NATO復帰というサルコジの選択

フィリップ・レーマリー特派員(Philippe Leymarie)

ジャーナリスト

訳:日本語版編集部


 北大西洋条約機構(NATO)の本部。場所はブリュッセル北東の郊外エヴェレ、1960年代に建てられた巨大で陰気な施設だ。あちこちに設置された拡声器が時として「炭疽菌警報発令!」とがなり立てる。出入口は閉鎖され、安全区域が設けられ、消毒テントが設営される。NRBC(1)防護つなぎを着た消防士が、あわただしく走り回る。ここ数週間で2度目の警報だ。怪しげな封書が送られてきたせいだ。職員はうんざりした様子である。この建物の果てしなく続く廊下と通路では、何があろうと武官や文官の往来が止まることはない。およそ40カ国の要員が集まったバベルの塔である。自動ドアがバッジを呑み込んでいく。加盟国の「専門スタッフ」なら緑、「パートナー国」の代表なら黄色と色分けされている。

 それ以外の訪問者は本部職員の同伴を必要とする。鞄は身体から離さないようにと言われる。扉に付いているセンサーが、物体の通過を複数名の入構としてカウントする可能性があるからだ。駐車場と共用施設は「統制区域」に、会議場とパートナー諸国代表部は「限定区域」に、加盟国代表部と国際事務局と参謀本部は「保安区域」に属する。

 NATOの参謀本部はパリ地域から追い出された後の1966年から、このブリュッセルのビルに退いている。かつて「手を焼く同盟国」だったフランス(2)の完全復帰の見通しは、ここの司令部の興味をかき立てていて、なかには熱烈に歓迎する者もいる。「NATOはフランスが情熱を注ぐ特別な対象だと言えるでしょうね」と語るジャン=フランソワ・ビュローは、パリで左右の政権を通じて国防省の報道官を務めた後、現在はNATOで事務次長として「広報外交」局を率いている。これまでにフランスに割り当てられた最高位の政治ポストである。

 社会党政権時代にフランス国防相を務めたポール・キレスの指摘によれば、かつて「自由世界」の武装部門として「ハイパー大国」米国の利益に仕えたNATOは、ワルシャワ条約機構が解体され、ソ連が終焉を迎えた際に消滅してもよかったはずだ。だが米国と同盟諸国は、組織を維持して新たな任務を与え、介入分野を広げる道を選んだ(3)。「全方位的」あるいは「国境なき」機構となったNATOの新たな任務のひとつがテロとの戦いだ。オランダ出身のデ=ホープ=スヘッフェル現事務総長によれば、「同盟に対する最大の脅威」をなすという(4)

 「アフガニスタンで、同盟は新たな種類の紛争に直面している。同盟の真価が問われるところだ」。他のNATO幹部と同様、ビュロー事務次長もまた、この遠隔地の紛争で頭がいっぱいだ。「ハイパーテロリズムの緩和と安定の制御が、あそこではセットになります。アフガニスタンは、国内世論が思っているほど、われわれ自身の安全保障問題からかけ離れているわけではありません」

 タリバン、部族、地方、選挙、襲撃、国軍、警察、麻薬、隣国パキスタンの安定が、NATOの展開する主要軍事作戦の要素となる。この作戦は、NATOの自然国境から最も遠隔地で実施されているものであり、「ボスの米国」に思いきり引きずられているように見える。米国は、大きな方針を決めるだけでなく、要員の半分近くを提供している。また、アフガン東部と南部で独自に「不朽の自由」作戦として、9・11テロの報復およびアル・カイダ粉砕を目指す懲罰戦争を続けている(5)。ビュロー事務次長はこう主張する。「アフガニスタンという戦場には、NATOに変革を迫る『新たな脅威群』が凝縮されています。非対称性、テロリズム、密輸、といった具合に」

 オバマ米大統領は就任後まもなく、アフガン問題の見直しを命令した。これを「自分の」戦争にしようとしている、という印象だ。彼はその一方で、在イラク米軍の一部撤退を日程に乗せている。「リソースが限られている時期にはどの国も、米国でさえ、これほどの関与を単独で遂行することは不可能だ」とビュロー事務次長は評する。

 2009年4月3日と4日に開かれるNATO首脳会議で新たなアフガン戦略の提案を発表するに先立ち、3月10日にバイデン米副大統領はブリュッセルの北大西洋理事会(NAC)で、新味を感じさせる演説を通じて「民生の躍進」が必要だと呼びかけた。3月22日にはオバマ大統領が、「軍事アプローチ一辺倒」を打破するための「撤退戦略」の採択を示唆した。米新政権は、「穏健派タリバン」と協力することに加え、アフガンの「鎮静化」に向けてパキスタン、中央アジア諸国、ロシア、さらにはイランを巻き込むことさえも主張している。しかし、ある専門家の分析によれば、「万事を左右するのは、立会人の座を現地軍に譲り渡す度量が欧米軍にあるかどうかということだ(6)

ドゴールの決定

 NATOはモデルとなったアフガン介入に加え、9・11テロの反動で2001年10月に始めた「アクティヴ・エンデヴァー」作戦も展開中だ。地中海域で8年間に約10万隻の船舶をチェックし、160件以上の立入検査を行った。この予防行動は、提唱者に言わせると、密輸に関する詳細情報の入手とマフィア対策を目的としたものだ。ある海軍士官の説明によれば、「敵対分子の活動の妨害を意図している」のであって、別の分野とごっちゃにしているわけではなく、「移民問題は部隊の任務に入っていない」という。作戦には、ロシアを含めたNATO非加盟国の艦隊も加わっている。

 サルコジ仏大統領は、2009年3月11日に軍事研究機関で開かれたシンポジウムの閉会演説で、NATOへの完全復帰を公式に表明し、フランスは西側民主国ファミリーに属しているのだと力説した。「フランスの役割は、皆から半端に距離を取るという無意味なものではない。NATOへの接近はわが国の独立性を強化する。他方、主張だけで現実味のないNATOの敬遠は、われわれの行動の余地を狭めるものだ」。大統領は、金融・社会危機のただ中で、フランスの国際舞台への出番を作ろうと、またぞろ宣伝作戦に打って出たのだろうか。それとも、あくまで自由主義色の強い「米国人サルコジ」が、一度も本気で標榜したことはないドゴール主義に終止符を打とうと、イデオロギー的に考え抜いた行動を取ったのだろうか。

 ドゴール将軍は1958年、ダレス米国務長官の構想をにべもなく拒否した。ダレス長官は、米国の中距離ミサイルと戦術核兵器を用いた地域防衛システムの展開を望み、これを欧州諸国が自国領内に受け入れるよう求めていた。ドゴールは、フランスが米国の核兵器を国内に受け入れるのは、その核兵器を完全に自由に使える場合だけであり(米国政府は当然これを望まなかった)、さもなくばフランスは自前の核兵器を開発すると表明した(7)

 ドゴールはこの頃、全大陸の国々との関係において、野心的な外交政策の展開を目指していた。米国の覇権はイヤだがソ連に与するのもイヤだという国々に向け、「第3の道」を提唱していた。数年後の1966年、ドゴールはNATOの統合軍事機構を脱退し、国内の基地と事務所を閉鎖することを決めた。

 時代遅れの「ブロックの論理」に依拠したサルコジの選択は、ドゴールとはまったく異なる方向に行こうとしている。NATO上層部はこの数週間、放蕩息子の復帰が無事に実現するよう、慎重に振る舞っていた。これまでの「フランスの例外状態」の重大性は矮小化された。「脱退を決めたのも復帰を選んだのもフランスである」ということだ。しかも、フランスはNATO第4の資金負担国であり、すでに38の主要委員会のうち、防衛計画委員会(DPC)と核計画グループ(NPG)以外の36委員会に参加している。そして、フランスの将官は2004年以来、バルカン半島とアフガニスタンで作戦指揮に従事している。

 「フランスは財布も取り出したし(8)、アフガニスタンでは血も流した。今や意思決定への影響もありうるだろう」。こう述べる専門スタッフは、完全復帰の見通しが「大騒ぎ」を引き起こしていることに驚く。ある外交官によると、仮にフランスの例外状態というものがあったとしても、それはあくまで政治的なものである。今回の復帰はその「合理化」であり、「不整合の終結」でしかなく、政治的意義が重大だとしても、技術的なハードルはごくわずかだ。こうした「最後の一歩」論、単なる「調整」でしかないという論が、2009年3月17日に内閣信任を賭けたフィヨン首相により、フランス国民議会(下院)で唱えられたのだった。

 復帰への道はすでに1995年、ジャック・シラクの大統領選出直後に開かれていた。政府は国防相会合と軍事委員会への復帰を決定し、NATO軍事機構での活動を本格的に再開した(9)

欧州兵器産業への効果?

 ブリュッセル郊外エヴェレのNATO本部に常駐するフランス代表部も、この数週間、控えめな態度を取っていた。主要司令官ポストの配分交渉に波風を立てないためだ。交渉妥結は2009年4月3日から4日の首脳会議直前となる見込みだ。さらに、NATOのさまざまな機関に50人の高級将校とその他800人の武官を配置するための交渉が年末まで続く。しかし、代表部の中には誇らしげな顔をする者もいた。「廊下で視線を感じる。43年間も席を空けておきながら、これまで米国が押さえていた司令部(米ヴァージニア州ノーフォーク、ポルトガルのリスボン)を一体どうやって獲得したのだろう、とでも言いたげな」

 加盟国の大半は、フランスの復帰に満足していると表明した。しかし、米国政府を最大限に支持してきた英国、ポーランドのような国々や「忠誠に対する褒賞」を期待した国々は、NATO参謀スタッフの4分の1を削減する(1万7000人から1万3000人に削減する)協議が始まったタイミングで、フランスの将校にポストが配分されることを懸念する。だが、そうした将校の仕事は、主に米国防総省の発する指示の伝令であり、国籍にそれほど意味があるとは思えない。

 サルコジ政権は、西側「ファミリー」への完全復帰を正当化するため、NATOはここ15年で大きく変わり、大西洋地域以外での危機管理能力を実証してきたと主張する。フランスの核抑止力は、今回のことと関わりなく、今後も独立性を保つ。派兵が自動的に行われることはなく、平時にNATO常設部隊を置くわけでもない。

 NATO本部では次のような主張が聞かれる。2008年夏のグルジア紛争の際、「コンセンサスなしには何もできない」NATOは、米国や東欧の血気にはやった開戦論を抑え込んだ。2008年4月にルーマニアのブカレストで開催された前回の首脳会議では、フランスとドイツがブッシュ大統領を説得し、グルジアとウクライナの早期加盟を断念させた。

 フランス国軍は、数百人の高級将校がNATO司令部の高官ポストを得ることを意識している。「戦闘中に死ぬ危険のない外地行動だ」と、ある防衛問題専門家は軽口を叩く(10)。国軍は10年以上前から、完全な「NATO互換性」を実現するための準備を進めてきた。北仏リールの城塞には、多国籍化の予定された司令部が置かれている。2007年に「高度即応部隊(HRF)」の認定を受け、最大6万人の展開規模を持つ。また、フランスの将官は、外地行動を展開中あるいは警戒態勢下のNATO司令部を一通り体験している。国内部隊で用いられる手続きや装備の大半は、今では「相互運用性」を確保、つまりNATO規格に準拠している。英語の使用も同じことだ。

 現在の金融危機にもかかわらず、NATO本部駐在のフランス武官は、完全復帰が欧州兵器産業に乗数効果をもたらすことを期待している。「東欧諸国はこれまで、米国の機嫌を損ねることを恐れてフランス製品を買おうとしなかった」と1人の将官は言う。「『戦闘機の件は40年来の自業自得だ』と東欧のある国の同僚から言われたことがある。われわれはラファル戦闘機を採用させようと抜け駆けを図ったが、成功していない」。近年、米欧間の技術格差は広がる一方である。ある大佐の警告によれば、この格差が埋まらない限りは「戦争と安全保障の手段および技術のラインナップを網羅するのは米国だけ、ヨーロッパ各国軍は『補助的』な役割に留まる、という事態を受け入れなくてはならないだろう」。すでに、英国の核攻撃力は米国のサプライヤーに完全に依存している。かつてソ連の顧客だった「新しいヨーロッパ」の国々はほとんど皆、米国の軍事企業に乗り換えた。見捨てられた欧州軍事産業は、一部は破綻しかけていて、横の連携を取れずにいる。

 欧州共通防衛政策の進展の乏しさを意識し、その改善をNATO復帰の条件にもしたフランス政府は、フィヨン首相の言う「実務路線」を口にするようになった。「防衛問題に関して成熟した欧米間の釣り合いの取れた関係(11)」がNATO内部で築かれるにつれて、自立性はおのずと確保されるという意味だ。これに呼応した発言はNATO本部でも聞かれたが、ただし否定的なオフレコのコメントだ。「欧州安全保障防衛政策(ESDP)は失敗に終わった。フランスがEU議長国を務めたことで得られた成果も取るに足らない。同盟諸国はこの種の政策をNATO以外で行うことを望まない。機能するESDPが欲しいのなら、NATOを通して行うべきだ」

EUとの競合関係

 これは実は英国の主張と一致する。英国はEUとしての独立司令部創設を頑なに拒み、それどころか最近は、NATOがベルリンの壁の崩壊後にやめていた慣行の復活を提案している。3000人規模の常設部隊を創設しようというのだ。ハットン英国防相に言わせると、2008年8月のロシア軍のグルジア介入で不安に駆られた東欧諸国が信頼感を回復し、アフガン派兵に消極的な国々も、銃後の備えができることで前向きになるだろうという。

 ヴェドリーヌ元フランス外相に言わせると、欧州共通防衛政策に幻想を抱きすぎてはいけない。「それは中心から外れた周辺的な活動、下請け的な活動でしかない。紛れもない西側への同調を正当化するための贋金にすぎない。欧州のフランス同盟諸国は、そんなものを望んでいない(12)」。ヴェドリーヌはヨーロッパ諸国の姿勢、そして今日のフランス政府の姿勢が、支配的な「西側ブロック」の存在の裏付けになってしまうことを危惧する。

 NATO本部の廊下では、大半の加盟国がEU加盟国でもあるにしても、EU機関との関係が政治的にうまくいっていないことが、スタッフの間でささやかれている。「大半の国が両方に加盟している以上、NATOではこう、EUではこう、と別々のビジョンを描くのは無理だ」と幹部スタッフの1人は嘆く。彼は、ともにブリュッセルに本部を置く2つの機関の「分裂症」的な関係を解消しようと努めている。両者の公式な協力は、EUがボスニアで実施中の作戦に、NATOが後方支援を行うに留まっている。デ=ホープ=スヘッフェルNATO事務総長は、両方に加盟している国々、EU非加盟国(アイスランド、ノルウェー、トルコ、米国、カナダ)、NATO非加盟国(キプロス、アイルランド、スウェーデン、フィンランド、マルタ)を集めた「非公式のEU・NATO合同」協議方式を立ち上げようとしているが、いささか難航している。しかも、トルコ問題、キプロス問題、マケドニア問題、クロアチア問題が常に対立の種となる。イスラエル・パレスチナ紛争は言うに及ばずだ。

 行動分野と任務に関して、両組織の間には事実上の競合関係があり、錯綜の危険が存在する。分業すればよいと主張する者もいる。EUがたとえば警察や治安維持、海賊対策、あるいはアフリカでの作戦、さらには(原則としてNATOが関与しようとしない)イスラエル・パレスチナ紛争(13)を担い、NATOがその中心業務であるところの重装備の軍事行動を担えばよいというのだ。しかし、フランスの防衛安全保障白書には次のような一節がある。「高強度の作戦をNATO、いわゆる低強度の紛争や、紛争地の安定化と復興をEUの専管事項にしようとするのは現実的ではない(14)

 NATOのもうひとつの基軸路線は、東方への政治的拡大である。1949年に12カ国で設立されたNATOは現在26カ国を数え、まもなく28カ国となる。NATO事務総長に近い人物は「どこで止まるのか、それは誰にも分からない。これは価値観の同盟である。あらゆる加盟申請が考慮されるべきだ」と言う。アルバニアとクロアチアはすでに、加盟前の最終段階たる招待国として北大西洋理事会に参加している(15)。例の第5条の適用により、1カ国を防衛するために、これほど多数の加盟国が出動義務を負うはめになるにもかかわらず、NATOの拡大を続けることが果たして適切なのだろうか。

 NATO本部は「全方位」的な機関になりはしないと言う。「国連になるわけにはいかない」。アフガニスタンの「エンデヴァー」作戦を除いて、すべての任務は国連安全保障理事会の委任に基づいている、と説明される。しかし、2008年9月23日、潘基文とデ=ホープ=スヘッフェルは、世界平和の維持活動における事実上の共同責任機関の地位をNATOに与える合意に密かに署名した。1990年代以降、国連はユーゴ危機に押されるかたちで、NATOが米国に依存した組織であることを度外視して、これを自らの「軍事部門」とした。

 自らの有用性を証明しようと、任務の幅(派遣部隊、ゾーン・コントロール、災害時の人道支援など)と管轄地域(中央アジアおよび南アジアまで)を拡大したNATOは、国連のための「軍事能力サービス提供者」を自任している。そしてバルカン半島やカフカス地域はもちろん、地中海ダイアローグを通じて北アフリカや、イスタンブール協力イニシアティヴを通じて湾岸諸国と「パートナーシップ」を急拡大させていることを自賛する。「コロンビアやシンガポールといった国までも、ISAF(アフガニスタンの国際治安支援部隊)に合流したのだ」

司令官ポスト

 「すべての国に対して門戸が開かれている、ただしロシアを除いて」と逆に非難するのは、やはりブリュッセル郊外エヴェレの本部に事務所を構えるロシアのロゴージンNATO常駐代表だ。ロシアと国境を接する国々が軒並みNATOに流れていることを彼は「不愉快な驚き」と表現する。「わが国にとっては外国の軍事ブロックであり、しかも諸国の内政に干渉している」と、このロシア外交官は語気を強める。彼にとって、2008年4月のブカレスト首脳会議は、南オセチアとの紛争の軍事的解決を図ろうとするグルジアへのゴーサインも同然だった。

 ロゴージンは、「ウクライナの加盟申請は誰が決めたのか。大統領か、その夫人か」と冗談めかして言う。そして厭味をこめて、NATO加盟に賛成するウクライナ人はたった25%しかおらず、35%のロシアよりもっと低いと述べる。とはいえ、彼はNATOが「欧州・大西洋地域のいかなる問題もロシア抜きに解決できないと今や理解した」ことを満足に思う。西側諸国がロシアの包囲網を作ろうとしていると確信するメドヴェージェフ大統領は、3月17日に「大規模な再軍備」を公約した。

 「NATOはロシアを敵とはみなしていない」という発言が、東西冷戦時代のような負の二極化を危惧するNATO本部でよく聞かれる。ロシアは「難しいパートナーで、グルジア危機に続く冷却期間後に、対話が再開された。しかし、そうはいっても、拡大についてロシアに発言権を与えるのは論外だ」。2009年3月初め、米国のクリントン新国務長官は、東欧の複数のNATO加盟国が難色を示したにもかかわらず、ロシアとの公式な関係を6カ月ぶりに再開することを承認した。同じ日、ロシアのロゴージン代表はブリュッセルで、自国政府が在アフガンNATO軍向け米国物資を積んだ最初の列車のロシア領通過を許可したことを誇らしげに発表した。

 フランスのNATO復帰は悪くて無意味、良くて時期尚早であり、フランス外交の特色、つまり今なお標榜しうる調停者の役割を捨てることにしかならない、と懸念する者は多い。左右入り交じった4人の元首相、ファビウス、ジュペ、ド=ヴィルパン、ジョスパンは、復帰という選択に呆れ返っている。

 2つの司令官ポストの配分というフランスへの優遇措置は、「堂々たる入場(=即座の要職就任)」と形容され(16)、議論を引き起こしている。ノーフォークにあるNATO変革連合軍(ACT)という戦略的な司令部のトップの座は、60年来初めて米国が手放したものになると、NATO本部は自賛する。これを獲得したフランスは、NATOの「変革」を担うことになる。このキーワードは、ベルリンの壁の崩壊以来、NATOのイデオロギーと化している。それは、ある外交官の解説によれば、部隊を「待機中から出動中に変える」準備を進めることを意味する。「中心的事業が第5条の集団安全保障であることに変わりはない。変わったのは、域外にも展開することだ」

 ノーフォークの司令部は、時代遅れになったNATOの戦略コンセプトの刷新も手がけることになる。したがって、「戦略面の不確定要因」ならびに新手の脅威(テロ行為、サイバー犯罪、海賊行為、化学・生物兵器など)、ミサイル防衛や、EUとの連携などを考慮に入れる必要がある。そして、相互援助義務に関する第5条を再定義しなければならない。しかし、キレス元国防相に言わせると、「防衛計画プロセスに影響を及ぼせるという期待は幻想にすぎない。実際には、米軍の武器使用ドクトリンが金科玉条なのだから」

 同じくフランスに配分されたリスボンの司令官ポストは、9つの地域司令官の1つでしかない。指揮下にある即応部隊(NRF)は、もともと5万人の規模だったが、財源不足で最近半分に減員された。

 米国は当然ながら、ベルギーのモンスに司令部を構える欧州連合軍最高司令官(SACEUR)のポストは手放さない。2002年からは、米軍欧州軍司令官との兼任ポストである。この事実ひとつを取っても、米国の企図が透けて見えるというものだ。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2009年4月号)
* 著作権表示を訂正(2009年4月29日)