氷原の冷戦

ドミニク・コップ(Dominique Kopp)
ジャーナリスト

訳・三浦礼恒

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 2007年8月2日、北極点に国旗を立てるというロシア調査隊の行動が、この地をめぐる暗闘に再び火をつけた。地球温暖化によって北極地域へのアクセスが容易になれば、やがて極地での新たな経済活動への道が開かれる。膨大な石油資源のひそむ海底の領有をめぐって、ロシアに加え、アメリカ、カナダ、ノルウェー、デンマークがしのぎを削っている。[フランス語版編集部]

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 氷原下の潜行は、9時間に及んだ。2007年8月2日、ロシアの2隻の小型潜水艇ミール1号とミール2号が、錆びに強いチタン製のロシア国旗を北極点の海底4261メートル地点に立てた後、水面に浮上した。世界で初めての行為である。有名な極地探検家でもあるチリンガロフ下院副議長は、ミール1号の船上から、海底の様子を次のように伝えた。「黄色がかった砂利がある。深海生物は何も見えない」。続けて彼はこう言った。「これほど深い海底に達すること、それは月に第一歩を記すようなものだ」。傾聴に値する言葉である。

 そして、まさにこの言葉の通りだった。海上では、冷ややかな濁流が逆巻いている。喜びを抑えきれないロシアとは対照的に、この既成事実づくりに対する不快感が表明されている。カナダのマッケイ前外相は、「15世紀ではないのだから、世界中に国旗を立てて回るだけで『ここはわれわれの土地だ』などと言うことはできない」と皮肉る(1)。アメリカのケイシー国務省副報道官も、「海底に国旗を立てることにはいかなる法的効力もない」と息巻いている。

 北極は、周囲を陸地に囲まれた海であり、いわば「北の地中海」である。磁極点と地理上の極点は海中のどこかにある。このため、海が常に凍結していることを考慮しても、極点そのものに足場を築くことは難しい。今回のロシアの調査隊は、2007年3月から始まった国際極年の一環として、ロシア北極南極研究所の主導下で送り込まれたものだ。彼らは二重の任務を負っていた。一つは、海水温と塩分濃度、潮流の速度を観察することである。もう一つの、より重要な任務は、この海域の海底とロシアの大陸棚との連続性を証明することだった。

 北極点は公海の中にあり、全世界のものである。つまり誰のものでもない。北極点は国連海洋法条約の適用下にある。この条約では、各国の管轄権の及ぶ領域の外にある海底は「人類の共同の財産」であると規定されている。1982年にモンテゴ・ベイ(ジャマイカ)で署名され、1994年末に発効した同条約では(2)、各国の領域主権は12海里(22.2キロ)まで、海底資源を含めた排他的経済水域(EEZ)は200海里(360キロ)までと定められている。ただし、大陸棚が200海里を超えて広がっている場合には、EEZを拡大することができる。したがって、ロモノソフ海嶺(全長2000キロに及び、シベリア、カナダ領エルズミーア島、デンマーク領グリーンランドにわたって広がり、北極点の真下を通る海底山脈)が地質学的にロシアの領土であることを証明できれば、ロシアはこの海底を開発できることになる。今回の調査隊の任務は、科学・技術分野で快挙を遂げるという国家的威信にもまして、ここにこそあったのだ。

 アメリカの政府機関であるアメリカ地質調査所(USGS)の調査によると、世界に埋蔵されている石油資源の25%が北極圏にあると推定されている(3)。沿岸にあるロシア、アメリカ、カナダ、ノルウェー、デンマーク、フィンランド、スウェーデン、アイスランドにとって、新たな黄金郷にほかならない。ただし、権利を主張し開発を進めるためには、自国の大陸棚が「そこまで延長されている」と言えなければならない。

 これまで長い間、そうした権利主張を企てていたのはロシアだけだった。ロシア政府が国連の大陸棚限界委員会に最初に延長申請を行った時期は2001年12月にさかのぼる。委員会から補足調査を求められたことが、ミール1号とミール2号による今回の調査につながった。「国際社会」は今まで、この広大な寒冷地にほとんど関心を示してこなかった。ところが今や、ガス資源と石油資源が枯渇に向かう一方で、地球温暖化によって北極は以前より近づきやすい場所になった。北極は溶けつつあるのだ。原因については対立があるにせよ、この一点については科学者たちの意見は一致している。北極気候影響アセスメント(ACIA)が2004年に発表した調査によると(4)、フランスの面積の2倍近い98万8000平方キロの氷原が、ここ30年間で消失している。氷原の消滅がこのまま続けば(5)、いずれは油田や鉱脈(ダイヤモンド、金、銀、鉛、銅、亜鉛)の開発ができるようになるだろう。莫大な富が深海から姿を現しているのだ。

見えてきた北西航路

 中東よりも地政学的に安定した北極地域にあることが、これらの潜在資源の魅力を増している。北極の資源開発は石油輸出国機構(OPEC)を回避する手段となり、沿岸諸国は自国のエネルギー安全保障を確保できるだけでなく、中国やインドのような新興大国の増大する需要に対する供給源にすることもできる。ロシア政府が権利主張している海域は、ムルマンスクとチュクチ、そして北極点を結ぶ三角形をなし、その面積は120万平方キロにわたる。この海域には、ペルシャ湾の埋蔵量に匹敵する100億トンもの石油資源が眠っているのだ。

 2015年には石油自給率が30%まで下がると予測されているアメリカも、大陸棚の延長申請を準備している。目的は、アラスカの沖合い600マイル(965キロ)までの海域の権利を認めさせることだ。しかし、その道筋は巨大な「氷山」に阻まれている。アメリカは国連海洋法条約を批准しておらず、領域権の主張は締約国にしか認められていない。そこでブッシュ政権は、国連海洋法条約を早期に批准させようと躍起になっている。

 アメリカでは延長申請を準備するかたわら、調査隊が北極へ針路を取っている。さらにアメリカとノルウェーの合同隊が、シベリアとグリーンランドにまたがるナンセン・ガッケル海嶺の探査を行っている。デンマークはロモノソフ海嶺がグリーンランドの延長であることを証明するために、8月12日に科学調査隊を送り出した。これら各国の活動もまた、科学研究の強化や国際協力の発展を掲げ、国際極年の一環として位置づけられている。科学的な関心は現世的なものだ。それは今夏のG8サミットでもはっきりした。気候変動と天然資源の活用が、同じ作業部会に組み込まれたのだ。

 もう一つ、やはり地球温暖化と結びついた大きな焦点となっているのが、徐々に開けつつある新たな交通ルートだ。カナダの海岸に沿った「北西航路」が航行可能になれば、欧日間の距離は7000キロに、米中間は8000キロに縮まることになる。この北西航路が、各国の注目を集めている。

 だが、北西航路は係争の渦中にある(6)。欧州連合(EU)と、とりわけアメリカは、カナダによる主権の主張に異議を唱えている。アメリカ政府の見解では、カナダの島々の間を縫い、大西洋と太平洋を結ぶ北西航路は、自由通航を認められる国際航路である。カナダ政府は、この航路が自国の領海に属すると主張しており、「環境保護」とともに自国の「主権」をまくし立てている。

 北極海の沿岸国とは言いがたい中国、日本、韓国までもが、砕氷船の建造を開始している。北極圏を経由する貨物の量は、2005年の300万トンから2015年には1400万トンに増大すると見込まれている(7)。アメリカの北極圏研究委員会の報告書も、そうした増加傾向を裏づける(8)。この報告書によれば、2050年には、カナダ沖の氷原は夏場はほぼ消滅するという。その時期は、より悲観的な見方では、2030年に早まるかもしれない。いや、より楽観的な見方と言うべきか。つまり立場に応じて見方は変わってくる。

 こうした展望を前にして、カナダ政府としても、他国の船舶の通過を岸辺から座視しているつもりはない。2006年にハーパー首相の肝煎りで策定された北極計画には、無人長距離機による偵察飛行、3隻の大型砕氷船の購入、大水深港の造成(予定地は北西航路の入り口に近いナニシヴィクの町)、軍事基地の建設(予定地は同じく想定上の北西航路沿いにあるコーンウォリス島のリゾリュート湾)が盛り込まれている。この計画に関する首相演説の後、3隻の砕氷船は予算案から姿を消したが、かわりに2007年7月初頭、6隻ないし8隻の艦砲付き哨戒艇の建造計画が発表された。

枠組みなき北極地域

 ワシントンでも、新たに3隻の砕氷船の購入を予定している。1700万ドル近い予算を沿岸警備隊に割り当てることも議会で検討されている。ロシアも準備にぬかりはなく、年間を通じて巡航可能な砕氷船を既に6隻保有する(アメリカは1隻だけ保有、カナダは1隻も持っていない)。

 ロシアは「国旗を立てること」によって何らかの主権を確保できると考えたわけではないだろう。とはいえ、このジェスチャーは、天然資源と科学、そして海上交通をめぐる21世紀の大芝居において、モスクワが主役級の役者であることを示したものだ。これら全ての分野において、北極地域の前途は極めて有望だ。しかし、開発には多大な代償が伴う。明瞭かつ厳格な規制がなければ、そのつけは世界が支払うことになる。北極ほど脆弱な地域はないのである。

 ロシア、カナダ、アメリカ、グリーンランドの先住民は、自分たちの狩りと漁の場を揺さぶる不穏な動きに対し、あまり能動的な役割を果たすことができずにおり、発言権を持っているとは言えない。北極評議会(9)でも恒常的な参加資格を認められているにすぎず、国民集団を形成していないことから参加国としての資格はない。とはいえ、2006年から議長国を務めるノルウェーは、自然の保護、開発収入の先住民への分配、先住民の生活様式の保護、環境保護、持続可能な開発といった側面に力を入れている。希望が持てる取り組みではあるが、果たしてこれで充分と言えるだろうか。

 南極と違って、北極については、その地位を定め、全域的な保護を規定する国際法の枠組みがない。1961年に発効した南極条約は、南極大陸の利用目的が平和と科学的調査にあると定め、あらゆる軍事活動と核使用を禁じている。資源開発の問題は当初は扱われていなかったが、マドリッド議定書で規定されるようになった。1998年に発効したこの議定書は、南緯60度以南の地域を「自然保護地域」に指定し、鉱物資源の開発を2041年まで全面的に禁止している。以後も禁止が継続される可能性もある。この禁止規定は無限に更新可能であり、全締約国の一致によってしか解除されないからだ。

 北極は、こうした枠組みが全く存在しないまま、極めて緊迫した地政学的状況下で、熾烈な争いの対象となっている。ロシアとアメリカの関係は、ワシントンが東欧へのミサイル防衛システム配備を発表して以来、最悪の状態にある(10)。北米サイドを見ても、良好な状況というにはほど遠い。カナダとアメリカの関係は絶好調とは言えず、どちらも北極地域における自国のプレゼンスの強化に努めている。他の沿岸諸国はといえば、それぞれ自国の主権を主張しているものの、そうした声はあまりに騒然としていて、ほとんど聞こえなくなっている。

 EUに関しては、状況はさらに微妙だ。ロシアの主張に対しても、それと比べれば控えめなノルウェーの主張に対しても、EUは表立って非難しづらい立場にある。EUのエネルギー需要の3分の1以上は両国が満たしているからだ。しかも、フランスのトタル社がロシアの巨大企業ガスプロムと手を結んで、バレンツ海のシュトクマン・ガス田への25%の出資を決め、開発権をかっさらった。アメリカとノルウェーが出し抜かれた形である。このガス田は3兆8000億立方メートルにも及ぶ巨大なもので、ガスプロム広報担当のセルゲイ・クプリヤノフによれば、埋蔵量は「過去30年間のヨーロッパへの輸出総量よりも多い」という(11)。ガスプロムは、当初は独自開発を進める意向と思われていたが、開発の合理化を進め、販売収益を向上させるために、門戸開放と国際協力へと方針を転換したのだった。

 南極で50年近くにわたって進められてきた国際協力は、先駆的な取り組みであり、その重要性は、科学の分野でも資源開発の分野でも、極地域での活動にとってますます大きなものになっている。巨額の投資が必要とされるうえに、成果は地球規模、いや地球の外にまで及ぶものとなりつつあるからだ。

南極の現況

 南極点は海中ではなく、南極大陸の中心部、アメリカのアムンゼン・スコット南極基地の真下にある。1959年、アメリカは星条旗を立てるのにこの地点を選んだ。地球の自転軸の真上である。ロシアのヴォストーク基地は、標高3000メートルを超える到達不能極(12)の位置に建設された。フランスは1955年、海岸部のアデリーランドで、残された磁極点上に、最初の恒久基地となるデュモン・デュルヴィル基地を建設した。

 極地の氷に関する調査は、氷河学者と気候学者にとって貴重な成果をもたらすとともに、宇宙関連機関の関心を引きつけている。南極で数多くの材料試験を重ねたNASAは、2007年8月4日に火星探査機フェニックス・マーズ・ランダーを打ち上げた。同機は2008年5月にこの赤い惑星上に「着陸」し、生物の存在に適した条件が過去にあったかどうか、現在あるかどうかを火星の極地の氷の下で探査する。NASAの要請により、このプロジェクトには欧州宇宙機関も参加している。これもまた、一国による単独行動が、アメリカにとってさえ困難になっていることの証左である。

 極地域、とりわけ南極は、極限環境への順応に関わる生理的・行動的メカニズムの研究に、またとない条件を提供してくれる。各地の基地内で隊員が孤立している状況は、長期間にわたる完全な孤立、暗闇、極寒、閉塞といった宇宙空間の条件に、地球上では最も類似する。大陸のほぼ中心部のドームCにあるフランスとイタリアの共同基地は、こうした研究に世界で最も適しているだろう。この基地の構想と組織編成は、月面ステーションや火星ステーションに近いものがある。極限環境下で生存戦略を展開する生体組織の研究や、極地の氷に関する研究といった多くの研究分野もまた、宇宙研究に応用が利く。南極は、言ってみれば後方基地として、宇宙への待合室のようになっているのだ。

 南極への進出が目立つ諸大国は、宇宙開発の先進国でもある。アメリカ、ロシア、ヨーロッパ。それに、4093メートルという南極大陸で最も標高が高く、最も到達が困難なドームAへの基地建設を計画している中国も、近い将来に仲間入りをするだろう。極地への進出は、星々に至る道へとつながっている。限りない氷原が、さらに限りない宇宙と通じている。その一方で、宇宙関連の研究の動機は、もっぱら科学的な問題や「未知との遭遇」への期待にあるとは言いがたい。夢の燃料とされるヘリウム3や、火星のウラン、月の水、アステロイドベルトの金といった、他の天体の鉱物資源を狙うプロジェクトが、宇宙関連機関の引き出しの中で出番を待っている。目下、北極で過熱している資源開発が、明日には宇宙をまたにかけることになる。

 ロシア、アメリカ、ヨーロッパの協力で推進されている国際宇宙ステーション(ISS)は、2010年までに完成する見込みだ。NASAは2020年までに再び月に立ち戻り、2024年までに恒久的な月面基地を建設する構想を発表した。その頃には、月面基地や宇宙ステーションを足がかりとした宇宙の開発、さらには植民地化が本格的に始まるだろう。その訓練は極地域で展開されることになる。

 宇宙での活動は、1967年に発効した国連宇宙条約によって規制されている。大気圏外の宇宙は海洋と同じく全人類の共同の財産とされ、大量破壊兵器の展開は禁じられ、領有権の主張は認められない。国連は国際協力を積極的に推奨している。問題は、先行諸国が積極的に成果を共有しようとするかどうかだ。

 北極をめぐる争いが、科学、経済、軍事のいずれの面でも、やがて宇宙で繰り広げられるだろうシナリオの先取りであることは間違いない。条約の備わった南極には、この50年間に進められた組織編成や協力態勢に見られるように、希望の芽がある。しかし、だからといって北極が、南極における資源開発抑制のつけを払う羽目になったり、南極の大々的な保護という世界の良心の裏面にされるようなことがあってはなるまい。

(1) 2007年8月2日、民放カナダ・テレヴィジョン(CTV)での発言。
(2) ロシアは1997年に批准した。
(3) ただし、この数字は慎重に受け止めるべきだろう。この機関には、カスピ海を新たなクウェートともてはやした後、カスピ海の資源埋蔵量を当初発表の8分の1に修正した前歴がある。
(4) http://amap.no/acia/
(5) 2004年に、国際調査団である北極海掘削航海(ACEX、欧州16カ国とアメリカ、日本が参加)による最初の成果が明らかにされ、北極地域が5500万年前は亜熱帯気候だったことが判明した。当時、北極点付近の海は凍結しておらず、その後に凍結したことになる。
(6) わずか100メートル幅のハンス島も係争対象となっている。同島は北西航路の入り口にあり、カナダとデンマークが30年以上にもわたって領有権を争っている。バレンツ海では、ノルウェーとロシアが国境線の画定で対立している。またロシア政府は、1990年の米ソ条約におけるベーリング海峡の扱いに関して異議を唱えている。
(7) この点に関しては以下を参照。Claude Comtois and Caroline Denis, << Le potentiel de trafic maritime dans l'Arctique canadien >> universite Laval, Montreal, 2006.
(8) http://www.arctic.gov/publications.htm
(9) 1996年にオタワで創設された北極評議会は、経済、社会、環境の分野で持続可能な発展を促進することを目的としている。沿岸5カ国およびフィンランド、アイスランド、スウェーデンの外相と、様々な国際NGOの代表によって構成されている。
(10) オリヴィエ・ザジェク「米ミサイル防衛の強迫観念」(ル・モンド・ディプロマティーク2007年7月号)参照。
(11) RIAノーヴォスチ、モスクワ、2007年8月1日。
(12) 海岸から最も遠い地点であり、海岸からの距離は1700キロ、南緯82度、東経54度の地点にある。


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2007年9月号)

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