和平合意後のコートジヴォワール

ミッシェル・ガリ(Michel Galy)
政治学者

訳・清水眞理子

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 2007年3月4日、隣国ブルキナファソの首都ワガドゥグで和平合意が調印され、コートジヴォワールに和解の道が開かれた。予想外の展開である。紛争から5年を経て、大統領と反政府勢力トップが権力を共有するようになった。しかし、現場には、和解はなかなか浸透していかない。コートジヴォワールは公式には再統一された。しかし民兵の武装解除は進まず、待ち望まれる大統領選挙に先立つ有権者の認定作業も遅れている。国連は2007年10月20日、同国に対する制裁維持を決定した。[フランス語版編集部]

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 「アビジャンは白人のいない街になった」。10月のある朝、ベナンからの来訪者は驚きの声をあげた。その言葉どおり、コートジヴォワールの中心都市はここ数年で大きく変わった(1)。ホテル・イヴォワールの前でデモ行進していた群集にフランス軍が発砲し、63人殺害という深刻な事件が起きた2004年11月以後、フランス人は影を潜めるようになった。レバノン商人と中国人実業家が、今ではフランス人に取って代わった様子である。様変わりした街の雰囲気から、内政と国際政治の構図の変化がうかがわれる。

 北部の反政府勢力の支配地域から、100万人の避難民がなだれ込んだ。5年に及ぶ戦争により、犠牲を強いられたアビジャンは貧困化した。この街には、アフリカの大都市が抱える問題が、何もかも揃っているようにみえる。下町にはニャマニャマ、つまりありとあらゆるゴミがあふれている。オランダ企業トラフィギュラ社のチャーター船プロボ・コアラ号による不法投棄事件は(2)、一時的な騒ぎを呼んだにすぎない。あの事件が示したのは、ある種のグローバル化が引き起こしている害悪であり、アフリカ諸国の国家機能の弱体化もそのひとつだ。ラグーンは汚染され、浄化設備は足りず、産業廃棄物が投棄されている。交通はアナーキー、区画整理もめちゃくちゃだ。でこぼこ道を突っ走るバカ(ミニバス)、ウォロウォロ(乗り合いタクシー)その他のメーター式の乗合自動車の間をかいくぐるのは、この国の庶民の日常である。

 「うるわしのアビジャン・・・」と流行歌は歌う。ここで生まれた有名なダンス音楽「クペ・デカレ」に皆が沸き返っている。プリンセス通りその他の盛り場では、地元ビールのブラコディが景気よく飲まれている。だが、それだけではない。戦争に「疲れた」アビジャンの住民は、希望を取り戻し、人生の楽しみを再び見出している。そして、待ちきれない気持ちをあらわにしている。ずっと先送りにされてきたが、2008年中には実施される予定の大統領選挙にもまして、彼らが待ち望んでいるのは「平和の配当」だ。2007年3月4日に、ワガドゥグ合意の調印という予想外の動きがあって以来、実際思いもよらぬことが起きている。バグボ大統領が選出された2000年の選挙には疑義が出されており、かつての反政府勢力のリーダーであるギヨーム・ソロも、バグボの正統性を認めていなかった。そのソロが、バグボ政権の首相になったのだ(3)。ワガドゥグ合意には、民兵の武装解除を進めることや、大統領選挙実施の前提として、「出張審査」による有権者の認定作業を行うことも盛り込まれている。

 アフリカでは、紛争はしばしば、年少者が年長者の跡を襲う早道となってきた。また、はぐれ者や反逆者が王国あるいは国家を立て直す手段として働いてきた。コートジヴォワールでは、土地の所有(4)や正規の職から排除され、周辺化された若者が増えており、そうした若者が北部の反政府勢力や、南部の国粋主義的な暴動に惹き付けられていく。高学歴の若者が排除されていることが、バグボ大統領のシンパである「愛国青年」を率いるシャルル・ブレ=グデや、現首相ソロのような経歴をたどる者を生み出してきた。大統領派のある大臣は、ソロは「首相官邸から、生まれて初めての給料明細書を受け取った」と辛辣に述べている。同様の現象は他のアフリカ諸国でも見られる(5)

 外国の視点からすれば全く理屈に合わないようにみえるだろうが、ワガドゥグで「勇者の講和」が成立した最大の要因は、「紛争を国内化したこと」にある。紛争の当事者は、舞台は国内だという姿勢に立ち戻り、外国勢力による紛争国際化の企てに反対した。以前の和平合意と違って、今回の調停役はブルキナファソ一国だけである(6)。一部の紛争当事者にとっては、フランスの手先も、外国軍も、国連も皆、同じ穴のむじなでしかない。

 2006年11月にバグボ大統領が、国連決議の可決を頓挫させた際にもちだしたのも、国の主権という論理だった(7)。この決議案は、フランスが主導したもので、「国際社会」によって選任された当時の首相コナン=バニの権力を強化し、大統領の権力を弱めることを意図していた。それを阻止するためにバグボ大統領は前代未聞の手段を使った。憲法を盾に取ったのだ。この憲法は、2000年の国民投票で承認されており、ほぼすべての政治勢力が賛同したものだ。反大統領派の象徴的存在であるアラサン・ワタラの共和派連合(RDR)も例外ではない。

バグボ政権の基盤

 この事実にみられるように、コートジヴォワールの政治は大変動の真っ只中にある。そのため、万人に受け入れられるような選挙プロセスの実現が、なおさら困難になっている。古典的な分析によると、コートジヴォワールには、部族・地域に対応する3つの「大ブロック」があり、それぞれを代表する政党と党首がいる。アカン語族が住む東部は、バウレ族が主体で、コートジヴォワール民主党(PDCI)の地盤である。同党の創設者は初代大統領ウフェ=ボワニであり、その後継者を勝手に名乗っているのがベディエ元大統領である。クル語族が住む西部は、ベテ族が「中核」となり、政党はイヴォワール人民党(FPI)、党首はバグボ大統領である。北部の住民は「ディウラ」と一括されており、ワタラ率いるRDRの地盤である。この単純でとっつきやすく、極右の「思想家」たちにも重宝されている図式は、もとを正せば19世紀にまで遡る。つまり、「党首」が一人いれば「一定数の部族」がワンセットになっている、最善の場合には「地域ブロック」がワンセットになっている、という捉え方だ。

 この図式が、複雑化しつつある。反政府勢力が独自に動くようになったからだ。ソロ現首相は政党を配下にもっているわけではない。だが彼が戦術的に大統領と組んだことで、出身地の北部の有権者、少なくともセヌフォ族が支持政党を変えるかもしれない。他方、マリンケ族が親近性を感じているのは、イブラヒム・クリバリ伍長という「元軍司令官」である。彼はべディエを倒した1999年のクーデターに参加し、2002年9月の蜂起にも加担した。彼はソロと対立し、現在はカヤの外におかれている。

 さらに重要な要因もある。今も根強い部族意識にもかかわらず、地理的な人口分布に変化が生じたことだ。コートジヴォワールの人口の50%以上は都市部に住む。この比率は、「DG」と呼ばれる戦争避難民を含めれば、もっと高くなるだろう。アビジャンの人口の半分は「ディウラ」だが、選挙権がない者もいる(というのは国籍がブルキナファソかマリであるから)。階級意識や、カリスマリーダーへの賛同意識のほうが、部族への帰属意識よりも次第に強くなっている。

 次期大統領選挙に立候補するつもりのバグボが当てにしているのも、そうした変化である。彼を支持しているのは、FPIに加え、RDRやPDCIから引き抜かれた政治家、それに旧反政府勢力を含めた広範な連合であるからだ。また、バグボ大統領は、小政党を引き入れ、「夜の訪問者たち」をつかまえておきたいと望んでいる。「夜の訪問者たち」というのは、コーヒー・カカオや石油の輸出収入のおこぼれにあずかることで、とりあえずおとなしくしているゴロツキを指す。大統領には、国家機構全体の掌握、政府に好意的な姿勢を取るメディア、それに自らの意思の強さという強みがある。彼の「政治アニマル」ぶりは、反大統領派や外交筋も認めるところだ。だが、この新しい政治ゲームに対し、与党の一部は不安を抱いている。バグボ率いるFPIの前身となった往時のマルクス・レーニン主義前線が、体制側での選挙と権力の消耗の結果、妥協と誘惑を満載した政権党に変わってしまったなんて、と。

 たとえば、FPIの政治家で経済学者でもあるママドゥ・クリバリ国民議会議長は、今の政府がごた混ぜで、腐敗した「ピーナッツ焼き屋ども」に食いものにされていると糾弾した。彼は政府の路線に異議を唱え、反乱勢力との不自然な同盟(rebfondation)でしかないと言う(8)。大統領府と首相府の予算が輸出収入(および旧反政府勢力の支配地域での様々な不正取引)で潤っていることを批判するクリバリの路線は、直接的にではないものの、ワガドゥグ合意に反対するものだ。いずれにせよ、ワガドゥグ合意の帰結に反対していることになる。

フランスとの緊張緩和

 見せ場を作るのが大好きなバグボ大統領は、こうした批判を換骨奪胎してみせた。彼は2007年10月、腐敗一掃作戦に乗り出すと発表した。重点分野とされたコーヒー・カカオ事業は、まさに改革を必要としている。輸出収入のうち農民が受け取る割合は、お隣のガーナでは72%だというのに、コートジヴォワールでは20%でしかない。この部門の民営化を主張するドナー機関の求めにしたがって、農業生産価格維持安定公庫(CAISTAB)が解体された後に出現したのは(9)、どこまでも続く腐敗した中間搾取者の群れでしかなかったのだ。バグボ体制の主要な構想、そのイデオロギー的な出自に立ち戻るような側面もある構想は、「公民事業」の創設であるように思われる。目標は野心的だ。ひとつは、元戦闘員に職業訓練と給与を与えること(道路の検問、ゆすり、ダイヤやカカオ、綿花の横流し等、自分たちの「食いぶち」を潰そうとするものだと北部の旧反政府勢力は断言する)。もうひとつは周辺化された若者、つまり都市の失業者と土地なし農民をなるべくカバーすることだ。バグボ大統領は我々の独占インタビューに応じた際、この改革をケインズ的な展望のもとに描き出した。この公民事業は、アビジャンの環境悪化・不衛生・治安問題に対処するための大規模な都市事業の実現に寄与することになるという。

 政府の美辞麗句が、ついに実行に移されるのだろうか。確かに、石油収入が流れ込み、期待どおり国際融資が再開され、紛争後プロジェクトの実施が始まれば、一石二鳥を狙えるかもしれない。一方では、コートジヴォワールの若者の不幸の元凶を根こそぎにすることで経済の再活性化をはかり、他方では、とりわけ戦争で著しく困窮した最貧困層に対し、目に見える成果を示すということだ。また、耳目を引く象徴的な行為を連発することで、「コートジヴォワール流の対話」を促すような雰囲気を回復させた。たとえば、旧反政府勢力の拠点であるブアケで「銃を燃やす」セレモニーを開いた(10)。ベテ族の中心地がソロの訪問を受け入れた。多数のブルキナファソ出身者を意識して、滞在許可証制度を廃止した。廃止措置の狙いは、「ディウラ」の有権者をなだめることと、排外主義だとの非難をしりぞけることにある。

 しかしながら、選挙が何度となく延期され、2007年6月にはブアケ空港でソロ首相への襲撃未遂事件(真相は不明)が起こったことにもうかがわれるように、和解プロセスは今なお脆弱である。この重要人物が急死するようなことがあれば、紛争が再燃する事態となりかねなかった。その一方で、フランスとコートジヴォワールの関係は、緊張緩和に向かっているように思われる。これまでずっと戦火を煽ってきたブルキナファソが態度を変え、平和の立役者へと変身したのも、間違いなくそのせいだ。フランスのサルコジ大統領は、基本的にはワタラRDR党首の肩をもっているが、バグボ大統領に対しても、シラク前仏大統領が見せた冷ややかさとは対照的に、これみよがしの親愛の情を示してみせた。コートジヴォワール大統領のフランス訪問まで計画されている。もし実現すれば、大がかりな取引が交わされるのは確実だ。フランス軍による2004年の虐殺事件に関する訴訟を相互に取り下げ、被害者に対して補償措置をとること。フランス側は協力援助を再開し、コートジヴォワール側は石油事業への参入を認めること。コートジヴォワールに展開しているフランスのリコルヌ部隊と国連のコートジヴォワール活動(ONUCI)の撤退、あるいは規模縮小を実施すること。フランス部隊と国連部隊が監視にあたっていた南北間の「信頼醸成ゾーン」は、国内の「再統一」に伴って、すでに撤廃されている。

 こうした新たな情勢が、バグボ大統領の狙っている中間路線の成功を可能にするかもしれない。一方にいるのは、フランスに同調する「ウフェ=ボワニ派」の「対仏協力者」だ。もう一方は、FPIの「タカ派」に代表される徹底抗戦派であり、その点で旧反政府勢力の武闘派と意見が一致するという奇妙な状況になっている。反大統領派は、木に竹を接いだような同盟関係を結ぼうと試みている。「ウフェ=ボワニ派」にはPDCIとRDRが連合しているが、それぞれの党首は心底嫌いあっている。べディエPDCI党首は、大統領在任中に「コートジヴォワール国籍問題」を提起するなど、あらゆる手を使ってワタラRDR党首を政治ゲームから排除しようとしていたのだ。

 「市民社会」はどうなっているかというと、紛争によって非常に弱体化した。「ディニテ」のようにかつては非常に活発だった労働組合、あるいは人権擁護団体の中には、政権にすり寄ったり、省庁に引き入れられたものもある。他方、報道分野では多元化が進んでおり、政府寄りは「青のプレス」、旧反政府勢力寄りは「赤のプレス」と呼ばれている。国際化も進んでいて、ル・モンドに寄稿された論評やジューヌ・アフリック誌の掲載記事が、丸写しで転載されていたりする。BBC、アフリカNo1、それに旧反政府勢力がよく聴くラジオ・フランスなどのラジオ放送は、非常時には命綱となる。どんな些細なニュースや、最新の「情報工作」についても、ふところの寂しい評論家その他の「情報屋」が日々、果てしないコメントを披露してくれる。彼らが活躍する場は、「自主講座」「広場」、あるいは「地区会議」(11)といったものだ。アフリカ独自のメディア評論によって(12)、これらのメディアは常時精査されている。また一方には、ホテル・イヴォワールの虐殺事件を描いた『素手での勝利』のシディキ・バカバのように、戦争ドキュメンタリーを企画する俊英の映画監督たちもいる。この監督たちは、かつて独立の時期にペンを武器にした先達のように、「カメラを構えたい」と望んでいるのだ。

(1) コレット・ブラークマン「コートジヴォワールはどうなっているのか」(ル・モンド・ディプロマティーク2004年9月号)参照。
(2) アムステルダム港を出発した同号は、猛毒で知られる石油の残留廃棄物を2006年9月に運び込み、アビジャン市民に死傷者を出した。
(3) バグボ選出の背景には、ワタラなど特定の候補者を排除するために、両親を含めた「コートジヴォワール国籍保持」が候補者の条件とされたことがある。バグボ選出という結果は前政権との抗争を引き起こし、反対派からすぐさま疑義が突き付けられた。
(4) ウフェ=ボワニ時代には「耕した者」に所有権があるとして、主にサヘル地域からの移民500万人に気軽に分配されていた農地は、今では稀少になっている。コートジヴォワール紛争の土地争いとしての側面や、土地なし農民の青年のおかれた状況については、以下の文献などを参照のこと。Jean-Pierre Chauveau, << Question fonciere et construction nationale en Cote d'Ivoire >>, Politique africaine, no.78, Paris, 2000.
(5) シエラレオネに関しては以下を参照。Paul Richards, Fighting for the Rain Forest, James Currey, London, 1996.
(6) Cf. << Qui gouverne la Cote d'ivoire ? >>, Politique etrangere, no.4, Paris, 2005.
(7) See Anne-Cecile Robert, << Reve d'une "seconde independance" sur le continent africain >>, Le Monde diplomatique, November 2006.
(8) Mamadou Koulibaly, << Le blues de la Republique >>, Fraternite Matin, Abidjan, 4 August 2007.
(9) See Anna Bednik, << Tempete sur le cacao de Cote d'Ivoire >>, Le Monde diplomatique, July 2006.
(10) ワガドゥグ合意の実施の一環となる民兵の武装解除は、武器の解体セレモニーをもって始まった。
(11) 都市部の若者たちの公的な集会をアビジャンではこう呼ぶ。同様のものは旧反政府勢力の支配地域にもある。
(12) フランス系イヴォワール人の若手メディア評論家、Calixte Tayoro のウェブサイト(http://coupercoller.wordpress.com)や、Acrimed, << Journalisme de guerre : retour sur la "crise ivoirienne" de novembre 2004 >>, http://www.acrimed.org/article2124.html および反響を呼んだ批評 Daniel Schneidermann, << En Cote d'Ivoire, le journalisme en uniforme >>, Liberation, Paris,12 November 2004 を参照のこと。


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2007年12月号)

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