大メコン圏地域の要を占めるラオス

グザヴィエ・モンテアール特派員(Xavier Montheard)

ル・モンド・ディプロマティーク編集部

訳:日本語版編集部


 アジアで唯一鉄道のない国。貧しく、海への出口を持たず、数十年にわたる(フランス、次いでアメリカによる)戦争の爪痕を残しながらも、中国、タイ、ヴェトナムの間の貿易拡大を背景に、交通の要衝になろうとしている国。そうした矛盾をものともせず、ラオスは大工事政策を進めている。その最たる象徴が鉄道だ。まもなく首都ヴィエンチャンに到達する。[フランス語版編集部]

 バンコクの中央駅、フアランポーン。 ガラス張りの駅舎の中、タイのあちこちで見られるように、プミポン国王の威厳ある写真が群集を見つめている。ラオス行きの列車は夕刻に出発する。車内を見ると、粗悪な合成皮革を張った茶色い座席はやたらに大きい。座席で眠る乗客もいるだろうし、まもなく乗務員が作ってくれる窮屈な寝台席によじ上る者もいるだろう。これで見納めとなる「天使の都」の風景が、車窓を次々と流れていく。バラック、そしてまたバラック。バンコクの近代性の裏側だ。試練の12時間の始まりだ。煙草の煙、不意の停車、果てしない騒ぎ。しかし、この列車が終点に到着することはない。タイ側のノーンカーイ止まりとなる。

 だから、夜明けにメコン川まで、トクトク(バイクタクシー)を飛ばさなくてはならない。タイの税関を抜け、国境の友好橋をバスで渡る。ラオス側でビザの手続きを取る。タクシーで料金を交渉しながら、12キロ先のヴィエンチャンにたどり着く。灼熱の暑さか、モンスーンによる大雨か、ありがちな天気の下で、まず普通では考えられない状況をかみしめる。ここラオスは、アジアで唯一鉄道が走っていない国なのだ(1)

 鉄道がないという特殊な状況は、ラオス政府が打ち出している野心的な戦略と、まったく釣りあっていない。ラオスの戦略とは、地域の交通の要衝となることだ。歴史的に拡張主義に傾いてきた列強の狭間の「緩衝国」の地位を返上し、避けて通れない十字路となることだ。内陸国という条件が、今では逆に有利に働いている。ラオス政府は如才なく立ち回り、自国の工事をことごとく、東南アジアの地域開発計画の中に組み込んできた。近隣諸国は競いあって、ラオスへの投資を急いでいる。国境を超えた活況のただ中で、ラオスはわずかな費用で急速に近代化を遂げつつある。この親指小僧は、押しつぶされてしまうのだろうか。いや、おそらく大丈夫だろう。この地域では20世紀の2つの遺産、すなわちインドシナ半島の植民地化とヴェトナム戦争によって、諸国の連携が強まり、対立が影を潜め、グローバル化された資本主義の一様な蛮行を食い止めているからだ。

 ソンマット運輸・建設相は2006-2010年の計画(2)の発表にあたり、メコン川に架ける2本の橋が優先事業だと強調した。それぞれに高速道路が通じている。1本目の道路は南部を横断し、西のタイと東のヴェトナム、とくにバンコク港とダナン港を結ぶ。2本目は北部を縦断し、シンガポールと中国・雲南の昆明を結ぶルートと合流する。このルートには、シンガポール=昆明連絡鉄道(SKRL)という鉄道の計画もある。これまで何度も延期された15年来のプロジェクトが、ラオス国内への鉄道敷設が決まったことで動き出したのだ。2006年10月には、ヴィエンチャンの郊外で、第1区間の工事が始まった。

 工事現場まで、首都圏の膨張要因となっている村々が広がっている。青々とした田んぼと用水路の間を縫って、ココとヤシが植わった道路がくねくねと続く。現場の黄色い土の上に、クレーンやショベルカーが並ぶ。しかし、ここターナーレーンでは、大工事は終わっている。線路はすべて、タイ国境の友好橋まで敷設済みだ。完成した駅舎は、タイ側のノーンカーイ駅とよく似ている。同じ淡い色のアーチを備え、全体が相似形をなす。40代の現場責任者チャントーン・ソンアコーンが、道床の突き固めや信号系統の完成など、仕上げの作業について詳しく語ってくれた。現場にいた他の作業員たちと同様に、彼もまた、大きな象徴性を持つ今回の工事をとても誇りに思っていると言う。地元メディアは工事のことを子細に報道し、ヴィエンチャン市民は等しく歓喜に沸いている。開通式について憶測が乱れ飛び、いつから一般客が利用できるようになるのか、最初に走る列車の運転手の国籍はどこなのか、といったことが話題になっている。物知りな人たちは、遠い昔に、ラオス南端のカンボジア国境を列車が走っていたことを知っている。1910年代にフランス人が、メコン川途中のコーンの滝を避けるために、船荷を積み替えて数キロにわたり運んでいた鉄道だ。今回の鉄道をめぐっては、ターナーレーンからヴィエンチャン中心部までの延伸の時期が最大の関心事となっている。

「インドシナ半島の対角線」

 この点について、ラオスの鉄道事業責任者ナンサナ・ソーンサックは、何本もの小旗、ソ連時代の古い写真、空手の免状などを飾った事務所にゆったりと構え、こう答える。「ターナーレーンからヴィエンチャンまでの残り9キロの工事は、実行可能性調査を担当するフランス開発公社(AFD)の承認待ちだ。第1区間にはフランスとタイが深くかかわっており、両国で起きた政権交代(3)が悪影響を及ぼさないことを我々は願っている」。鉄道が来れば何を期待できるだろうか。「商品の輸出コスト削減(およそ30%)、観光客の増大、そして外国投資の増加だ。コンテナの中継も大きな収入源になるだろう。それから、鉄道があれば、貿易分野でのタイとの二国間協力が強化される」

 1994年にメコン川に友好橋が架けられて以来、タイはラオスに対する主要投資国のひとつになっている。文化的な親近性が高く、経済規模も大きなタイは、鉱山・エネルギー部門で支配的な地位を占めている。バンコク=ヴィエンチャン線が開通すれば、タイの進出はいっそう強まるだろう。タイが第1区間の費用を30%も負担したうえに、残り70%を低率で貸し付けたのも、驚くにあたらない。

 ナンサナはさらに遠くを見据えている。「この区間は布石にすぎない。政府は工事をシンガポール=昆明連絡鉄道の枠内に組み入れた。我々はヴェトナム方面線の設標作業を始めており、中国方面線についても作業を計画している。両線は、我が国の2本の経済回廊と接続することになる」。地理学者でフランス国立学術研究センターの研究部長、フランス・ラオス学術協力プロジェクトの取りまとめ役を務めるクリスチャン・タイヤールも、こうした戦略的な関心を共有する。「ヴィエンチャンの地の利の悪さを解消するために、ラオス政府が以前から考えてきたのは、南シナ海に通ずるルートを開くことだ。できる限り直線的に、(ラオス中西部の)ターケークとヴェトナムのヴィンを経由して、トンキン湾に抜ける。しかし、この図式だと、ヴィエンチャンは袋小路のままだ。我々が2000年から、ブンタヴィー・シスパントンとともに提案しているのは(4)、バンコクからハノイに至る『インドシナ半島の対角線』上にヴィエンチャンを位置づけることだ」。彼は続けて言う。「この『インドシナ半島の対角線』は、今日ではバンコクと(中国・広西の)南寧を結ぶ北東回廊の一部をなす。そして、さらに広東と香港にまで続く。というのも、中国は現在、東南アジアの大陸部に向かう南方経済回廊の出発点として、雲南とならんで広西の開発に力を入れているからだ(5)

 「経済回廊」。この語は、1990年代初めにアジア開発銀行(ADB)と大メコン圏(GMS)諸国(6)が概念化した単位を指す。地図上に引かれた線としては、高速道路、鉄道、電線といったインフラと、自由港、免税地区、経済特区といった経済拠点からなる。要の役割を果たすのが、それらの中心部に位置するラオスであり、ラオスの経済開放が、プロジェクト全体の成功の鍵を握っている。

 たとえば、東西経済回廊(EWEC)は1450キロに及び、南シナ海に面したヴェトナムのダナンと、インド洋に面したビルマ(ミャンマー)のモールメイン(モーラミャイン)を結ぶ。この回廊はラオス南部を245キロにわたって横断する。この区間は以前は交通の難所だった。道路はでこぼこだらけで、雨季のいちばんひどい時期は12時間かかることもあった。ラオスの国道9号線が改修された現在では、タイ=ヴェトナム間を2時間で走れるようになった。そして、タイ国境の第2友好橋が2007年1月に開通したことで、ラオス第2の町サワンナケートは、地の利の悪さを解消できる見込みが立った。

 今のところはまだ、この町の通りは退廃的な魅力を放っている。植民地時代の建築はぼろぼろで、火事で焼けたファサードは年々、モンスーンの雨で汚れを増している。この熱帯の大集落は、市内の2つの博物館、革命博物館と恐竜博物館と同様、まどろみのうちにあるように見える。しかし先ごろ、ラオス政府とタイ航空グランド・サーヴィス社の間で、橋の周辺270ヘクタールの土地開発に関する4800万ドルの大型契約が交わされた。政府はこれと並行して、10キロ先のセノ経済特区の開発にも力を入れている。同特区は、ラオス南北を縦断する幹線道路3号線と(東西経済回廊と)の交点にある。こうした中でサワンナケート県には、マレーシア、日本、台湾、韓国、シンガポール、インドといった国々の企業が押し寄せており(7)、外国投資法が県全土について緩和された。500万ドルまでのプロジェクトなら、県は中央政府に伺いを立てることなく独自に運営できる。また、ラオスの高率の輸入関税が、同県については廃止された。さまざまな便宜も図られている(たとえば、ヴェトナム、ラオス、タイの三国に共通のトラック運転手用ビザ)。同様の措置が、ヴェトナム国境地帯のデンサワン経済特区でも進められている。

日本が売り込んだ東西回廊

 こうした事業構想の恩恵を受けるのは誰だろうか。9号線を走る車を数えてみると、タイとヴェトナムのトラックが圧倒的に多い。経済特区で作られた商品は、ラオス国民の利便に供されるのだろうか。それとも、購買力がはるかに高い外国市場へと、この横断道路を通じて輸出されるのだろうか。道路沿いの村では、車がやって来るたびに、小商いをする人々が関心を引こうとする。しかし、旅行会社のバスは、午前中はヴェトナム、午後はラオス、夜はタイ(あるいは逆ルート)という「三点セット」を固守しており、そこから外れた観光客の自由行動はほとんどあり得ない。開発によって天然資源の搬出が容易になる点については、県はともあれ少なくとも住民にとっては、むしろ危険を呼び込むだけだというのが多くの消息筋の見解だ。

 彼らが挙げるのはラオス最南部、ヴェトナム国境とパクセの町の間に広がる農村部の問題だ。ヴェトナム・ゴム総公社、ダクラク・ゴム公社などのヴェトナム企業が、数万ヘクタールにわたって(ゴムの原料となるラテックスを採取する)パラゴムノキの単作を始め、環境問題と社会問題を引き起こしている。一部の農民は、わずかな補償金と引き換えに、米や自家用作物の耕作地の譲渡を余儀なくされた。ラオス政府は批判の高まりを受けて、農地の譲渡を制限したが、その匙加減は難しい。政治上、貿易上の理由から、政府はヴェトナムとの特別な関係の維持を望んでいるからだ。2007年現在で、両国の貿易額は3億700万ドル(前年比18%増)に達している(8)

 ヴェトナムとラオスの二国は、世界に残る最後の一党(共産党)体制の人民民主主義国に数えられ、貿易自由化に統制をかけている。2つの「兄弟」政体は、「経済至上主義」の破壊的な悪影響から自国民を守るつもりだと標榜している。たとえば、サワンナケートの町には、フランス植民地時代から多数のヴェトナム人マイノリティがおり(一説には25%)、現地社会に溶け込みつつも、ヴェトナムとのつながりを保っている。開放と発展という賭けに、両国はともに成功できるだろうか。地域の有力者でフランス語を話すサイ・ペットヌァンシーは、それを信じている。「我々はついに進歩への道を踏み出した。私は1970年代初めのアメリカ軍による空爆も、革命も、何もかもが不足した厳しい時代も体験した。今は、こうしたものはすべて終わった。私はタイの仏教の祭りから戻ってきたところだ。あの国では信仰がとても篤く、そこに行けるのは素晴らしいことだ。しかし、私はここにいるほうがいい。タイは安全な場所ではない」。自分の文化に浸りきった充足感をいわば逆さまに映し出すかのように、彼は古いフランスの流行歌を口ずさむ。「分かりますか。我々は発展中だ。貧困はなくなる。でも、我々自身は変わらない。ラオス人は調和のうちにある。この素晴らしい田んぼをごらんなさい」

 ラオスで最も豊かなサワンナケート県は、日本の戦略的野心からも利益を受けている。この世界第2の大国こそが、東西経済回廊の立役者である。1990年代中盤に、回廊プロジェクトを考案して、その経済方針に抵抗感を示した諸国政府に対し、ADBを介してプロジェクトを売り込んだ。自国の協力機構を介して、ラオスの国道9号線の改修と、ヴェトナム中部の巨額工事の費用の相当部分を提供した。第2友好橋の費用(7500万ドル)も負担した。そして2001年11月22日には、これらの実績を背景に、回廊の開発について支援国としての立場から、タイ、ラオス、ヴェトナムとの共同文書を発表した。日本はこの件では、GMSに対する最大の支援国、ラオスに対する最大の援助国として、比類のない影響力を発揮している。ただ、この点は見落とされがちだ。消息筋はもうひとつの経済回廊、南北回廊のほうに目を奪われているからだ。南北回廊に猛然と取り組んでいるのは、地域における日本の最大のライバルたる中国である。

 数百キロ北へ行くと、確かに大工事がたけなわである。北部では、自然環境に立ち向かうことが第1の難関となる。人を寄せ付けないことにかけては、山岳地帯もジャングルもいい勝負だ。少数民族がモザイク状に散らばり、衛生状態はひどく、マラリアが猛威をふるう。上座部仏教よりもアニミズムが浸透している。焼畑農業と水田が混在する。ラオス政権が1975年から推し進めた「社会主義」的な組織構造は、この地域の村社会モデルにむしろ適合した。しかし、ラオスが地域の交通の要衝へと変貌しつつあるなかで、状況は激変している。

 その顕著な例がフエイサイからボーテーンに至る225キロの舗装道路である。2008年初めに完成したこの道路は、まだ、どの地図にも描かれていない。道路建設には4年の月日と1億ドル近い費用がかかったと見られ、ADBとラオス、タイ、中国の各国政府が共同出資した。カーブを曲がれば今でも水牛の群れに出くわすかもしれないような立地だが、赤い大地をジェットコースターのように上下する見事な2車線道路(斜面では3車線)は、すべてコンクリートでできた雨季用の排水溝、橋、路肩ともども、この国では抜群の風格を誇る。

大量の中国人

 中国国境の反対側では、景洪方面線の大工事が完了しつつある。この工事は、中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国(9)の自由貿易協定の進展と連動している。中国の13億人とASEAN の5億5000万人を合わせると、世界総人口の3分の1近くに達する。中国とタイは、今や歴史上初めて陸路3時間で結ばれるようになり、競合しながらも関係を深めている。ラオスとタイの国境では、チエンコーンとフエイサイを結ぶ第3友好橋の建設が予定されているが、中国とタイが実施を遅らせている。この橋は、昆明=シンガポール間の高速道路をフル回転させるためには欠かせない。費用分担については合意ができている。しかし、チエンコーンとフエイサイの川岸は閑散としたままで、これまで何度も延期になった工事がいつ始まるのか、明言できる者はいない。

 ラオスについて、タイ企業が国営・民間を問わず、自国にない資源(東南アジアの「蓄電池」になれるほどの潜在性がある水力発電など[10])の獲得を伝統的な関心事としてきたのに対し、中国の野心はそれよりもずっと多岐にわたる。ボーテーンには、カジノが設けられている。ジャングルの真ん中に忽然と出現した建物だ。賭け事が禁じられている中国からギャンブラーがやって来て、人民元を落としていく。ラオス政府は、この土地を実業家のワン・マンジュアンに提供するにあたり、大量の中国人の入国も許可したらしい。この地域は「黄金の三角地帯」が近く、ケシ栽培とアヘン生産の代わりに奨励されたパラゴムノキの中国系プランテーションがある。プランテーションの一部は、村民の経済的利益に反して強引に開設されたものだろう。ムアンシンの町からは、東風汽車製の青いトラックがひっきりなしに出発する。外国人には閉ざされている国境検問所まで、切り出したばかりの木材を運んでいく。ルアンナムター、ナトゥイ、ウドムサイといった町には、破風に漢字が書かれた新築の、よそよそしい建物が並んでいる。それから、とりわけ目立つのは中国人の移住である。しばしば大げさに言い立てられ、不安と不満を引き起こしている。少数民族も多いラオス人の農民は、高速道路の工事にともなう土地の再分配により、足元を脅かされているからだ。

 中国語のビジネス通訳をしているジャオ・リーに言わせると、欧米人には、中国人の陰謀という歪んだ見方がある。「私はあちこち旅行するので、あなた方が『黄禍』ということの意味が分かる。でも、日々の暮らしで精一杯の農民は、自分たちが怖がられていると聞いて驚いたり、むしろ自慢に思ったりする。私がここラオスで出会った人たちは、あまり教育を受けておらず、資源が減ったせいで隣の雲南から流入してきた人々だ」。農業労働者は(まだ、と言うべきだろうか)中国人ではない。ラオスで台頭しつつある中産階級が労働者として雇うのは、主にラオス人か、人口圧力によって押し出されたヴェトナム人だ。中国人移住者たちは、食堂や小売店などの商売を始める。そこではラオス語が通じないこともある。

 南北回廊が横切るボーケーオ県やルアンナムター県が直面している最大の問題は、これまでは存在しなかった環境問題である。この地域の天然資源の豊かさを見れば、拙速な近代化がもたらす惨禍という、欧米人が経験的に知っている問題を危惧せずにはいられない。それは経済回廊だけにとどまる問題ではない。外国投資への開放は、政治的な意味を持っており、統制された開放であっても、ラオスという国の様相を変えることになる。この春、5万人の中国人がヴィエンチャンに移住してくるという噂が流れた。報道機関は、めったにないことだが、噂を否定する報道をせざるを得なかった。中国による漸進的な植民地化だという議論の広がりを抑えるためだ。こうした暴論が出てくるのも、激変の渦中にある証拠だ。ある者に言わせれば、中国の関与の拡大は、ラオス、ヴェトナム、中国の政治的バランスの変化の兆しである。別の者に言わせれば、どの国であれ近隣諸国からの投資は、最終的にはラオスにとって、目減りしている外国援助よりも有益なものとなる。明日のラオス人のあり方という問題を、誰もが自分なりに提起している。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2008年8月号)