アメリカ大統領選の欠けた争点

ウォルター・ベン・マイケルズ(Walter Benn Michaels)
イリノイ大学教授(シカゴ)

訳・日本語版編集部

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 バラク・オバマのキャンペーンの中で「人種問題」が大きな焦点となった時が2回ある。最初は今年1月、サウスカロライナ州の予備選で勝利を収めた夜のことだ。オバマ勝利は黒人票のおかげだとウィリアム・クリントンがコメントした。それを聞いたオバマ支持者は一斉に、「人種なんて問題じゃない!」と連呼を始めた。

 オバマを支持する小説家、アイレット・ウォルドマンは言う。「私たちはそこにいた。オールド・サウスのただなかに。そこでは南軍旗が今なお、かのベンジャミン・ティルマンの銅像の横にはためいている。黒人に投票させなかったことを誇り、『我々は票を操作した。やつらを銃撃した。それを恥じはしない』と言い放った知事だ。その横で私たちは連呼した。『人種なんて問題じゃない、人種なんて問題じゃない!』と。白人も黒人も、ラティーノもアジア系も、一つになって、お定まりの政治を拒絶した。一つになって、アメリカは別様であり得るという考えを掲げた。一つだった、バラバラじゃない(1)

 2回目は3月の演説だ。これには、かつて私淑していたジェレマイア・ライト牧師の問題アリな説教に対する反論の意味もこめられていた。オバマは「より完全な一体化」を基調テーマとして、「人種問題は、国民が現時点で見過ごすことのできない(・・・)問題である」と言明した。彼がこの時に切り出したのは、多くの評論家が口にする「人種問題についての国民対話」であり、その必要性は高まっているとされている。

 「されている」と書いたのにはわけがある。アメリカ人は人種を話題とすることを好まない、などと今日では言い立てられている。しかし我々が人種を好んで話題にし、数世紀にわたって語り続けてきたことは、漫然と見ただけでも明らかと思えるからだ。アメリカ人が不得手な話題は階級である。オバマにもその経験がある。サンフランシスコで資金集めをしていた際、「苦々しさ」を覚えている貧困層は宗教を慰めとしていると失言したのだ(2)

 さて、この1回目と2回目に矛盾があることは、すぐに見て取れる。一方は「人種なんて問題じゃない」というスローガン、他方は何故それが結局は問題になるのかを語った演説である。とはいえ、3月の演説を促したもの、つまりアメリカの人種差別という歴史的現実は、有望感にあふれた1月の連呼を引き起こしたもの、つまり黒人男性の選出がそうした歴史を克服する大きな一歩になるという揺るぎない考えと通底している。そこがつかめれば矛盾は解消される。

 こうした有望感、長きにわたる人種分断の歴史を乗り越え、W・E・B・デュボイスによれば20世紀を画した人種問題(3)を21世紀には解決できるという有望感こそが、オバマのキャンペーンの特長になっている。彼の言う「信じられる変革」というのは、イデオロギーを変えようという意味ではない(イデオロギー的には彼とヒラリー・クリントンはほとんど同じであり、もしイデオロギーの変革を欲するならば、民主党の適任候補はジョン・エドワーズだろう)。彼のスローガンは、文化を変えようということであり、主張できるというよりは体現すべきものなのだ。そして、それを体現できるのは黒人だけだ。黒人を選出することは、「人種なんて問題じゃない」と言い切る白人の選出よりも、ひときわ大きな説得力をもつ。

 オバマのキャンペーンは今にいたるまでずっと人種問題、とりわけ進歩的政策たる人種差別反対を軸としてきた。オバマ陣営が民主党の予備選を通じて、党内のいわゆる進歩派について描いてみせたイメージは、アメリカ人を導く羊飼いだ。行く手には、黒人だけでなくアジア系、ラティーノ、女性、同性愛者みなにとって、より開かれた平等な社会がある。だが、このイメージの(魅力の一つでもある)問題は、それが虚妄だということだ。人種差別反対闘争が(不完全ではあっても)並々ならぬ進歩をもたらしはしなかったという意味ではない。その進歩が、より開かれた平等なアメリカ社会にはつながらなかったという意味だ。

「エリートの多様化」の限界

 今日のアメリカ社会の開放性と平等性は、南部が差別主義に覆われていた時代、人種差別が広がっていただけでなく州政府の後押しを受けていた時代と比べてさえも、多くの点で低下している。新自由主義の経済政策は、文化的、民族的、時には宗教的な差違の意識をかき立て、富や所得の不均衡に対する許容度を広げがちだ。アメリカでは、経済的不平等を表すジニ係数(所得が完全に平等な場合は0、完全に不平等な場合は1)などの指標が後退を示している。ジニ係数を見ると、「ジム・クロウ」法と通称される差別主義法が南部を席捲していた1947年には0.376だったのが、2006年には0.464に達している(4)。顕著な上昇である。アメリカは1947年には、西欧諸国と(比べ不平等度がやや高いとはいえ)同列に並んでいた。それが2006年にはメキシコや中国と同列に成り下がった。

 別の切り口から捉えてみよう。1947年には、上位20%の国民が年間総所得の43%を得ていた。人種差別や性差別、同性愛差別に反対する闘争が、かなりの勝利を収めた後の2006年には、それが50.5%にのぼる。金持ちがますます金持ちになったということだ。

 つまり、人種間・ジェンダー間の平等推進(ここ6カ月に民主党が相対的に成功してきた分野)は、経済的平等をもたらしはしなかった。むしろ、経済的不平等の拡大や、よりエリート主義的な社会の形成と相性がよかったと言えるほどだ(5)。それには根本的な理由がある。人種差別反対や性差別反対の第一の目的が、社会をより平等にすること、社会の中でエリートとそれ以外の人々の格差を減らしたりなくしたりすることではなく、エリートの多様化を通じてエリートを正当化することにあったからだ。

 それゆえアメリカのリベラル派にとっては、大学入試でのアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)のような施策が象徴的な役割を果たす(6)。偏見や差別のせいでハーヴァード大学やイエール大学のような場所から排除される者がいないことを保証してくれるからだ。ただし、排除の最大の機制である富はそのまま温存される。リチャード・カーレンバーグの有名な表現によれば、アメリカの146のエリート大学の中で「裕福な学生に会う確率は貧乏な学生に会う確率より25倍も高い」。貧乏な学生に対する差別ではなく、貧困そのものが原因である。つまり、合格の可能性があっても、エリート大学を志望できるような教育も受けられず、生活条件にも恵まれない。入学できても通学を続けられる可能性は低い。

 アファーマティブ・アクションの発想によれば、問題は人種差別にある。富裕層の子女の「肌の色」を多彩にすることが解決策となる。この種の「解決策」は職業に関してもついてまわり、弁護士や大学教授、ジャーナリストその他、エリートの地位と収入に手が届くような職業でも、同様の奮闘が繰り広げられることになる。その目的は、人種やジェンダーが比例的に代表されればよいとする社会正義モデルの実現だ。したがって、エリートの多様化を望むのであれば、黒人大統領の選出ほど理想的なことはない。僅差の次善が、女性大統領の選出である。

 あり得べき不平等、つまり「人種」間やジェンダー間の不平等ではなく、現にある不平等、つまり所得と富の不平等に取り組むことを目標にするのなら、言い換えれば、人種差別や性差別(今日のアメリカにおける選別の基準)による不平等ではなく、新自由主義(選別の根源)による不平等に取り組む施策を推進しようとするのなら、今の黒人男性候補も白人女性候補も同じ程度に期待できない。

キング牧師の遺志

 というのも、2人の民主党候補は結局のところ、4月の討論を見てもわかるとおり、年収10万〜20万ドルのアメリカ人が「中産階級」ではなく上層階級に属することを公に認められずにいるからだ。クリントンは、「年収25万ドル以下の中産階級のアメリカ人への課税は何一つ引き上げない」と約束した。ジャーナリストのチャールズ・ギブソンが(年収800万ドルを稼ぐだけあって激烈な口調で)減税については「ふわふわしている」と突き上げたオバマもまた、年収20万ドル以下を対象とした減税措置の見直しはしないと約束した(7)

 年収15万ドル以上の世帯は7%、10万ドル以上でも18%にすぎず、年収5万ドルに満たない世帯が過半数にのぼる(8)。年収20万ドル近くでもまだ中産階級で減税が必要だと民主党が考えるのならば、共和党のお株は奪われてしまう。

 言い換えれば、クリントンとオバマはアメリカのリベラル派の象徴である。リベラル派の政治倫理は、人種差別や性差別による不平等に対する否認と闘争に力を注ぐ。その一方で、差別に由来するのではなく、通常は搾取と呼ばれるものに由来する不平等は、視野の外に置いている。

 公民権法(9)の成立から3年後の1967年8月、この法律の保障する権利を現実のものとする努力がまだ端緒にあった頃、マーティン・ルーサー・キングは既にこう問いかけていた。「さて次は何をすべきか」。彼はもちろん公民権闘争の偉大な指導者の一人だったが、それだけで終わる人物ではなく、目標をさらに先に置いていた。アメリカに4000万人もの貧民がいるという理解の下に、「経済システムを問い、富のよりよい分配を求め、(・・・)資本主義経済を問い直すこと」だ。

 当時アメリカには(今日と同様)、貧しい黒人を上回る数の貧しい白人がいた。キングにはよくわかっていた。彼は、人種差別が経済的不平等の原因ではなく、人種差別に反対することが経済的不平等の解決につながらないことを知っていた。と同時に、その真の原因である「資本主義経済」を疑問視すれば、「すさまじい反対」を引き起こすだろうことも察知していた。キングはその闘争を率いる間もなく死んだ。疑問視はなされず、彼が予期した「すさまじい反対」が起こるよしもなかった。代わりに出てきたのは、公民権運動の人種差別反対論だった。また、フェミニズムであり、同性愛者の闘争であり、一群の「新社会運動」だった。それらはキングが対決するつもりだった「資本主義経済」と完璧に相性が一致していた。

 オバマあるいはクリントンが、キングの遺志を継ぐことは依然可能だ。しかし、その見込みは薄い。新自由主義は人種やジェンダーと難なく折り合いを付けている。人種やジェンダーを体現する候補の側も、特別な愛情でそれに応えているように見える。

(1) http://my.barackobama.com/page/community/blog/ayeletwaldman
(2) 失業や購買力低下のせいで苦々しさを覚えているアメリカ労働者層は「銃器や宗教に固執したり、自分たちとは違う人々への嫌悪感、移民や貿易への反感を養ったりする」こともある、と4月6日にオバマは述べた。
(3) Cf. Actes de la recherche en sciences sociales, special issue, << Politiques imperialistes >>, No.171 -172, Paris, March 2008.
(4) 比較のために挙げると、フランスは0.383、ドイツは0.283、スウェーデンは0.25である。
(5) See Serge Halimi, << Rituel democratique et societe de castes >>, Le Monde diplomatique, November 2006.
(6) See John D. Skrentny, << L'"affirmative action" americaine en declin >>, Le Monde diplomatique, May 2007.
(7) 2001年および2003年にブッシュ大統領の提案に基づいて議会が可決した減税措置は、2011年に失効する。ジョン・マケインがこの措置の恒久化を約束したのに対し、クリントンとオバマは「中産階級」よりも上の所得層に関する見直しを公言している。
(8) 米国勢調査局による。このデータはオンラインで閲覧可能(http://factfinder.census.gov)。
(9) 1964年の公民権法は、雇用慣行全般に関して「人種、肌の色、宗教、性別、出身国」による差別を禁じている。翌年の投票権法は、連邦レベルにおいて黒人が投票する権利および議会に公平に代表を送る権利を保障している。


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2008年6月号)

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