米金融当局が「社会主義化」した日

フレデリック・ロルドン(Frederic Lordon)

経済学者

訳:エマニュエル・ボナヴィタ、斎藤かぐみ


 投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻に対して、アメリカ政府当局が示した厳しい態度を真に受けたのは、子供のように単純か、幻想好きか、どちらかのタイプの人だろう。それは結局、2日も経たないうちに、空振りに終わったのだから。破綻した投資銀行の救済拒否という決定は、あまりに場当たり的で、つまりは勝ち目が薄く、重々しい方針転換と言うにはお粗末だった。

 確かに、頭がおかしくなりそうな状況ではある。危機的な事態が次から次へと加速的に発生し、どれもその時点では危機の「ピーク」と感じられたのに、さらに重大で劇的な危機が後から出てくる。規制当局者がどうしようもなく混乱し、うろたえるのも無理はない。

 週末の緊急事態は加速度を増している。3月16日にベア・スターンズ、7月12日にファニー・メイ(連邦住宅抵当公社)とフレディ・マック(連邦住宅貸付抵当公社)。9月6日には、またもや同じ二つの公社。9月13日には、リーマンとメリルリンチ。それから1週間も経たない9月16日には、AIG(アメリカン・インターナショナル・グループ)だ。そのたびに、うまく切り抜けたつもりの連邦準備制度理事会(FRB)と財務省のコンビは、打った手に効果がなく、最初からやり直す必要があることを思い知る。

 これまでの対策は見栄えはよかったが、アメリカ金融システムの崩壊を確実に止めるには至っていない。しかも、その代償は財政上の負担だけではない。FRB議長のベン・バーナンキにしろ、究極の資本主義の究極の花形企業、ゴールドマン・サックスの会長から右派政権の財務長官に転じたヘンリー・ポールソンにしろ、今日のような矛盾に苦しむことは想像もしていなかっただろう。民間金融機関救済のための政府介入に迫られるたびに、「社会主義者」呼ばわりされるなどということは。

 2人が9月8日の週に下した決定は、この汚名をすすぐためだったに違いない。ファニー・メイとフレディ・マックの救済でへとへとの状態で、リーマンの問題に直面することになった彼らは、断固拒否の姿勢を取り、今後は民間金融機関が政府ぬきで話し合うべきだと明言した。

 このFRB・財務省コンビの決定には、個人的な汚名返上という意図はさておき、納得できるものがある。政府当局の懸念はもっともだ。個々の政府介入は前例になる。民間金融機関の側は、ベア・スターンズのときやファニー・メイとフレディ・マックのときのように、いざとなれば政府救済は「必須」だからと、安易に破綻に走ってしまうだろう。そんなお気楽な真似をされては、モラルとして問題だ。うまく回っているときは高飛車で左うちわの民間金融機関が、保護だの特別措置だのを求める段になるとそれまで社会主義呼ばわりしてきた公権力にすり寄るなんて、穏やかな話ではない。

 モラルに引きずられて分析を誤ることはありがちだ。とはいえ、モラルからの憤慨がいけないわけではない。ましてや、そうした憤慨を政治的な力に変え、力を蓄えたところで反撃に出ることがいけないはずもない。ただし反撃は、遅すぎてもまずいが、後日になって、問題の分析をきっちり済ませてからにするべきだ。今回の問題のポイントは、システミック・リスクにある。つまり金融機関の間に緊密な取引関係が張りめぐらされているため、一つが破綻すればそのあおりで、破綻の連鎖が起こる可能性があるということだ。

 物分かりの悪い経済自由主義者もいるかもしれないから、もうちょっと詳しい説明をしておこう。「システミック・リスク」の中には「システミック」という言葉がある。これは要するに「システム」すなわち民間金融機関の全体が、グローバルな崩壊に引き込まれるおそれがあるという意味だ。もっとはっきり言わないと分からないだろうか。金融の、つまり信用の「システム」が崩壊するとは、要は経済活動が不可能になるということだ。どんな経済活動も不可能になる。ここまで言えば、すさまじい結果が待ち受けていることが少しは見えてくるだろうか。

 たいへん心苦しいことではあるが、次のように言わざるを得ない。バブルが弾け、システミック・リスクが作動すれば、中央銀行が打てる手はほとんどない。いわば人質に取られた状態だ。民間金融機関は、自らの窮地と経済全体とを関連付けて、片方が崩壊すればもう片方も道連れだと脅しをかける。そして、政府介入による救済を強要する。危機のまっただ中で、そんなふうに出られたら、中央銀行には手の施しようがない。したがって、意味のある規制強化を行うためには、バブルの形成を防ぐことを重点目標に据える必要がある(1)。バブルが出来てからでは遅すぎるからだ。システミック・リスクをなくすためには、根本から断たなければならない。システミック・リスクが再来し、作動を始めたときには、もう勝負は付いている。

リーマン破綻の前夜

 こうしたことに本気で取り組む気はあまりないらしいFRBとて、危機に陥った民間金融機関に押されていることは自覚している。逆説的なことに、民間金融機関は傾けば傾くほど、立場が強くなる。だからFRBは、取り返しのつかない大惨事にならないよう、破綻しかけた金融機関が次々に強要する救済措置を仕方なく実施するしかない。

 2008年3月にベア・スターンズは、13兆4000億ドルもの信用デリバティブの決済停止をちらつかせた(2)。1998年にアメリカ経済を崩壊寸前に追い込んだロング・ターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)の10倍に相当する。7月にはファニー・メイとフレディ・マックが、1兆5000億ドルのデフォルト(債務不履行)をにおわせた。両社がらみの証券には、年金を集めた年金ファンド、一般個人の貯金を原資とする投信ファンド、さらには外国の中央銀行など、多数の大口顧客が投資していた。アメリカ金融システム全体の存続を図るためには、両社のデフォルトは絶対に起こってはならない。

 ポールソン財務長官にくどくど説明するには及ばない。7月12日には信用供与枠および資本増強の名目で、250億ドルの公的資金の注入が決定された。だが9月6日には、両社の救済に必要なのは、なんと2000億ドルだということが判明した。仕方ない、2000億を納税者に払ってもらおうじゃないか。ポールソンは、社会主義者と見られることを恐れて「好きでやっているわけではない」と述べながらも、実行に踏み切った。他に選択肢がなかったのは事実である。

 リーマンははるかに規模が小さかったから、「選択」の機会を取り戻したつもりのFRB・財務省コンビとしては、これを逃すわけにはいかなかった。こやつには他社の分まで償いをさせようと、これまで煮え湯を飲まされながら抑えざるを得なかった怒りを、リーマンへと差し向けた。怒りを爆発させる絶好の「機会」ではあったが、「見殺し」にあたっては注意深い判断が必要だった。その規模と他社との取引関係から考えて、リーマンのデフォルトがシステミック・リスクを引き起こすかどうか、うまく見極めなければならない。

 リーマンのデリバティブ保有額が290億ドルにすぎず、ベア・スターンズの13兆4000億ドルよりずっと小さいことは確かだった(3)。それでも、負債総額は6130億ドルと、ワールドコムを上回ってアメリカ史上最大の破綻となる。ただし言うまでもなく、この規模のデフォルトが起こるわけではない。リーマンには負債とともに資産もあり、清算手続きはまさに資産を現金化するためのものだからだ。

 とはいうものの、リーマンの資産は一体いくらの価値があるのだろうか。9月12日から14日の間、最終的にはお流れになった再建策が論じられていた時点では、「バッドバンク」に封じ込める予定だった不良債権が、少なくとも850億ドルに上っていた(うちサブプライムのデリバティブが500億ドルを占める)。850億ドルというのはその時点での価値であり、清算時の売却後にいくら手元に残るかは分からない。価値の急落を気にするアメリカ政府当局は、清算手続きを数カ月がかりで「整然と」行うつもりでいるものの。

 どう転んでも、資産の価値は大きく目減りするだろう。それはリーマンだけの問題ではない。「時価評価」つまり目下の市場価値による評価という会計ルールに従えば、いまだに保有する同種の資産について、投げ売り価格の「リーマン特価」に準じた再評価を迫られるのは、他のどの金融機関も同じだからだ。それが減損につながることは、ご想像の通りである。

 とばっちりによる評価損だけならまだしもだが、話はそれでは終わらない。リーマンがらみの様々な取引にかかわるカウンターパーティ(取引相手)リスクもあるし、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)の履行にかかわるリスクもある。CDSとは、保有債券の価値低下に対する保険の役割を果たすデリバティブである。保険契約者がいるということは、保険会社もあるということだ。リーマンが破綻すれば、同社の負債に対する保険として掛けられたCDSに、履行請求が続出するのは必至である。そこで払い出される金額は莫大なものになる。

 そうなれば大変な事態である。CDSという保険の仕組みは、理論的には非の打ちどころがないが、実際の取引では非常に危ういところがある。しかも、CDS市場は極めて脆弱で、破綻が起きて履行請求が集中するたびに、激しい動揺が走っている。不幸なことにリーマンが破綻したのは、ファニー・メイとフレディ・マックの国有化直後というタイミングであり、両社の国有化だけでCDS市場が崩壊すると危ぶむ者も多かった。

2日間の引退

 だが、FRB・財務省コンビはまさにそれを期待していた。リーマンを救済しなくてもよくなるし、民間によるリーマン救済が自分たちの利益につながると市場関係者に「分からせる」ことができるからだ。しかし激動の週末が明けても、事態は好転せず、民間による救済計画は出来上がらなかった。というのも、ウォール街なるものは、時には対立する個別の利害の集まりでしかないからだ。お流れになったことでリーマン破綻のきっかけとなった当初の再建策では、英バークレイズとバンク・オブ・アメリカがリーマンの「グッドバンク」部門を買い取ること(後者は結局メリルリンチを買収した)、「バッドバンク」部門は市場関係者の共同出資によって封じ込めることが予定されていた。

 しかし、旨味のある部分を買い取る資金力はなく、そのくせ不良部分の損失を引き受けるよう求められた「市場関係者」は、大枚はたいて脇役になることに納得しなかった。運の良い2社だけがお宝を持ち逃げする一方で、残りの大勢は、崩れ去った城の修復工事を押し付けられるはめになるからだ。

 実は、9月12日から14日にかけての出来事は、壮大なポーカーゲームにすぎなかった。FRB・財務省コンビの方は、微動だにしないという姿勢を見せる。ウォール街の方は、当初これを読み違えて、民間金融機関の負担額を吊り上げるためのハッタリだと解釈した。民間金融機関は、うまいこと買収をものにする会社と、出資を強いられる会社との争いになった。後者は前者に花を持たせるのをいやがりつつも、リーマンの存続が自社の利益につながることは分かる、という板ばさみに陥っていた。こうしたわけで、リーマンの救済に必要な条件は、そろうどころの話ではなかった。

 FRB・財務省コンビは、ハッタリをかましていたわけではなく、実際にもリーマンの運命を市場に委ねた。社会主義者をやめることができたのだ。結局それは予想外にも2日間だけしか続かなかったが、この時点ではまだそう信じ込んでいた。彼らがこれまで意外な措置を取らざるを得なかったことにどうも違和感を覚えていた支持者たちは、かれこれ1週間近く前から熱烈な声援を送っていた。例えばファイナンシャル・タイムズ紙の論説は、「政府当局はそろそろ身を引くべきだ。(・・・)今までにやってきたことで充分なはずだ」と得々と説いた(4)。だが、「今までにやってきたことで充分」かどうかはファイナンシャル・タイムズが決めることではない。状況によって決まることだ。

 リーマンの破綻は、それが実際に招くことになるリスクの全貌をまだ見せていない。FRBは社会主義を返上できたと信じていたが、そうは問屋が卸さない。なぜなら背後では、彼らの思い込みに冷や水を浴びせるような事態が進行していたからだ。音楽バンドが何度解散しても、しつこく再結成するようなものだ。

 引退公演から48時間も経たないうちに、ごたいそうな復帰公演だ。AIGの事例はモデルケースと言っていい。現代金融の迷走が集約された見世物である。単なる保険屋ではどうしようもなく地味だからと、「金融商品」の子会社を設け、いささか特殊なCDS保険市場に猛然と突き進んだのがAIGだった。

 そして今、同社の財務状況は火の車だ。保証した債券の総額は4410億ドル、うち578億ドルはサブプライム(5)関連だ。損失が巨額に上ることは言うまでもない。四半期ベースで過去3期に180億ドル、最新決算も見事なものになるはずだ。リーマン破綻のあおりで、CDSの履行を迫られるとともに、資産評価が下がることになるからだ。累積損失額は300億ドルに届くだろう。うち6億ドルは、ファニー・メイとフレディ・マックの国有化のせいで、保有株が紙くず同然になったための評価損だ。

 こうしたなかで、過去に重ねたあやまちをここで逆転しなければ、と動転した格付会社は、AIGの厳しい格下げをためらわなかった。その結果、「追い証」と呼ばれる追加担保をすぐに差し入れよとの請求が、AIGに対して相次いだ。同社のCDSの信用力低下に対する手当である。だが、すでに傾きかけていた同社にとって、100億から130億ドルもの追加担保をすぐに用意するのは至難のわざだった。

バーナンキとポールソンの苦難

 FRB・財務省コンビは、成し遂げたばかりの「脱社会主義」の余韻にまだ酔っていたが、次に控える破綻の規模を前にして、少しばかりぐらついていた。続く1日の間はAIGについて、民間での救済を想定して調整に動いた。ゴールドマン・サックスとJPモルガンを中心とした750億ドルの協調融資である。

 それはぎりぎりの線だった。この二大証券会社が、リーマンの「整然たる」清算手続きを支えるために、700億ドルのファンド設立を求められたのは、つい前日の話である。民間での救済が無理なことは目に見えており、公的介入は不可避だった。とはいえ、それはとんでもなく極端な形を取ることになる。中央銀行が850億ドルのつなぎ融資を出し、かわりにAIGの株式の79.9%を取得するというのである。

 9月16日にFRBが出した声明は、簡潔にまとめられた傑作だった。FRBからノンバンクへの融資という異例の措置はまったく前例がなく、FRBが今回の危機で、どれほどの妥協を強いられたかを示している。この3月にFRBは、それまで預金銀行だけだった資本注入の対象を、1929年以来初めて投資銀行にも広げた。そして今や保険会社まで、相談窓口にやって来るようになった。

 話の続きはさらに仰天ものだ。FRBと財務省は、ほとんど合併会社のような一心同体の組織として行動しているように見える。しかも、連邦政府による79.9%の資本参加は、FRBからAIGへの融資の「代価」であるらしい。だが、一体いつから、融資の供与が資本の持ち分と引き換えになったのか。融資であるからには返済が前提だ。AIGの全資産は担保に取られ、早急な返済を促すために金利は故意に高く設定された。しかし債権が消滅した後も、連邦政府は依然として79.9%の株主である。つまり連邦政府は、さしあたり一銭も出さずにAIGの経営権を奪い取ったわけだ。まさに接収そのものだ。社会主義が、再び、激しく、舞い戻ってきた。

 ニューヨーク・タイムズ紙によれば、この計画を発表した9月16日の晩、ポールソン長官とバーナンキ議長は「沈鬱な様子」だったという。それもそうだろう。2人と並べば、ベネズエラのチャベス大統領でさえ、経済自由主義を奉じ、大資本にくみした傀儡でしかない。彼の方は国有化するにしても、支払いはきっちり行っている。ともあれ、我らがご同輩2人のウルトラ社会主義的な超絶技巧は、まだまだ始まりにすぎない。というのも、今や事態は流動性の逼迫にとどまるものではないからだ。流動性に関してならば、FRBの準備はかなり万端だった。

 金融部門が陥っているのは、全般的な信用不安である。各社は莫大な損失によって自己資本基盤を掘り崩され、3月このかた資本増強に血眼になっている。ベア・スターンズ、ファニー・メイとフレディ・マック、リーマンなどの危機は、これら各社の最終的な資本調達力への疑念をきっかけに起こったものだ(6)

 資本を増強するためには、「資本注入者」がいなければならない。しかし、そんな余力はどこを見回してもありそうにない。仲間の金融各社は、なけなしの自己資本の維持にそれぞれ必死である。政府系ファンド(SWF)はどうかと言えば(7)、大きな期待をおそらく過剰にかけられるなかで、最近の不振について考え込んでいる。3月に派手に舞台に登場した時点では、不動産相場と株式相場は底を打ったと見ていたからだ。その後の展開は周知の通りである。資産の減損を被った政府系ファンドは、今では慎重の上に慎重を重ねるようになった。となると、残るのは誰か。もはや誰も望まず、誰にもできない「仕事」ができるのは、国家しかない。

 それぞれカール(・マルクス)、ウラジーミル・イリイチ(・レーニン)の名前を奉られたバーナンキ議長とポールソン長官の苦難は、まだまだ終わらない。赤い星の付いた帽子は、サスペンダーが豚に似合う程度に、2人によく似合っている。ただ彼らは、怒り狂って「破綻の放任」と淘汰の道義を説く経済自由主義者たちと違って、必要な間はずっと、この帽子をネジで留めておく程度の見識は持っている。着帽必須の意味は一つしかない。その読み解きを迫られているのが、かつてのゴールドマン・サックス会長だというのは、何とも味わい深い矛盾である。帽子の意味は以下の通りだ。自由化された金融は、構造的な爆弾要因を抱え込む。それは、必ずや繰り返し破局を招くことになるばかりか、その破局を自ら食い止める力もない。たとえ欧州連合(EU)が1月29日の声明で、例によって「市場の解決」を謳っていたとしても。

 一般法を度外視した主権行為によって、考えられないような真似をやってのけるのが国家である。場当たり的な国有化を行い、支払いは後回しにする。自分が保有していない株式の分まで、配当の全額を一方的に召し上げる。神聖なる市場のメカニズムによって、瓦解のときまで膨らみ続けるツケに、終止符を打てるのは国家だけだ。帽子をかぶるか、この世の終わりか、二つに一つである。

未知の世界へ

 帽子の方がよさそうだ。まぶしい夜明けが目前に迫っているからだ。一群のサブプライムがまだ完全に片付いてもいないのに、今度はオルトAローンなるものが現れた。オルトAローンはプライム(基準レベル)とサブプライムの中間に位置付けられ、借り手の経済状態についておざなりの質問をするだけで、不完全な回答や「間違い」さえも許容する。抵当資産研究所(MARI)の調査によれば、仲介業者が銀行で組ませたオルトA案件のほとんどが、借り手の所得を最低5%水増し、5割増し以上のものも半数を超えるという。

 オルトAの中に、ARMオプション(変動金利型オプション)付きローンと呼ばれるものがある。返済開始の時期について、複数の選択肢が用意されている。特に魅力的なタイプでは、最初の何年かは元本はおろか、利払いさえも低率に抑えられている。最初はとりあえず1%でいいなどと言われたら、思わず話に乗ってしまいそうだ。

 こうした便宜のツケが後日に回ってくることは言うまでもない。待ち受けている金利リセットは過酷である。標準的なARMオプションの場合、支払額が一気に63%も跳ね上がる。金融情報会社ブルームバーグの試算によると、2006年1月以降に組まれたオルトAローンのうち、2カ月以上の延滞があったものが16%に上る。金利リセットまでの期間は3年から5年に設定されているため、デフォルトは2009年にはさらに増加し、2011年まで続くことになるだろう。もう一言、付け加えておこう。野放し状態だったサブプライムが総額8550億ドル、このオルトAは1兆ドルだ。

 ファニー・メイが保有または保証したオルトAは3400億ドル。ワコヴィア(8)のARMオプション貸出残高は1220億ドル。バンク・オブ・アメリカ(メリルリンチの救世主でもある)に窮地を救われたカントリーワイドでは、270億ドル。ワシントン・ミューチュアルは530億ドルで、うち13%については2009年に金利リセットがやって来る。同社はスタンダード&プアーズの格付で、ジャンク・ボンド、つまり最低レベルに下げられた。

 一般市民の資産を預かる金融機関だったワシントン・ミューチュアルは急いで捨て値でJPモルガンに身売りした。これまでMMF(公社債投資信託)は、預金口座と同じくらい流動性と安定性があるとされていた。しかし、そこに巧みに組み込まれていたリーマンがらみ証券が暴落したせいで資産が目減りした顧客から、解約請求が殺到するようになったのだ。もし預金者による取り付け騒ぎが起これば、金融システムは完全に崩壊する。

 そこまで最悪の事態には至らないかもしれないが、想定はせざるを得ない。金融機関は大規模かつ全般的な資本増強を必要としている。他方、まだ健在なところは出資をしようとしない。となると、普通の手段ではますます解決困難な金融対策に取り組むのは国家だ。最後の貸し手であるだけでなく、株主となり、最後の「資本注入者」となる。連邦政府はAIGに関して、じきにワラント(9)の払い込みを実施せざるを得ないし、次いで持ち分に相当する株式の払い込みを実施せざるを得ない。同様の措置として、ファニー・メイとフレディ・マックに対する2000億ドルの投入に続き、9月19日には、金融機関の保有する「有毒」な債権を買い上げるために、7000億ドルの投入が表明された(10)

 国家が負担する費用の総額は、スタンダード&プアーズの見積もりによれば、国内総生産(GDP)の10ポイントにまで達する勢いだ。全方位的な資本増強という形を取るのか、あるいは大規模な処理機関を設立し、民間金融機関の不良債権をそこに封じ込めるのか、どちらにしても問題の根本は変わらない。このGDPの10ポイントをアメリカの納税者のポケットから出させるならば、まだわずかに続いている経済成長を押しつぶしてしまう。逆に、財政赤字と公的債務を膨らむままにするならば、米国債と米ドルはじきに敬遠され、民間金融の危機は、公的債務危機と通貨危機のダブルパンチに変わってしまう。

 まずい解決策しかない、ということだ。いずれにせよ、正統派経済学の通常の教えには適合しない。したがって、帽子をかぶった我らが友は、なすべきことをなすために、行くべきところまで行くだろう。したがって、あれほど多くの改宗者がバカみたいに入れ込んでいた教義は、もうじきゴミ箱に捨てられることになる。行く手にあるのは、貨幣の発行による資本増強か、紛れもない接収か、為替の管理か。事態が悪化すれば、何が起きてもおかしくはない。歴史は紆余曲折をたどる。目をしっかり開いておこう。我々は未知の世界へ足を踏み入れつつあるのだから。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2008年10月号)