パキスタン軍という権益集団

アイシャ・シディカ(Ayesha Siddiqa)
パキスタン人軍事アナリスト

訳・岡林祐子

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 最近、あるパキスタンの新聞が、実業界は軍人による政権を望ましいと考えているという調査結果を発表した(1)。意外に思う人はいないだろう。この国では、大資本家その他のエリートは、軍が権力の柱の1本となっている現状に、非常にうまく馴染んでいる。軍が自らの使命とするのは、軍に比べて愛国心が薄く、反抗的な国民を「規律に従わせる」ことだ。ムシャラフ大統領が11月3日に憲法を停止し、非常事態を宣言したのも、その新たな実例である。ムシャラフ将軍の主張によれば、この決定は領土の一体性を宗教過激派とテロリストから守るためだというが、実際の目的は、軍の絶大な政治権力、そして経済権力を守ることにあった。

 実際、軍はパキスタン最大の政党にほかならない。その一方で、軍が国民総生産(GNP)の6%かそれ以上を占めるほどの経済勢力でもあることは、あまり知られていない。

 パキスタンの歴史上、クーデターは幾度となく繰り返されてきたが、一人の将軍が二度も行なったのは今回が初めてである。ムシャラフは1999年10月12日に、シャリフ文民政権を倒して権力を掌握した。2007年11月には、誰かを失脚させたわけではなく、非常事態を宣言しただけだ。それは要するに、自らの国家運営の失敗を認めたに等しい。彼は1952年の軍隊法を修正して、軍が令状なしに民間人を拘束し、軍事法廷で裁けるようにした。しかも、この裁判は非公開で行なわれる。

 大統領によれば、こうした特別な権限は、テロや宗教過激主義との戦いを容易にするためのものだという。数カ月前から、軍人を狙った自爆テロその他の攻撃が増加しているからだ。しかし、ムシャラフの第一の狙いは、最高裁判所の力をそぐことにある。最高裁判所は、情報機関が拘束した「テロリスト」61人を解放し、過激派を勢いづけてしまったという理由からだ。また、最高裁判所がいくつかの事件で警察幹部の召喚を決めたことも、治安部門の「士気をくじいている」という。

 ムシャラフは認めないだろうが、テロとの戦いは、司法官の独立と一般市民の自由を制限するための口実にすぎない。南北ワジリスタンの部族地域で治安部隊と交戦している武装勢力は、もともとは情報機関の支援を受けて出てきたものだ。この武装勢力の伸長が止まらないのは、司法府が手をこまねいているからではなく、こうした勢力の存在が軍にとって戦略的に重要であるからだ。2006年9月5日に軍が武装勢力と協定を交わし、彼らの支配地域からの撤退を決めたのも、そうした背景によるものだ(2)

 非常事態宣言の主な狙いは、軍による国家と社会の掌握を強めることにある。長いこと恭順の意を示してきた最高裁判所が、司法権の擁護を開始し、軍事政権からの自主独立の意思を表明するようになっていたためだ。ムシャラフは2007年3月8日に、最高裁判所長官を更迭した。これに対し、中産階級の非宗教的な運動として、弁護士たちが運動を起こし、長官を復職させることに成功していた、という経緯があったのだ。この運動は、さらに現在では、政治的な自由化を要求している。

打倒の道か、弾圧の道か

 パキスタンを軍事独裁政権から脱却させる存在として、識者の多くが期待を寄せているのは、ひとつはベナジル・ブットのパキスタン人民党(PPP)である。もうひとつは、軍それ自体である。ブットはムシャラフと、汚職によって訴追されることはないと話をつけたうえで帰国した。彼女は判事たちの罷免という民意にまったく反した措置に異議を唱え、非常事態宣言を非難した(非常事態は12月15日に解除された)。PPPは国民に広く支持されている。とはいえ、過去の不正疑惑でブットの名が何度か上がっていることを快く思わず、ブットが再び立場を豹変させるのではないかと懸念する者も多い。

 軍がパキスタン最強の機関である以上、独裁政権に立ち向かう力のある者がいるとは考えにくい。では、ムシャラフ体制を打倒するのに、軍そのものが何らかの役割を演じることはありうるだろうか。軍は過去に、評判の悪い3人の将軍を解任したことがある。うち2人は参謀長だ。最初の軍事独裁政権を率いたアユブ・カーン将軍は、1969年に更迭された。彼は元帥を名乗るようになっていたが、それは悪評があまりにも高く、軍の実権を手放さなければならなかったからだ(ムシャラフも同じことをせざるをえなかった)。1971年には参謀本部が、陸軍参謀長だったヤヒア・カーン将軍に対して、文民のズルフィカル・アリ・ブットに権力を移譲するよう命ずることを余儀なくされた。パキスタンの3人目の独裁者、ムハンマド・ジア・ウル・ハクは、1988年8月に不可解な飛行機事故で死亡した。以上の例からすると、軍が国民の期待に応えて、ムシャラフを打倒する方法を見つけるという展開もありえなくはない。

 しかし、軍が最終的には弾圧の道を選ぶことも考えられる。軍は完全に変質したからだ。軍人が経済界の大物となっている現在、軍は経済界にも守るべき利権を持っている。上級将校層はムシャラフのおかげで、国防予算の枠組みにとどまらない規模の国家資源を吸い上げているのだ。

 パキスタンの街頭で繰り広げられている自由化・民主化闘争は、ムシャラフの追放だけを目指しているのではない。司法権力その他の文民機関の権力を強化し、軍の権力に対抗しうる独自の力をつけることも目指している。しかし、大多数の将官がこれを望んでいないのは明白だ。参謀本部は、1958年このかた直接的・間接的に握ってきた権力を、どれ一つとして手放すつもりはない。

 政治権力を最初に簒奪したアユブ・カーン将軍が、辞任を迫られたのはようやく1969年のことであり、その後継者は、これまた将軍だったヤヒア・カーンである。ヤヒア・カーンは、パキスタン軍がインドに対して屈辱的な敗北を喫し、それまでパキスタン東部の一地方だったバングラデシュが独立したことを受けて、1971年に更迭された。この敗戦によって、軍の道義的権威が失墜し、統治力が低下したからだ。

 軍がブット政権の成立に協力することを選んだのは、彼が「イスラム社会主義」を唱えながらも、軍の民族主義的で右翼的な路線を共有していたからだ。ブットの政策に対しては批判が強く、1977年7月に再び軍が政権を握った。この数年間の文民政権時代も、パキスタンの民主化は進まなかった。第一の理由は、軍人が裏で取り仕切っていたことにある。第二の理由は、文民エリートの多くが軍に対して従順であり続けたことだ。

 将官たちは、自国を無能な政治家から救うために介入しなければならないと主張した。だが、最初の介入(1958年の戒厳令)は権力欲によるものにすぎず、以後の介入も政治的・経済的野心に突き動かされていた。軍事政権はこんにち、国富の再分配において大きな裁量権を握っている。その最大の受益者は軍の高官、それに彼らと手を組んだ文民官僚である。軍の高官はこうした経済力により、普通の職業軍人ではありえないほどの社会的な存在感を持つようになった。

ガソリンスタンドから美容院まで

 軍がどれほど大きな存在かを知るには、主要都市を歩いてみればいい。大小を問わずほとんどの町の中心部に、様々なタイプの弾道ミサイルを模した多数のモニュメントが飾られているのは、まあ当然だ。しかし、町中を歩いてみると、市場には、軍の関連企業によって生産された大量の消費財が並んでいるのだ。これらの企業は戦車や飛行機、大砲だけでなく、穀物、オートミール、漂白剤、ミネラルウォーター、セメント、化学肥料、ニット製品なども生産している。どうやら軍は、兵器よりも消費財の生産に長けているようだ。これらの企業の事業資金を集めるための銀行まで存在する。主要な事業分野は、農業、サービス業および製造業の3つである。軍の資本は、合法的な経済活動に加え、インフォーマル部門や非合法分野にも、直接的・間接的に投じられている。他のいかなる国家機関にもまして、国富を吸い上げているのが軍なのだ。こうした権力によって、軍は他の政治勢力に対して明らかに優位に立ち、他の事業者に対する立場を強めている。

 国家資源の大部分を軍が掌握するという状況は、1947年の独立直後の時期にまで遡る。第一次インド・パキスタン戦争が勃発し、政府は予算の75%を国防費に充当した。以降ずっと、軍はGNPの平均30%をかすめ取ってきた。そこには軍人恩給など直接軍事費以外の予算も含まれる。

 とはいえ、軍がらみ経済は国防予算だけからなるわけではない。民間部門における高収益事業も、その一部をなしている。軍がらみ経済の構造は極めて複雑で、系列企業を洗い出すのは至難のわざだ。参謀本部は無数の手段を通じて、退役・現役の軍人の協力の下に、国家資源を搾り取っている。

 軍がらみ経済は3つのレベルで動いている。最上位にあるのは、現役軍人が役員を務める企業であり、中国企業やインドネシア企業に似たところがある。ここには3つの大企業が入る。建設・土木の最大手で、高速道路やダムなどの建設に特化した国境作業機構(FWO)、国内最大の運送会社で、高速道路の料金徴収を担い、大規模な建設プロジェクトにも参加している全国物流組(NLC)、北部とカシミール地方の通信事業に携わる特別通信機構(SCO)である。

 これらの企業は軍との関係を利用して、補助金と契約を獲得している。たとえば道路の新設事業では、民間企業に比べて汚職が少なく効率が良いとされるFWOとNLCの2社に、大半の契約が発注されている。パキスタン各地の道路を走っていくと、FWOと軍を賛美する貼り紙が無数に見られる。これらは普通の広告ポスターではなく、こんなに素晴らしい道路をこれほど見事に建設した軍関連企業を賞賛するよう、道路利用者に呼びかけるものだ。

 自画自賛的な広告の目的は、どこにも説明責任を負っていない軍関連企業の実力不足や汚職をうやむやにすることだ。たとえば、NLCがカラチに建設した橋は、開通から1週間も経たないうちに崩壊し、7人の死亡者を出した。FWOは、パキスタンと中国を結ぶカラコルム・ハイウェイ建設のために1966年に設立された企業だが、ラワルピンディの10キロの道路建設も受注した。この契約は入札なしに発注され、総額188億ルピー(約320億円)という法外な金額となった。ラワルピンディの工事で1キロあたり18億ルピー(30億円超)を手にしたFWOは、本来の事業であるカラコルム・ハイウェイの保守や補修を放置している。

 この3社の他にも、軍人をオーナーとする小規模の事業が数百ある。ガソリンスタンド、パン屋、食料品店、レストランに、美容院まである。これらの企業は公金を流用していながら、まったくチェックされることがない。

6件から7件の不動産

 軍がらみ経済の第二のレベルは、系列企業群を抱えた5大企業グループである。三軍の福利厚生を管理し、国防大臣が所轄するファウジ財団、それぞれ陸軍、空軍、海軍に連なる軍福祉信託(AWT)、バーリア財団、シャヒーン財団、そしてパキスタン軍需品製作所(POF)である。これらの財団の傘下には100社以上の大企業があり、その事業内容はセメント、肥料、穀物、医薬品の生産から、民用機の製造や、銀行、保険、不動産、学校に至るまで、多岐にわたる。重工業分野における軍関連企業のシェアは33%に達する。

 ほとんどの軍高官は、こうした民間企業との関係を認めようとせず、退役軍人が雇用されているにすぎないと主張する。これらの系列会社は、年金基金を通じて数百の小企業を傘下に置いているトルコ軍の関連財団、OYAK財団を思わせる。しかし、パキスタン軍の関連財団の事業内容は、退役将校ののどかな転身とはとても言えない。パキスタンでは、軍人の政治的影響力の下に、およそ透明とは言いがたい事業帝国が築かれているのだ。これらの企業は補助金の横流しを受けていながら、財政責任の原則や、公共サービスの受けるべきチェック手続きとは、まったく無縁でいる。会計監査院の複数の報告書を見ると、国家資源の略奪がどれほどひどいものかが分かる。たとえば、AWTの子会社でヘリコプターのレンタルに特化したアスカリ航空は、空軍機を利用していながら、国家に一銭も支払っていない。

 しかも、これらの財団は、軍がらみ資本のなかでも比較的透明性が高い部類に入る。その資金総額は約2500億ルピー(4300億円弱)に達する。財団の系列企業が比較的透明であるのは、その事業形態による。うち10社ほどは上場企業であり、他の2つのレベルの企業に比べて財務情報を得やすいからだ。

 第三のレベルは、最も不透明で、軍関係者に多大な利益をもたらしている。退役または現役の将校は、恩給または福利厚生として、農地や市街地その他の現物供与の形で、国家から数十億ルピー相当を受け取っている。また、民間部門への就職も斡旋される。こうした特典は公平に与えられているわけではない。最大の受益者はエリート将校である。たとえば退役した将官には、使用人として執事や運転手が提供される。とはいえ、これは些細な特典にすぎない。もっと大きいのは、不動産の無償供与である。上級将校は皆、国内各地に6件から7件の不動産を持っている。ムシャラフも、軍籍があったおかげで、いずれも価値の高い不動産を10件ほど所有している。最も良心的な将校の場合は、1件か2件どまりである。

 さらに将校には、政府のポストや、軍関連企業・民間企業のポスト数百件が用意されている。ムシャラフが政権を握って以来、1200人ほどの将校が国営企業の重職に就いた。たとえば、国内12の電力会社のうち、9社は軍人が役員に入っている。上級将校の中には大使や大学の副学長に任命される者もいる。先に述べた軍関連企業のポストに加えて、このような就職先まで斡旋されるのだ。

 人脈を持っていて、政府内にコネもある将校たちは、民間部門から引っぱりだこだ。また、退役後に軍需産業に転職する上級将校も多い。中には、自身の影響力をかさにきて、取引上の利益を得る者もいる。1960年代にその草分けとなったのがアユブ・カーン陸軍参謀長で、息子を産業界の大物に仕立て上げた。その後も、ジア・ウル・ハクやアフタル・アブドゥル・レーマン(アフガニスタン対ソ戦時代の情報局長)といった将官の息子たちが、ドルで数えても億万の大富豪となった。問題は、一定の社会的機能を果たしているとされる軍がらみ資本が、むしろ略奪的な事業を行なっていることだ。

 強大で、不透明なことで有名な組織が、その影響力を使って、一部の個人のために資源を悪用するのは、世のことわりだ。その目的は明らかに、軍という機構を緊密な共同体に作り替え、自らの権益を守っていくことだ。なかでも、経済利権は時に莫大な金額にのぼる。したがって、政治力によって実業界に進出し、巨額の利権のトップに立っている軍人が、文民に権力を渡すのを渋っても驚くにはあたらない。

(1) << Why does corporate Pakistan detest democracy >>, Dawn, Karachi, 5 August 2007.
(2) サイド・サリーム・シャハザード「アル・カイダに背を向けはじめた現地勢力」(ル・モンド・ディプロマティーク2007年7月号)参照。


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2008年1月号)

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