られたことは否定できない。死亡率という究極の指標がそれを物語っている。栄養失調の上に病気にやられて死亡した5歳以下の子どもの数は、1989年の1400万人に対して、現在は1000万人を切っている。教育の状況も、特に女子に関して、サハラ以南アフリカ地域などで改善された。

 とりわけ大きな進歩は、子どもの権利が政治の問題となったことだ。ひどい権利侵害は、「国際世論」にとって、自然災害と同じぐらい受け入れられないものになった。中でも未成年者の性的搾取のような権利侵害は、醜聞の対象にさえなる。フランスやドイツを含む十数カ国では、子ども売春の顧客にこれまでよりはるかに重い罰を科し、国外犯にも適用される法律が成立した。

 奴隷のような未成年者の酷使によって生産された製品の販売は、たとえ経済危機の時代だろうと、先進国の市場では次第に受け入れられなくなっている。それを理解した一部の国際企業は、児童労働による製品を販売しない方針を公にしている。条約の採択を受けて多数の民間団体や政府機関が生まれ、この問題について人々に訴え続けている。この分野では、政治家に対する運動家の圧力が、強力な推進力となっている。

 ただし、そのためには世論の啓発が必要だ。困難のひとつはまさにここにある。子どもの権利侵害について、たゆまず情報を流し続けるには、大変な粘り強さが必要だ。しかも、権利侵害は膨大な数にのぼり、その大半は、為政者の政治的決定や国際的な貿易システムに原因があるものなのだ。

 栄養失調がその好例だが(1)、他にも例はある。世界規模で見ると、無料診療所や巡回診療所で提供できるような簡単な治療を含め、医療へのアクセスが全くない子どもが約2億7000万人いる。働かされている子どもが約2億人おり、その半数は直接に健康や、さらには生命さえも脅かされている。

戦争の暴力

 労働に従事する子どもたちは何をしているのか。70%が農業部門で働かされている。一般通念とは異なり、子どもたちにとって最も危険な部門である。機械の事故に対する防護もなく、農薬を吸い込み(身体が小さいだけに毒性が高い)、まだ成長途中の骨格には重すぎる荷物を運ばされている。鉱業(金、銀、貴石、鉄鉱石)や、繊維・絨毯・電子部品・爆発物などの製造業にも、たくさんの子どもが従事させられている。

 こうした状況では、子どもたちは学校に行けなかったり、ほんの少ししか通えなかったりし、通学できる年数もごく限られる。教育学の知見によれば、初等教育を大きな中断なく4年以上受けられなかった子どもたちは、いわゆる「機能的非識字者」となり、得られた知識を身につけられなくなってしまう。

 労働に従事する子どもたちの多くは、ありとあらゆる暴力に晒された路上生活者でもある。ゆすりや麻薬といった暴力があり、警察の暴力がある。中南米の都市でよく見られるように、警察が目抜き通りから子どもたちを「一掃する」任務を負うこともある。ストリートチルドレンの数は世界で1億人にのぼる。

 場合によっては生まれ落ちたときから被る最も悲惨な暴力は、大人が下の世代に加える暴力である。こうした暴力は境界がなく、家族や社会階級を超え、歴史を超えて続いてきた。「誰一人として笑わないこの子どもたちはどこに行こうとしているのか」。ヴィクトル・ユーゴーは『静観詩集』の中で最も美しい詩のひとつでこう問いかけた(2)

 そう、親に叩かれ、罵倒された子どもたち、性行為を強いられ、痛めつけられた子どもたちは笑わない。私的な暴力だけでなく、国家による暴力も加えられる。世界には、今も未成年者に死刑や、投石や鞭打ちや手足切断といった懲罰を課している国がおよそ30カ国あるのだ。

 さらに、子どもたちを直撃する軍事紛争の暴力もある。爆弾によって命を落とす子どもたちがいるのは言うまでもなく、怪我をしたり手足を失ったりする子どもたちもいる。戦争はさらに間接的な犠牲者も生み出す。水、医薬品、治療、栄養が足りずに命を落とす子どもたちだ。戦争はあらゆるものをなぎ倒す。たとえ子どもたちが愛する人々、両親や家族や先生を消し去らなかったとしても、成長に必要な学校や診療所を奪い去る。

 戦争はまた子どもたちを難民にする。だだっ広いキャンプで暮らす難民の60%は子どもたちだ。資金不足によって、その1日の配給量を減らすことを、国連機関(国連難民高等弁務官、世界食糧計画)は頻繁に強いられてきた。

 戦争はさらに、子どもたちを兵士に変えるまでに至る。ゲリラ軍だけでなく政府軍までもが、子どもたちを強制的に徴兵する。そして服従心を植えつけるために、信じられないような暴力行為を犯すことを強制する。

 以上の現状確認からすると、子どもの権利条約のような文書にいったい何ができるのか、と問いたくもなるだろう。正当な質問だが、答えのない質問でもある。それが提起するのは、現実に対する規範の効果、力に対する法の影響という問題だ。懐疑的な人々に言わせれば、世界ではかつてないほど、最もか弱い者たちの権利がこれでもかと踏みにじられている。その一方で、暴力の害悪をわずかでも抑え和らげるための法的手段が絶対に必要だと信じる人々もいる。この条約は、そうした人々にとって、前進のためのまたとない手段になるだろう。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2009年11月号)