経済成長からの脱皮を思考する人々

エリック・デュパン(Eric Dupin)

ジャーナリスト

訳:にむらじゅんこ


 「decroissance」という概念が、フランスで市民権を得るようになった。下記で「縮退」と訳したこの言葉は、「croissance」に否定辞を付けた新語であり、不断の経済成長というパラダイムの批判を意味しており、エコロジストやオルターグローバリストたちの間だけではなく、国会の答弁でも用いられるほど広範に使われる言葉となった。しかし、この思想を打ち出す人々の間に、統一的な見解があるわけではない。それは、この概念が経済の領域を超えて、政治的、哲学的な問いを提起しているからだ。[日本語版編集部]

 フィヨン首相の唖然とした様子は見ものだった。2008年10月14日、フランスの国会で、パリ選出の緑の党の議員イヴ・コシェが登壇し、経済の縮退を主張したときのことだ。コシェは右派の野次を浴びながら、現在の事態は「人類そのものの危機」であると述べ、「もはや成長を追い求めることは、反経済的であり、反社会的であり、反エコロジーである」と断じた。彼の唱える「質素な社会」に国会議員がこぞって賛同するような余地はほとんどなかった。とはいえ、「縮退」という挑発的な発想が、公の議論の場になだれ込むまでになったのだ。

 転機となったのは景気後退である。もちろん、縮退を主張する唯一の有力政治家であるコシェが強調するように、経済の縮退というのは「成長を算術的に逆転させるということとはまったく違う」わけだが(1)、経済と環境の二重の危機に地球が揺れているなかで、経済成長を問い直すことは当然の帰結のようにも思える。こうして、縮退論者たちの言葉がにわかに傾聴されるようになった。先駆者の一人であるセルジュ・ラトゥーシュは「以前と違って引っ張りだこだ」と喜ぶ。同じく縮退思想の重鎮的な知識人であるポール・アリエスも「私たちの討論会場は満員だ」と言う。

 「縮退」という言葉自体、ラジカルなエコロジストだけにとどまらず、広範に使われるようになっている。反成長派から「エコぺてん師」呼ばわりされてきたテレビ司会者のニコラ・ユロでさえ、欧州議会選の際、「縮退派の主張に現実という追い風が吹くようになっているが、現在の景気後退のような制御されざる縮退と、制御された縮退とは、はたして二者択一の関係なのか」という問いを立ててみせた(2)。 政治連合ヨーロッパ・エコロジーへの支持を表明するユロは、「グリーン成長」への疑問を公言し、「選別的な成長と選択された縮退との結合」を提唱した。「地球を救えるのは縮退だけである」と、写真家のヤン・アルテュス=ベルトランすら言い放った。今春の欧州議会選でのエコロジストの躍進には、ピノー・プランタン・ルドゥト(PPR)などの高級ブランド企業から大半の資金を得た彼の映画、『HOME〜空から見た地球〜』がどうやら一役かったように思われる(3)

 縮退派の中には、現在の危機が自分たちにとってすばらしい好機だと確信する者もいる。ラトゥーシュは「危機よ、もっとひどくなれ!」と叫ぶ。これは、悔い改めた元銀行マンであるフランソワ・パルタンの著作のタイトルだ。「いいニュースだ。やっと危機がやって来た。人類が立ち直る機会だ」。こう語るラトゥーシュは、かつて作家のドニ・ド=ルージュモンが唱えた「破局の教育効果」を信じている(4)

 ラトゥーシュほど急進的ではないが、コシェもまた、地球生物圏という限界にぶつかった人類は、分別をわきまえるようにならざるを得ないと考えている。「政治に携わる地質学者で、骨の髄まで唯物論者だ」と自認するコシェは、「客観的に明白な根拠によって推進される経済成長など、もはやあり得ない。縮退は、私たちにとって避けることができない運命だ」と警告する。ここまで来た以上はもはや、危機が速やかに人々の自覚を促してくれることを願い、「民主的で公正な縮退に向けて算段する」しかないのだ、と。

 しかし、こうした楽天的な見解が、共有されているとは言いがたい。それとは一線を画し、「破局の教育効果だなんて、まったく違う」と語るのは、ラ・デクロワッサンス紙の編集長のヴァンサン・シェネだ。「危機は自問や見直しの好機でもあるが、萎縮や広範な恐怖を生み出すおそれもある」と彼は言う。「大きな危機は、最悪の状況になりかねない」というのがシェネの考えだ。反成長派運動(MOC)の世話人のジャン=リュック・パスキネは、「危機は、経済成長がもはや無理だということを思い起こさせる機会だが、そうした時期には、人々が個人的な利益の外にまで目を向けなくなる傾向もある」と言う。またアリエスも、危機の両義性を指摘する。「一方では、エコロジー的な切迫感が先送りにされる。今は購買力と雇用を守らなければいけない、というわけだ。(・・・)その一方で、我々が何世紀にもわたって虚偽の上に生きてきたことが明らかになってもいる(5)」。景気後退によって縮退への道が開けるとは思えない人々の間では、不安と希望がせめぎ合っている。

 縮退という主張は、新たなインパクトを与えるようになったものの、政治勢力としては極めて弱体である。シェネは2006年に、縮退推進党(PPLD)を結成した。かつては広告業界にいて、後に市民団体カッスール・ド・ピュブ(仏語でアドバスターズの意)を創設した彼は、「機構制度を勝ち取ることが急務だ」と考えている。だが、PPLDは内紛のせいで、政党として確立するには至っていない。「アナーキーな傾向の強い人々の間では、政党を作るというのは非常に困難だ」とシェネはぼやく。彼は「縮退派」の誰しもと良好な関係にあるわけではない。PPLDは最近、スタッフの入れ替えによる心機一転を試みた。スポークスマンのヴァンサン・リエジェは、「市民団体で活動している若い人々」を引き寄せるようになったと言明しつつも、「試行錯誤状態にある」と認める。PPLDは党員数を喧伝しようとはしない。この極小政党のもう一人のスポークスマンであるレミ・カルディナルは、「大衆政党になろうとは思いません。党員や支持者の勧誘もしていません」と奇妙なことを言う。

雑誌の売れ行き

 前出のMOCは、2007年に発足し、200人ほどの個人会員と10人余りの地方議員が、非常に分散的なネットワークを作っている。PPLDのスポークスマンだったパスキネや、元「地球の友」会員で緑の党にいたクリスチャン・サントのような、百戦錬磨の運動家たちも集まっている。サントによれば、MOCには喜ばしいことに「多くの女性と若者」が加入しているという。

 MOCとPPLDは相互の接近を図って、反成長派協会(ADOC-France)を創設した。また先の欧州議会選では、ヨーロッパ・デクロワッサンスという連合名で候補を立てた。「なんの資金も」なく、「一味ちがった政治をする」ことを望んだため、投票所に置く自党名の投票用紙すら用意せず、インターネットから印刷して投票所に持参するよう支持者に呼びかけた。結果は予想通りである。イル・ド・フランス地域圏(パリ首都圏)の名簿1位のパスキネは、0.04%の得票率だった。

 しかしながら、縮退という思想は、この得票率とは比べものにならないほど反響を呼んでいる。「私は政党を作ることには反対だ。どちらにせよ、まだ早すぎる」とラトゥーシュは断言する。縮退思想のインパクトは、2004年にシェネが創刊した月刊紙ラ・デクロワッサンスの部数を見れば明らかだ。2万部、うち1万3000部がキオスクでの1部売りだという。同紙は論争的な姿勢を打ち出し、特に「エコぺてん師」や「グリーン資本主義」や「持続可能な発展」を槍玉に挙げ、手厳しくあげつらっている。「あえて異論を唱えることで、民主主義を活性化させる」とシェネは自任する。

 1982年に創刊され、6000部を発行しているエコロジー雑誌シランスは、1993年に縮退についての最初の特集を組み、この思想の発案者であるニコラス・ジョージェスク=レーゲンの著作の抜粋も掲載したが、あまり売れなかった。ところが2002年の2度目の特集号では、反響がまったく違った。このときは「地平線:フランソワ・パルタンの友人たち」主催のシンポジウムがユネスコ本部で開かれて、ジョゼ・ボヴェ、イヴァン・イリイチ、セルジュ・ラトゥーシュなど700人が参加したことで、縮退の思想が浮上した。この号は大成功を収め、その後も同誌は何度も同種の特集を組んだ。「縮退は21世紀のテーマかもしれないが、なんとも言えないね」と、シランス誌の担い手の一人であるミシェル・ベルナールは冷静に語る。この雑誌の拠点も、ラ・デクロワッサンス紙と同じくリヨンにある。

 縮退派には、良質のインテリ雑誌すら存在する。その雑誌エントロピアは、「縮退の理論と政策の雑誌」と銘打たれ、ジャン=クロード・ベッソン=ジラールを発行人として、2008年に創刊された。称賛に値する開放的な姿勢をもって、縮退という展望が提起する数々の問題を論じている(6)

 縮退派は様々な組織と、必ずしも公式ではない形で関係を結んでいる。反核や反遺伝子組み換えのネットワーク、スローフード(7)やスローシティの国際運動、そして言うまでもないが、諸々の反広告団体と繋がりがある。縮退の運動家には具体的な運動に関心を寄せる者も多く、シランス誌は、築くべき社会の先触れとなるような体験談を重視している。「物事を変えたいなら、オルタナティブを現実のものにしていく必要がある」と、同誌の担い手の一人であるギヨーム・ガンブランは強調する。

 具体的な現実に根ざした行動主義を体現しているのが、前述のクリスチャン・サントである。政治的エコロジーのベテランで、現役時代は森林監督官だった。息子は「昔ながらのシリアル」を作っており、サントは「近所の農家の森林」の問題に取り組み続けている。縮退の実践者である彼は、自分で建てた家に住む。地元の建材を使い、電線は引かず、太陽光発電を行っている。中部セヴェンヌ山地を自らの故郷と感じており、そこには「こんなふうに暮らしている人が何百人もいる」と言う。仮住まい・モビールハウス住人の会(HALEM)の会員であるサントは、今年の4月に起きたことを話してくれた。無許可のテントがサン・ジャン・デュ・ガールの村役場によって解体され、それに対してデモを起こし、村役場を封鎖したという。「家から追い出され、モビールハウスに住むようになった人たち、パリ近辺の若者たちが多いのですが、そうした人たちを弁護する活動もしています」。HALEMは居住権の会(DAL)から、理事を出さないかと誘いを受けている。

 縮退の思想は昨日に始まったことではない。むしろ、70年代には今よりも広まっていた。1970年からポリティック・エプド誌に連載されたジェベの漫画『第1年』は、生産性至上主義に対して軽やかに異議を唱えていた(8)。そのスローガンは「すべてストップだ」、と実に反体制的である。72年から80年にかけては、端的に「世界の終わり」を予告する月刊誌ラ・グール・ウヴェルトが発刊され、縮退について考察する先駆的存在となった。

左派諸政党のスタンス

 とはいえ、今から約30年前に生産性至上主義に異議を唱えていたのは、ごく限られたイデオロギーの内輪の世界のことだった。当時の左派は共産党と、間抜けなほど「進歩主義的」なマルクス主義が支配的で、縮退の概念は浸透していなかった。今日、縮退派は当時よりずっとマイナーになった反面、確信を失った左派と意見交換をしやすくなっている。環境危機に見舞われ、勤労推奨の見直しの気運が出てきたなかで、反資本主義と反生産性至上主義を合体させるという考えが進行している。

 「縮退という新しい言葉の中には、労働運動によって提起された昔ながらの問題が表明されている」と、若い頃は共産党員だったポール・アリエスは主張する。「私自身がそこにたどり着いたのは、人間疎外について批判的に検討した末のことだった。『怠ける権利』、『地元で生活し、地元で働く』等々を聞けばわかるように、左派がひたすら生産性至上主義を奉じてきたわけではない」

 左派の中で縮退思想の影響が増したことを示しているのが、ジャン=リュック・メランションのたどった足取りだ。狭義のマルクス主義をバックグラウンドとして、最初はランベール派トロッキスト運動家、次いで社会主義者となった。さらに左翼党(PG)の創設者となった現在は、縮退派の「力強い問いかけ」に敬意を表して言う。「我々の生活様式について、違う角度から検討を加えることが必要だ。例えば、常にこんなふうにせわしなくしなければいけないのかと、自問してみることが」と語り、「望ましいものはすべて必要になるべきだという発想を吹き込む生産性至上主義」を批判する。PGには、主張の一部を縮退派と共有し、左派諸政党の党員が集まっている小さなグループ、ユートピアを率いるフランク・ピュピュナも合流した。アリエスもPG党員である。

 反資本主義新党(NPA)もまた、「縮退派」と対話をしている。欧州議会選の際は、最終的に決裂したものの、フランスの中で縮退派の支持が最も高い南東部で、NPAとPGが連合して名簿1位に縮退派の運動家を据える可能性を協議した。2009年5月にリヨンで、政府主導の環境グルネル会議に対する対抗会議が開かれた際、両党は代表を送り、「持続可能な発展」なんて非現実的だと非難した。

 縮退の思想は、逆説的なことに、緑の党では存在感が薄い。イヴ・コシェは党の中で孤立感を感じている。ただ、それは彼の全般的な主張のせいもある。彼は2009年4月に、3人目以降の子供については家族手当を減額すべきだと述べて顰蹙をかった。1人の新生児が「環境にかける負荷は、パリ・ニューヨーク間の620回分の移動に匹敵する」という理由からだ。コシェは自分の論理が「少し科学的すぎるかもしれない」と認めつつも、「新マルサス主義者」を自認する。

 緑の党は、支持者が引いてしまいそうな主張は採り入れようとしない。品格を気にするため、また現職議員の力が強いためだ。ドミニク・ヴォワネ議員が名前を「持続可能発展党」に改めようと企てたような政党である。 2008年12月の党大会で、初めて決議に「縮退」の語が登場したが、「エコロジカル・フットプリント」の縮小という文脈に限定されたものだった。 政治連合ヨーロッパ・エコロジーの綱領も、肉の消費量を減らすという点を書き加えつつ、緑の党の決議の表現を踏襲した。社会党はどうかと言えば、指導部に知的好奇心が欠けているせいか、縮退思想に手を出すつもりは一切ないようだ。

 縮退は、スローガン以外の何ものかであり得るだろうか。これをアリエスは、生産性至上主義に揺さぶりをかけるための「爆弾語」だと言う。シェネは、この言葉には社会に「問いかける」力があると力説する。しかし、この旗幟の最も大きな弱点は、望ましい未来の像を何も語っていないことだ。社会の均衡に手を付けないまま、単に生産を減らせばよいと主張する者は、「反成長派」の中にひとりもいない。貧困を深刻化させるだけになる可能性があるからだ。ラトゥーシュは貧しい人々について、とりわけアフリカについては、欧米的な生活を真似するべきでないと留保を付けつつも、物質的な生活レベルを上げる必要があると認めている。

 最大の問題は、縮退派の内部での根本的な哲学の違いである。シェネは共和主義かつ普遍主義の立場を取り、アフリカを重視するラトゥーシュは「文化相対主義者」を名乗っている。若い頃は中道派の運動家だったシェネは、「私の視点は明らかに共和主義的、民主主義的、ヒューマニスト的なものだ」と言う。一方、ラトゥーシュは、「国民国家は時代後れだし、望ましいものでもない」と述べ、さらに「『普遍』という言葉は好きではない」とも語る。アリエスは、共和主義の側に立ちつつ、カトリック左派の雑誌ゴリアスにも寄稿している。縮退派の中心人物のひとりで、2002年の大統領選への出馬を試みたピエール・ラビは、精神主義的な潮流の代表格だ。

「より良い暮らし」の問いかけ

 縮退派のほとんどは大きく左派の側に立つが、生産性至上主義を根底から批判する縮退の思想が、まったく異なる着眼点からの解釈を生み出すこともあり得なくはない。シェネも認めているように、政治的には「極右から極左まで」の振り幅がある。「新右派」の思想家であるアラン・ド=ブノワがその代表例で、2007年に『明日は縮退だ! エコロジーを徹底的に考える』というタイトルの著作を出している。

 民主主義に関する意見もまたバラバラだ。シェネのように機構制度を占拠すること、選挙に立候補することを志向する者もいれば、直接民主制や命令的委任を重視する者もいる。「縮退派は代表制民主主義に対する不信感が非常に強い」と研究者のファブリス・フィリポは言う。アリエスの見方はちょっと違っていて、「直接民主主義と代表制民主主義の両方の強化が必要だ」と言う。ラトゥーシュの言い方にも、こうした両義性が表れている。「私は心底から民主主義者のつもりだ」と言明しつつ、すぐに「民主主義がどういうものかよくわからないが」と付け加えた。

 縮退派が願ってやまない社会がどんなものになるのか、具体的な像を描いてみせようとする者はほとんどいないが、シェネは2002年にそれを試みている(9)。「健全な経済」においては、「航空輸送や内燃エンジン式の乗り物は消滅」し、「かわりに帆船、自転車、電車や、動物に引かせた車が用いられるようになる」と彼は書いた。また、「大型店舗ではなく近所の商店や市場、安価な工業製品ではなく地元の産品」という方向性になるという。生産の地元回帰という考えは、縮退派の誰もが共有するところだ。「地域通貨」を主張する者もかなりいるが、そこまで踏み出すことについては意見が一致していない。

 第一、このような構想が、有権者の過半数を説得できるものだろうか。ラトゥーシュはむしろ、8つの「R」による「自立的社会」を作り上げる方式を強調する。8つの「R」とは、「再評価(reevaluer)、再概念化(reconceptualiser)、再構築(restructurer)、再分配(redistribuer)、再配置(relocaliser)、削減(reduire)、再利用(reutiliser)、リサイクル(recycler)」である(10)。彼は小都市を連邦化した社会という夢を描きつつ、折衷案を主張する。「一方の極には、狩猟採集社会の自立性がある。全面的で、とはいえ非常に簡素なものだ。もう一方の極には、私たちが生きている時代の、技術的進歩を原因とする人間疎外がある。これもほぼ全面的なものだ。この両極の間で裁定を下すことが政治的問題なのだ」

 反成長派の中には、こうした微妙な問題を避け、個々人が自発的に質素な生活を心がけるという発想の外に出ない者もいる。また、地方レベルの取り組みが、うまく手本になると信じる者もいる。そうした取り組みの一例が「トランジション・タウンズ運動」で、イギリスを中心とした130ほどの市町村が結集して、エネルギーの縮退と地産地消を推進している。

 縮退には、往時に社会主義が人々を動かしたような、積極的な政治的定義が依然として欠けている。「集合的な想像力に訴えかける新たなストーリーをなかなか作り出せない」と、コシェは嘆く。「より少ないものでどうやってより良く暮らすかという問題設定に対し、どのようなユートピアを示せば人々を動かせるのか」とコシェは自問する。「財を減らし、絆を強める」といった言い方だけでは不充分だろう。アリエスは、「良い使途に用いられる財の無料化を拡大し、悪い使途に用いられる財を禁止する」べきだと語り、使途の善悪については政治的な熟議によって定めることになると言う。さらに、「目標は、社会的不平等を減らすことだ」と述べる。したがって、縮退は必然的に、真っ先に世界の富裕層と各国の富裕層に打撃を与えることになるだろう。

 そこから透けて見えるのは、「良い暮らし 」という哲学的問題だ。技術的進歩の力学に引きずられた経済発展にかわり、民主的な裁定の論理を打ち立てるということだ。哲学者のパトリック・ヴィヴレは、縮退の根源的な問いかけに関心を示しつつも、その答えには賛同しない。そして、全体主義という失敗例があるからといって、「幸福を政治的問題として提起するのを禁ずる」べきではないと言う。「福祉の向上という問題を民主的に提起することを拒否するのであれば、何に依拠して、現在の経済発展の方式を非難する思考を確立できるというのだろうか」と。自由主義者であれ、社会主義者であれ、進歩主義者たちには共通点がある。物質的な豊かさの増大を追求し、幸福の問題を私的な領域に押し込めてきたことだ。我々は自然の物質的限界に直面しているが、もし人類社会の組織化の目的が、そのような物質主義的な想定を超え出ることができるならば、めくるめく未決の政治空間がそこには開けていくことになる。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2009年8月号)

* 小見出し「雑誌の売れ行き」から四つ目の段落「ニコラス・ジョージェスク=レーゲン」を「ニコラス・ジョージェスク=レーゲン」に訂正(2009年9月4日)
* 註(2)の文字化けを訂正(2009年9月4日)
* 小見出し「左派諸政党のスタンス」から六つ目の段落「持続可能党」を「持続可能発展党」に訂正(2010年1月4日)