中絶の権利に吹きつける逆風

アンヌ・ダゲール(Anne Daguerre)
ミドルセックス大学(ロンドン)研究員、
国際研究センター(パリ)客員研究員

訳・土田修

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 イタリアでは、保守系紙の記者が「中絶を停止せよ」との論説を書き、ベルルスコーニの党「フォルツァ・イタリア」の議員が中絶合法化を見直すべしとの動議を国会に提出した。ヨーロッパで、中絶反対論が再燃しつつある。アメリカでも、同様の主張をホワイトハウスが支持する姿勢を見せている。医療制度の悪化ともあいまって、出産するかどうかを女性が自分で決める権利が危うくなっている。[フランス語版編集部]

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 一般的な通念とは反対に、中絶の権利は先進国においてさえ盤石ではない。2007年3月に人工妊娠中絶を合法化したポルトガルのように、EU加盟国の大部分では中絶の自由化が進んでいる。しかし、具体的な条件や法的な位置付けは各国で大きく異なる。西欧、特に北欧諸国ではかなり保険が利くのに対し、東欧では人工中絶を受けるのがますます難しくなっている。アメリカでは、中絶権は実質的に骨抜きにされている。

 スカンディナヴィア諸国や一部の大陸ヨーロッパ諸国は、女性の権利に関してパイオニアとなってきた。オランダは、中絶率がヨーロッパで最も低い国の一つだ(1000人当たり8人)。それは性教育と避妊教育についての積極政策を反映している。15歳から44歳までの女性の75%が近代的な避妊手段を用いている(1)。人工中絶は高度に熟練した医者によって専門病院で行われ、公的な保険で全額カバーされる。

 同様の考え方はスカンディナヴィア諸国、特にスウェーデンやデンマークでも主流だ。これらの国で人工中絶が場合により合法とされたのは1939年のことだ。1973年には妊娠12週目までなら申請に応じて認められるようになった。12週目以降の場合は、婦人科医とソーシャルワーカー、心理学者で構成される協議委員会に申請する。未成年者であれば両親の許可が必要だが、娘の性交渉という事実を家族が認めようとしない場合は紛糾する。その場合、協議委員会が両親の同意なしに申請を受理することになる(2)。中絶率は1000人当たり13人程度と非常に低い。人工中絶は病院で無料で行われ、中絶薬を使うケースが3分の1を占める。

 これらの国ではフランスなど他のヨーロッパ諸国と違って(3)、看護スタッフによるサポートも手厚い。ドイツやイタリアでは、事前面談が必要とされており、フランスやオランダと違って中絶薬は普及していない。スペインでは、精神状態を含めて母体の健康が危ぶまれる場合には中絶が認められる。このように、中絶はごく普通の措置となっているが、当事者女性に対するある種の非難はいまだに根強い。酒の飲みすぎや煙草の吸いすぎと同列視して、無責任だという非難が時として向けられる(4)。「『なぜもっと注意しなかったんだ?』と言われることもある」と、オールボー大学で社会学と人口学を教えるリスベット・クヌッセンは述べている。「とはいえ、こうした言い方は、『おまえは一つの命を抹殺しようとしているのだ』という非難とは次元が異なる(5)

 スコットランド、イングランド、ウェールズでは(6)、妊娠を中断するより継続する方が母体に危険がある場合、妊娠24週目まで中絶が認められる。この幅広い規定により、イギリスの中絶法は非常にリベラルなものの一つとなっている。女性が望めば人工中絶は常に認められる。イングランドとウェールズの中絶率は1000人当たり16人程度で、西欧で最も高い部類に入る。

 とはいえ、障害がないわけではない。中絶の申請には二人の医師の書面同意が必要とされるため、時機を逸してしまう恐れがあるからだ。医師の大多数は人工中絶に賛成しているが、一般医の約20%は反対の立場を取っている。中には医者としての権力を使って中絶を阻止する者もいる(7)。家族計画協会のスポークスパーソンであるレベッカ・フィンドレイは、『主治医が二人目の医師を紹介してくれないんです』と言ってくる女性たちがいる。医者は手続きを遅らせることができるので、当初は妊娠6週目だった女性が11週目に入ってしまうこともある」と嘆く。こうした制度の簡略化を求める声が高まっている。

 中絶希望者にとっての大問題は、組織が整備されておらず、資金も不足していることだ。例えば、2004年に政府は避妊・中絶関連予算として、地方の保健機関である初期診療トラストに3億ポンド(約630億円)を割り当てた。ところが、初期診療トラストは完全に独立運営で、人工中絶に関しては1人当たり平均6.5ユーロしか支出していない。「初期診療トラストはこの金を別のところ、循環器系の病気やガンなど優先順位が高いと判断した分野に使ってしまった。避妊は優先分野とはみなされておらず、昔からずっと予算を抑えられてきた」とフィンドレイは説明する。

ロシアやポーランドでは法改定

 その結果、無料で人工中絶を受けるのは宝くじに当たるのと同じぐらい難しくなっている。判断は3週間以内というのが政府による目安だが、地域によってはそれ以上待たされることもある。待たされるのは耐えられないからと、自腹で800ユーロの費用を負担する者もいる。家族計画協会の推定によると、2006年に中絶を経験した女性の13%は自己負担だ。中流階級の女性なら「奮発」できる費用だが、貧しい女性、特にホームレスや難民申請者にとって800ユーロは途方もない大金だ。

 こうした障害があるにしても、中東欧諸国の女性に比べれば、イギリスの女性はずっと恵まれた立場にある。中東欧諸国の女性にとって、医療機関の敷居は非常に高い。東の諸国(ベラルーシ、ブルガリア、スロヴァキア、チェコ、ハンガリー、ポーランド、ルーマニア、ロシア、ウクライナ)では、妊娠1000件当たり44件が中絶に終わる。ルーマニアを除く旧ソ連ブロック諸国では、誰でも受けることのできる無料の人工中絶が、主要な避妊手段になってきたからだ。だが、共産主義体制が崩壊した後、人工中絶を受けるのは次第に難しくなっている。

 最初の障害は、医療の民営化に伴う費用の問題だ。人工中絶が有料となったため、貧しい女性たちは窮地に陥っている。ハンガリーでは、医療上の理由がある場合を除き、中絶には保険が利かない。手術代は平均100ユーロ、最低月額賃金(2008年で273ユーロ)のほぼ3分の1に相当する。ポーランドでは、1997年に中絶が非合法化されたため、施術する医者を見つけても高額の費用を請求される。最低月額賃金(2008年で311ユーロ)の4倍から8倍だ。ただでさえ高い上に、麻酔を使うとさらに250ユーロが加算されるため、麻酔なしで済ませる女性が大半だ(8)

 二番目の大きな問題は、中絶反対派ロビーの影響力が増していることだ。その多くは正教会やカトリック教会と近い関係にある。彼らは人口減少の問題を巧みに利用している。ハンガリーでは、「命の権利」を訴える勢力が圧力をかけた結果、政府は2001年に人工中絶の条件を厳しくし、2度の事前面談を義務付けた。つまり、時機を逸してしまう可能性が高くなる。ロシアでは、1990年代後半から中絶反対派の影響力が増しており、プーチン大統領もそれを支持している。2003年5月、連邦議会での演説で、プーチン大統領は人口問題はロシアが立ち向かうべき最大の課題だと述べた(9)

 ロシアの政党の大半は、死亡率が出生率を上回り、人口が減少しているのは中絶のせいだと考えている。2002年、保守派のアレクサンドル・チュエフ議員はこの考え方に沿って、社会福祉を理由とした人工中絶を禁止する法案を提出した。それまでの法律では、失業、孤立、不安定な住環境、無収入など、13の社会福祉上の理由による国定の中絶が認められていた。2003年にチュエフ法案が可決された結果、強姦による妊娠の場合、女性本人が投獄されていたり親権を失っている場合、相手の男性が障害者の場合にしか中絶は許可されなくなった(10)

 ポーランドでも筋書きは同じだ。キリスト教原理主義ロビーが、中絶の実質的な非合法化という成果を上げている。1997年以来、中絶は母体の生命に危険のある場合や胎児に重大な奇形がある場合、強姦や近親相姦による妊娠の場合にしか認められなくなった。医師の大部分は、母体の健康が危うい場合でも、起訴を恐れて中絶手術を拒否するようになった(11)。届け出のある人工中絶は1997年が3047件、1998年が310件、2004年が199件と減少の一途をたどっている。術後に合併症を起こすことも多い非合法の中絶は、年に8万件と推定されている。中絶反対派が女性の権利を狭める勝利を重ねている理由の一つは、彼らがアメリカの同類から物理的、金銭的支援を受けていることにある。アメリカ最大のカトリック系中絶反対団体であるヒューマン・ライフ・インターナショナルは、グダニスクに支部を作り、中絶反対キャンペーン要員を育成してきた(12)

 アメリカでは、1973年1月に最高裁判決「ロー対ウェイド」により中絶が合憲とされ、中絶の是非は医師と本人の私的な関係において決めてよいとされた。この判決の効力は、すぐさま一連の連邦法によって弱められた。1973年にはチャーチ修正法案(アイダホ州選出の民主党上院議員フランク・チャーチの名前にちなむ)が可決され、連邦政府の補助金を受ける機関や個人が道徳的、宗教的理由から人工中絶を拒否することが認められるようになった。1977年にはハイド修正条項により、強姦、近親相姦の場合や母体の生命を救う目的以外で、連邦政府の資金を中絶に使うことが禁止され、資金の投入は州政府の考え次第になった。さらに1989年には、州政府による人工中絶の制限が最高裁によって合憲と判断された。

アメリカの民主党はどっちつかず

 1980年代から90年代にかけて、アメリカの中絶反対派ロビーは組織化され、暴力に訴えることも辞さず、決定的な勝利を得た。1980年代に、中絶反対団体は家族計画センターに対する襲撃を繰り返した。1990年代になると、状況はさらに悪化し、7件の殺人事件と17件の殺人未遂事件が起きている。連邦政府も医師や女性本人に対する威嚇行為を厳しく取り締まらざるをえなかった。1994年には、人工中絶センターの自由な利用を保証した法律(Freedom of Access to Clinic Entrances Act)が制定された。しかし同法は期待されたような抑止効果を発揮しなかった。

 1995年1月22日、「命のための行進」という毎年恒例のデモがワシントンで行われた際、中絶反対団体の一つ、全米ライフ・アクティヴィスツ連盟は「人道に反する罪で有罪」と書いたプラカードを掲げた。そこには13人の「堕胎医」の名前と住所が列挙されていた。これらの医師は以後、警察の常時警護を受けざるをえなくなった(13)

 人工中絶を手がけるアメリカの医師はごく少数であり、月に25件以上の手術を行っているのは婦人科医の2%にすぎない。彼らを特定することは簡単だ。医師の任務はますます危機的になっている。中絶を行う医師は激減し、いくつかの州は医師不足に直面している。その結果、人工中絶は金を払える中流階級の女性しか受けられなくなった。 実際、民間保険の大半は、バイアグラ関係では保険金がたいてい下りるのに、避妊や中絶で保険金が下りることはない。

 こうした攻撃に対して、「プロチョイス」派(14)は受け身にとどまっている。さらに重大なことに、中絶反対論の主張の一部に民主党も耳を傾けるようになってきた。民主党支持者の大半が中絶を道徳的に罪深いものだと思っているからだ。民主党は、最後の解決策として中絶を認めつつ、望まれない妊娠の数を減らすことが必要だと主張する戦術を採っている。そのため、民主党議員が中絶反対法について、党の主流意見に反して共和党議員と共闘したり、棄権したりしても問題視はされない。共和党が無条件の中絶権をなし崩しにするために熱意を燃やしているのに比べ、同じ権利の擁護に民主党がかける熱意は乏しい。

 2000年に共和党が政権に復帰して以来、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、中絶反対派を無条件で支持してきた。ブッシュ政権は禁欲的性教育事業に予算を重点配分し、避妊や中絶に関わる予算をばっさりカットした。その上、中絶反対法も強化された。2003年には、妊娠後期の中絶手術を禁止する連邦法が成立した。妊娠後期の中絶手術は、開始時点では胎児がまだ生きていることから、反対派によって「部分出産中絶」と名付けられている。この2003年法により、胎児には母親と同様の権利があると規定された。2004年には「出生前の暴力被害者に関する法律」が制定され、妊婦に対する犯罪行為を犯した者は、妊婦と胎児に対する二重の暴行または殺人のかどで起訴されることになった(15)

 共和党政権は人工中絶を受けにくくしたばかりでなく、最高裁長官に超保守主義者のサミュエル・アリートを任命して以来、部分的に禁止することにも成功した。2007年4月18日には、アリート長官のキャスティングボートのおかげで2003年法が合憲とされ、中絶権の抜本的な見直しに道が開かれた。さらに憂慮すべきことは、民主党がどっちつかずの態度でいるせいで、中絶反対派が全面的な勝利を収めていることだ(16)。2005年1月24日、ニューヨーク州の家族計画センター関係者の会議で、ヒラリー・クリントン上院議員は「中絶が多くの、多数の女性にとって辛く、さらには悲劇的な選択であることを、私たちは誰しも認めることができる」と発言した。だが、望まれない子どもを生むことは、乳幼児殺しが後を絶たない事実に見られるように、それ以上に悲劇的だ(17)

 欧州の若い女性の大多数にとって、人工中絶は見直しの余地のない基本的な権利である。中絶反対派の感傷的な主張はフランスではあまり聞かれず、憤慨でなければ失笑を買っているにすぎない(18)。しかし、東欧やアメリカで成功を収めている反動派の運動は、あらゆる社会的権利がいまだに、特に貧しい女性たちにとって、盤石なものとはいえないことを改めて思い起こさせるものだ。

(1) << Accessibility and availability of abortion in six European countries >>, The European Journal of Contraception and Reproductive Health Care, London, March 2005, pp.51-58.
(2) Lara M. Kudsen, Reproductive Rights in a Global Context, Vanderbilt University Press, Nashville, 2006.
(3) See Mona Chollet, << Les acquis feministes sont-ils irreversibles ? >>, Le Monde diplomatique, June 2007.
(4) See Francois Cusset, << Votre capital sante m'interesse... >>, Le Monde diplomatique, January 2008.
(5) Quoted in Reproductive Rights in a Global Context, op. cit., p.104.
(6) イギリスの1967年の法律は北アイルランドには適用されない。北アイルランドでは、中絶は母体の生命に重大な危険がある場合しか認められない。
(7) Marie Stopes International, << General practitioners : Attitudes to abortion >>, London, June 1999.
(8) Stephane Portet, << Teenage Pregnancy in Poland >>, in When Children Become Parents, Bristol Policy Press, November 2006, p.210.
(9) ロシア新聞2003年5月14日付。
(10) Elena Ivanova, << Meeting the challenge of new teenage reproductive behaviour in Russia >>, in When Children Become Parents, op. cit., p.196.
(11) Stephane Portet, << Teenage pregnancy in Poland >>, in When Children Become Parents, op. cit., p.210.
(12) Elisabeth Rosenthal, << Across Europe, a broad assault by abortion foes >>, International Herald Tribune, Paris, 28 July 2005.
(13) Reproductive Rights in a Global Context, op. cit.
(14) アメリカでは中絶権に賛成する者は「プロチョイス」派、反対する者は「プロライフ」派と呼ばれている。
(15) フランスでも2003年の終わりに、同様のことを規定したガロー修正法案が危うく可決されるところだった。
(16) Cf. Melody Rose, Safe, Legal and Unavailable ? Abortion Politics in the United States, CQ Press, Washington, 2007.
(17) << Unexplained deaths in infancy >>, The Lancet, London, 1999.
(18) Paul Cesbron, << Menaces sur la liberte d'avorter >> Le Monde diplomatique, February 1997.


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2008年2月号)

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