戦後ヨーロッパにおける「悪の問題」

トニー・ジャット(Tony Judt)
歴史家、ニューヨーク大学レマルク研究所長

訳・吉田徹

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 多くのヨーロッパ人は、第二次世界大戦終結に続く歳月の間、悪の問題を思考しようとするどころか、明らかに回避してきた。今日では理解しがたいものの、長年の間ショアー(ヨーロッパのユダヤ人のジェノサイド)は、ヨーロッパでもアメリカでも、戦後の知的な営みにおいて根本的な問題とはされてこなかった。知識人であるかないかに関係なく、多くの人々はこの問題をできるだけ無視しようとしてきた。

 なぜだろうか。東欧においては4つの理由が挙げられる。

 第一に東欧地域は戦中、ユダヤ人に対する最悪の犯罪が行われた場所だった。ドイツ人の命令によるものではあったが、占領下にあったポーランド、ウクライナ、ラトヴィア、クロアチアなどで自発的なナチ協力者には事欠かなかった。多くの国々では、起こったことについて忘却し、最悪の惨劇を覆い隠そうとする心理が強く働いた。

 次に、多くの非ユダヤ系東欧人もまた、ドイツ人やロシア人やその他による残虐行為の犠牲者だったことがある。大戦を回顧する場合には、隣人のユダヤ人の苦しみではなく、まず自分たちの被った苦痛と損害について思い返すのが普通だった。

 第三に、1948年に中東欧の大部分がソ連の支配下に移ったという理由がある。ソ連は公式には反ファシズム戦争、そして国内的には「大祖国戦争」の戦いを謳っていた。モスクワにとって、アドルフ・ヒトラーはまず何よりもファシスト、ナショナリストであり、彼の人種主義は二次的なものにすぎなかった。ソ連領の数百万にのぼるユダヤ人犠牲者は、ソ連側の損失ともちろんされたが、歴史書や公式の追悼行事で彼らのユダヤ性は矮小化され、さらには無視された。

 最後に、数年間の後、ソ連の抑圧の記憶はドイツ占領のそれに取って代わった。ユダヤ人の抹殺の歴史は、さらに後景に追いやられることになった(1)

 西欧でも、状況は大きく異なったにもかかわらず、同じような忘却の現象が生じた。フランス、ベルギー、オランダ、ノルウェー、そして1943年以降のイタリアでは、ドイツの占領は何より屈辱であり、戦後の政権は対独協力とその他の恥辱を忘れようとして、英雄的なレジスタンス運動や国民的蜂起、解放や殉死を賛美した。同じく戦後西ドイツでも、第一にドイツ人自身の受難を憐れむことが国民的感情となった。そして、冷戦の開始と敵の交替によって、現在の味方が犯した過去の犯罪を強調することは、不適切な行為とされた。

 有名な事例を引き合いに出すならば、1946年にプリーモ・レーヴィが自らのアウシュヴィッツ体験をつづった『アウシュヴィッツは終わらない』の原稿を、イタリアの大手出版社エイナウディに送った際に、門前払いを喰らっている。当時とそれに続く時代、ナチズムの蛮行を象徴するものは、アウシュヴィッツではなく、ベルゲン・ベルゼンとダッハウだった。つまり、人種に基づく強制収容よりも政治思想に基づく強制収容の方に目が向けられていた。レーヴィの本はその後出版されはしたものの、地元の印刷所でわずか2500部が刷られたにすぎなかった。読者も大勢いたわけではなく、フィレンツェの倉庫で眠っていた残部は、1966年の大洪水によって損なわれてしまった。

 1960年代に入り、幾多の理由から状況は変化を見せ始めた。時代は過ぎ去り、新世代が関心を向けるようになった。国際情勢の緊張が緩和したことも一因だったかもしれない(2)。1980年代には、数々の書籍や映画、テレビで取り上げられるようになったユダヤ人の撲滅は、ますます多くの人間が知るところとなった。1990年代、そしてヨーロッパ分断が終わって以来、公的の謝罪や国立の追悼施設、記念碑や博物館があちこちで誕生した。

 今日、ショアーは普遍的な一般知識であるとされるようになった。中等教育で「最終解決」やナチズム、第二次世界大戦の歴史を学習することは、世界各国で義務付けられるまでになった。アメリカや、またイギリスにさえ、ヨーロッパ近代史の学習内容はこれだけという学校もある。郷土史や哲学評論、社会学的・心理学的調査、回顧録、小説、映画、インタビュー記録、その他の様々な形式で、大戦中のヨーロッパのユダヤ人抹殺についての数え切れないほどの証言、体験談、研究が存在する。

政治的な多用

 では、全ては順調だといえるのだろうか。過去の暗部を精査し、それを正視して、二度と再現しないと誓っているのだから、それでよいといえるのだろうか。そうは言い切れない。今や全ての学童が「ホロコースト」と呼ぶようになったショアーへの現代の多大な関心は、五つの問題を投げかけている。

 ひとつは、並存不可能な記憶の間のジレンマの問題である。西欧が「最終解決」を捉える視線は、普遍的なものとなっている。しかし、ソ連が消滅し、共産主義の犯罪と失敗について自由に研究、議論できるようになると、ドイツとソ連がヨーロッパの東半分にもたらした苦難にも目が向けられるようになった。こうした文脈の中で、欧米諸国がアウシュヴィッツの犠牲者たちを強調することは、時として苛立ちを引き起こしている。ポーランドやルーマニアでは例えば、教養があってコスモポリタンな人々から、欧米知識人はなぜかくもユダヤ人の抹殺にのみ敏感なのかという問いが発せられるようになった。ナチズムとスターリニズムの犠牲となった数百万の非ユダヤ人をどう考えているのか。なぜショアーだけが特別な存在なのか、といったように。

 二つ目は、歴史の正確さと償いの過大さのおそれという問題である。西欧人は長年、ユダヤ人が戦争中に被った苦しみについて思い巡らすのを避けてきたが、今日では、常にこれを考えるよう促されている。道徳的にも同じことが求められ、「アウシュヴィッツ」は第二次世界大戦の中心的な倫理的問題となった。しかしこのことは、歴史家を誤りへと導くことになる。なぜなら、多くの人々は戦争中のユダヤ人の運命については何も知らず、また仮に知ったとしても、それほど気に病みはしなかっただろう、というのが悲しい真理だからである。第二次世界大戦の最大の目的はユダヤ人撲滅にあると考えていたのは、ナチスとユダヤ人自身の二つの集団だけだった。その他のほとんどの人々にとっては、戦争は大きく異なる意味を持った。皆がそれぞれの問題を抱えていたのである。

 戦争中占領下にあった国々よりも、今日の私たちの生活での方が、ホロコーストがより大きな意義を持っているという事実を受け止めるのは難しい。しかし、私たちが悪の本当の意味を理解したいのならば、ユダヤ人の撲滅がなぜかくも恐ろしいことなのかは、それが重大事だったからではなく、むしろ些事として起きた点にあることを思い起こさなければならない。

 三つ目の問題は、「悪」の概念そのものと関わる。この概念は長い間、現代の世俗社会で収まりの悪い存在だった。私たちは善と悪について、正義と不正義について、犯罪と懲罰について、もっと合理的で法的な定義を求める。しかし近年では、この言葉は次第に道徳的言説だけでなく、政治的言説にも再び用いられるようになった。そして、「悪」の概念が公論の中に復活するようになった今、我々はそれをどう使えばよいのかわからず、思考に混乱をきたしているのである

 つまり、一方では、ナチスによるユダヤ人の抹殺は類をみない犯罪、空前絶後の悪であり、「二度とあってはならない!」ものの例証、戒めだとされている。しかし他方では、この同じ悪、「唯一」の悪を、唯一とはとてもいえない多くの異なる事例に関して示唆している。近年、政治家や歴史家、ジャーナリストは、カンボジア、ルワンダ、チェチェン、スーダンなど、世界中で起きている大量殺害やジェノサイドの罪を指すのに「悪」の語を用いてきた。「悪」に属する現代の独裁者の性質や意図を指すのにヒトラーの名前が頻繁に持ち出され、世界中に「ヒトラー」がいるという。

 さらにいえば、ヒトラー、アウシュヴィッツ、ユダヤ人のジェノサイドが唯一の悪だというならば、なぜこうした犯罪がどこにおいても起きうるものであり、あるいは起こりつつあると絶えず警告が発せられるのだろうか。フランスのシナゴーグの壁に反ユダヤ主義のいたずら書きがされる度に、この「唯一の悪」が我々のうちに舞い戻り、1938年が再来していると警鐘が鳴らされる。私たちは、浅はかさや偏見、日和見主義、デマゴギーや狂信といった人類の通常の罪と愚かさと、真正な悪とを区別する能力を失っている。「悪」を絶えず口にはする。しかし結果として常に、「悪」の意味を希釈することにしかつながっていない。

イスラエルとの関係性

 四つ目の懸念は、いかに深刻な問題であれ、私たちの感情的、道徳的エネルギーをたったひとつの問題に集中させてしまうことだ。この種の視野狭窄を、「テロとの闘い」に邁進するホワイトハウスのテロリズムの悪への固執にみてとることができる。問題は、テロが存在するか否かではない。もちろんテロは存在する。テロとテロリストたちと闘うべきか否かでもない。もちろん闘わなければならない。問題は、ひとつの敵と闘うことに集中し、それに比べれば小さな私たち自身の数々の罪を正当化することで、私たち自身が犯す罪を正当化して他の諸悪を見逃し、あるいは新たな悪を作り出していっているのではないか、ということにある。

 今日、私たちが反ユダヤ主義に魅入られ、それを唯一の重大事だと主張していることに対しても、同じことがいえる。反ユダヤ主義はテロリズムと同じように古い問題である。そして、何かしらの兆候があればすぐに、過去にその危険を深刻に受け止めなかったことの帰結が喚起される、という意味でも両者は類似の問題である。しかし、テロと同じく、反ユダヤ主義についてもそれを世界における唯一の悪とみなし、他の犯罪や苦悩を無視する弁明に用いてはならない。テロリズムや反ユダヤ主義を文脈から切り離して抽象化すること、すなわち西洋文明や民主主義、「我々の生活様式」に対する最大の脅威として祭りあげ、その首謀者たちを標的として終わりなき戦争を続けることは、現代における数多の課題を無視することにつながる危険性をはらんでいる。

 冷戦時代は、西側の知識人や政治家にとって「全体主義」が、今日のテロリズムや反ユダヤ主義のごとく、他の何にもまして圧倒的な強迫観念になりかねなかった。そしてこの現象が、いかに開かれた社会にとっての脅威であるかを理解していたハンナ・アーレントは、現代にも通じる警鐘を鳴らしたのである。

全体主義をこの世紀の災厄と認識することの最大の危険は、地獄への道を敷き詰めている無数の小さな悪や、さほど小さくはない悪に対して盲目になればなるほど、それだけ全体主義にとりつかれるようになるということである(3)

 最後の懸念は、ヨーロッパで起きたホロコーストの記憶とイスラエル国家との関係である。1948年に誕生して以来、イスラエル国家はショアーと複雑な関係を取り結んできた。ヨーロッパのユダヤ人がほぼ抹殺されたことは、一方ではシオニズム運動の正当化につながった。つまり、非ユダヤの地においてユダヤ人は生存も繁栄も許されず、ヨーロッパの国民や文化への統合・同化は悲惨な幻想にすぎなかったのだから、自分たちの国家が必要だとされたのである。しかし他方では、ヨーロッパのユダヤ人は「屠殺場へと導かれる羊」のように自らの破滅に向かって邁進していったという認識が広く共有されたため、その過去を否定し、ユダヤ人の破局は弱さから生じたと断じることが、イスラエルの最初のアイデンティティを形成した。新国家は、新しいユダヤ人を生み出すことで、そうした弱さを克服しようとした(4)

 しかし近年になると、イスラエルとホロコーストの関係性は変わった。今日ではパレスチナ人に対する虐待や、1967年以来の領土占領に関してイスラエルに国際的非難が集まると、イスラエルを擁護する者たちはショアーの記憶を前面に押し出すようになった。彼らは、イスラエルを厳しく批判することは、反ユダヤ主義という悪魔を呼び起こすことになる、と警告する。さらにイスラエルに対する過大な批判は反ユダヤ主義を呼び起こすだけでなく、反ユダヤ主義そのものであるともほのめかす。そして反ユダヤ主義は、1938年の「水晶の夜」へ、次いでトレブリンカとアウシュヴィッツへと進む、あるいは退く道を開くというのである。

 このような主張を導く感情は理解できる。しかし、そのような主張はそれ自体が危険である。私やその他の人間に対し、余りに強くイスラエルを批判すれば、人種的偏見の亡霊を呼び覚ましてしまう、と責める者もいる。私はそれに対し、本末転倒だと返答することにしている。なぜなら、こうしたタブーこそが反ユダヤ主義を煽り立てるものだからだ。ここ数年間、私はアメリカやその他の国の大学や高校で、戦後ヨーロッパの歴史やショアーの記憶について講演をする。また大学でそれらを講ずる立場から、現場で何が起きているかを証言することができる。

もうひとつの凡庸さ

 大学生や高校生は、ユダヤ人のジェノサイドや反ユダヤ主義の歴史的帰結、あるいは悪の問題について、改めて注意を喚起される必要はない。彼らは親たちとは比べものにならないほどのことを知っている。このこと自体は歓迎すべきことだ。しかし私は最近、新たな疑問が提起されていることに大きな驚きを禁じえなかった。「なぜホロコーストについてそこまで集中的に学ばなければならないのか」、「なぜ一部の国ではショアーの事実を否定することが禁止されているのに他のジェノサイドについてはそうでないのか」、「反ユダヤ主義の危険が誇張されているのではないか」等々。とりわけ増えてきているのが「ナチスのジェノサイドはイスラエルの弁明として役立っているだけではないのか」という問いである。過去にこのような質問が寄せられた経験はない。

 二つのことが起きているのではないかと私は懸念する。まず、現代の様々な問題に際して常にホロコーストを引き合いに出し、それが歴史的に唯一の事件であったことを強調する余り、若者たちを混乱に陥らせたのではないかということだ。もうひとつは、イスラエルを非難したりパレスチナ人を擁護する度に反ユダヤ主義を言い立てることで、シニシズムを生み出しているのではないかということだ。しかし、実際にはイスラエルの存在が今日危険に晒されているわけでもなければ、今日欧米でユダヤ人が過去に体験したような、ましてや他のマイノリティーが現在体験しているような、危険や偏見に晒されているわけでもない。

 次のように問うてみよう。アメリカのムスリムや「不法移民」は、安全で、受け入れられて、歓迎されていると感じているだろうか。イギリスの「パキ」はどうだろうか。オランダのモロッコ人はどうだろうか。フランスのアラブ人はどうだろうか。スイスの黒人はどうだろうか。デンマークの「外人」はどうだろうか。イタリアのルーマニア人はどうだろうか。ヨーロッパ全土のロマ人はどうだろうか。ユダヤ人の方が、もっと安心で、統合され、受け入れられていると感じるのではないだろうか。答えは皆が知っていることだろう。ドイツはいうまでもなく、オランダやフランス、アメリカでも、ユダヤ人はビジネス、メディア、芸術の世界に数多く存在している。そして彼らは、どの国にいても、後ろ指を指されているわけでも、脅迫を受けているわけでも、排除されているわけでもない。

 ユダヤ人(そして私たち一人一人)が懸念すべき脅威は、他のところから来る。それはイスラエルというひとつの国を守るために、ジェノサイドの記憶を強く植えつけた余りに、その道徳的意味を局所化しかねない点にある。全体主義の悪であろうと、ジェノサイドの悪であろうと、悪の問題は普遍的な問題である。しかし、それが一国の利益のために操られたときに起きるのは(実際に起きたように)、ヨーロッパで犯された罪の記憶に距離のある人々(ヨーロッパ以外の人々や、覚えているには幼すぎた人々)が、この記憶がどうして自らと関係するものなのかを理解せず、私たちが説明しようとしても耳を傾けてくれないという事態である。

 ヨーロッパ人の記憶のスクリーンに浮かぶアウシュヴィッツから発せられる道徳的な戒めは、アジア人やアフリカ人には届いていない。そしておそらく最大の問題は、関係した世代にとっては当然のように思われた事柄が、子供や孫の世代の間で意味をますます失っていってしまっていることだ。

 私たちの博物館や記念館、ここを訪れる見学旅行は、何かを思い起こすためではなく、贖罪を果たし、記憶を忘却にまかせ、自分たちの代わりに記念碑に記憶させておくためのものですらあるかもしれない。私にはわからない。ベルリンの在欧ユダヤ人虐殺記念館を最後に訪れたとき、授業の一環として来た生徒たちは、石碑の間で隠れん坊をして退屈を紛らわせていた。私にわかるのは、歴史が自らの仕事、つまり犯罪を含めたあらゆる過去の証拠品を永遠に保存するという仕事を行うべきであるのなら、なすがままにしておくのが最善だということだ。政治的な目的のために過去を引っぱり出して、役に立ちそうな断片を選り分けたり、都合の良い道徳的教訓を歴史に語らせたりしても、悪しき道徳と悪しき歴史しか得るものはない。

 人間には、アーレントが語っていた悪名高い凡庸さ、つまり厄介で、普通で、身近で、日常的な悪が備わっている。しかし、もうひとつの凡庸さがある。それは過度に使用することから来る凡庸さである。同じものを何度も見たり、述べたり、考えたりすれば、そのことの意味を薄め、感覚を鈍らせることになる。相手の側は、私たちが説き起こす悪に何の感興も覚えず、免疫を持つようになってしまう。私たちが立ち向かうべきなのは、こうした凡庸さ、あるいは「凡庸化」なのである。

 1945年の後、私たちの親の世代は悪の問題を退けた。彼らにとって、余りにも意味が重すぎたからだ。私たちの世代の後に登場する世代を待ち受ける危険は、その意味が余りにも薄くなってしまったがゆえに悪の問題を退けるかもしれないということにある。これをどうすれば避けられるのだろうか。

本稿は、トニー・ジャットが2007年11月30日にドイツのブレーメンで行った2007年度ハンナ・アーレント賞の受賞記念講演からの抜粋である。

(1) 仏語版編集部註:この傾向は、晩年のスターリンが1948年から53年にかけて、ソ連のユダヤ人に激しい弾圧を加えたことで加速した。その頂点が、いわゆる「医師団陰謀事件」である。こうした姿勢にもかかわらず、スターリンは1948年の戦争の際、パレスチナ人およびアラブ諸国と敵対したユダヤ人勢力の側を政治的、軍事的に支援した。
(2) 仏語版編集部註:アドルフ・アイヒマンが1960年に拉致され、翌年に裁判にかけられたことも、こうした意識を強める方向に働いた。
(3) ハンナ・アーレント、ジェローム・コーン編『理解と政治』(齋藤純一ほか訳、みすず書房、2002年)77頁。
(4) Cf. Idith Zertal, Israel's Holocaust and the Politics of Nationhood, translated by Chaya Galai, Cambridge University Press, New York, 2005, esp. Chap.1, << The sacrificed and the sanctified >>.


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2008年6月号)

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