フランス司法を襲う激動

ジル・セナティ(Gilles Sainati)

司法官、司法官組合組合員

訳:日本語版編集部


 公立病院や大学と同様に、司法にも「成果主義」が持ち込まれた。上命下服が強化され、数字が偏重されるようになり、司法制度のあり方に激震が走っている。何を重視するか、どのようにバランスを取るか、そしてどのような理念を軸に据えるかまでもが、過去10年の間に根底から変化した。ラシダ・ダティ(前法相)をはじめとする歴代法相が、司法権独立の保障など必要ないと断言してはばからないまでに。[フランス語版編集部]

 サルコジ大統領が唱える予審判事廃止の構想は、まるで戦の末に振りかざされる戦利品のようだ。誰が勝者なのかをしかと理解させようというわけだ。捜査に携わる予審判事の役割は、過去10年にわたって縮小され続けてきた。手がける事件は情痴犯罪、性犯罪、広域的な麻薬取引ぐらいのものとなり、刑事事件全体の4%程度にすぎない。都市部の非行を主とした他の事件は、軽罪裁判所への即時出廷などの短縮手続きに回されるか、検察により直接手続きが進められる。

 1990年代は、判事が自立解放を果たした時代のように見える。金融犯罪や政治犯罪の起訴件数は増加した。それに対して2000年代は、政府による強固な再統制の時代である。現行の1958年憲法は著しく均衡に欠け、行政権の優位が際立っているが、三権分立の外観はまだ、このモンテスキューの国で保たれていた。裁判官と検察官は同じ職能集団の出身であり、強力な身分保障を得ていた。裁判官は罷免されることがなく、検察官は独立性を享受していた(1)。こうした時代は過ぎ去ったようだ。今や「行政司法」の時代が到来しつつある。

 この政策ははっきりと主張されている。2009年2月5日、ダティ法相(当時)は国立司法学院の学生に「司法の独立は教義などではない。そこには相応の根拠がある」と釘をさしている。2004年3月9日の法律の規定によれば、検事は組織上、法相の下におかれており、したがって法相は「スーパー検事」である。法相は個別事件の手続きに介入し、方針を指示する全般的な権限を持つ。刑事訴訟法30条に組み込まれたこの規定は、控訴院検事長の任命は必ず閣議決定とするという措置に続き、法相の権限を一段と強化することになった。

 しかし、司法官の独立性が打ち砕かれた最大の原因は、司法実務の運営方式の変化である。弁護側が証拠調べの段階で(鑑定に対して反対鑑定を行うなど)異議を申し立てることができた刑事訴訟手続きは、2000年代に入って急激に崩壊した。ほとんどの事件は、警察の捜査が完了した時点ですでに容疑が固まっており、弁護士は脇役を務めるにすぎない。裁判の役目は「警察の調書に付加価値」をつけることでしかないと、2004年に組織犯罪法案の前文で、当時のペルベン法相は述べている。

 裁判と刑事実務のあり方を徐々に変えてきた動きには、ある種のプロ集団が持論を通すために、粘り強く進めてきた作業が反映されている。この動きは第一に、国家警察警視組合(SCPN)にはなじみ深い考え方である「刑事手続きの鎖」の施錠を意味した。彼らにとって、検事、予審判事、軽罪判事、行刑判事は警察と同じ論理を共有しなければならない。とりわけ、警察の仕事が導き出した結論を共有しなければならない(2)。警察の持論は、様々な司法官の間で情報を回すことの必要性と、その制度上の役割とを混同させることで、実務上の変化を引き起こした。裁判所の作業の独立性は否定され、刑事手続きは一意的な情報の連鎖へと変貌した。根底にあるのは、警察によるリアルタイム処理だ。

 1990年代半ばから、検事が捜査関係者からの電話連絡だけに基づいて起訴することが習慣化していった。パリ郊外ボビニー裁判所など一部の大審裁判所(地方裁判所)では、テレマーケティング会社の電話フロアよろしく、ヘッドセットをつけた検事代理が流れ作業で公判日を割り振っていくようになった。

「検事司法」の展開

 裁判所の決定が寛容すぎるとして、警察の監視ネットワークが作られたのも1990年代の末頃である。「ならず者を放免する」判事への名指しでの非難の陰には、警察のもっと深い不満が潜んでいる。その不満はとりわけ、都市の秩序を乱す小さな事件を積極的に取り締まろうとする警察の姿勢と結びついている。一部の政治家はこの不満をうまく利用した。たとえばサルコジは、2007年の大統領選挙の焦点に据えさえした。

 治安や選挙に絡んだ政府の意向を検察が容易に反映させることを期待して、政府は検察優位をさらに強化した。その結果、従来の枠組みに収まらない起訴事件が増加した。従来は、司法関係者(判事、検事、弁護士)それぞれの役割がはっきりした対審手続きが取られていたのに対し、検察が起訴や判決の一方的な主導を強めるようになった。

 このような「検事司法」は、「刑事司法取引」を創設した2000年の法律から始まった。警察留置後に被疑者が容疑事実を認めれば、検察が刑を決定するという短縮手続きである。「検事司法」はさらに、2004年に施行された罪状事前承服出廷(CRPC)によって急増した。このフランス式の有罪答弁取引では、検事は被疑者に対し、短期に確定判決となる拘禁刑または罰金刑を提案できる。弁護士(たいていは国選弁護人)がいても、まともな対審弁論はおろか、交渉すらできる立場にはない。裁判官による量刑の事後承認は、まさに自動的に行われる。この点をあえて強調するなら、機械的な司法実務が実現されたと言える。弁論も、公開の公判も、法的根拠の提示さえも回避する司法であり、ゲームのルールは検事の適用する量刑相場によりけりとなる。

 新設の手続きは、1人または複数の判事が動員される公判にかかる時間を節約する。刑事司法が裁くべき事件のフローとストックという観点からしか理解されなくなった現在では、時間の節約という点は大きなメリットである。新設の手続きには、常に紆余曲折をたどり、不確実で時間のかかる公判での弁論を避けられるというメリットもある。訴訟となれば、手続きの無効を申し立てるかもしれない弁護人や、必ずしも協力的とは言えない裁判官の存在を我慢せざるをえないからだ。司法の質が主に「有刑応答率」、平たく言えば有罪判決の数で評価される御時世に、そんな事態に陥ることは論外である。

 そうした不確実性が取り除かれることで、刑事手続きの鎖は隅々まで完璧に機能するようになる。収監率が最高記録を更新しているのは何ら驚くことではない(2009年4月1日現在の収監者は6万8244人)。成果主義が、判事にせよ検事にせよ、厳罰主義的な司法官の地位を強めており、こうした司法官が刑事部門に集まる傾向がある。新しい司法政策に抵抗する者は民亊部門などに異動していく。

人事という圧力

 こうした傾向をさらに強めているのが、法務省の目下の政策方針である。それは人事の「適切」な管理と判事の地位の弱体化を結びつけたものだ。検察官の任命に関して、法相は司法官職高等評議会の答申を毎度のように無視している。そのうえ、裁判の現場でも、刑の軽減事由を持ち出したり、量刑下限に関する2006年の法律を適用しようとしない落ちこぼれ司法官をすぐに通報する義務が、検事には課せられている。今年1月、パリ大審裁判所では、抵抗派の判事が、決定内容を判決文の作成前に直ちに法務省に知らせるよう命じられた。

 同様に、強制退去のために外国人を拘置する必要の重大性をあまり理解していない拘置決定判事(JLD)がいれば、上司から叱責を受けたり、毎年の人事異動の際に所長の一存でまったく違う部署に異動させられたりするだろう。また、軽罪裁判所の構成員の決定や、重罪院の院長の選任という機会には、一人ひとりの判事の判決傾向に応じた選別が行われる。裁判官は罷免されないといっても、よそに飛ばされないだけというのが現状だ。裁判官は所属裁判所の中で、出世のために政権におもねる者がほとんどの所長の裁量ひとつで、任意に罷免される(いつでも罷免されうる)裁判官となってしまったのだ。予審判事などの特別職の廃止が予定されていることも、こうした動きに拍車をかけている。裁判官は急速に、独立性を保つのが困難な、その場限りの職掌になりつつある。

 裁判所の大部分を構成する非特別職の裁判官の地位が弱まっているだけではない。地理的な再編成も進められている。それは、業績基準を口実として、地元の判事による裁判の原則(3)を回避しようとするものだ。2004年から2006年にかけて、最も機微な捜査活動を集約する地域センターが創設された。ピレネー・オリアンタル県で発生した事件であっても、適切な罪状決定(たとえば「組織的な犯罪グループ」)がなされるやいなや、マルセイユの予審センターの扱いとなる。この制度のモデルとなったのは、1986年に創設されたテロ対策センターである。「テロ」と分類されたあらゆる事件は、中部のコレーズ県あるいはコルシカ島で発生したものであっても、すべてパリのセンターの管轄となる。

 これらのセンターを構成する少数の司法官の選任に、法相官房が特別な注意を払っていることは言うまでもない。選任の基準が本人の能力だけではないことも。

 過去10年にわたって司法を襲った激動の大きさは、目眩がするほどだ。判決を下すのに検事も判事もなくなった。CRPCや短縮手続きの場合には対審弁論が行われなくなった。検察は尋問の主導権を事実上とれなくなり、刑事手続きのリアルタイム処理という警察のテンポを強制されている。地元の判事による裁判の原則は回避された。量刑は、量刑下限に関する法律によって自動化され、ひいては2008年2月に可決された保安拘置のように、際限なしになった。

 均衡ある刑事手続きの基本原則の大半は姿を消し、それに代わって、うわべの秩序を準則とする司法が出現した。「後ろ暗いところのない」テレビ視聴者に毎晩のように訴えかける治安という秩序だ。しかも、経済や環境に関わる事件はほとんど起訴されなくなり、タピ事件の際に極端な形で見られたように(4)、金融関連事件では一般法の枠外で仲裁条項による解決が図られるようになったため、この新しい司法は格下のものに成り下がった。この点において、司法の変化の動きは奇妙なことに、「司法は行政の一部門、それも下位の部門にすぎない(5)」と考えたかつてのフランス内相の国家観を思わせる。ピエール・ピュシュー、1942年の発言である。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2009年6月号)