保護主義というタブー

ジャック・サピール(Jacques Sapir)

社会科学高等研究院 研究部長、産業様式研究センター所長

訳:佐藤健彦、斎藤かぐみ


 今回の危機の広がりと深さを前に、保護主義をめぐる議論が再燃している。もはや物神化した自由貿易を必死で擁護する者たちを見れば、保護主義をめぐる議論が微妙なところを突いていることがわかる。無知あるいは何らかの意図から歪曲化された事実を聞けば、保護主義は正真正銘のタブーであるかのように見える。現在の激動の原因が自由貿易にあると認めようとしない自由貿易派の人々は、考察の領域を離れて魔術的な思考の領域に入り込んでいる。

 自由貿易は二重に不況を導く効果を持つ。一つは賃金に対する直接の効果である。もう一つは、自由貿易によって起こりうる減税競争を介した間接的な効果である。ある国のメーカーが、コストの切り下げ競争と社会保障の切り詰め競争に直接的にさらされたとすると、政府は雇用を守るために、国内の利益水準を確保しようとして(工場の国外移転を回避するための必要条件として)、社会保険料の企業負担分を賃金労働者に転嫁する。つまり、賃金が圧迫され、税の公平性は薄れ、間接賃金である社会保障給付は減額される。それは大半の世帯の収入に重くのしかかる。金融所得に期待できない御時世ゆえ、従来の消費水準を維持するには借金するしかなくなってしまう。

 危機の中核をなすのは銀行ではない。銀行の混乱は単なる症状にすぎない。危機の中核をなすのは自由貿易である。自由貿易と金融自由化が、相乗効果をもたらしているのだ。

 米国において国民総所得に賃金が占める割合は、2000年の54.9%から、2006年には51.6%に減少し、1929年以来の最低値となった(1)。2000年から2007年にかけて、実質賃金の中間値(2)は0.1%しか伸びず、世帯収入の中間値は実質ベースで年間0.3%減少した。下げ幅が最も大きかったのは最貧困世帯であり、第1五分位の世帯収入は年間0.7%の割合で減少した(3)。2000年以降、時給の上昇率は生産性の上昇率と相関しなくなっている。

 自由貿易には、政府が社会保障の財政負担を企業から賃金労働者に転嫁するという効果もある。2000年から2007年にかけて、米国では医療保険費と教育費が各68%、46%の大幅増となる一方で(4)、無保険者の割合が13.9%から15.6%に増大した(5)。長らく「グローバリゼーションが悪いわけではない」と唱えていた米国人、ポール・クルーグマンでさえ、こうした事態が進行した背景に、自由貿易による賃金の輸入デフレが働いたことを認めざるをえなくなった(6)。米国世帯の債務が急増したのも当然だろう。総額で1998年には国内総生産(GDP)の63%、2007年には100%にのぼっている。

 同様のことは欧州でも起きている。これに加えてユーロ圏では、欧州中央銀行(ECB)の政策があり、輸入による不況圧力がある。スペイン、アイルランド、英国など、米国モデルに追随した国々では、国民の相対的な、場合によっては絶対的な貧困化が生じている(7)。これらの国々では、賃金の輸入デフレによって世帯の債務が急増し、2007年にはGDPの100%に達しており、支払不能状態が米国と同様の規模で広がっている。

 米国モデルにさほど接近していない国々でも、賃金デフレは明白である。ドイツは下請の大規模な国外移転策を採ってきた。欧州連合(EU)の東中欧への開放により、「メイド・イン・ジャーマニー」から「メイド・バイ・ジャーマニー」へと発想を転換した。ドイツ政府はその一方で、付加価値税(VAT)を介して、社会保険料の企業負担分の一部を世帯に転嫁した。こうした戦略によって、ユーロ圏内の貿易相手国への賃金デフレ輸出と引き換えに、ドイツは大幅な貿易黒字を得た。しかし、GDPの68%に達する世帯の債務にもかかわらず、内需が低迷しているため、成長率は低水準にとどまった。

国際分業の神話の崩壊

 フランスの場合、近年の政権はグローバリゼーションに対して、いわゆる「構造改革」政策で対処しようとした。総労働時間を延長し、社会保障を問題視する政策であり、賃金の輸入デフレの効果を追認することにしかならなかった。生活動向調査研究センター(CREDOC)の言うように、「『中間層』の状況は高所得層よりも低所得層に近い」という事態が生じている(8)

 この政策を如実に示しているのが、賃金コストが低く、労働規制や環境規制の乏しい国々への工場移転である。最も重要なポイントは、労働者と労組に対し、雇用を盾に、労働条件・福祉の既得権や賃上げの断念を迫る脅しである。

 企業の経営陣は、工場移転をちらつかせることで、過去の労使合意や労働規制をひっくり返そうとする。これが賃金労働者の健康状態に重大な影響を及ぼす。例えば、プレッシャーのかかった職場のストレスを原因とする疾病が増大している(9)。そうした疾病の医療コストは、包括的な疫学調査が示すように、GDPの3%にのぼる(10)。フランスおよび欧州主要国で、賃金デフレの論理と社会保障財政の悪化に関連があることは実証に難くない。ところが諸国の政府は、ごく最近ではフィヨン仏内閣の例のように、社会保障財政の迷走(というか、そう見えるもの)を口実として、既得の成果の一部をひっくり返し、賃金労働者への費用転嫁をはかってきた。

 つまり「構造改革」は、直接的・間接的に、大多数の世帯が支払能力を欠くという事態の出現の一因となったのだ。こうした世帯の存在が、米国や英国、スペインでは住宅担保危機の中核をなし、他の国々では、家族の弱体化と「購買力」の問題化を呼び起こしている。銀行による貸出が慎重なフランスでさえ、2000年まで一定水準にとどまっていた世帯の債務が、2007年にはGDPの34%から47.6%へと跳ね上がった。10年ほど前から仏独ともに「ワーキングプア」が見られるようになったのは、こうした政策の直接的な帰結である。

 賃金デフレの元凶は、世界貿易機関(WTO)が推進した自由貿易の全般化の下で、1998年から2000年にかけて極東諸国が推進した略奪的な国際貿易政策にある。ただし、そうした政策は、1997年から99年の金融危機の衝撃への対応策として始まっている。例えば中国は、国際通貨基金(IMF)の無策と無能のせいで、アジア危機の衝撃の一部を吸収する役割を負うはめになった。つまり、近隣諸国が貿易黒字や資本黒字を回復した分の赤字を甘受した。

 中国と近隣諸国はこの時の経験から、同様の危機の再発に備え、大規模な外貨準備の構築が必要だと考えた。そして攻撃的な国際貿易政策を展開するようになった。その手段が、通貨の大幅な切り下げ、競争力向上のためのデフレ政策、国内消費の抑制である。これらの措置が、先進国の労働分配率の縮小を促すことになる。これらの措置はすさまじい効果を発揮して、極東の新興諸国の外貨準備は莫大な規模になった。うち中国が1兆8840億ドルを占める(11)

 中国経済は30年にわたって技術分野の急速なキャッチアップをはかってきた。他方、直接・間接の賃金コストは変化していない。中国の輸出品の品質向上は、長い目で見れば、工業分野の雇用を世界的に脅かす。経済協力開発機構(OECD)諸国の輸出との類似性の尺度となる類似指数は、中国の場合も、他の新興諸国の場合も、着実に上昇している(12)。新興国が単純な製品に特化し、先進国が高度な製品を死守するという国際分業の神話は、崩れ落ちているのだ。

自由貿易と工場移転と賃金デフレ

 EUでも、拡大後の「新参諸国」の戦略によって、賃金の輸入デフレが定着した。チェコ、スロヴァキア、ルーマニアや、この3カ国ほどではないがハンガリーとポーランドも、工場の移転先として投資を誘致するために、租税ダンピング、為替操作、低廉な社会保険料、EU環境規制の適用除外といった手段を意図的に用いた。これらの国々の規模からして、投資企業の目的が国内市場に売ることではなく、EU中核地域への輸出品の製造拠点とすることにあるのは明らかだ(13)

 他の国々の発展のために、賃金デフレを忍ばなければならないという考えがあるが、これほど事実に反するものもない。WTO体制下の自由貿易の貧困国への影響は、大きくマイナスに傾いている。2003年に発表された最初の調査結果では、8000億ドル規模のプラス効果がうたわれたが、新たな調査結果が出る度に、この数字は急激に下がっている(14)。実は、そこで用いられているモデルは、意図的かどうかはともあれ、貿易自由化のプラス効果を最大化する種類のものであり、とりわけ関税障壁の撤廃による逸失収入(かなりの規模にのぼる)は考慮されていない(15)。しかも、世界銀行とWTOは、いわゆる「貧困国」に中国を含めているが、大いに疑問である。中国を除外すると、どのような方法を採用しても、総合結果はマイナスとなる(16)

 先進国の労働者が失った所得は、新興国の労働者の所得となるわけではなく、一握りのエリート層をさらに太らせている。彼らの資産はこの10年間で文字通り爆発的に増大した。米国では、0.1%の最富裕層に集まった富が、1985年は国民総所得の2.9%、95年は5%、2005年には7.5%である。2005年の水準は、1929年の7.6%に匹敵する。同じ原因が同じ結果を招いているのだ。工場の移転先として投資を呼び込んだ国々は、初めのうちは高い成長率を享受できても、欧米の大企業に後押しされつつ、自分の足元を掘り崩しているにすぎない。先進国労働者の相対的な、さらには絶対的な貧困化によって引き起こされた現在の危機の中で、消費が急激に冷え込んだせいで、輸出国も多大な不利益を被っているのだから。自由貿易と工場移転と賃金デフレが織りなす世界に、勝ち組はいない。例外は、利益をかすめ取って、安全な場所に移してある連中だけだ。

 保護主義はだめだと言う際に用いられる神話がもう一つある。1929年の危機を受けて採られた措置が、国際貿易の崩壊を引き起こし、危機をさらに悪化させた、というものだ(17)。事実としては、通貨の安定性の喪失、輸送コストの増大、国際流動性の収縮こそが決定的な要因だった。自由貿易を擁護する者たちは、ケインズの転向に言及するのを必ず失念する。彼は1920年代初めには自由貿易の断固たる支持者だったが、33年以降は保護主義の支持者となり(18)、以後は46年の死去まで立場を変えることがなかった。ケインズによる国際通貨・貿易制度の再編構想は、自給自足をしりぞけつつ、保護主義を非常に重視するものだった。

 内閉を目指す自給自足に対し、外部との交易の調整を可能とする保護主義措置に軍配が上がる。保護主義措置は、世帯に支払能力を付与し、需要を増大させる賃金向上政策の必須条件だと言うことすらできる。自由貿易に手を付けずに賃金を引き上げようなどというのは、偽善か愚劣のどちらかだ。保護主義だけが、今日の欧州で作動する課税と労働条件・福祉の切り縮めの悪循環を止めることができる。

高率のEU共通関税を復活させよ

 もちろん、保護主義の発動が自動的に企業の行動を変えるわけではない、という反論はありうる。外部の競争から保護された企業経営者は、そうした優位を維持しようとするかもしれない。しかし、彼は最大の口実を失っている。今日のフランスおよび主要先進国は、低コスト圧力のせいで、一方には、直接的な賃金デフレや間接的な(社会保険料の企業負担の賃金労働者への転嫁を介した)賃金デフレ、他方には、工場移転と失業という二者択一しかない、と言いうる状況になっている。そうした論拠を経営者から奪ってしまえば、賃金労働者は闘争を通じて、生産された富の分配率の改善を迫る力を取り戻せるようになる。経済に万能薬などない以上、保護主義は万能薬ではないが、必要条件であることは確かである。

 ただし目的は明確にしておかなければならない。利益をさらに増やそうというわけではなく、労働条件・福祉と環境保護に関する既得の成果を守り広げようということだ。低賃金の国すべてに制裁を加えようというわけではなく、生産性がわれわれの水準に接近しているのに、労働条件・福祉や環境保護の面では同等の政策を採ろうとしない国々に制裁を加えようということだ。要するに、国際貿易を介した低位平準化を阻止することが目的となる。

 そうした軌道修正を行うのに、EUの枠組みは万全とは言えない。高率のEU共通関税を復活させる必要があるが、現行のEU経済圏が均一性に乏しく、租税ダンピングや、労働・福祉ダンピング、環境ダンピングの盛大な実施を促していることは明白だ。したがって、共通関税に加え、1960年代に施行されていた国境調整金制度(19)の復活を考えるべきだろう。新制度は、時限措置として導入し、EU圏内のユーロ参加国と非参加国の間の為替レートだけでなく、労働・福祉や環境保護の基準の格差についても調整するようにする。そうした軌道変更は、EU内部に軋轢を生むことになる。長期的には協議を通じた実施が最善の方法ではあるが、加盟国間で議論を始める唯一の方法は、フランスが一方的措置の発動をちらつかせることだろう。いったん議論が始まれば、加盟国間の構造的な差異を尊重するような同心円的なグループが、EU内部で発足するようになるだろう。

 徴収された共通関税は、二つの使途の間で分配する。一つは、EUとしての社会政策基金である。もう一つは、EUと中期的な合意を結び、労働条件・福祉と環境保護の水準を引き上げることを約束した域外諸国への援助である。国境調整金の収入は、域内国向けの社会・環境収斂基金の財源とし(20)、両分野の段階的な収斂を促していく。保護主義と国境調整金という方向に進まない場合の展望は単純だ。労働条件・福祉と環境保護に関して他国の選択への同調を強制されるか、われわれの選択への同調を強制するかのどちらかだ。つまり自由貿易の下では、社会・経済システムに関する選択の自由は失われる。

 社会主義者やエコロジストの大いなる幻想である「社会的欧州」の建設の企てや、単に税制の調和を目指そうとする試みが、何度も失敗に終わっているのがいい証拠だ。労働・福祉ダンピング、租税ダンピング、環境ダンピングに制裁を加える措置がないかぎりは、切り縮めの法則が働くだけだ。自由貿易とユーロの通貨硬直性という組み合わせの下では、企業の論理は非正規移民を要請する。そうした移民は既存の社会法の保護を受けないから、移民の流入は、輸入された競争圧力の下で、事実上の通貨切り下げと社会権の解体の同義語となる。

 諸国の政府の見解にかかわらず、保護主義への回帰は不可避である(21)。それはマイナス要因になるどころか、安定した基盤の上に国内市場を再建することを可能にし、世帯と企業の支払能力の向上をもたらすだろう。保護主義は、現在の危機の長期的解決のポイントになりうるものであり、「トーテムとタブー」なき公共的な議論の中心へと急いで呼び戻さなければならない。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2009年3月号)