ベルルスコーニ、公なき私の論理の体現

カルロ・ガリ(Carlo Galli)

ボローニャ大学政治思想史教授、
エミリア・ロマーニャ・グラムシ研究所所長

訳:エマニュエル・ボナヴィタ


 イタリアの現首相は超合金でできているかのようだ。私生活のスキャンダルや、汚職の疑惑が次々に起きてもビクともしない。そんなものは、裁判官やメディア、それに破綻状態の野党の悪意の表れにすぎないと一蹴する。ベルルスコーニの長期政権のカギは、経済の(いちおう)自由主義的な路線や反移民政策にもまして、こうした厚かましさ、こうした社会的ルールの無視にこそあるのではないだろうか。[フランス語版編集部]

 シルヴィオ・ベルルスコーニの政治家としての成功は、イタリア史における青天の霹靂ではない。まともな民主主義と透明な市場経済のただなかに、いきなり落ちてきたUFOというわけではない。むしろ逆である。それは、民主主義と市場経済の衰退と旧弊維持の帰結であり、確証であり、そして部分的には原因でもある。

 1978年、アルド・モーロが赤い旅団に殺害される。この年以降イタリアでは、政治的な目的意識が薄れ、改革の勢いに陰りが差す。共和制の正当性の基盤は反ファシズムにあったが、それが徐々に崩れていくのと並行して、市民としての責任感がすたれていく。1980年代以降は、政治と司法の規制的機能が低下し、代わりに経済が力を増した。ただし、イタリア経済が「自由主義」と呼ばれるのは、イデオロギー的な分類にすぎない。その実態は、ネオ・コーポラティズムであり、利益誘導主義である。

 イタリアという国は、さまざまな利益集団に分断されている。非常に強力な集団もあれば、まるで無力な集団もあるが、互いに反目し、法治意識どころか市民としての責任感さえ弁えていない。イタリア社会はジャングルだ。ところどころ、北部の一部や中部の「赤色地帯」のように、もう少ししのぎやすい空隙もある。とはいえ、これらの地域では、市場の論理や国家の論理が貫徹していない反面、特権や帰属意識、怨恨や恐怖の論理が先に立つ。

 この「自然状態」が、不安感を特徴とするのは偶然ではない。不安感は、共同生活の規範の必要を感じなくなっている社会に見られる現象である。イタリア人は、法治の危機が万人を害することを直感している。だが、ほとんどの者は、「うまいことやって」やろうと考え、法の網をかいくぐろうとする。ルールに従った共同生活に戻ろうとすることは決してない。

 行政機構にも及んでいる腐敗の蔓延は、今や規範と化した「とにかく自分たち」、「身内以外はどうでもよし」の論理に発している(1)。法治・透明性・普遍性を備えた公共空間は狭まりつつある。その代わりに出てくるのが、私的利害や個別主義の混成集団である。影響力や規模は大小さまざまで、しのぎを削り合い、とりあえずの均衡を保っている。そうした社会は、個人的な忠誠心と利権誘導を軸として構造化され、法律・権利・義務よりも、裏技や縁故を重んじる。イタリアは、経済・社会・政治の危機に加え、道徳の危機にも見舞われている。そこでは信頼という社会資本が、どうしようもなく費消されていく。

 ベルルスコーニの成功には、左派の衰退が大いに貢献した。政権を握っていたとき煮え切らず、矛盾だらけだった左派政党は、今ではカトリックの一部少数派と手を組んで、これに知識人(減少中だが)、公務員、年金生活者を加えた政治勢力を形成している。この勢力は、エミリア・ロマーニャ州やトスカーナ州など中部の若干の地域を(辛うじて)掌握するにすぎない。他の地域では、右派の利権誘導政治が優勢である。

独特のレトリックと政治文化

 さらに「マーニ・プリーテ」(2)が始まったことで、政界の一部は壊滅状態になった。第一共和制下の政党構造の崩壊が加速され、「大衆の反逆」が起きた。それを体現したのがベルルスコーニである。つまり、政治にも、文化にも、エリートにも反逆するという1990年代から現在にまで至る流れに乗じたのだ。

 ベルルスコーニの強さは、圧倒的支持によるポピュリズムにある。それを支えるのは、メディア界での権力であり、本物のカリスマ性であり、そしてイタリア的な好み、興味、恐怖、情念に即した国民との黙約である。ベルルスコーニは支持者に対して、独特のレトリックと政治文化を示してみせる。その特徴は、良識に逆らい、既存体制を否定することにある。彼が唱える(だけで実行には移さない)そうした姿勢は、インテリを嫌うプチブルの伝統的な信念と通じている。彼は自分の権力が制限されることを一切認めようとはしない。過半数を取っているにもかかわらず、国会ともめる。司法府に対しては、自分が訴追を免れるようにする法律で予防線を張った。首相の役割は甚大だと思い込んでいることは言うまでもない。

 ベルルスコーニにとって、首相とは国民の意思の直接表現である。選挙で勝ち上がった首相は、神の加護を受けた存在であり(数年前に本人がそう述べている)、法律や既存体制を超えたところにある。この考え方によれば、首相に権力が委ねられるのは、合理的な手続きの結果ではない。首相とは、圧倒的支持を受けた象徴的な個人という表象、つまり国民が自己を投影する神秘的な存在なのである。国民は、自分を理解してくれる首相を愛し、そうした首相がいることに安心感を抱く。少なくとも「共産主義者」が嫌いな(嫌うように仕向けられた)国民はそうだ。「共産主義者」というのは、右派が批判精神の持ち主を指し、広くは与党の価値観に同調しない者を指すのに用いる言葉である。ベルルスコーニにとって、公共空間とは批判の場ではない。それはむしろ広告(商売的な意味での広告)を行い、プロパガンダを流し、熱狂的な合意を作り出す場なのだ。

 強権とカリスマ性に基づいたベルルスコーニ政治は、当然ながら反ファシズムとは縁もゆかりもない。かつて国民解放委員会を組織した歴史的な主要政党は、1994年の第一次ベルルスコーニ内閣には一つも入っていない。ベルルスコーニ政治には、自由民主主義の要素は全くない。新聞雑誌やテレビの自由を繰り返し攻撃し、政教分離を無視し(教会に経済特権を与え、生命倫理と生政治に関しては宗教界の指針に公然と従っている)、外国人嫌悪や社会的恐怖を臆面もなく煽り立てる(3)ような政治なのだから。

 ベルルスコーニ政治には、二つの移行が見出せる。一つは、政党による政権から諸個人、ひいては一個人による政権への移行である。もう一つは、「憲法秩序勢力」(4)から、立ち居振る舞いすら対立する二つの陣営という垂直分断政治への移行である。分裂や経済・社会的不平等が意図的に維持された国の中で、ベルルスコーニは友・敵の論理を常に繰り返すことで、象徴レベルの統合を作り上げてみせる(5)

 自分は口先だけの職業政治家と違って「行動する人間」だと言うベルルスコーニは、むしろ「放任する人間」だと言うのが正解である。フランソワ・ギゾーの実践した原初的自由主義とは意味合いが異なる。ベルルスコーニの場合は、権力集団や利益集団が特権を保持し、その拡大を図るのを放任するということだ。これらの集団が、税務当局も含む弱体な集団や(脱税の取り締まりは無力化している)、広くは国民の共同生活をないがしろにするのを放任するということだ。

イタリア人の多数がなおも支持

 最も得をしているのがベルルスコーニであることは間違いない。未解決のままの彼の利益相反行為は、今やイタリア政治の一部と化しており、特に注意を引くこともなくなった。いや、むしろ逆だ。国民にとって、首相の常軌を逸した態度は、社会の大小の規則を破っても罰を受けないで済むという保証になっている。万人に適用される共和制の法律の方が、常軌を逸したものになってしまったのだ。その象徴がベルルスコーニである。公共の場に、私的な論理と行為をたっぷりと持ち込むこと。それが彼の強みであり、国民的な合意の理由である。ただし、国民的と言ってもサラリーマン、とりわけ公務員は例外だ。公的部門改革相のレナート・ブルネッタの「標的」にされ、厳しく締め上げられている。これを見て国民の大半は、公務員への恨みつらみをいっそう募らせているが、実際の公共サービス向上につながっているわけではない(6)

 ベルルスコーニの支持者は富裕層や有力者だけではない。左派の掲げる治安政策、福祉国家、さらには法治の原則にも幻滅した中間層、ヒラ従業員、一部のブルーカラーもまた、ベルルスコーニに投票している。右派がささやきかける希望や幻想(そして恨み)の方が好ましく思えたからだ。彼らはベルルスコーニが、きっといつものように政府を利用して、窮地からの脱出に手を貸してくれると思っているのだ。

 ところが、ベルルスコーニの言動不一致は、あくどい職業政治家よりもひどくなっている。2001年に公約した「みんなに減税」はどうなったか。右派はこれを否認した。右派が実際に進めてきた政策は、低所得層に不利なものだ。ロマーノ・プローディ前内閣は、トラストを規制し、自由な市場競争を促進する措置を取り、一種のクラス・アクション(民間企業の怪しげな行為に対して、消費者が集団訴訟を起こせる)を慎重に導入した。続く右派政権は大手企業に有利な修正案を連発し、この法律を骨抜きにした(7)

 要するに、いつものごとく、目先の利益争いで勝つのは強者である。自分はうまくやれると思っているイタリア人は多いが、実際には乗せられているか、勘違いしているかのどちらかだ。ベルルスコーニは、国民を幻滅させると同時に魅了する魔法使いのように見える。だが、彼の強権政治によって、イタリアの近代化が少しでも成し遂げられることは、たとえ間接的にでもあり得ない。ベルルスコーニはかつてのキリスト教民主党から支持者をもらい受けたが、政治の仕方は受け継がなかった。キリスト教民主党は、右派だった支持層がいつの間にか中道左派になっていたという政治を通じて、民主主義の発展に貢献した。ベルルスコーニはイタリアの「はらわた」を支持層として、それでどうするかと言えば、国の現状を放置し、自分の権力を固めてきた。

 「何も行動しない政治」が破滅にしかつながらないと分かれば、大半のイタリア人はベルルスコーニの魔法から目が覚めて、彼との黙約を破棄するかもしれない。右派がしているように危機から目をそらすだけでは、危機を乗り越えることはできない。今年の6月にベルルスコーニは、かつてないほどのピンチに直面した。ローマとサルデーニャの私邸で開いたパーティーに絡むスキャンダルである。高級売春婦が参加していて、しかも政府のチャーター機でやって来たというものだ。他の政治家なら、政治生命を絶たれていただろう。だが、世論調査や選挙結果(8)を見ると、支持率が下がったとはいえ、イタリア人の多数はなおもベルルスコーニへの信頼を表明している。まるで、彼の政治の核心も、公人としての役割の核心も、全く無傷だと言わんばかりだ。

 以上のことを踏まえて当初の問題設定に戻ろう。ベルルスコーニはイタリア人にふさわしい政治家なのだろうか。いずれ彼が退場する日が来ても、わずか数年前の政治にイタリアがもはや戻れないほどまでに。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2009年9月号)