鳴り物入りの「地中海連合」

ジョルジュ・コルム(Georges Corm)

経済・財務コンサルタント

訳:七海由美子


 サルコジ仏大統領は7月13日にパリで、地中海両岸諸国に関わる新しい枠組みを創設する予定だ。しかし、構想は一貫性を欠き、経済協力を行うはずの加盟予定国は地域紛争で分断され、成功の見込みは薄い。今回の企ては、行き詰まったバルセロナ・プロセスをはじめとする過去の経験から、何の教訓も汲んでいない。[フランス語版編集部]

 「地中海連合」、「地中海のための連合」、そして最終的には「バルセロナ・プロセス:地中海のための連合」に落ち着いた。サルコジ大統領が打ち上げた構想の名前の変転には、二つのことが映し出されている。この構想が明確に詰められたものではなく、EU側で多数の反対に遭ったことだ。2007年の大統領選挙戦中に提案されたこの構想の目的はただ一つだと、評論家たちは異口同音に言う。トルコについて、フランスがEU加盟に反対する代わりに、うまく取り込めるような枠組みを見つけ出すということだ。

 その後、この構想はより具体性を増したが、数多くの修正に応じざるを得なかった。とりわけ修正を求めたのは、多大な資金負担を求められたドイツである。この構想には政治的にも問題がある。フランスは一方では、イスラエルに対する同調をますます露わにしている。その一方で、アラブ諸国も連合に取り込まなければならない。しかし、イスラエルが1967年から占領するアラブの土地から撤退することなしには、同国との国交正常化はあり得ない、というのがアラブ諸国の立場である。この両者をどう調整していくのか。連合構想に対するアルジェリアやリビアの消極的な姿勢を見ても、乗り越えるべき障害の所在は明らかだ。

 ここ数カ月にわたり、フランスやマグレブ各国で、いくつものセミナーや会議が開催されている。そこからすると、連合の事業分野として環境問題、特に水とエネルギーの問題が考えられているようだ。また、金融市場、自由化、経済開放といった昔ながらの課題も、それが投資すなわち経済成長を刺激するという名目の下、中核的な位置を占めることになるだろう。

 だが、地中海南岸諸国の現実の経済問題は、またしても忘れられることだろう。とはいえ停滞の原因に関しては既に的確な診断が示されている。フランス開発公社(AFD)の最近の委託研究は、現実的で勇気ある診断を下している。「国際金融機関の支援下で推進されたマクロ経済の構造調整後も、経済成長は回復しなかった。国内の停滞は深く根を張っているからだ。これらの国々が『恩恵を受けた』はずの戦略的援助によって、停滞はむしろ悪化した。より広範かつ長期的に見て、国民一人当たりの所得を地中海北岸諸国並みに引き上げる方向へと、踏み出すことができなかった。経済活動の浮沈は外部資金に大きく依存しており、内在的に維持される成長は見られない(1)

 はるか古代より地中海は、豊かな想像をかき立てる空間だった。沿岸諸国はもとより、近隣諸国や帝国的勢力にとっても、経済上、戦略上の焦点となってきた。19世紀初めから20世紀前半までは、フランスと英国が南岸を完全に支配した。1950年代からは脱植民地化により、ソ連と米国をはじめとする新たなプレーヤーが引き寄せられ、冷戦の両大国の対決の重要な舞台となる。イスラエル・アラブ紛争、次いでイラン・イラク戦争もまた、地中海に重大な影響を及ぼした。かつての植民地列強、より広く言えば欧州諸国は、経済的、文化的、人的交流では主要な地位を保ちつつも、政治的には脇役に後退した。

 西欧が主に力を注いだのは、共通市場の実現と拡大である。その範囲は、地中海の欧州諸国(ギリシャ、スペイン、ポルトガル、さらにキプロス、マルタ)、北欧諸国(フィンランド、スウェーデン)、オーストリア、およびソ連の監督から解放された中欧諸国(ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロヴァキア、スロヴェニア、バルト三国、さらに最近ではブルガリア、ルーマニア)へと広がった。欧州経済共同体(EEC)は単一市場へと、次いで単一通貨を備えたEUへと変貌した。過去30年にわたり、フランス、イタリア、スペイン、英国をはじめとするEU諸国は、伝統的に地中海に及ぼしてきた政治的影響力を顧みなかった。

「マドリード」と「バルセロナ」

 アラブの土地のイスラエル占領を認めないドゴール将軍は、独自の対アラブ政策を推進したが、フランスの政策は徐々に後退し、劣勢に置かれていくことになる。1973-74年の石油価格の高騰後に創設した欧州アラブ対話という枠組みも、技術移転などをテーマとする専門家会合のほかには、たいして具体的な成果を上げられなかった。イスラエル・アラブ紛争の解決に向けて、欧州がより積極的に関与することを望んでいたアラブ諸国の政府は、こうした推移に落胆した(2)

 1980年代初めに欧州が、一方では近代的で世俗的とみなされていたイラク、他方では「体制を転覆させた」イスラム革命を進めるイラン、この両国の軍事紛争に視線を向けたのは事実である。戦争の終結がもたらした休息も束の間、90年8月のイラク軍のクウェート侵攻、91年12月のソ連崩壊の結果、地中海と中東の紛争情勢の唯一の管理人として、米国の座が決定的に固まることになる。EUおよび地中海に面した加盟諸国は、米国が進める政策の補佐という脇役を受け入れた、というより甘受した。そして、アラブとイスラエルの不均衡の是正を試みることもなく、もっぱら地中海両岸の経済協力、移民の統制、貿易自由化、そして文化間対話の分野だけを手がけるようになった。

 アラブとイスラエルの不均衡の是正は、95年に立ち上げられたバルセロナ・プロセス(3)に盛り込まれることになる。当時その一方では、クウェート解放のための欧米(と副次的にアラブ諸国)の軍事介入後、1991年に米国の主導下で始められたマドリード中東和平プロセスが推進されていた。マドリード・プロセスに表れていたのは、イスラエル占領地域をめぐる紛争の解決に加え、イスラエルを含めトルコからモロッコに至る地中海広域における自由貿易圏の創設をめざす米国の野心である。世界の財界人と政治家を一堂に集めた経済サミットが、94年のカサブランカを皮切りに、アンマン、カイロ、カタールと、米国によって立て続きに開催された。地中海銀行の計画も浮上したが、その後に立ち消えとなった。他方、イスラエル・パレスチナ間でオスロ合意が締結され、パレスチナ人はさらに悲惨で苦しい状況に置かれることになる。

 マドリード・プロセスが完全な失敗に終わったのに対し、バルセロナ・プロセスの方はより持続的な成果をもたらした(4)。欧州委員会と欧州投資銀行(EIB)が、EU非加盟の地中海諸国への援助を顕著に増額したことなどだ(5)。援助のかなりの部分は、構造調整および経済、貿易、財政関連の制度改革という政策の推進と徹底に向けられた。この政策は、世銀と国際通貨基金(IMF)の指導下で、1980年代初めに始められたものだ。

 バルセロナ・プロセスの目標は明白である。市場経済、自由貿易(南岸諸国の農産物を除く)、資本移動の自由化(人的資本の移動は自由化されない)、公共財政の厳格な管理、中央銀行の独立性、正統派経済学に従った通貨管理などを確立する機構制度を地中海南岸にも作り出し、それを核として徐々に経済レベルの接近を図っていくことだ。英米流のネオ・リベラリズムに浸りきった欧州指導者たちのいささか能天気な見方によれば、制度さえ接近させれば、南北両岸の対照的な生活レベルも接近に向かうはずだった。

 バルセロナ・プロセスの下での連合協定には、人権と法治国家に関する政治的な規定も含まれており、それらに関わる発言権をEUに与えている(6)。EUからの圧力により民主化改革を加速させたトルコ以外には、ほとんど効果は上がっていない。南岸諸国の政府は強権的か半強権的であり、イスラム主義の膨張が懸念されるという口実で、市民の自由に足枷をはめている。イスラエル・パレスチナ紛争に関しても、イスラエルとの協定の第2条には、国連決議の遵守を求める規定があるのだが、これをEUが援用したことは一度もない。

援助依存構造からの脱却が必要

 バルセロナ・プロセスはすぐに、正統派の財政的見地からすれば大きな経済効果を迅速に南岸諸国にもたらした。通信をはじめとする高収益分野には、民営化の動きが広がった。関税は引き下げられ、ほぼ全ての国で付加価値税が成功裡に導入された。証券取引所は多少とも活気づき、伸長する銀行部門は外国投資に門戸を開いた。公共財政の管理には改善が見られるとされ、中央銀行による通貨管理は国際的な規範に合致したものとなった。

 それでは何故、EUは2005年に、バルセロナ・プロセスに替わる新しい枠組みの創設を決定したのだろうか。この欧州近隣政策(ENP)は、EU非加盟の地中海諸国に加え、他にモルドヴァ、ロシア、グルジア、アルメニア、アゼルバイジャン、ベラルーシ、ウクライナを対象としたものだ。EUの援助はENPを通じて行われるようになり、対象国はEUが関心を持つような分野への優先的な取り組みを強いられている。その筆頭が治安分野での協力であり、国境管理能力の強化が推進されている。目的は、地中海南岸諸国や近隣のアフリカ諸国からの不法移民を阻止し、組織犯罪やテロを防止することにある。

 ENPは政治面に関しては、バルセロナ・プロセスの失敗を踏まえている。バルセロナ・プロセスは、紛争の沈静化についても、イスラエルの地中海地域への統合の鍵となる近隣諸国との国交正常化についても、目標を達成できなかった。こうしてEUは、イスラエル・アラブ紛争をひとえに米国の(偏向した)管理に委ねてしまったのが実状だ。

 ENPの立ち上げから4年と経たないうちに、フランスが新たな構想を打ち出した。この構想は、まだ草案の段階から、水面下で緊張と対立を引き起こした。どのような機構を設置するかが一つ、欧州諸国とアラブ諸国の間でどのように権限を配分するかがもう一つの争点である。欧州委員会や地中海諸国向け事業担当部局と、連合組織との調整は、どのような仕組みによって行うのか。連合組織内の決定権限は、アラブ諸国と欧州諸国との間で、どのように配分するのか。この二つの問題に加え、アラブ諸国の間では、重要な役職をめぐって競争が起きている有り様だ。

 アラブ、EUそれぞれの政府間でこうした論争が生まれ、EU内部でも官僚の縄張り争いが起きている現状は、フランスの新構想の有効性に疑問を投げかけるものだ。今回の連合構想によって、地中海南岸諸国の現実の経済問題への取り組みがなされることはなさそうだ。ましてや、両岸の生活レベルの接近に向け、しかるべき予算の付いた本格的な事業計画が策定されることもないだろう。過去15年の欧州・地中海協力の経験に鑑みれば、表面的な近代化は、必ずしも南岸諸国の経済を活性化させるものではない。貧困、失業、また一部の国では非識字に苦しむ広大な多数の地区の問題解消につながるものでもない。

 アジアの「虎」諸国の経験とその経済的、政治的成功が示すように、経済成長の第一の鍵は開発援助ではない。成長は何よりも、国内の活力と、低開発のサイクルを破ろうとする社会的な意志にかかっている。この点に関して、「バルセロナ・プロセス:地中海のための連合」は、たいした変化をもたらしはしないだろう。地中海経済の援助依存構造は、生産的経済への飛躍に向けた条件を作り出すものではないからだ(7)

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2008年7月号)