翻訳とは読むこと(逆も真なり)

アルベルト・マングェル(Alberto Manguel)

アルゼンチン系カナダ人作家

訳:土田修


 読むこと、それは順化させること、書き手による創造に別の創造をもって応じることだ。他言語への翻訳という行為は、この論理を徹底的に推し進めることにほかならない。アルベルト・マングェルは以前から、テキストを見出した人々がそのテキストを自分のものとするという営み、これまで闇に包まれ、過小評価されてきた文学交流上の営みに、正当な位置を与えようと努めてきた。以下は、翻訳に待ち受ける罠、パラドクス、そして奇跡についてのマングェルの考察である。[フランス語版編集部]

 ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、翻訳が字義通りである必要はない、と論じた。「間違いは、それぞれの言語が世界を感じ取ったり知覚する手段であることを忘れるせいで起こるのだ」とボルヘスは述べている(1)。「翻訳」とは、読むことの奥底にある営みに、われわれが付ける名前である。読むこと、それは翻訳することであり、形状を通じた世界の視覚認識から、世界を感じ取ったり知覚する独特の方法へ移行することだ。あるテキスト世界(書かれた文字)の表象から、もう一つのテキスト世界(視認・聴取される文字)の表象へ移行することだ。テキストの受容をつかさどる脳の部位が、形状や距離を識別する部位でもあることが、最近の研究により明らかになっている。つまり、読むという行為は、生理学的観点からすれば、世界の物理的な形状を、想念上かつ空間的でもある表象へと、翻訳することにほかならない。読むこと、それは世界の現実を、われわれが感知する現実へと、物理的に翻訳することなのだ。

 何かを名指すこと、それはすでに翻訳である。われわれの目に映ったものがボテーリャ夫人であって、メカジキの先の尖った輪郭などではないと述べること、それは彼女の見事な体形を、ある複合的な意味体系へと翻訳することだ。時間と空間が足りないせいで、われわれはこの複合的な意味体系を「ボテーリャ夫人」という2語に要約する。この2語には、かの人のあらゆる美的、政治的、社会的、心理的特性に関する含みが込められている。

 「ヒスパニック系アメリカ」という言い方もまた翻訳である。それは、複雑な地理、この地の先住民の長い歴史、この地の植民地化、独立、新たな植民地化、この地の町や大河、文学作品、工場、道、この地の住民それぞれの生活を要約することだ。「ヒスパニック系アメリカ」の2語は、これらすべて、さらにそれ以上のものを、一人のイタリア人の探検家[アメリゴ・ヴェスプッチ]を表す語と、古代ローマに起因する一つの文化[ヒスパニア]を表す語との、強いられた結合へと翻訳するものだ。あらゆる翻訳は征服にほかならない。

 アメリカ大陸が自らの複数にして単数のアイデンティティを模索してきた過程、その数々の段階の一つは、スペイン人の到来によって引き起こされた。大陸の土着語と新参者の言語の間には、出会い、対決、対話、皆殺しの試み、調査研究、そしてある程度の受容があった。諸々のアメリカというバベルの塔の中で、理解、対話、あるいは抹殺を目的として、他者とその言語を色々な方法で認知する試みが翻訳だった。

 ヒスパニック系アメリカの最初の翻訳者はドーニャ・マリーナ、別名マリンチェという先住民の女性であったと伝えられる。彼女はエルナン・コルテスと[アステカ王]モクテスマとの通訳を務めた。1774年に完成した著作『モロッコ人の手紙』の第9の手紙で、ホセ・カダルソは、これこそ「もって生まれた才知が偉大にして賞賛に値する目的に向けられるならば、美しき性が有益となりうるという顕著な例のひとつ」と論じた(2)。スペイン人の父権的な見解からすると、植民地化した土地で他者の言語を理解する最初の試みに用いるべき新しい道具は、男性的な武器よりも「弱々しく」、聖ヒエロニムスやアルフォンソ賢王(3)という古典的な男性的翻訳モデルほど格調高いものではなかったのだ。

 先住民のバベルの塔が、(ノラ・カテリの言葉を借りれば)翻訳者=裏切り者たる美しいマリンチェの介入によって、キリスト教の言語へと変容した事態には、どこかしら魔法めいたところがある。その言語で表現されていたもの、この大陸とそこでの自らの役割についての判断を探検者たちに可能にしたものは、高みから見下すような欧州の審美的姿勢だった。カダルソの手紙の書き手は第5の手紙でこう書いている。「すべては魔法によってなされたのだと断言いたしましょう。その発見、征服、所有、支配もまた驚異なのだと」。彼は明らかな公平さをもって、「より健全な意見」を築くために外国語で書かれたものも参照すべきだと付け加えた。彼がそれまで征服について読んだものはどれもスペイン人の著作だったからだ。彼はこう説明する。「その歴史を読むことはスペインの歴史の概略を知る上で欠くべからざる補足となる」

先住民語でもスペイン語でもない何か

 ここに核心がある。自己を理解するために他者を読むこと。目の前にある文化のうち、未知の言語から故郷で話されている言語への移行を経てなお保たれる要素を通じて、自己のアイデンティティを知ること。カダルソは、翻訳という言葉の最大限の意味において、つまり探検という行為をその出発点へと送り返すプロセスとして、アメリカ大陸での翻訳の営みを理解しており、外国の地図ではなく故国の地図に命名をほどこす。彼は鋭くも、翻訳することと読むことを結びつけている。

 アメリカのスペイン植民地の独立が前進するにつれて、異なる声のうちに世界を定置しようとする気運も前進した。そして土着のスペイン語は、むかし風を捨てようとせずに時間を止め、土着語の語意を採り入れ、あるいは独特の用法を持った新語を考案することで、本土のスペイン語とは異なるものになっていった。クレオール・スペイン語は、いわば自らのパロディーと化し、先住民語でもスペイン語でもない何か、まさしく仲介者や混血、架橋としての特徴を備えた何かに変装しようとする。1800年ごろのメキシコやペルー、アルゼンチンにおける翻訳の、最初の有意義な実例は、インディアス法によりフィクション作品の輸入を禁じていた(が、あまり成功しなかった)スペイン人による検閲の結果であったと言われる。こうしてヒスパニック系アメリカに「読者が出現し、その嗜好によって文学の生産を調節するようになった(4)」。それとともに翻訳は、学識ある読者の気まぐれに見合った単数的な読書の実践ではなくなり、一つの言語共同体全体へと向けられた公文書の性質を帯びるようになった。

 本土に先んじ、あるいは本土の後を追う土着の読書が広まるなかで、ベネズエラ人のアンドレス・ベロはヒスパニック系アメリカ人向けの文法をまとめる仕事に専心した。その序文でベロはこの上なく明確にこう述べた。「私はカスティーリャ地方の人のために書こうというわけではない。私の講義は兄弟たるヒスパニック系アメリカの住民に向けられている。2つの大陸にいる多数のスペイン系諸国民間の意思伝達に神から授かった手段として、その同胞愛の絆として、父祖の言葉をできるだけ純粋な状態のままに保つことは大切なことだ。だが、妄信的な純粋主義を推奨しようというのではない。(・・・)ある共通言語の時間を止めてしまうのでもないかぎり、その言語のこの上ない利点をわれわれから奪い取るもの、諸悪の中でも最悪のものは、アメリカ大陸の著作の多くを埋め尽くして駄目にする新語の席巻である(5)」。そして次のような定義で締めくくっている。「言語とは、生きた身体のようなものだ。言語の活力は、そのさまざまな要素が常に同一性を保つところにあるのではない。それらの要素によってもたらされ、その言語に特徴的な形態や流儀に先行する機能、それが規則的な一律性を保つところにこそある」

 機能が形態に先行する。実にルイス・キャロル的なこの定式(「意味にこそ気をつけよ、さらばおのずから読み方もきまる(6)」)は、かなりの程度、ヒスパニック系アメリカにおける翻訳の営みに当てはまる。「私は誰のために翻訳するのか」が、マリンチェから今日に至るまで、アメリカ大陸の翻訳者の合い言葉になっているように思える。

 1世紀後にボルヘスが与えた忠告に従って、ヒスパニック系アメリカ人の最良の翻訳者たちは、字義通りではない翻訳という観念を驚異的なほど極端に進めた。それは、ホラティウスを引用するルイス・サパタを引用するセルバンテスが示唆したごとく、「フランドルの織物を逆さまにして見る者のように」織り糸(スペイン語では trama)をひっくり返し、ある言語を他の言語へ単純に流し込むことではない。彼らの翻訳は、より野心的で複雑かつ独創的だ。それは、オリジナルを別の地図の中で作り直し、外国のテキストによって風景を植民地化し、他の土地の木を違った風土に植える営みである。

読者の際限のない仕事

 ボルヘスは1974年の作品『創造者』中で「陰謀(La Trama)」と題した短いテキストを発表した。その全文を引用しよう。

「いらだつ友人たちの短剣に追いつめられていたカエサルは、寵臣であり、わが子とさえ思っていたマルクス・ユニウス・ブルトゥスの顔を、その身に迫る白刃や人びとのなかに認めて、恐怖のどん底に突き落とされた。身を護ることすら忘れて、彼は絶叫した。『ブルトゥスよ、お前もか!』シェイクスピアとケベードがこの悲痛な叫びをその作品に借りている。

 運命というものは反復や変異や相称をよろこぶ。あれから千九百年後、ブエノスアイレス州の南部で、一人のガウチョが他の仲間に襲われた。倒れるとき、そこに名付け子の顔を認めた彼は、ゆっくりと襲う驚愕のなかから、穏やかな非難をその声にこめて叫んだ(このことばは聞くべきであって、読むべきものではない)。『ペロ・チェー!』彼は殺されたが、同じ一つの場面が反復されるためにのみ死ぬのだということは知らなかったはずである(7)

 数年前にカナダの友人たちとボルヘスのこのテキストを分かち合おうとして、私は英語化を試みた。すると乗り越えられない障害がいくつも立ちふさがった。とりわけ、「ペロ・チェー!」はアルゼンチンの土に深く根ざした翻訳不可能な言葉であり、どのような言語の領域へも植え替えることはできない。「ペロ・チェー!」はアルゼンチン人のアイデンティティの産物であり、世界中の他のいかなる場所でも表されることのない簡潔な嘆きの言葉だ。英国でも米国でも「ペロ・チェー」とは言わない。スペイン、メキシコ、キューバでもそうだ。「ペロ・チェー!」は、ほとんどそれ自体でクレオール語の定義になるような言葉だ。

 非常にありがたいことに、翻訳の歴史はささいな奇跡で成り立っている。美徳、知性、巧妙さ、経験、研究、偶然。成功した翻訳には、そうした要因のすべてが介在するが、肝心なのはただ奇跡性だけだ。文学的創作の領域に、奇跡なき勝利はない。

 翻訳を未完成のままにしておくか、あの捉えがたい表現に頼りない同義語をあてて翻訳を切り上げるかだと観念して、私は気晴らしにギルバート・K・チェスタトンの『英国小史』を読んでいた。ボルヘスが精通していた著作だ。不意に次の文章が目にとまった。

 「カエサルによって建てられたブリテン国家は、ブルトゥスによって建てられたものと長らく信じられてきた。とても無味乾燥な一つの発見の話と、とても想像力をかき立てる一つの建国の話との対比には、まるでカエサルが言った“Et tu, Brute ?”が“What, you here ?”と翻訳できるとでもいうように、明らかに滑稽なところがある(8)

 チェスタトンの“What, you here ?”は、ボルヘスの「ペロ・チェー!」の完璧な翻訳である。というより、ボルヘスの「ペロ・チェー!」の方がチェスタトンの“What, you here ?”の完璧な翻訳になっている。翻訳は双方向的な読書の旅のようなものだ。原典からオリジナルのテキストへ、オリジナルのテキストから原典へ。途中で原典とオリジナルは混然一体となり、相互に再定義を重ねていく。誰が著者なのか、誰が翻訳者なのか。ボルヘスかチェスタトンか。それを知るのは不可能だ。年代や時代錯誤という概念は、翻訳か原典かを判定するのに有効なものではない。

 それを定義するようなテキストを求めて大学図書館を走り回るという、読者の際限のない仕事は、この読者が自分に翻訳者の資質を認めた場合、さらに増えることになる(際限のなさに増える余地があるとすれば)。ページから救い出されたテキスト全体が、他のテキスト群へと膨れ上がる。これらのテキストは、その読者の語彙へと変容し、他の文脈、他の経験、他の記憶の中で再定義され、他の本棚の中に並べられる。この読者=翻訳者は、ページに固定されたテキストのかわりに、決して一カ所にとどまることのない遊牧民的なテキストを提唱する。ここにこそ、翻訳という芸の感動的なパラドクスがある。こうした恒常的な移動、こうした絶え間ない探検を通じて、一個の文学作品は、芸術作品につきものの不確かで偶然的な性質を薄めた何ものかになり、内在的な不朽性とでも言うべきものを奇跡的にも獲得できるのだ。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2009年5月号)

* 註(7)の書式を訂正(2009年6月1日)
* 小見出し「読者の際限のない仕事」から三つ目の段落「反復や変異は相称を」を「反復や変異や相称を」に訂正(2009年6月4日)