パキスタンから見た南アジア情勢

グレアム・アッシャー(Graham Usher)

作家・ジャーナリスト、在イスラマバード

訳:三浦礼恒


 パキスタンのザルダリ新大統領は2008年12月、諸国の支援を求めて「我々はアジアの病人である」と述べた。彼は、ラシュカレ・タイバ(LT)とその分派の幹部拘束に乗り出した。11月26日にムンバイ(ボンベイ)で起きた一連のテロ事件の実行犯であるとして、インドが非難するイスラム主義組織である。ザルダリはこの方針を貫くだろうか。そのカギはパキスタン軍にある。軍の一部は、インド、アフガニスタン、アメリカの同盟関係が、パキスタンの不利益になると危惧しているからだ。[フランス語版編集部]

 2008年12月7日、パキスタンの治安部隊は自由カシミール(パキスタン側が占領する地域)で、ラシュカレ・タイバ(LT)が関係する訓練キャンプを閉鎖した。パキスタン政府は並行して、LTの「慈善財団」部門ジャマートゥル・ダーワ(JD)についても、国連がテロ集団に指定したことを受けて非合法化した。事務所100カ所が閉鎖され、ザキ・ウル・レフマン・ラクビ、ザラール・シャー、JDの創設者で「最高幹部」のハフィズ・サイードなど、50人の指導者が逮捕された。

 サイードは逮捕される前、容疑は全て「インドのプロパガンダ」にすぎないとはねつけ、事件を最高裁まで持っていくと予告していた。だが、示威行為や暴力的報復を呼びかけることはしなかった。「我々は、対決を望まない」と、あるJDのメンバーは述べる。「政府がインドと良好な関係を維持しなければならないことは理解している」。2002年、LTをはじめとするパキスタンの急進的集団は非合法化され、インドが国会議事堂襲撃事件の容疑者だと主張する2000名の活動家が逮捕された。彼らの多くは年内に釈放された。これらの「非合法」集団に対する政策の唯一の決定機関たるパキスタン軍は、今回もまた、嵐はいずれ過ぎ去ると思っているのかもしれない。しかしながら、同様のことが繰り返される見込みは低い。インドとアメリカはパキスタンに対する「強制外交」を組織してきた。両国は、ISI(パキスタンの情報機関)とLTその他の集団との間に残存する関係を、完全に断ち切るつもりでいる。事態を結局のところ左右するのは、パキスタン軍の出方である。

 忘れてはならないのは、1989年にLTが結成された背景が、パキスタンのいわゆる「代理戦争」にあったことだ。その舞台はアフガニスタンとカシミールである。ヒマラヤ地帯のカシミールは、インドとパキスタンの分裂以来、両国が領有権を主張して、3回にわたる戦争の火種となってきた。「代理戦争」におけるLT側の目的は、インドも含めた南アジア一帯に、「純粋なイスラム国家」を創設することである。ISI側の目的は、LTを通じてインドに「流血」を引き起こすことで、インドによるジャンム・カシミール州の支配を弱めることである。

 1990年代には、ISIとLTの関係は明白だった。LTはパキスタン全土、とりわけ(ムンバイ・テロ事件の犯人たちの多くの出身地と考えられている)パンジャブ地方で戦闘員をリクルートした。1999年にはジャンム・カシミール州カルギルで、パキスタン軍に加勢している。印パ両軍が戦争による紛争解決を試みた3回目、直近の戦闘である。だが、2001年のインド国会議事堂襲撃以降、事態は少なくとも見たところは変化した。当初は戦争の瀬戸際にあったパキスタンとインドは、停戦協定に調印した。さらに2004年には、和平プロセスに踏み込んでいる。

 ISIは、自由カシミールに展開していた1万2000人の戦闘員を武装解除した。軍の6個師団が東部のインド国境から西部のアフガニスタン国境へ、パキスタン系タリバン反政府勢力への対策として移された。ジャンム・カシミール州への侵入はやんだ。

 とはいえ、「代理戦争」が放棄されたわけではない。特にLTその他の集団の側ではそう捉えていた。彼らのキャンプはパキスタン領内や、自由カシミールのような国境地帯に移り、JDの「センター」を装うようになった。2005年にカシミールで地震が起きた際、戦闘員たちは救援隊として活躍した。そこからすると、ジハード主義勢力は「武装解除」されてはいないと、あるパキスタンの将官に指摘したところ、彼はこう反論した。「彼らを解体するつもりはない。そんなことをすれば、カシミールの意義は失われ、この問題をインドは永遠に葬り去ってしまえるだろう(1)

国境線の両側に広がる部族地域

 2008年には、カシミールの実効支配線を越える戦闘員が次第に増加し、小競り合いが相次いだ。パンジャブ地方では、LTとJDの「リクルーター」たちが再び現れ、聖戦を説き立てるようになった。同年夏にバハワルプールで営まれた葬儀の席で、あるJDの説教師は、この地方だけで「60人の殉教者」が出ていることを称賛した。その多くはカシミールで落命している。

 ISIによって定められたと思われる新たな政策方針が表面化したのは、ムシャラフ軍事政権が末期となり、2008年2月に新たな文民政府が選出されるまでの権力の空白期間中のことである(2)。とはいえ、同年夏にジャンム・カシミール州で、独立を求める大規模なデモが起きたのは、パキスタンの新たな政策方針によるものではない。現地のイスラム教徒がインドに見切りをつけたせいだ。

 ISIがLTへの影響力を放棄した真の原因は、アフガニスタン情勢にある。アフガン戦線におけるイスラム主義勢力との戦闘は、この2年間でパキスタン軍に1000人以上の犠牲者を出している。反政府勢力の拠点は、有名なデュランド線の両側に広がるパシュトゥン部族地域にある。19世紀にイギリスが定め、印パ分裂の際にパキスタンの西部国境線とされたデュランド線は、アフガニスタン政府からはかつて一度も承認されていない。あるパキスタン軍の士官が我々に説明したところによれば、この地域での敗北は、パシュトゥン人の「独立した」イスラム「国家」の出現を意味することになる。

 パキスタンの行動は一面的ではない。部族地域のバジャウルでは、「敵」に制圧された地域を取り戻そうと、地上攻撃とともに懲罰的な爆撃を展開している。南北ワジリスタンでは、親タリバンの諸部族との間で停戦協定を締結した。その多くは、タリバン司令官のジャラルッディン・ハッカーニーとその息子シラジュッディンの仲介によるものだ。パキスタン軍は「全てのタリバン集団を同時に相手にする」力はないと弁明する。「もし全部と対決するような羽目になれば、既に確保したコントロールまで失ってしまうことになる」。さらに、軍の見立てによれば、バジャウルの反パキスタン勢力は、パキスタン系タリバンとアル・カイダ構成員に率いられ、インドとアフガニスタンの「情報機関」に支援されている。他方、南北ワジリスタンの諸部族はバジャウルの武装勢力と違って、アフガンのタリバンを支援しつつもパキスタンに敵対的ではないと見ている。「我々は同じ民族だ」と、ある士官は断言する。

 インド政府の側は、部族地域にいかなる関与もしていないと主張している。インドの外交筋によれば、「アフガニスタンで行っているのは道路の建設だ」。確かにインドはイランと共同で、道路網の整備を行っている。また、アフガニスタン軍の訓練にも加わり、カブールに21億ドルの支援金を供与している。

 パキスタン軍の一部の士官は、インド政府がアメリカのアフガン政策に過大な影響を与えているという。そして二つの例を挙げる。第一に、カブールで2008年7月に、50人の死者を出したアメリカ大使館爆弾テロについて、ISIの「関与」があったとするインドの主張にワシントンが同調した。以後、アメリカ中央情報局(CIA)はISIとの情報共有を行わないと決めた。第二に、アフガニスタンに展開するアメリカの特殊部隊が、2008年7月末に南北ワジリスタンなどパキスタン領内に侵入した。CIAに言わせれば、南北ワジリスタンは、アル・カイダとタリバンの安全な隠れ家であり、ジハード主義者をリクルートする一大拠点と化している。他方、この地域は、パキスタン軍とタリバンが衝突しない数少ない場所の一つでもあった。

二つの問題のリンケージ

 アメリカ政府は、パキスタン政府が爆撃について「暗黙の」合意を与えたと主張している。パキスタン政府はそれを否定し、パキスタン軍も爆撃は「非生産的」な主権侵害だと主張する。また、軍はこの事件にインドの影も見ている。「アメリカはインドがこの地域の覇権を取ることを望んでいるのだ」と、ある治安部隊幹部は断言する。その上、多数の「部族地域の武装勢力はインドとアフガニスタンの資金援助を受けている」という。

 いかなる目的のためだというのか。パキスタン軍に言わせれば、こうした干渉を説明する二つのシナリオが考えられる。より穏健な仮説は、部族地域を騒乱状態に陥れることで、CIAと北大西洋条約機構(NATO)部隊、そしてアフガニスタン軍がこの地域に突入し、かねてカブールが領有権を主張していたパシュトゥン地域を取り戻そうとしている、というものだ。もう一つの(より危険な)シナリオは、核兵器を保有する世界唯一のイスラム国家の核能力の弱体化を図っている、というものだ。治安関係筋の主張によれば、「インドはパキスタンが断片化すれば脅威が弱まると考えている」。匿名希望のあるパキスタンのアナリストは言う。「(軍の)当局者と話せば話すほど、インドに対する不安と憎悪の増大をひしひしと感じる。そして今や、インドはアメリカと結びついてしまった」

 こうしたスタンスは、ISIがムンバイやカブールへの攻撃に荷担したことを意味しているのだろうか。そうは言い切れない。それが意味するのは単に、パキスタン政府が完全にはコントロールできない代理人や水面下の同盟者を使ったのは、いささか軽率だったという事実である。パキスタンが地域で追求する目標にとって、これらの残虐な事件が有利に働いたなどと考えるのは、陰謀論の信奉者たちだけだ。これらのテロ事件はむしろ、部族地域での「独自の活動」の支持者(タリバンやアル・カイダなど)、あるいは南アジアのヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間の「文明の衝突」の支持者(LTなど)を助けるものでしかない。

 パキスタン政府が進めているLTとJDの掃討は、今度は本格的なものになるかもしれない。だが間違いなく、「強制外交」はその助けとはならない。アメリカとイギリスが、既に弱体化している新しい文民政府と共謀して、パキスタンの国防政策を軍とISIの手中から奪い取ろうとしているのも、賢明とは言えない。アフガニスタン、インド、核兵器は、過去30年間にわたって軍とISIの縄張りだった。西部国境で戦火が広がり、東部国境で再び緊張が高まっている現状で、彼らがこの縄張りを手放すはずがない。

 これらの政策に対する軍の支配力を弱めるためには、地域的な問題に関する彼らの懸念に応える必要がある。アフガニスタンに関しては、カブールとワシントンがデュランド線をパキスタンの国境として法的に承認し、パキスタン領内の反乱制圧活動はパキスタン軍の専権事項とされなければならない。インドに関しては、カシミール問題が解決されなければならない。あるアナリストによれば、これら二つの問題は互いに依存している。「軍は最近のインドとの関係について、極めて苦い経験をした」と、このアナリストは言う。「2004年以降、軍はカシミールへの武装勢力の侵入を95%抑え込んだ。インドの反応はといえば、カシミール問題に関して口を閉ざし、この問題は解決したと言うのみだった。軍としては、アフガニスタンのタリバンを見捨てれば、アフガニスタンも同じ状況になると考えているのだ」。ムンバイで爆弾テロが起きる以前から、二つの問題を関連付けていたのは専門家たちだけではない。2008年、まだアメリカ大統領候補にすぎなかったバラク・オバマは、次のように書いている。「インドとの関係が安定していると考えるようになれば、パキスタンも、『タリバーンと協調することで自分たちの利益がうまく促進される』とは考えなくなるだろう(3)」。この次期大統領は後日にも、印パ間の和平が必要不可欠だと明言した。もしムンバイのテロ事件によって、両国の関係が決裂するようなことがあれば、非常に危険な状態が作り出されることになる。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2009年1月号)