シリーズ経済危機:フロリダの果てなき希望

オリヴィエ・シラン(Olivier Cyran)

ジャーナリスト

訳:今村律子


 リーハイ・エイカーズにごまんとある家、絵ハガキのような一戸建てだ。専用ガレージ、バーベキューにうってつけの芝生の庭、それに星条旗を掲げるポール付き。「売り家」という看板が入口にある。「売れるわきゃないよ」と17歳の高校生、トム(1)は笑い飛ばした。芝生の上には廃用品が散乱し、ガレージのドアは蝶番が外されていて、間に合わせのフェンスが付けてある。ポールはと言えば、2007年に家の主が銀行に追い出されて以来、旗がはためいたためしはない。トムは懐中電灯を片手に家の周りを一巡りすると、ある窓の前で立ち止まった。2枚の板が×の字に打ち付けられてある。「ほら、ここさ」。口笛を吹きながら1枚の板を持ち上げて、彼は台所に滑り込んだ。

 訪問者を出迎えるのは、強烈なカビの臭いだ。シンクが取り外されて、水浸しになっているせいだ。我らのガイドはこう説明する。「おじ夫婦はここを出る時、何もかも壊していった。みんなそうしてるよ、当然だろ。それが銀行の下司野郎どもにちょっとは復讐する唯一の手段だもんな」。懐中電灯の光が、廃屋に残った1枚の古いカレンダーを捉えた。フロリダのとあるビーチの夕日が写っている。台所の奥には階段があり、そこから狭い地下室へ降りると、トムは彼のちょっとしたビジネスを我々に披露してくれた。10株の大麻が見事な芳香を放っていた。水やりは点滴給水、明かりは蛍光灯だ。

 大富豪のドナルド・トランプは、「ビジネスをするには素晴らしい時代だ。今ほど刺激的な時期に巡り会ったことはない」と、4月15日にCNNの番組で語っている。金融危機は目端の利く者にとってチャンスだという発想はトムにも及んでいて、「若手独立起業家」を自称している。建築技師であるトムの父親は失業してしまった。フロリダ西海岸のフォート・マイヤーズに果てしなく広がる郊外地区、リーハイ・エイカーズが壊滅的な打撃を受けた時のことだ。住宅差し押さえの地獄絵図は、全国紙にも採り上げられるほどひどかった。「ようこそ、逆アメリカン・ドリームへ」とニューヨーク・タイムズ紙は皮肉った(2)

 2000年代初めに巻き起こった投機ブームを通じて、住宅はまるでパンのように売れていった。「3万人だった人口は3年間で8万人を突破しましたが、スラム街ではなく、れっきとした新興都市でしたよ」と地元商工会議所に加入する建築家、エドワード・ワイナーは当時を回想する。「しかし我々は、銀行と投資家の強欲さを過小評価していたのです。銀行は過剰に儲けようとしましたし、ブルックリン、ドイツ、ベネズエラなどにいる投資家たちは、中で暮らすことになる住人のことなんて考えずに物件を購入しました。そして今では、朽ちるに任せている。当時建設された1万戸のうち20%は、誰も入居したことがありません。銀行は以前よりは慎重になりましたが、債務者である持ち主の追い立てをやめません。愚かなことです。なぜなら差し押さえは、まだ人が住んでいる近隣の物件の価値も下げてしまうからです。銀行は売り払える見込みがないとわかっているくせに、住人を追い出して物件を回収しているのです」

 2004年に30万ドルで取引されていた物件が、今では10万ドル以下でもなかなか買い手が付かない。しかしワイナーは楽観的に、2009年3月の差し押さえ件数(2100件)が前月の件数(2300件)を僅かながらも下回ったことを強調し、「景気回復は遅くとも18カ月以内に達成される」と言い切った。

 その間にも雇用はどんどん消えていく。失業率は2007年3月の3.5%から2009年3月には12%へと、2年間でほぼ4倍に膨れ上がった。雇用がなくなり、差し押さえ物件が大量にあり、さらにアメリカ中産階級の典型的な街並みが続く(相互に離れた一戸建てが並び、歩道なしの舗装道路が何十キロも続き、ところどころに教会、ショッピング・モール、さびれたゴルフ場などが点在する)という環境は、大麻の栽培に好都合だ。トムはこう強調する。「空き家はうってつけさ。おまけに、おじのところは電気が切られてないし、銀行は買い手を見つけられやしない。それなら、ここを有意義に使わない手はないだろ。時々、万事うまくいってるか確認しに来る。もしサツの手入れがあっても、犯人が僕だとはわかりっこないさ」

ウィード・アンド・シード計画

 差し押さえ物件が大麻栽培用ビニール・ハウスに転用されている状況に、当局は手を焼いている。2008年にリーハイ・エイカーズ警察は、末端価格で700万ドル相当の大麻3000株を押収した。しかし、マンハッタンの4倍の広さの管轄内に点在する1500戸の空き家をくまなく捜索するのが不可能なことは、警察自身も認めている。リチャード・O・ドブソン警部補いわく、「住民の貧困化が進み、麻薬取引や少年非行を助長しています。それに輪をかけるように住宅相場が70%も下落したため、マイアミのラティーノが買いあさり、大麻栽培に使っています。この件で逮捕を執行しない週はありませんし、既に100軒以上の家を封鎖しました。それでも、何もかもを監視するのは不可能です」。このドブソン警部補のコメントをトムに伝えたところ、彼は肩をすくめてこう言った。「警察はなんでもキューバ人のせいにするからね。確かに、キューバ人は住み着いた先で物事を中途半端にはやらないさ。でも、同じビジネスをやってる地元の連中もけっこういるよ。危なくないわけじゃないけど、僕たちはキューバ人より目を付けられにくいんだ」

 大麻栽培の増加に太刀打ちできない警察は、住民に協力を呼びかけて、ウィード・アンド・シード(草と種)という牧歌的な名前の計画を推進している。警察は、「『草』は悪者どものことで、『種』は地域に関与してもらおうという発想です。まず住民へ食料や衣服を配り、その後に何か怪しいことを目撃したら通報するよう促すのです」と息巻いていた。トムは顔をしかめ、疑心暗鬼だ。「奴らはピーナッツ・バターを配って密告を奨励すれば、問題が解決できるとでも思ってるんだろ」。そして指先で大麻の花をなでながら続けた。「でも、にっちもさっちもいかなくなった連中を止めることはできないよ。うちは母がまだ働いてるから、もしかしたら家を手放さずに済むかもしれない。でも、両親は万策尽きていて、学費が払えないこともわかってる。だから僕は将来を考えて、草か軍かという選択肢があったけど、草の方を選んだのさ」

 近隣に住む女性の2人の息子たちは、トムとは違う選択をした。ひとりは海兵隊に、もうひとりは海軍に志願したのだ。母親の働くオフィスには、息子たちの写真が誇らしげに飾られていた。町の福祉を担うリーハイ・コミュニティー・サーヴィスの副所長、パメラ・ケイはこう語る。「あの子たちのことを誇りに思っています。いずれにせよ、いつかは家を出なければならなかったのですし。うちから最も近いところに住んでいた一家が立ち退きに遭ってから、この付近は安心できなくなりました。夫は銃を買いたがっているけど、私は銃が嫌いなんです」

 ケイはウィード・アンド・シード計画の食料援助プロジェクトを仕切っている。粉ミルク、ジャム、パスタ、米、瓶詰めのピーナッツ・バター、といった品々を前に、「栄養価の高い食品ばかり」だと嬉しそうに説明する。彼女のチームが配っている保存食品だ。「生鮮食品は一切ありません。日持ちがしませんから」。2008年10月から2009年4月までの配給先は1245世帯にのぼる。彼女は言う。「一部の世帯は水も電気もありません。家を失った人たちは自家用車の中で寝泊まりしたり、親しい人のところに身を寄せたり、どこに行ったかわからない人たちもいます。リーハイ・エイカーズにはホームレス向けの施設がありませんから。私たちはできる限りの援助をしていますが、予算は全然ありません。私たちがやっていけるのは寄付とボランティアのお陰です」

 確かに、2008年に住民税の税収が47%も減り、地域財政は900万ドルもの赤字になった。当局は貧困層の支援に関し、有力者や教会が運営する慈善団体を当てにしている状況だ。

 リーハイ・コミュニティー・サーヴィスの小さな待合室で、ずんぐりした体格で日焼け顔の50代の男性がひとり、ちらしの束をめくりながら順番を待っている。1週間前に解雇されるまで、27年間にわたり配管工として働いていたジミーだ。食料援助を申請するのは今回が初めてだ。「私の家は、この手で建てたんです。誰にも奪い取らせはしません。とはいえ、古い借金を返済するために利用したクレジット・ローンのせいで、首まで借金に浸かっている状態です。自宅の地価は2002年から2004年にかけて3倍に高騰しましたが、それが今日ではなんの価値もなくなってしまいました。土建屋、不動産業者、銀行など、誰も彼もが狙っていました。金融危機がハンマーの一撃のように襲いかかってきて、あっという間に万事休すです」

 しかし、オバマ大統領の景気対策があるではないか。多重債務世帯のローン組み替え交渉が、銀行には義務付けられているのではなかったか。「それは収入がある人たちの話で、収入ゼロの場合は対象外ですよ」とジミーは反論する。ケイも同じことを言う。「ここにやって来る人たちは、どの銀行からもローン組み替えを断られた人たちばかりです。この期に及んで、自宅から追い出された人たちが怒りをぶちまけ、家を損傷するのが意外な行為だなんて。この付近の人たちもやっていることですよ。私は彼らを責める気持ちになれません」

リッチ・ホーム・オヴ・フロリダの夢

 あるキューバ人の母親が、明らかに恐縮した様子で、ドアを途中まで開けた。彼女も食料を求めに来たのだ。外では夫と2人の子供が車の中で待っている。後部ガラスに「売ります」と張り紙がある。「不幸な人たち」と、ケイはため息をついた。「家を失っても、まだ自家用車の中で眠ることができます。でも、車も失ってしまったら、もうおしまいです。特にここでは、どこへ行くにも距離があるし、バスはほとんど走っていません」。だが、彼らが例外ではないことは、アダムズ大通りに面した中古車販売店、プラットナーを訪れてみればよくわかる。「何百台も在庫を抱えてますよ。売りに来る人の方が買いに来る人よりも多いんです」。従業員は「飽和市場」だと嘆いた。

 それでも、今回取材した高校生、警官、建築家、失業中の労働者、ソーシャル・ワーカーらはみな、金融危機がこれ以上悪化することはなく、明日は今よりましな方向に進むだろうと思っている。ジミーもそう確信して、「フロリダは活気のある州ですから、景気は必ず回復しますよ。どのみち、私には選択肢がありません。年金を当てにできる状態じゃありませんから」と言う。ドブソン警部補も、「私は楽観的です。建設業は立ち直ります」と請け合い、「事態は既に改善に向かっています」と太鼓判を押す。トムに至ってはゲラゲラ笑いながらこう言った。「数カ月のうちに別の仕事を見つけて、栽培は自分用だけにしとくよ」

 この当惑してしまうほどの楽観性は、根拠薄弱なものだろうか。フランス人を対象に「フロリダでの不動産の購入、投資」を提案するウェブ・サイトの興隆を見る限りでは、そんなことは全然ない。2008年の住宅差し押さえ件数が54万9414件と、カリフォルニア州に次いで最も金融危機の被害を受けたフロリダ州は、「投資家にとって無限の可能性」、「ヨーロッパより格段に安い費用での投資多角化の機会」を与えてくれると謳われている。「Monappartamiami.com」の表現だ。「プール付きのフロリダの一戸建て、この夢が今なら2万ユーロで実現可能に」と陽気に言うのは「Capfloride.com」だ。ここのトップ・ページのバナー表示は、臆面もなく「アメリカの金融危機を活用しましょう」と謳っている。

 ブリジット・ベニシェはこの流れにいち早く乗った。20年来マイアミに住み、パリ大学ドフィーヌ校で経済学の学位を取った彼女は、「フランス語圏出身者によるフロリダ初の高級不動産屋」だというリッチ・ホーム・オヴ・フロリダの堂々たる社長である。彼女にとって金融危機は、何よりもまず、競争相手の淘汰という大きなメリットがあった。「2004年の頃は、手持ちの物件を片端から、誰かれかまわず売っていました。マンションを買おうとする人の行列が朝の5時からできました。価格は1平方メートルあたり6000ドルと、とんでもないレベルに達していました。当時、マイアミのフランス人の誰もが高級不動産屋になりたがっていたほどです。アメリカで不動産屋を開くのはとても簡単なんですよ。選択肢式の試験に合格さえすれば免許が取れますから。でも、やりすぎとか詐欺とかもありました。4000万ドルの負債を残して夜逃げした同業者もいましたね。金融危機のおかげで業界が浄化され、優良業者と悪徳業者が振り分けられました」

 マイアミの目抜きスポット、サウス・ビーチにあるカフェのテラスで話をしてくれた彼女は、確かに「今はブームの時よりも少し収入が減った」と認めた。だが、不満をこぼすわけではない。「うまく切り抜けています。今朝も、たった2年前に120万ドルしたマンションを40万ドルで販売しました。私のサイトのアクセスは、当時は1日2件だったけれど、今では1日500件もあるんですよ」。彼女のクライアントは全員フランス人で、中小企業社長やエリート幹部だけにとどまらない。儲け口の争奪戦は今や大衆化された。「毎日、予算が15万ドルもない人たちからメールが来ます。年金生活者や商店主などです。こんなにたくさんの貧しいクライアントに対応するなんて前代未聞だわ」。ペニシェはそう言い放って吹き出した。「ええ、フロリダはまだ夢を見させてくれるんです」

 高級物件を扱う他の同業者たちと同じく、リッチ・ホーム・オヴ・フロリダの社長は将来に自信を持っている。「全米の住宅差し押さえ件数は現時点で170万件、この傾向は2012年まで続きますよ」。こうした笑いの止まらない見通しに加えて、税制もまた快適だ。というのは、ここでは「業務上横領が適法」であるため、ペニシェは会社の収益を「納税なしに」生活に使えるのだ。だから、彼女が「アメリカ的メンタリティーをとても居心地よく」感じているのもあまり意外ではない。「人々はフランス人よりもずっと哲人的で、物に関する感情的なしがらみを持たないんです。誰かの家が差し押さえられたら、それに乗じて利益を得るのは当たり前だと思っています。『自分の分は支払うさ、きっちりと』という発想です」

テイク・バック・ザ・ランドの運動

 だが、マイアミでは数カ月前から、穏やかならぬメンタリティーが見られるようになった。市内有数の最貧地区で、ペニシェにとって最も関心の薄い地域のひとつである黒人地区、リバティー・シティーで、テイク・バック・ザ・ランド(土地を奪還しよう)という市民グループが、銀行に差し押さえられた家を奪還して、ホームレスになった家族の住居にしようとしているのだ。長期的に確保できた物件は今のところ10軒ほどしかない。多くのハードルがあるのも事実だ。「第一に、あまり損傷が激しくない家を見つけなければなりません」と説明するのは、このグループの創設者の一人であるマックス・ラモーだ。「ほとんどの家は、住んでいた人が立ち退きの際に壊しまくっています。私たちは簡単な修繕をして、電気をつなぎ、回収した家電を取り付けるぐらいはできても、本格的な工事を行うような資金はありません。第二に、アメリカで最もいやらしい警察のひとつであるマイアミ警察とうまくやらなければなりません。運が良かったのは、金融危機があまりに深刻なため、警察にはどうやら事態を紛糾させるような余裕もなければ、その気もないことです。警察は地区の住民が私たちの味方であることを知っていますから、暴動を引き起こすような挙に出ることは、今のところありません」

 ハイチ人の両親の元に生まれ、フランツ・ファノンとブラック・パンサー党員の著作を愛読するラモーは、金融危機の勃発を歓迎せんばかりの勢いだ。少なくともリバティー・シティーでは、不動産業者の買いあさりにひとまず歯止めがかかったからだ。コカインの密売人が出没し、歩道も陥没だらけの町だったにもかかわらず、ここも2000年代初めの投資ブームを免れなかった。その証拠が、17番街と62番通りの角の更地で、スチール板で囲われている。「2006年に、市が高級マンション建設のために、この一角を開発業者に提供しようとしました。このプロジェクトは、1990年代からリバティー・シティーを蝕み始めたジェントリフィケーション(3)の流れに沿ったものです。アメリカでは多くの黒人地区が、同様の展開をたどりました。開発業者が乗り込んで、安値で買って更地にし、高値で転売する。当然ながら、彼らは真ん中からではなく、端の方から手を付けます。私たちの地区は徐々に小さくなり、白人や中産階級化した黒人が大半の新たな住民に、周囲から侵食されていきました。私たちがテイク・バック・ザ・ランドを創設したのは、こうした土地の収奪に対抗するためなのです」

 以降の展開は、地域史でもあり闘争史でもある。2006年10月23日、テイク・バック・ザ・ランドの活動家たちは、開発業者への提供予定地を占拠した。近隣のハウジング・プアのためのログ・ハウスを建てるためだ。ラモーは次のように語る。「私たちはまず、半信半疑の住民たちを説得するために一般集会を開催しました。次に、もっと小さな班を作って、戸別訪問に当たりました。いざ私たちが行動を起こすと、ハッタリではなかったんだと度肝を抜かれた住民は、大々的に支援してくれるようになりました。こういうわけで、市も私たちを追い立てなかったんです」

 彼らはブラジルの土地なし農民運動にヒントを得て、自主管理の生活の場を作り上げた。禁止事項はアルコール、麻薬、そしてセクシャル・ハラスメントだけだ。この「村」はウモジャ(スワヒリ語で「統一」の意)と命名され、6カ月にわたって好調に展開していたが、2007年4月の夜に火事で焼け落ちた。「翌日には、焼け残っていたところも全部、ブルドーザーに取り壊されました。捜査なんて一度も行われませんでした(4)

 その後は、彼らの運動に続けて、金融危機が不動産開発業者の攻勢の足元をすくうことになる。ラモーは皮肉な笑いを浮かべながら、「彼らは目下、別の問題を抱えていますから、すぐにリバティー・シティーに舞い戻ることはないでしょう」と語りつつも、住宅の差し押さえに対して大規模な抗議運動が起こらなかったのは意外だと言う。差し押さえ物件を銀行から奪還するという手法は、ラモーのブログに殺到した怒りのコメントからも明らかなように、不動産業者だけでなく多くのアメリカ人を動揺させた。例えば、こんなコメントだ。「自分のものでもない家を奪うなんて、図々しいにも程がある。ホテルに行って、無料で部屋を提供しろと要求すればいいじゃないか」

 「私たちは所有権というタブーに挑んでいて、それはこの国では簡単に片付く話ではないのです」と、ラモーはため息をつく。「奇妙なことに、多くの人たちは、銀行に追い立てられた人が家をめちゃくちゃにして行くのは当然だと思っているのに、人が住めるようその家が修繕されることには抵抗感があるんです」

 だが、彼もまた自分は楽観的だと言う。トランプとは別の理由からだ。「私たちと同じような活動がポートランド、デンヴァー、カリフォルニアでも起こり始めています。今のところは極めて少数派ですが、立ち上がるほかに選択の余地はありません。死活問題なのですから。10年はかかるかもしれません。でも私たちは間違いなく、大きな社会的変化の前夜にいるのです」

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2009年8月号)