アラブの夫婦を襲った『ヌール』旋風

ジュリアン・クレシュ(Julian Clec'h)

特命文化担当官、在サヌア

訳:土田修


 アラブ社会ではラマダン(断食月)の間、テレビの連続ドラマが人々の関心の的になる。断食を中断する夜には、家族みんなで食卓とテレビを囲むからだ。冗長なだけのエジプト製の番組に続き、1990年代にはシリア製が主流を占めるようになった。そして現在では、トルコ製ドラマが夫婦の不和の原因をつくりだし、女性の権利をめぐる課題を突き付けている。 [フランス語版編集部]

 「『ヌール』のせいでアラブ社会に離婚や夫婦間の緊張が起きている」「女性にとっての理想の男性ムハンナドが、国境を越えて波紋を呼んでいる」。来る日も来る日もメディアは、『ヌール』現象についてあれこれ書き立てる。このトルコ製の連続ドラマは、アラビア語衛星放送で流れる無数の番組の一つで終わってもおかしくなかったが、単なるテレビドラマを超えて社会現象になった。社会運動だと言う者さえいる。

 子供も大人も、男性も女性も(特に女性は)、ヌールとムハンナドの身に起こる夫婦の艱難辛苦に釘付けになっている。日々の政治談義さえ吹き飛ぶほどの勢いだ。この番組をアラブ諸国に流しているテレビ局MBCのオーナー、ワリード・イブラヒムによると、サウジアラビアだけでも総人口2800万のうち300万から400万人が見ているという。

 ムハンナドは、恋人ニハールの事故死に打ちひしがれていた。そこで祖父のフェクリ・ベクは、ムハンナドが子供のころ恋心を寄せていた田舎娘ヌールとの結婚を取り決める。夫婦は誘拐、投獄、殺人未遂といった劇的な事件に巻き込まれる。ありがちな筋立てで、2005年にトルコで放送された際の視聴率は低かった。それがアラブ社会で大ヒットした理由は、考えてみる価値がある。

 それは次の3つの要素に集約される。「感動とロマンスとムハンナド」。この種のドラマに付き物の要素はともあれ、とりわけ新鮮な驚きだったのが、「アラブ世界のブラッド・ピット」と呼ばれるクワンチュ・タトルトゥだ。ムハンナドの名前の方が通りがいい。24歳のモデルだが、このシリーズで俳優として頭角を現し、アラブ世界のアイドルに躍り出た。金髪に青い目、長身で筋肉質。容貌だけでも女心をとろけさせるが、それ以上に魅力的なのが、ムハンナドの妻との接し方だ。愛と思いやりをもって、対等に接しているからだ。

 ソンギュル・エデンが演ずる魅惑的なヌールは、気丈で自立した今どきの女性を体現する。2人は強い絆で結ばれた理想的な夫婦であり、お互いに話し合い、相手に敬意を払い、必要なときには譲り合う。『ヌール』現象を取り上げたアラブ各紙を読むと、取材を受けた女性たちの答えは一致する。彼女たちを魅了しているのは、自分の日常生活とかけ離れた2人の理想的な関係だ。

 ムハンナドは、女性なら誰でも望むような申し分ない夫だ。ワシントン・ポスト紙の取材に対し、サウジアラビアの若い女性はこう話している。「この夫婦が象徴しているのは、私たちの文化に欠けているロマンティックな愛情です。ちょっと大げさなところもありますが、たとえテレビの中のことにしても、男の人たちがこうしたタイプの愛情を目にするのは良いことです」。妻たちは次第に、ムハンナドを見習うことを夫に求めるようになった。一部の男たちも(この番組をしっかり見ているから)、ムハンナドの妻への態度は模範的だと認めている。24歳のタクシー運転手、イエメン人で既婚のハムダーンは、「私たちの文化では、男は女に威張るものです。でも、このドラマでは、うまくやるために、お互いに譲り合っている」と話す。あたかも『ヌール』が夫婦生活の指南書になっているかのようだ。

「マリアではピンと来ない」

 だが、「ヌール旋風」が巻き起こり、ハンサムな主人公に夢中になる女性たちが現れたことで、家庭内に緊張が走ったり、とんでもない事態を引き起こしたりするようになった。アラブの新聞では、そうした事件が山ほど報じられている。サウジアラビア、シリア、バーレーン、イエメンでは、このドラマが原因となった離婚は枚挙にいとまがない。ヨルダンでは、『ヌール』問題が国会の教育委員会で取り上げられ、「非イスラム文化」に対して取るべき方針が論じられたという。サウジアラビアでは、葬式にやって来た女性が、その日の放送を見逃すまいと、テレビの場所を遺族に尋ねたという噂がある。

 このドラマの人気の決め手はロマンティックな面だけではない。成功の鍵はほかにもある。例えば、登場人物と視聴者の間の文化的な距離が近いことだ。「マリアやメルセデスといった名前ではピンとこない」。サウジアラビアの若い女の子、ダニア・ヌガリは言う。彼女が思い浮かべているのは、以前にテレビ局MBC4で放送されたラテン・アメリカの連続ドラマだ。「メキシコの連続ドラマを見ていると、アラビア文学の授業を受けているような気がしてくるのよ。『ヌール』なら、心の底から楽しめる(1)」。メキシコやアルゼンチンのドラマの吹き替えは、アラビア語といっても文語だった。それに対して、このトルコ製ドラマではシリア方言が用いられている。

 この選択は、大衆に分かりやすいというだけでなく、ある種の意図を含むものだった。1990年代に、シリアのテレビドラマ産業は大きく発展し、長らくエジプトものが支配的だった市場に新風を吹き込んだ。「愛と復讐をテーマにした冗長なエジプトの連続ドラマ(2)」に比べて、シリアの番組の洗練されたスタイルや、こみ入った筋立ては、視聴者から高く評価された。その成功を確立したのが『バーブルハーラ(路地の門)』であり、これが『ヌール』のヒットの伏線として働くことになる。『バーブルハーラ』を夢中になって見たおかげで、少しずつシリア方言を聞きかじったアラブ諸国の視聴者は、この言葉に親密感を覚えるようになったからだ。『ヌール』の放映が始まると、心地よいシャーミー(シリア方言)との再会を喜んだ視聴者の、お気に入りの番組になった。

 文化的には、トルコ製の連続ドラマの方が、南アメリカのものよりも、アラブの大衆に身近に感じられるのは間違いない。イスラム国を舞台として、イスラムの家族の物語が描かれる。そこには、イスタンブールにもサヌアにも共通するような、ライフスタイル、考え方、価値観と慣習が映し出されている。数世代が同居するイスラム社会における家族の重要性、年長者に対する敬意、両親によって取り決められる結婚、等々。こうした要素はどれもこれも、ドラマの世界を親しみあるものにする。

 文化的な共通点から、視聴者は登場人物に自分を重ね合わせやすい。その反面、世俗化の進んだトルコとアラブ諸国との違いが、保守派の怒りを買っている。ヌールはラマダンの断食こそ守ってはいるが、登場人物が平気で酒を飲んだり、婚前交渉したり、このドラマはイスラム道徳主義者が眉をひそめる場面に事欠かない。

宗教的、政治的な反感も

 自分に重ね合わせやすい面と、異質なものの魅力とが、綯い交ぜになっている。それが『ヌール』の人気の源であるとともに、多くの宗教指導者たちを不安がらせてもいる。アラブとトルコの文化的な距離の近さから、ある種の共感が生まれてくる。そこに主人公たちへの憧れが重なって、視聴者は自分と彼らの違いはなぜなのかと考え始めるようになる。サウジアラビアの若い女性の発言を聞くと、宗教指導者が何に不安を持っているのかがよく分かる。「ドラマに夢中になっている若者が、婚前交渉したり、婚外子をつくったりするイスラム教徒を目にするというのは、同じことをしている西洋人を目にする以上に危険なことです」。パレスチナのビル・ゼイト大学で教えるイスラハ・ジャドは、保守派にとっての問題のポイントをこう要約する。「この連続ドラマは、違った生き方をしているイスラム教徒の存在を示している(3)

 『ヌール』は人気が高まるにつれて、ヘブロンからリヤドにいたるまで、各地で激烈な説教やファトワ(宗教見解)の的になることが増えている。「不健全だ」「イスラム社会の原則や価値観に反する」「頽廃的だ」など、このドラマを糾弾するのに、道徳的な語彙の限りが尽くされる。だが、批判しているのは宗教指導者だけではない。トルコの番組への熱狂ぶりを、「政治的」な理由から快く思わない者もいる。パレスチナの情報サイト、アル・ワタンの記者サーミフ・アシは、「トルコの連続ドラマはアラブ世界におけるトルコのイメージ向上に成功したか」という記事をアップした(4)。彼はこの問いに肯定的に答えざるを得なかったが、「アラブ民族」の同胞はトルコとアラブの関係史を考えるべきだと書き加えた。「歴史を紐解けば、オスマン帝国時代のトルコ人こそ(・・・)アラブが文明的にも技術的にも後退した原因だということが分かる」。そして、こう結論付ける。「トルコの連続ドラマは一過性の現象にすぎない。『この現象がトルコ人に関する、また彼らがわれわれの先祖に対して犯した罪に関する、われわれの見方を本当に変えることに成功したのか』を問うべきである」

 さまざまな方面で反感を買いつつも、このドラマはトルコ旅行の起爆剤にもなっている。リヤドに駐在するワシントン・ポスト紙の記者は、トルコ人外交官の言葉として、サウジアラビア人の旅行者が昨年は4万人だったのが、今年は10万人に増えたことを伝えている(5)。サヌアのトルコ領事館でも同じ現象が起きている。「イスタンブールに行ってドラマの撮影場所を訪れたいとか、ムハンナドに会ってみたいとか言うイエメン人が、一日に何度もやって来る」。サヌアの旅行代理店の担当者は、「つい昨日も、トルコに行きたいという一家の旅行を手配したところだ。行き先の選定に、ドラマが大いに関係していることは言うまでもない」と、トルコ旅行の人気を証言する。ドラマの人気をトルコの観光業界はうまく活用している。ボスポラス海峡を望む場所にあり、ドラマの中でムハンナドの自宅とされた家は、ある旅行会社が借り上げ、美術館に仕立てている。

 きっちり計算された放映スケジュールにしたがって、『ヌール』は200話を数えた後、アラブ社会がテレビドラマ漬けになるラマダン直前の8月末に終了した。ラマダンの期間中に放送されるアラブ製の連続ドラマは、検閲の矛先をそらすよう気を付けながら、社会問題をユーモラスに扱うことに定評があるが、このところ女性問題を取り上げるものが増えている。前衛的すぎると判断されて、放送が延期になったものもある。それらの放映は「恐らくまだ時期尚早だった」と、リヨン第二大学で現代アラビア文学を教えるイヴ・ゴンザレス=キジャノはブログでコメントしている。「だが、世のことわりとして、つまり視聴者の嗜好がそれを求め、スポンサーも追随することになる以上、来年のラマダンのころには、あるいはもっと前に、アラブ社会における女性の現実を描いた番組が増えることは避けられない(6)

 女性の問題や夫婦の問題を提起した『ヌール』は、いわば実験的な役割を果たすものだったのかもしれない。アラブ社会から近くもあり、遠くもある、外国のテレビドラマを盾にとっての実験だ。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2008年10月号)