対米傾斜を強めるカナダ外交

マルク=オリヴィエ・ベレール(Marc-Olivier Bherer)

ジャーナリスト

訳:日本語版編集部


 オバマ大統領は前任者と違って、最初の外遊先にオタワを選んだ。カナダのハーパー首相はそのことを誇らしげに発表した。2006年に就任したハーパーは、カナダが伝統的に取ってきた「温かみのある」外交という方針を転換した。彼の見るところ、国際舞台で影響力を弱めつつあるカナダを再起させるには、米国の「対テロ戦争」に連なる攻撃的な対外政策を取るべきであるからだ。[フランス語版編集部]

 保守党のカナダ首相、スティーヴン・ハーパーは、相も変わらず政争に目がない。2008年10月14日の解散総選挙後に再任されるやいなや、経済危機対策として超自由主義的な一連の施策をぶち上げて、激しい論争を引き起こした。国会で多数を占める野党が、近いうちに内閣不信任案を可決して、再度の選挙に持ち込もうとする可能性もある。

 それはハーパーも織り込み済みだ。彼の狙いとしては、立て続けの選挙となれば、野党の責任を問える。2006年の首相就任で、13年間続いた自由党政権に終止符を打つことはできたが、2度にわたる多数派工作後もなお、国会の過半数を得るには至っていない。2009年にまた選挙があれば、今度こそ念願とするカナダ流の保守革命を起こせるかもしれない。これまで散発的に入閣する程度の勢力しかなかった保守党は、強気の戦略に打って出ることで、1867年の建国以来カナダ政界を支配していた自由党を、ついに追い落とせると期待している。

 両党の主戦場は、外交政策だ。ハーパーは、カナダをアフガン戦争の主要国の1つとし、攻撃的な外交を展開してきた。影響力が衰えつつある中堅国カナダの外交政策転換は、近年の国際関係の「軍事化」の証左でもある。カナダもフランスと同様に、以前は「温かみのある」外交の推進と多極主義の支持を通じて、米国と一線を画そうとしていた。しかし現在は両国とも、国際的威信の回復を目指し、強硬策へと舵を切っている。

 ハーパーにとって、アフガン戦争はまたとない機会となった。2006年に選出された際、彼が掲げていた政策プログラムは、むしろ内政を重視したものだった。しかし少なくとも米国と世界の金融システムが崩壊するまでは、内政は平穏きわまりなかった。財政は黒字、かつてないほどの好景気が続き、ケベック独立の要求も鎮静化していた。つまり、大きな争点となりそうのは外交だけだった。

 選挙直後の国会では、アフガン紛争へのカナダ軍の参加が議題に上った。この「忘れられた」戦争の存在をカナダ人に思い出させる2つのことが、タイミング的に重なった。1つは、2005年のうちに自由党のマーティン前首相が決めていた措置が、2006年2月に実施されたことだ。カブールに駐屯していたカナダ部隊が、激戦地の1つである南部のカンダハルに移された。もう1つは、2006年末に終了する予定だった派兵の延長に関する議論である。ハーパーは、3年延長の法案を難なく通した(期限は最終的には2011年まで延長されている)。戦争に反対だった世論を押し切る形だ。彼は米国にならって、「我が国の部隊を支えよう」式の愛国的なスローガンによって、あらゆる議論を封じ込めた。

 ハーパーもまた、ブッシュ十八番の「対テロ戦争」という枠組みを是としたが、テロ問題は彼の主要な関心事ではない。国際関係の専門家、デュエイン・ブラットはこう指摘する。「彼はアフガン派兵を通じて、カナダの国際的プレゼンスの回復を狙った。これまで複数の識者が、カナダの影響力の急速な低下を指摘している。ハーパーは(選挙後初の外遊として2006年3月に)アフガニスタンを訪問した際、この任務はカナダの国益を守るためだけのものではなく、カナダがリーダーシップを示す機会でもあると明言した。首相はその数日後の所信表明演説で、強固な外交の展開、軍の増強、カナダドルの活用を公約した。カナダの首相がよく使う種類のレトリックだ。しかしハーパーは、過去の首相とは異なり、公約を守るのに必要な資金手当てを実施した(1)

 就任後まもなく、ハーパーは軍の経常予算を年間11億ドル(約820億円)増額し、国防省の装備品調達費として171億ドル(約1兆3000億円)を計上した。

 1997-98年度以降、大幅な歳入超過が恒常化していたこともあり、この歳出はたやすく決定された。それ以前は、9・11事件の発生と欧米の安保懸念の増大にもかかわらず、財政黒字が軍事費の大幅増額に充当されることはなかった。イラク侵攻を米国が決意した2003年には、退陣を予感していた自由党のクレティエン首相が、派兵拒否という大胆な決定を下したほどだ。当時この決定を批判したハーパーは、後日に自らの「過ち」を認めている。

アフガン派兵の再延長

 自由党政権は、自分たちが30年前に築き上げた国家を著しく弱体化させることで、ハーパーが望む保守革命の下準備をしてやったようなものだ。恐るべき「節約」プログラムにより政府債務を返済し、保守党が変革を進めるための資金を用立てたのだから。

 過去50年にわたりPKOを重視していたカナダの軍事ドクトリンが挫折を見たのは、この緊縮財政期のことだった。1994年のルワンダ大虐殺の際、同国で国連PKOを指揮していたロメオ・ダレール准将が、2003年に出版した本の中で、虐殺を食い止めることができず、「国際社会」を動かせなかった自身の無力さを語ったのだ(2)

 カナダ軍総司令官のリック・ヒリアー大将は、ハーパーにとって理想的なパートナーとなった。ヒリアーは、米国で訓練を受けた最初の総司令官である。彼はそこで、一般的なカナダの軍人の控えめな態度とは違って、米国の将官たちに特有の戦闘文化と直言を身につけた。ハーパーの方針を公然と支持し、2005年に次のように述べている。「私は、世界はカナダに今以上のものを期待していると思う。世界はカナダが責任を持つことを期待している。しかし、責任を持ち、事の成り行きに影響を及ぼす機会を得るためには、特定の任務に十分に取り組んでおく必要がある」

 その任務とは、アフガニスタンのことだ。ヒリアーは、テキサス男の大言壮語を彷彿とさせる好戦的な口ぶりで、軍の増強を求める発言を繰り返した。タリバンは「汚らわしい殺人鬼で卑劣漢」であり、カナダ軍は「他の国家機関とは異なる。我々の仕事は殺すこと」なのだ。2008年7月に辞任した彼の後任は、態度は控えめだが同じく米国で訓練を受けたウォルター・J・ナティンチク大将である。彼の就任後、カナダ軍は米国の安全保障ドクトリンを採り入れている。これが、30年前には隣国の「軍国主義に対する避難所」であろうとしたカナダの現況だ。

 ハーパーは保守党の見解そのままに、米国との関係がカナダにとって死活的に重要だと考えている。自由党の場合も、その点は大差ないが、対米協力に向けた熱意の度合いについては党内にばらつきがある。対照的に、首相にとっては、米国との緊密な協調こそが、カナダの世界的な復権のためのバネとなる。カナダ対外政策の専門家、カールトン大学(オタワ)のジャン・ドードランは次のように説明する。「グローバリゼーションの加速により、ロシア、中国、インドといった新興大国が台頭しつつある。他方、カナダの国内総生産(GDP)の80%が米国に飲み込まれているのに、米国は他の国々との貿易を増やしている。ハーパーは、加米関係の非対称性の拡大を懸念している。ハーパーによれば、この溝を埋める手段が、アフガニスタンへの積極的な取り組みだ」

 ホワイトハウスがこれを喜ばないわけはない。アフガニスタンでは、カナダの援軍により、疲れ切っていた米軍の負担が軽減された。カナダによる支援の効果は軍事面だけにとどまらない。イラクでは当初の同盟国の多くが撤退の道を選んだのに対し、アフガン紛争については、カナダのおかげで世論に正当性を印象づけることができたからだ。

 ハーパーの計算は正しかった。最近、カナダは様々な国際問題に関して、決定的な役割を演じた。2008年、カナダの派兵を2011年まで延長するにあたって、オタワでは独立の委員会が、アフガニスタン南西部への同盟国の増派という条件をつけた。すると、ほどなくフランスが増派を発表した。

コロンビアとのFTA

 2008年4月、北大西洋条約機構(NATO)の会合がブカレストで開かれた際、サルコジ大統領は歓待を受けた。カナダ軍と共闘する「700人の部隊をフランスがパキスタン国境地帯に派遣することで米軍の負担が軽減される、というのがスティーヴン・ハーパーの読みだ」。モントリオールの日刊紙ル・ドヴォワールでクリスチャン・リウはこう分析し(3)、この増派の決定により、「フランスと米英との『歴史的な緊張関係』」も終わると見た。

 アフガニスタンで2008年8月18日に待ち伏せ攻撃を受けて殺された仏軍兵について、その装備と準備の不足を強調するNATOの秘密報告書が暴露された時も、舞台はやはりカナダだった。この文書は、トロントの日刊紙ザ・グローブ・アンド・メイルに「リーク」され、フランス下院が駐留継続について審議する前日の9月21日に公表された。フィヨン仏首相はこのNATOの報告を「でっちあげの情報操作」だと糾弾したものの、派兵と装備増強を行なうことを発表した。

 いずれの出来事でも、フランスへのメッセージは、「好ましい」国というイメージがあるカナダを介して発された。そのため世論は、米国から発されていれば呼び起こされたはずの警戒心を抱かなかった。

 ハーパーは、このリークには関与していない。とはいえ、彼のおためごかしぶりは相当なものだ。コロンビアとの自由貿易協定(FTA)に際しては、外国に出向いてロビー活動をするつもりのあるところさえ見せている。カナダと米国は同時並行的に、コロンビアとの協定交渉を進めた。この協定をめぐって、米国では当然ながら広範な議論が起きている。カナダでは全般的に無関心だが、協定の中身は問題だらけだ。

 コロンビアとその鉱物資源の多国籍企業への開放が、いっそう進められることになる。多国籍企業に適正なロイヤリティーが要求されることはない。コロンビアの小規模農家は、北側諸国の補助金浸けの農産物との競争にもはや耐えられず、つぶれてしまうだろう。パラミリ組織が、輸出作物用に国内の優良農地を手中に収めようと、新たな暴力行為に及ぶことも予想される。

 米国では、ことに議会では、これらの事実が看過されなかった。議会では、以前ほど自由貿易を支持しない民主党が多数派を占めていた。ブッシュは協定調印にこぎつけるために奮闘し、ハーパーも協力を惜しまなかった。ハーパーは、2007年9月のニューヨーク訪問時に、協定を批准するよう米国議員に直接呼びかけた。2008年4月に議会で協定擁護の答弁をしたブッシュは、この呼びかけを引き合いに出した。「カナダのスティーヴン・ハーパー首相は『もし米国がコロンビアの友人に背を向けるなら、それは、南米の独裁者なら誰でも願っているとおりの、我々の大義の大幅な後退を意味する』と言った」。コロンビアとカナダとの協定は、2008年11月に調印された。米国との協定はまだ議会の批准に至っていない。

 カナダ選挙の期間中は、様々な対立陣営がハーパーに「第2のブッシュ」のレッテルを貼ろうとした。しかし、このあてこすりは、彼の性格のうちの決定的な側面を考慮していない。それは、彼のイデオロギー信奉の強さである。こんな傾向を持ったカナダ首相は、かつて存在しなかった。彼の政治文化は、シンクタンクに特有の手法に深く染まっている。シンクタンクは概して保守的で、資金源となる私的な団体や企業と緊密な関係にある。ハーパー自身、1998年から2002年まで、ナショナル・シティズンズ・コアリションというシンクタンクの所長を務めていた。彼が政界入りしてからずっとの付き合いだ。

 カナダは2011年にアフガニスタンからの部隊撤収を予定している。しかし、バラク・オバマのホワイトハウス入りによって、カナダは再考を余儀なくされるかもしれない。オバマはこの戦争を主要な戦線、「対テロ戦争」の主軸ととらえている。オバマの標榜する多極主義は、アフガニスタンを対米関係のバネにできるのではないかという、カナダの切迫感をあおり立てるだけだ。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2009年2月号)