シリーズ経済危機:ラトヴィア東部を歩く

フィリップ・レカセヴィッチ特派員(Philippe Rekacewicz)

地理専門家

イエヴァ・ルチェヴスカ特派員(Ieva Rucevska)

環境問題専門家、国連環境計画(UNEP)プログラム・オフィサー

訳:今村律子

 どの道を通って来たとしても、見えてくる風景はどこも同じだ。色とりどりの木造の小屋が点在する家庭菜園が、農地や荒れ地のあいだにひしめいている。やがて、工業団地の影が現れ始める。広大な作業所、煙突、タンクや溶鉱炉が、四方八方に伸びる線路のそこかしこに建ち並ぶ。

 遠目には現役の工業地帯に見えたが、この巨大な設備群は近寄ってみると、打ち捨てられ、錆だらけで、なかには崩れているものもある。旧ソ連諸国でおなじみの、荒廃した工業地帯の風景だ。この町が、ソ連時代はどれほど活況を呈していたかがよくわかる。ようやく、最初の住宅が見え始める。通りはゆったりしていて、交差点も広い。社会主義時代に大規模なパレードのために整備されたものだ。

 ラトヴィア東部のレーゼクネは、首都リーガから250キロ、ロシア国境から60キロの位置にある人口3万6000人ほどの小さな町だ。ソ連様式がいまだに濃厚で、文字通りのパッチワークをなしている。どれも白いレンガに波板トタン屋根という質素な住宅。最初の独立時代(1918〜39年)に作られた伝統様式の木造の旧家。スターリン時代に建てられた頑丈な集合住宅。そして、お定まりのフルシチョフカ(1)は、そっくりそのままソ連時代と同じだ。その周りに、5階または6階建ての住宅が並ぶ。こちらは1980年代に建てられたものだが、今にも壊れそうで、廃材の寄せ集めで出来ているのかと思えるほどだ。最後を飾るのは、ごく最近になって急造された無味乾燥な建築群だ(主として商用)。

 町は、7つの丘に広がっていて、そのあいだを川がうねっている。丘のひとつには、リヴォニア騎士団の砦跡がいくつか残っている。12世紀にバルトの民を服属させたドイツ人の騎士団である。その廃墟を見上げる場所で、若い女性教師、インガ・バロディスに話を聞いた。彼女は最初の質問に答えようとして吹き出した。「現在の危機ですって? かれこれ20年もずっと危機だっていうのに。1991年にソ連が崩壊したとたん、あらゆる産業と経済活動が、次から次へと停止です。それだけではまだ足りないとでもいうように、1998年の危機もありましたし」

 この町は、ソ連の崩壊と基幹産業の急激な稼働停止から立ち直っていない。レーゼクネ州はラトヴィア、そして欧州連合(EU)の最貧地域のひとつである。州の1人あたり平均年収は860ラト(16万円強)、レーゼクネ市に限れば4474ラト(約85万円)であり、都市部と農村部に激しい格差がある。独立以来ずっと、失業率は国内平均を大幅に上回ってきた。レーゼクネ市は、ロシアにも波及した1997〜1998年のアジア危機に直撃された。当時は製造業も、ほとんどの貿易も、ロシア向けが主だったからだ。

 中心街にある小さな薬局で働くグンタ・ベールジニャは、古びた病院の前を通った際に、医療専門職の2倍の事務職員がいると教えてくれた。そこから少し離れた場所に、100人規模の保育所になるはずだった建物の骨組だけが残されている。開設予定は1991年だった。もうひとつ、もっと新しい残骸もある。スーパーマーケットの基礎部分だ。金銭絡みのいさかいから、2人の共同経営者が殺し合いになったのだ。

 バス・ターミナルのところに引き返す。そこには、公私混同のまずまずの成功例がある。市の公共交通局長が経営する家具会社のオフィスだ。市から睨まれるのではないだろうか。返事の代わりにベールジニャは左右に首を振り、あまりに素朴な質問をおかしがった。「政治の運営と実践の経験が、『新しい』ラトヴィアには欠けているのです」と説明してくれたのは、地元選出の国会議員、ヤーニス・トゥティンスだ。政府が効果的な監督制度を設けない限り、公金と私益の混同は続くでしょう」

 だが、今回の危機は事態を変える好機になりうる。国際通貨基金(IMF)に課された5億ラト(950億円弱)の歳出カットの一環として、ドムブロフスキス首相(2)は全国営企業の取締役会の廃止を断行した。政治的に勇気を要する行動である。国営企業の取締役会は、一握りの有力政治家が金づるにしている縄張りだった。同僚、いとこ、甥っ子、友人、運転手とその息子、等々が各社を渡り歩き、掛け持ちによって年に数万ラト(数百万〜1000万円前後)の役員報酬を得ていた(3)。IMFが「経済安定化」の資金として、ラトヴィアに貸し付けた金額は75億ユーロである。一部はEU、スウェーデン、さらにチェコ、エストニアまでもが負担した。これには、かつての構造調整プログラムの最悪の記憶を甦らせるような、きわめて厳しい条件が付いている。そこで課された制約ゆえに、ラトヴィア社会は崩壊の途上にある。

四駆とトレーラー

 2008年に金融危機が始まって以来、国際メディアや金融アナリストは、ラトヴィアに有無を言わせない態度を取ってきたように見える。2009年5月にデンマークのダンスク銀行が出した分析リポートのタイトルは雄弁だ。いわく、「最悪のシナリオが現実となった」。既に2008年9月に、スウェーデンのノルデア銀行が「ラトヴィア投了」と題したリポートを出している(4)

 レーゼクネの町の中に、この災厄の「目に見える」証拠を探しても、肩すかしを食らうだろう。2009年初夏、町のどこにもパニックの風は吹いていない。すべての商店、レストラン、バーが営業中だ。ただし店主たちは数カ月来、利潤追求モードから生き残りモードに移行している。いつかもっと明るい時代が来ることを願いつつ、ともかく営業を続けることだ。しかし、対応策は時に激しい痛みを引き起こす。例えばスーパーマーケットのメゴでは、経営陣が全従業員の契約「改定」に踏み切って、50〜75%の賃金カットを行った。部分的に撤退を始めたのは、ソ連時代からある百貨店のマガジン・ウニヴェルサルだけだ。

 市内の交通量は以前ほどではないが、それなりに多い。大型のピカピカの四輪駆動車が疾走しているのも相変わらずだ。2000年代初頭に始まり、2004年5月のEU加盟でさらに掻き立てられた消費ブームの象徴である。「この国の道路の状態からして、他に選択肢がなかったんですよ。誰もが5万ユーロ出して、四駆を手に入れるしかなかったんです」と、リーガの大病院に勤務する外科医、ゼノンス・ナルブツは冗談めかして言う。リース料を払えない人たちの車は、銀行に回収されてしまう。銀行にとっては元の木阿弥、無用なうえに売れない中古車の世界最大級のオーナーとなった。「あのデカ物を荷台に連ねたトレーラーが、今では国中を走り回っています。宛先不明の郵便物のようなものです。差出人に戻されるんです」と、ナルブツはおかしそうに笑った。

 ベールジニャはこう語る。「失業中のお客様もいます。増え続ける一方です、国内で仕事が見つかる見込みがないため、外国に行く準備をしていて、何カ月分もの薬を買いだめしていきます。私はここ1年半、昇給がありませんでしたが、減給もありません。お陰でなんとかやっています。でも、医療費や薬代に保険が利かなくなったらどうなることかと、戦々恐々です」。政府省庁の記者会見の度に表面化する新情報は、確かにぞっとさせるものがある。7月21日に、ロゼンターレ保健大臣は次のように発言した。「ラトヴィアのすべての病院が、この秋には資金不足に陥るだろう」。そして、新たな緊縮財政の一環として、省予算が最低でも30%減らされることになると明言した。レーゼクネ州の一部の医療機関は既に閉鎖され、数人の医師が行っていた農村部への巡回は稀になった。

 今回の危機が発生するずっと前から、規制にも、公式統計にも、税務調査にも引っかからないところで、人びとは非公式の交換ネットワークを発達させてきた。遣り繰りの工夫は花盛りだ。「ドアからドアへ」と呼ばれる商売が、またたく間に発展した。田舎から町へと、あらゆるものが持ち込まれ、交換される。果物、野菜、乳製品、その他の日用品もだ。ともかく近所のスーパーよりもずっと安い。トゥティンス議員は言う。「州内の小さな農村では、危機の影響はほとんど感じられません。それまで生活はかつかつでした。今でもそれは同じことです」

 取材を続けていくうちに、ある種の遠慮が見られることに気付く。町の人びとは、かなり暗澹たる状況を語ってくれた。と同時に、たいしたことはないと言わんばかりだ。彼らはあくまで楽天的な発想に向かい、ラトヴィアが今の不況に作為的に追いやられた以上、同じように作為的に抜け出す方法があるはずだと考えているのだ。

 とはいえ、誰もが多かれ少なかれ、直接的あるいは間接的に被害を受けている。自分ではなくとも、身内や親しい友人に職を失った人がいる。州の国際担当部門の責任者、インタ・リムシャーネはこう話す。「悲しいことです。子供たちの将来の見通しが持てません。私は減給になったし、夫は2008年末に解雇されました。自動車部品製造ラインを開設したばかりのスウェーデン企業、ボルボで働いて、月給200ラト(約3万8000円)を稼いでいました。現在は失業保険が月に70ラト(約1万3000円)出ていますが、あと数週間したら支給額はたった30ラト(6000円弱)に減らされます。それでも希望がないわけではないと信じたいものです」

IMFから強要された歳出カット

 赤毛でハスキー・ボイス、人懐っこい顔立ちで元気いっぱいの女性、タニャの見方も同様である。彼女は31年来、経理担当として勤務していた乳製品製造機メーカーのラルタを解雇された。クビになったのはこれで2度目だ。最初は1998年のロシア危機の時、そして今回の2008年12月だ。年金がもらえるまであと数年という時に、しがない低賃金の仕事を掛け持ちせざるを得なくなった。そんな彼女がまいったわ、という調子で言う。「仕事先のひとつで、解雇計画を作ってほしいなんて頼まれたんですよ。今のところは遣り繰りに徹して、うまくやってます。運のいいことに、借金もないし物にも困ってませんから。ここから20キロのところに、ニワトリ数羽、雌牛1頭、大きな野菜畑を持ってる母がいる限りは、余計な心配はしないことにしてるんです。世の中、いいことばかりじゃないけれど、折り合いをつけるしかないですからね」

 年金生活者の大半は、家族や友人に支えられてようやく生き長らえている。IMFから強要された歳出カットのツケをいちばん回されているのが、年金生活者と教員である。公立校の教員だったウルディス・ヴィートルスは、町の中心部の小さな1DKで貧しい暮らしを送っている。この7月末に、IMFの最新の介入措置のことをテレビで知った。ラトヴィア政府は拒否したが、年金額をさらに削れと要求されたのだ(5)。ヴィートルスは穏やかな声でこう言った。「年金生活者はもう血の気がなくなりきっています。月に80ラト(約1万5000円)もない私の年金額(6)からすると、おそらくIMFは、年金生活者ってものは、月の第4週目は食べなくても大丈夫だと考えているんでしょう。腹を空かして早死にすればいいと思っているのでしょう」

 危機が最大の猛威を振るっている場所、それは職業斡旋所である。中心街の近くにある2階建ての白とグリーンの大きな古い家だ。これほどの来訪者をさばくことは、明らかに想定外だった。登録は数時間待ちで、翌日もっと早い時間に出直そうと心に誓いながら、めげて立ち去る者も多い。壁の張り紙には、英国やアイルランドに行けば「溢れるほど仕事がある」と謳うものもある。だが、実際の求人はあまりない。

 所長のイナーラ・シンダリョヴァが説明してくれた。「1991年以来、最悪の年です。通常なら、再就職の対策を考えるための面談が可能です。EU基準にのっとって、職業能力をチェックする部門もあるんですよ。でも、今は求人のほうが片手で数えられるほどしかないし、こんな人数に来られたら、応急対策しかできません。私たちの給与も予算も大幅に削られました。この状態で、どうすれば任務をきっちり果たせるというのでしょう?」

 斡旋所に登録するには、解雇の事実と最終賃金の額が明示された通知書を提出しなければならない。シンダリョヴァ所長は語る。「法律で決まっているんですけどね。この書類がなければ受給権を得られないんです。なのに、これを出させるのが、とんでもなく難航することがあります」。しかも、失業保険の金額は30〜70ラト(6000円弱〜約3万8000円)程度で、受給期間もあまりぱっとしない。勤続9年以上12年未満で4カ月間、12年以上20年未満で6カ月間、20年以上で9カ月間にすぎない。

 もうひとつ、大きな懸念を呼び起こしているのが、教育予算のカットである。州内33校の運営を統轄するリリヤ・ジュコフスカは、2008〜2009年度予算の急減に対処しなければならなかった。生徒3800人のために、2008年末から新しいプログラムを実行に移したのは彼女である。「資金は子供についていく」を原則に、教育予算に関わる汚職や横領をなくすことを目的とする。

 このプログラムには、「最適化」という項目が含まれている。平たく言えば、一部は閉校するということだ。国内約1000校のうち約100校が対象とされる。ジュコフスカはため息をもらした。「胸が張り裂ける思いです。もちろん、この決定は不評を買っています。地方行政当局は学校を守るために、中央省庁に抵抗する姿勢を見せましたが、あまり成果はありませんでした。疲弊した村にとっては、終わりの始まりです。学校がなくなれば、家族ぐるみの離村、商店の閉鎖が起こります。そして、最も貧しい家庭の子供たちが、学校教育制度からはじき出されることになります。村に残らざるを得ない場合、最寄りの学校へ通学するためのバス代が払えませんし、下宿なんてもっと無理ですから」

 かつては心理学の専門家や、医者、カウンセラー、看護士、補助スタッフなどを学校に置けるだけの予算があった。「今年はもう、なにもかも懐かしい思い出にするしかありません。残せるのは『必要』な教員だけです。『有用』であっても『不要』な職員を犠牲にすることになります」とジュコフスカは嘆く。こうした公共サービスの悪化によって、子供たちの教育の質が長期にわたって低下する恐れがある。

息子は英国、娘はノルウェー

 リーガ・カルニニャは、リカヴァ村の小さな学校の教師だ。レーゼクネ市から西に20キロほど、人口960人、かつてはソフホーズ(7)だった農村だ。娘が2人いるが、1人は近隣のヴィリャーニの学校に通い、もう1人はレーゼクネの大きな高校の寮に入っている。ヴィリャーニの学校は資金不足に陥っている。2009年の夏休み明けは、教師は19人のうち6人だけ、生徒も本来の在校者の3分の1で始まることになるだろう。リカヴァの学校では校長がいなくなった。ポストが廃止されたからだ。今後は近隣のガイガラヴァ村に統轄される。生徒数はそのままだが、半分に減らされた教員で、1クラスあたり2倍の生徒を迎えることになる。

 地域住民の半数はロシア語話者であるため、学校責任者たちは対応策を取った。中央省庁の官僚から不興を買いながらも、ロシア語が母語の子供たちには、ラトヴィア語を外国語として教えるようにしたのだ。子供たちがうまく溶け込んで、仮に他の子供と違いがあるとすればだが、違いをやわらげるのを助ける効果が上がっている。文学と文法をはじめ、他のほとんどの授業はラトヴィア語で行われる。ロシア語が母語の子供たちは、すぐにバイリンガルになる。

 家は貧しく、出稼ぎのために家族はバラバラ、アルコールに溺れる者もいて、将来への見通しが立たない。村の子供たちはこうした問題に立ち向かわなければならない。最終学年の生徒が勉強を続けたい、あるいは職業訓練を受けたいと思っても、学費も、下宿代も、家から学校までの10〜30キロのバス代も、両親には払うことができない。16歳で学校を離れる者が大半だ。経済危機のせいで生活はなおさら不安定になっている。「もし閉校にならないとしても、青少年のほうが学校に来られなくなっているんです」とカルニニャは総括する。

 彼女はこれまで、隣人たちと比べて恵まれているほうだと感じていた。月収530ラト(約10万円)のお陰で、娘2人の学費を払い、2つのローンを返済できていた。ローンのひとつは小型車の購入のため、もうひとつはフランス旅行のために組んだものだ。しかし、給与が6月に30%、7月から50%以上カットされた。彼女は節約を覚悟しているが、娘たちの学費だけは絶対に犠牲にしたくない。「以前と同じだけの情熱を仕事に注ぐつもりです」と言う。しかし、「学校の予算もばっさり削られました(2009年の最初の3カ月に15%、夏休み明けに35%以上)。なんとか乗り切っていかなくては」。自家用車を売らなければならないだろう。とすると、学校に通勤するのも、隣町のスーパーに買い物に行くのも、バスに頼るしかない。そのバスの便も、予算カットのせいでかなり減ってしまうだろう。

 急激な貧困化によって、以前からレーゼクネ州で起きていた現象がさらに促進されている。少しでも明るい見通しを探そうという人びとの大規模な移住である。ほとんどの世帯で少なくとも1人はリーガか外国で働いている。スカンジナヴィア諸国、アイルランド、英国、ドイツ、イタリア、フランスなどだ。ジュコフスカの子供たちも、その例に漏れず、とっくに移住した。「息子は英国にいます。娘はノルウェー、シーエンの市役所で働いています。福祉課なんですよ」

 親のいない家庭が多数あることで、家族という単位がボロボロになっている。カルニニャはこんな体験を語った。「子供たちを遠足に連れて行った時のことです。見学先の教会で、将来の願いは何かと神父さんが訊ねました。悲しみに暮れた1人の女の子が、涙ながらに答えたんです。お母さんがアイルランドで沢山お金を稼いで、早く帰ってきて一緒に暮らしてほしい、って」

 彼女の2人の娘たちは、フランスや英国といった外国に行くことばかり考えている。そこでは「何事ももっと簡単に運ぶ」と信じているらしい。しかし、留学後は必ず戻ってくると断言する。「このラトガレ地方に、湖のほとりの小さな木の家で暮らすために」。移住者の正確な数はわからない。5万人とも20万人とも言われる。労働人口の5%から13%に相当する割合である。これはラトヴィアにとって問題だ。専門知識を持つ人材が流出しているからだ。教職員組合の代表を務めるヴィヤ・ディカレは言う。「この現象にプラスの面を探すとすれば、同胞が持ち帰る資金、技能、経験が、国の役に立つだろうという希望です」

 ジュコフスカはこうコメントした。「かつて、バム鉄道(8)を建設するために、ラトヴィアの有志労働者が出発した時には、みなが拍手喝采したものです。出発日は休日とされ、社会主義を建設するんだという気持ちで祝宴を張りました。今日、家族を養うために、アイルランドかどこかに出発せざるを得なくなった同胞は、見下され、鼻で笑われます。私たちがヨーロッパを建設するのは、こんなやり方のはずではありません」

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2009年9月号)

* 小見出し「息子は英国、娘はノルウェー」の二つ前の段落「学校を守るために。中央省庁に」を「学校を守るために、中央省庁に」に訂正(2009年10月2日)
* 本文テキスト中の余計なスペースを削除(2009年10月2日)
* 註(5)の書式を訂正(2009年10月2日)