アメリカの大学、作られた財政危機

クリストファー・ニューフィールド(Christopher Newfield)
カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授

訳・瀬尾じゅん

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 アメリカの大学制度は、その歴史の大半を通じて、ヨーロッパでは福祉国家が担っている社会的、経済的進歩という使命に応えてきた。だが、この社会統合の役割は、次第になおざりにされるようになった。アメリカの大学は、企業のために労働者を育成し、サービスを提供するという役割を日ごとに強めている。ドイツの「エクセレンス・イニシアチブ」にしろ、フランスの「改革」にしろ、ヨーロッパ諸国が大学作りに採り入れているのは、アメリカの大学制度の長所よりもむしろ欠点の方だ。

 アメリカでは、実質的な監督体制も機関もないなかで大学の数が増大し、「良い大学」か「悪い大学」かという恐るべき分類だけが唯一の基準と化している。どの地域にも若干の「良い大学」があるが、それらの大学の評判は、カリキュラムの質よりも、過去の歴史、入試レベルの高さ、豊富な資金、教授陣の名声によるものだ。大学の価値のかなりは、入学の難しさによって決まる。例えば、ハーヴァード大学(マサチューセッツ州)とスタンフォード大学(カリフォルニア州)は、10人に1人しか合格できない。倍率の高さが入学願望をかき立て、優良校というイメージを与え、大学の格を押し上げている。こうした大学システムの周辺で受験生を対象に、志望校の面接対策や、魅力的な願書作成の手助けをする一大産業が発展を遂げた。一流校に合格する生徒の20%は家庭教師を雇っており、その費用は最高で3万ドルにもなる。

 実際には、入試の倍率が4倍を超える大学は35校にすぎない(1)。上位100校を見ると2人に1人が合格で、大部分の大学は全員が入学できる。こうした入試制度は、大学教育の全体的な質を確保するというよりも、全体の1〜2%にすぎないエリート校への資金集中の根拠にされている。2006年には、資金力ランキングの上位10校が、民間寄付金の増加分の半分を受け取っていた(2)。例えば、既に基金額が140億ドルにのぼるスタンフォード大学は、さらに43億ドル集めるためのキャンペーンを最近開始した。このように、入試制度は主として、少数のエリート校へのほとんど無制限の資金集中を保証するものになっている。フランスの「グランドゼコール」の、アメリカ式の裏バージョンといったところだ(3)。「大学へ行く」ことは長い間、アメリカ社会の最大の共通基盤となっていたが、今日では、不平等さを増しつつある社会制度の実態を暴きだす拡大鏡となっている。

 こうした大学の現状は、第二次世界大戦後の繁栄の時代とは対照的である。戦後のアメリカ政府は公立大学に、社会的不平等の緩和という使命を託していた。アメリカは1945年以降、庶民階級が高等教育を受けられる機会を大幅に増やす目的で、多くの公立大学を設立した。こうして公立大学は、社会的な結合を作りだす坩堝となった。学生の数は、1940年から70年の間に150万人から800万人に増え、続く30年間でさらに倍増した。

 皮肉なことに、こうした一時的な「平等化」は、部分的には冷戦のおかげをこうむっている。共産主義と社会主義を敵視する空気の中で、アメリカの大学は、自国の社会構造に能力主義の装いをまとわせる格好の道具となった。つまり、明らかに労働者主義的あるいは平等主義的な政策を回避するための便法となったのだ。公立大学の使命は、「労働者階級」を教育することよりも、彼らを「株式会社アメリカ」のために働く「知的労働者」の集団に作り替えることにあった。多くの右派の政治家が公費支出の増額を決意し、連邦政府が軍役経験者向けの奨学金を潤沢に出すようにしたのも、そうした見通しに立ってのことだった。連邦政府はさらに、ソ連の軍事的脅威を言い立てることで、莫大な研究予算を正当化した。例えば全米科学財団(4)の予算は、1952年から62年の間に100倍に増額されている。

新・中流階級の創出

 アメリカの大学の世界的名声の大部分は、自国の発展のコストをそれとなく社会化する仕組みによっている。第一に挙げられるのは、高等教育予算の大幅な増額である。5%や8%どころではなく25%、さらには100%という規模だ。この目覚しいと同時に不均等な予算増は、大学関係者の熱意をかき立て、彼らの使命に新たな意味付けを与え、行く手に待ち受ける問題に取り組むための資金源となった。こうした潤沢な予算は、身内に高学歴者のいない数百万の学生にも、すばらしいチャンスをもたらした。その結果、庶民階級が政治的に目覚め、自分たちの力を自覚し、自らの運命を切り開こうという気概を持つようになった。

 また、大学は教育と研究の融合を実現し、一般市民の願望と、知識人、科学者、実業界、軍の期待の両方に応えた。それまで伝統的なエリートの一員だったとは言いがたい研究者たちは、脱工業経済の大きな活力源を自任し、もっと仕事の裁量権と収入を与えられていいはずだと感じるようになった。学生はといえば、男女間や「人種」間の平等を容認、さらには奨励するようになったキャンパスの中で、社会運動に対して理解ある態度を示していた。要するに大学は、公共サービスと優良性、平等主義と富をうまく総合する場のようになっていたのだ。大学は自らを、人種的な多様性を深めつつ、知識のフロンティアを切り開きつづける民主主義国家の映し絵と捉えていた。

 戦後に起こった以上の変化は、実業界が作り上げたルールに以前から挑戦してきた一部の伝統的大学の運営の延長線上にある。20世紀初頭、カリフォルニア大学の学長だった保守派のベンジャミン・ホイーラーは、「人間を奴隷制から救い、解放する」ことが同大の使命であると主張した。それから数十年後、アメリカの大学は、経済的あるいは政治的な圧力に左右されない研究の原則を打ち立て、研究成果の質は学界の評価基準に基づいて自主管理するという知識労働の倫理を定めた。大学の理事会は多くが教授陣からなり、政治家やスポンサーにひれふすよりも教員団の代表、支持者として振る舞う傾向があった。教員の採用やカリキュラムの内容は、それぞれの学部の責任に任された。大学は、もちろん資本主義体制に仕えることをやめはしなかったが、それに従属することなく、アメリカ社会を駆り立てる経済成長とは別の形の、人類の進歩のために尽力しようとしていた。

 こうした正道的な改良主義の影響が、じきに高学歴の新・中流階級のうちに現れることになる。きたるべき変化の最初の兆候は、公民権運動やヴェトナム戦争反対デモに学生が参加したことだ。だが、アメリカの指導層に突き付けられた最大の挑戦は、政治的にあまり先鋭的ではなく、体制のかなめを担うべき若い大卒者という新たな階級に見られた変化だった。彼らは幹部要員として経済を動かしながらも、ゲームのルールそのものを疑問視していた。

 ハーヴァード大学の経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスが分析したように、この高学歴の新・中流階級は、強圧的な経営陣に反抗する「テクノストラクチュア」を形成した。彼らは企業を社会的な機構と考え、消費だけを仕事の目的にすることや、社会の発展を経済的な意味だけで捉えることを拒否した。ガルブレイスの著書によれば、教育を受けた大衆は、「体制の強力な適合化誘因」に抵抗し、「軽視されている生活の次元」を高唱し、「人間解放のメカニズム」を作動させた(5)。伝統的なエリート層は、これらの大卒者が新しい思想の担い手として、様々な経済的、政治的、文化的権利を体現していることを徐々に理解した。大卒者層は、社会の原動力が自分たちにあり、国富の源泉が自分たちの仕事にあると考えるようになった。また、彼らは文化や余暇を強く求めていた。

 こうしたアメリカ式の社会民主主義をぶち壊し、そのコストを削り、社会の平等化という影響を抑えるために、右派は力を注いだ。1980年代に右派政権が成立したことは、このことを考えればよく理解できる。いわゆる「文化戦争」の第一の標的は、社会的な伝統が強固な公立大学だった。右派は「政治的に正しいこと」をはじめ、大学という世界から生み出された思想潮流を攻撃することにより、この「新階級」の力に打撃を与えようとした。右派の攻撃は、反人種差別、仕事上の自立志向など、この階級の最も特徴的な思想に集中した。市場の論理に十分に応えようとしない学界の「内閉」や、直接的な経済効果に欠ける知識も標的にされた。

二極化する大学財政

 この思想戦争は、高学歴の新多数派の願望と要求に対する経済戦争を通じて繰り広げられた。武器として用いられたのが税制と民活である。財政危機が人為的に演出され、公教育の予算は減額された。州立大学の予算減は、実際には納税者(と学生の親)の収入総額が減ったせいではなく、アメリカの学生の80%が通う公立大学に配分される税収額が大幅に減らされたことによる(6)。公立大学の予算は、この25年間で3分の1も減額されている。前衛的な研究の拠点となっていたカリフォルニア大学の場合、1990年以降の減額率は40%にのぼる。

 資金不足を補うため、とりわけ使途を特定した研究費として、公立大学はスポンサーに頼ってきた(7)。民間資金をさらに募るようになり、授業料も大幅に値上げした。その一方で、私立大学の基金額は、この15年間に毎年10〜20%の割合で膨れ上がった。ますます大口化する寄付金が潤沢に降り注ぎ、金融市場での運用もうまくいったからだ(ただしハーヴァード大学は、出資先の投機ファンドの失敗により3億5000万ドルを失った)。豊富な資金を持つ私立大学に比べて財政難にあえいできた公立大学は、やがて私立大学と同じ論理に従うようになった。今や、学長や学部長も一緒になって、学生の親や卒業生、市町村、住民に寄付を呼びかけるありさまだ。

 こうした狂奔は、公立大学にとって、希望のない馬鹿げたことでしかない。カリフォルニア大学の場合、2001年以降の公費減額分を基金運用収入によって補おうとするなら、ただちに250億ドルをかき集めなければならない。400年の歴史を誇るハーヴァード大学に匹敵する規模の金額だ(8)。となると、唯一可能な手段は授業料の値上げである。現在でも2001年の2倍になっているところを、もし公費減額分を補おうとするなら、さらに2倍の年間1万5000ドルにしなければならないだろう。公立大学の大半は、集めた民間資金の使途を特別なプロジェクトか、利益を生みそうなプロジェクトだけに限定するようになった。その結果、ごく一部に優良拠点が点在し、それ以外の大学は一般社会の心を動かすこともないまま、ゆっくりと衰退するという状況が生まれている。民活は、少数のエリート学生の場合を除き、「多くを払わなければならないが、得るものは少ない」という方程式に要約されるのだ。

 支払能力のある学生を引き付けるための競争を繰り広げる大学は、社会の分断を深めているだけである。貧しい学生はほとんど常に、施設の整っていない大学にしか行けない。しかも、教育費用の借金が増えており、アメリカの全世帯の4分の3が子供の学費のために借金を余儀なくされている。そうした借金は、公務員志望者の減少という影響も招いている。給与が民間企業より低いため、借りた学費を返済できないだろうという不安からだ。

 また、大学は金を払ってくれる顧客でもある学生の目を引くために、マーケティングや施設の整備など、教育以外の部門の予算を増やすようになった。1975年から95年にかけて授業料と寮費は4倍になったにもかかわらず、大学が学生にかける費用は一人当たり32%増えたにすぎない(9)。子供を公立大学に通わせるための家計負担が増えるにつれて、公教育を支えるために税金を払おうという意欲は削がれてきた。戦後まもなく交わされた社会契約はずたずたになっている。多くの人に高等教育の門戸を開くという考え方と、質の高い教育を提供するという考え方は、相容れないもののように受け止められている。

 大学機関のトップは、四半世紀来このような傾向が深まっていることを好ましく思ってはいない。アメリカの大学制度の強みとなっていたのは、知識を得る機会を万人のものにしようと望み、自主的な運営を行い、公的な投資に高い価値を認め、社会運動に理解を示し、最先端の研究と公的な教育をつなぐ架け橋となるような、大学のあり方だった。それが今日では、富裕層だけが質の高い教育を受けられ、すぐに収益を上げられるプロジェクトに優先的に資金が回され、社会層の分断が際立ち、途方もない出費を必要とする競争が激化し、上位校だけに資金が集中するというように、大学機関の弱点ばかりが目に映る。大学のこのような全般的な変化は、社会全体にハイレベルの教育を提供するという野心的な試みの断念を追認したものでしかなく、アメリカの右派にとって紛れもない勝利である。打開策は、知識の利用についての平等主義的な考え方を改めて作り上げることにこそある。そうした方向に行くかどうかは、大学自体ではなく、アメリカ社会全体の選択にかかっている。

(1) http://colleges.usnews.rankingsandreviews.com/usnews/edu/college/rankings/brief/webex/lowacc_brief.php
(2) Jeffrey Selingo and Jeffrey Brainard, << The rich-poor gap widens for colleges and students >>, The Chronicle of Higher Education, Washington, DC, 7 April 2006 (http://chronicle.com/weekly/v52/i31/31a00101.htm)
(3) See Rick Fantasia, << Delit d'inities sur le marche universitaire americain >>, Le Monde diplomatique, November 2004.
(4) 基礎科学研究を支援する独立連邦機関。
(5) ガルブレイス『新しい産業国家』(都留重人監訳、河出書房新社、1968年)。
(6) カリフォルニア州では1978年に、共和党の主導で実現した住民発議による州民投票「提案13号」の結果、固定資産税が凍結された。州政府の税収は激しい打撃を受けた。
(7) イブラヒム・ワード「アメリカの大学に見る資金の誘惑」(ル・モンド・ディプロマティーク2001年3月号)。
(8) Cf. Christopher Newfield, Henning Bohn, Calvin Moore, << Current budget trends and the future of the University of California >>, May 2006 (http://www.universityofcalifornia.edu/senate/reports/AC.Futures.Report.0107.pdf). ハーヴァード大学の基金額は、2007年6月末現在で349億ドルに達している。
(9) Cf. Eric Gould, The University in a Corporate Culture, Yale University Press, Newhaven (Connecticut), 2003.


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2007年9月号)

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