サルコジの狡知

セルジュ・アリミ(Serge Halimi)
ル・モンド・ディプロマティーク編集部

訳・阿部幸、斎藤かぐみ

line

 このたびフランスで、右派の男性候補者が、党内で求心力を失っていた大統領の後任として勝ち上がった。対立候補は左派の女性だった。こうしたストーリーは、アメリカの共和党内でジョージ・W・ブッシュの次を狙う者たちに、多少の励みになるかもしれない。なにせ来年11月の選挙では、民主党のヒラリー・クリントンが対決の相手なのだから。

 しかし、アメリカの右派がきたる選挙にあたり、このフランス新大統領の戦略をヒントにするというのも妙な話だ。それは、鏡に映った自分の姿を真似するようなものだ。ニコラ・サルコジの戦略を分析するなら、彼は他国にも輸出できるような新たな錬金術を発明したというよりも、40年前からアメリカで駆使されてきたテクニックを巧みに吸収しただけなのだから。自国が衰退の途上にあり、道徳的に退廃しつつあると力説することで、自由主義的なショック療法たる「断絶」への心構えを国民に求める。経済をただれさせ、公論を萎縮させてきた「左派の画一的な思想」を攻撃する。アントニオ・グラムシ言うところの有機的知識人の考え方にのっとって、右派の理論武装を固め、億万長者の友人たち(と彼らのヨット)を見せびらかす際の「気おくれ」をなくす。社会問題を定義しなおして、富裕層と貧困層、資本と労働の間にではなく、「プロレタリア」内部に分断線を移し、「精根尽き果てている」勤労者と「福祉の共和国」に立てこもる連中を対置する。不当な扱いを受けている果敢な庶民保守層の代弁者として、そうした人々を突き動かす。対策を放棄した支配エリート層と違って、自分は本気の政治をするのだと主張する。アメリカの右派は、以上の処方箋をわざわざサルコジから教わる必要などない。それらはもともと、ニクソン時代に始まるアメリカの産物だ(1)。ジャン・ジョレス、レオン・ブルム、ギイ・モケといった過去のフランス左派指導者の名を選挙演説にちりばめてみせたサルコジの基本戦略は、ニクソン以降の共和党大統領の成功要因を採り入れるところにあったのだ。

 自国の衰退というイメージは、とりわけ有効だ。古い家を無秩序が支配しているときには、秩序の回復が急務だという主張が通りやすい。1968年、右派のニクソン候補の演説は、自国がこれ以上の混乱に陥るのは耐えられないと感じる「サイレント・マジョリティ」を讃美する路線を打ち出した。アメリカはこの演説の直前に、2つの政治的な暗殺事件(マーティン・ルーサー・キングとロバート・ケネディ)に見舞われており、ヴェトナムでは、共産勢力によるテト攻勢によって、すでにアメリカの敗色が濃くなっていた。ニクソンは「叫喚の中で静かな声に」耳を傾けよ、と国民に訴えた。「それは大多数のアメリカ人の声だ。忘れられ、叫ぶことをせず、デモをしないアメリカ人たちの声だ。彼らは人種差別主義者でも、病人でもない。我々の国を蝕んでいる悪事の責任は彼らにはない(2)

 フランスでサルコジが、嵐の時代を演出するために利用したのは、2005年10月から11月にかけ、未曾有の規模で起きた郊外の騒擾事件だった。2006年12月18日、北仏アルデンヌ県シャルルヴィル・メジエールでサルコジは、「能力と努力を信奉するフランス」を讃美した。「苦節に耐えるフランス。不平を言わず、車に火をつけることもないフランス。人が高いカネを払った物を壊すなんて、とんでもないことだ。電車を封鎖することもなく、それゆえ話題にされることもないフランス。誰かが自分たちの名のもとに語ることにうんざりしているフランスだ」。その4カ月後、サルコジは、マルセイユの群集に向かって、「このサイレント・マジョリティの気持ちを表現する」ために立ち上がれ、と号令した。

 どんな選挙キャンペーンも、万人受けのするような面白味のない空念仏の羅列にとどまるなら、有権者を動かすことはできないことが、ニクソンや、レーガン、ブッシュと同様、サルコジにもよくわかっていた。そのため、彼は戦闘的な言葉を使った。先例となったアメリカの右派もまた、民主党の主張のつまらなさの向こうを張ってみせた。かつてウィリアム・ジェニングズ・ブライアン候補(1860-1925年)やフランクリン・ルーズヴェルトは、社会の二極化を論じたが、1950年代以降の民主党は、そうした議論を捨て去った。トルーマン以降の民主党候補たちは、はっきりと言葉にはしなかったが、すでに「ウィン・ウィン」という考え方に転じていた。ただし彼らの実際の標語はむしろ、「対立相手、それこそ敵だ!」だったと言ってよい。

 民主党は人々に怖がられること、つまり有り体に言えば真の左派であることを怖がっていた。そのため民主党は、共和党を「ポピュリスト」だと非難して、自分たちにはもっと無難な呼び方をあてがった。つまり民主党は「保守」だというのである。1952年10月、民主党のアドライ・スティーヴンソン候補は、以下のように述べている。「時代の不思議な錬金術によって、民主党はこの国の真の保守党に転換した面がある。よいものをすべて保ち、それを基礎として、堅実に粛々と建設を進めるのを旨とする政党だ。その反対に、共和党は急進政党のように、つまり我々の社会組織にしっかりと根ざした機構制度の解体を旨とする政党のように振る舞っている(3)

敵の名指し

 サルコジもまた、2005年の終わり、自分の提案(と挑発)が引き起こしたとおぼしき大騒動に自信を深め、逆転戦略で突っ走る意向を強調した。「動の政党たることが我々の誇りとなる。社会党の方が保守になっている(4)」。次いで、彼は敵を名指しした(5)。1960年代だ。ニクソンとレーガンもサルコジ以前に同じ手を使ったが、それは攻撃対象の出来事がまだそれほど遠い昔ではなかった時代のことである。

 敵とは、「何をしてもかまわない、権威も、礼儀も、敬意も過去のものだ、もはや聖域などない、立派なものも、規則も、規範も、禁止もない、と言いつのる」人々のことだという。サルコジの言説は、シラク大統領お決まりの国民統合的な弁舌とはかけ離れているばかりか、気配りを前面に出して国民「参加」を呼びかけるセゴレーヌ・ロワイヤルのたわごと、つまり支離滅裂で、すぐに忘れ去られる言葉のつぎはぎともまったく異なる。それは人々に強烈な印象を与えた。サルコジは、「68年5月の継承者」である左派が「ジュール・フェリーの(築いたエリート主義的な)学校をご破算にして」しまい、「労働の危機」を招き、「家族、社会、国家、国民、共和国への反感」を引き起こしたと主張した。彼は勢いづいて(こうした物言いはなにしろ効果抜群なのだから)、「企業家に対する乗っ取り屋の勝利、勤労者に対する投機家の勝利を用意」し、いつも「ごろつきどもに言い訳」を探してやっているのが左派なのだ、とも述べている。

 これは、右派の古くからのお家芸だ。少数派の利益を守ろうとする場合の賢明な方法にしたがって、(経済的な)利害問題に立ち入らずに済ますには、ひたすら価値観の問題を語り続けるべきである。秩序、敬意、能力、宗教といったことだ。左派が(もしまだ対立相手がいるとして)対立相手を名指ししようとしないときには、この術策はなおさら簡単だ。社会党のフランソワ・オランド第一書記が、社会党は「富裕層」を槍玉に挙げてもいいのではないかと口を滑らせたことがある。この発言はとんでもない物議をかもしたため、オランドはその後は口をつぐんだ。となると、残る争点は価値観の問題に限られる。保守派にとって、価値観を語ることは、庶民層の中に不和の種をまくという効果もある。庶民層は一般的に、賃金の高低よりも道徳や規律の問題に関して、意見が分かれているからだ。

 とはいえ、アメリカもフランスでも、右派は国の「衰退」を道徳的、文化的な要因だけに還元するわけではない。左派政権の具体的な経済政策が「労働の価値」、アメリカなら「ワーク・エシック」に壊滅的な打撃を与えたと主張する。アメリカの民主党は増税によって失業を増加させ、フランスの社会党は時短によって労働の意欲を下げた(そして賃金を低落させた)という。右派としては、時勢の好転や(市場の)見えざる手に期待して、そうした過ちと妥協するなど論外である。

 ネオリベラリズムにとんでもない錯誤が生じるのは、しばしばこの点においてである。ネオリベラリズムが現在やっていることは、「放置して流れに任せる」無策の策では全然ない。レーガンもブッシュも、経営者や資本家の利益を国益と不可分のものと見なし、彼らの利益を優遇するために絶えず「介入」を行った。1981年、就任早々のレーガン大統領は、3つの主要な決定を下した。まず、航空管制官のストをつぶし、ストに参加した1万2000人を解雇するとともに、その労働組合を解散させた。また、最低賃金を凍結した(2期にわたるレーガン政権下で一度も引き上げられなかった)。さらに、最高所得層の税率を急激に縮小した(1981年当時の70%から87年には28%にまで下げられた)。

 「市場」ならぬホワイトハウスによって推進されたこの3つの政策は、どれも同じ方向を目指していた。組合活動の破壊は、一部の富の移転を促進した。労働から資本へ、賃金から配当への移転である。組合の破壊は往々にして、そうした富の移転の前提条件となる。したがって、サルコジの場合も支持者たちが、労働組合との強硬な対決を待望したのは偶然ではあるまい。目的は、1981年にレーガンが、また84-85年に炭鉱労働者に対してサッチャーが行ったように、「断絶」の一撃をくらわせることだ。サルコジは、公共サービス(交通、学校)におけるスト権の制限を公約に掲げた。「労働の価値」を取り決めるのは従業員ではなく経営陣だと考えていることがよくわかる。

 民主党のカーター大統領は、就任からわずか1年後の1978年1月、「忍耐と誠意」を国民に求め、次のように演説した。「政府の役割と機能には限度がある。政府が我々の問題を解決できるわけではない。我々の目標を定めたり、我々のビジョンを決めることはできない。貧困をなくしたり、豊かな経済を提供したり、インフレを抑え込むことや、我々の都市を救ったり、非識字率を下げたり、エネルギーを供給することはできない(6)

歴代大統領は「無気力」で「無策」

 1980年7月、「自由主義者」を標榜するレーガン候補は、この大統領がエネルギー危機に対して「優柔不断」であり、イランやソ連に対して「一方的な武装解除」を進めたと主張して、対決の姿勢を打ち出していた。レーガンは、自分は意欲旺盛だが、カーターは見るからに神経衰弱だと述べ、その「弱さ」「凡庸さ」「無能さ」を糾弾した。「国家という船の舵手はいるかもしれないが、その船には舵がない」とレーガンは主張した。アメリカの「問題は、現に生きる人々を苦しめ、道徳心を崩壊させている。そうした人々が、それに加えて、すべてに関して彼らにもどこかしら責任があると政府に言われるという侮辱を受ける、そんなことがあってはならない(7)」。もちろん、レーガンはサルコジと違って、「公正な社会を望むなら、強力な国家が必要である(8)」と言ったりはしなかっただろう。しかしながら、このフランス大統領のやる気満々の演説が、アメリカ右派の自由主義とは根本的に異なると主張するのは、まったくの大間違いである。

 サルコジもまたレーガンと同様、自分のエネルギーやリーダーシップに引き比べると、歴代大統領は「無気力」で「無策」だったと言ってはばからなかった。2005年7月14日の革命記念日の式典で、サルコジ内相はシラク大統領を眺めて、「フランスが爆発寸前のときに、ヴェルサイユで錠前いじりをしていたルイ16世」を想起したという。政府の怠慢という点に関しては、社会党も非難を免れない。社会党は、対策を放棄して、問題はそれぞれ複雑でヨーロッパレベルで扱う必要があると主張した。「国家がすべてのことをできるわけではない」と宣言し、自分の意気地のなさを「グローバリゼーション、宿命論、あきらめに打ちのめされた」庶民層のせいにした(9)。こうした社会党の姿勢が、右派の大統領候補の反撃を誘発することになる。「あらゆる手は尽くした、とミッテランは言った。いやいや、そんなことはない、失業に対して、あらゆる手を尽くしたとは言えない。(・・・)リヨネル・ジョスパンはかつて大統領選のキャンペーンで、『責任ある政治家は、通貨の話はしない』と言った。私に言わせれば、このような発言こそ無責任だ。通貨が経済政策の手段でない国など、世界のどこにもない(10)

 とりわけ斜陽産業地域で大きな支持を受けたサルコジの意気軒昂な長広舌には、彼の特徴がよく表れている。「私は運営するだけの政治は嫌いだ。何も変えることはできないと思い込んだ政治は嫌いだ。世界はこれでいいはずだとするような政治は嫌いだ。あらゆる手は尽くした、と言うような政治は嫌いだ。そんな政治は嫌いだ。そんな政治は信じない(11)」。中部サンテティエンヌで、サルコジはさらにこうも言った。「何事も欲しないとき、政治は無力だ。何事も欲しない人は、何も成し遂げることができない。私は多くを欲する。我々は多くのことを成し遂げることができるだろう(12)」。確かにシラクも12年前、同じようなことを言い、そしてまさに当選したのだった。ともあれ、今回の新大統領もまた「ヨーロッパ」という制約のせいで、すべてを実行することはまずできないだろう。それに、友人の億万長者たちを苦しめるようなことはできない。「資本に負担を求めよ、と言う声がある。しかし、過大な負担を求めれば、資本は去っていく(13)」。サルコジ当選後の祝賀会の夜、歌手のジョニー・アリデーは、政府が相続税の引き下げを実行すれば直ちに住所をスイスからフランスに戻すと約束した。これに関しては、政府は確かに実行するだろうからだ(14)

 断絶を売りにする以上は、思想闘争に打って出なければならない。この方面で、右派は左派が思うほど愚かではなかった。左派の側はと言えば、知識人やアーティストによる支持声明の上に寝そべっていた。そうした支持声明は、巷間では冷笑や無関心をもって迎えられた。自陣営の候補者になれそうだとの感触を2003年から強めていたサルコジは、先駆けとなったアメリカの保守派と同様に、独自のイデオロギー体系を作り上げていく。その目的は、「社民勢力の繰り言」と断絶し、それにかわって「共和派右派が右派たることに引け目を感じていたせいで実行を控えていた諸事」を打ち出すことにあった(15)。以後、この路線を毎週のように試しては調整するという作業を彼は繰り返していった。

 「ある考えが国内で通用するようになるには、1年近くかけて頭の中に吹き込んでやる必要がある」と彼は述べた(16)。1年とはまたやけに短いが、サルコジにはメディアや財界、閣僚が味方していた。「労働を安楽死させた政策」のせいで「転落するフランス」という説を唱えた文筆屋ニコラ・バヴレズと(17)、その多数の亜流がこね回す屁理屈がさまざまなメディアで流されたことも、サルコジにとって好都合だった。作成自体がサルコジの要請によるものだったカムドシュ報告もまた(18)、バヴレズの煽動本ほど歪んだ書き方ではなかったが(19)、イデオロギー的には似たり寄ったりだった。要するに、サルコジの砂漠の行軍なるものは、実際はオアシスに満ちていたのだ。文化を戦場とする陣地戦は電撃戦へと様変わりした。では、敵はどこにいたのか。「私をフランス最大野党の指導者と比べてもらいたい。この4年間でフランソワ・オランドが打ち出した新しい考えに、いったいどんなものがあったかね」と、サルコジは冷ややかに当てこすった(20)

反逆者だという妄想

 過去に思想闘争を実践した2人の人物は、もっと険しい道を進まなければならなかった。「考えられないようなことを考えてのけた」ウルトラリベラリズムの思想家フリードリヒ・ハイエク(1899-1992年)は(21)、自らの分析をサッチャーやレーガン、ピノチェトといった第一線の政治家が実行に移せる状況になるまで、30年あまり待たなければならなかった。イタリア共産党の指導者アントニオ・グラムシは、ムッソリーニがまだ政権の座にあった時期に没している。この2人の大知識人は、当時の主流イデオロギーとの断絶を果たしたが、自らの思想をひっきりなしに吹聴してくれるテレビやラジオ、雑誌が味方に付いていたわけではない。

 サルコジは、意外な思想家を引用するという戦略でひた走り、自分の路線はハイエクよりもグラムシの流れを汲むものだと言ってみせた。彼は選挙の直前に、こんなふうに語っている。「結局のところ、私の分析はグラムシのそれだ。権力は思想によって獲得される。右派の人間がこの種の闘争を行うのは今回が初めてだ。2002年に内相になって半月後、一部のメディアが『サルコジは貧困層に戦争を仕掛けている』的な攻撃を始めた。私は心の中で言った。妥協して、何もできなくなるか、さもなくば、イデオロギー闘争に乗り出して、治安が誰よりも貧困層のためになることを証明するかだ、と。こうして2002年から、私は論壇を制するための闘いに乗り出した。毎晩毎夜、学校のことを話題にし、1968年の遺産を非難してきた。私は知的、文化的、道徳的な相対主義を非難する……。それが何を意味するかを理解したからこそ、左派は私を激しく攻撃しているのだ(22)

 サルコジに先駆けて、政権獲得の決め手は中道路線だとする政治学者の通説への反証となったのが、1960年代より「パステル調に鮮やかなカラーを」塗ることを重視したレーガンだ。「呼応ではなく選択を(23)」と提唱したレーガンの場合は、過激視されるリスクをとったツケを支払うことになった。1954年から62年までは、ゼネラル・エレクトリック社の遊撃スポークスマンとして資本主義礼賛論をひたすら弁じ続ける立場に甘んじた(24)。共和党に入ってからも、党内で有力候補として浮上してホワイトハウス入りを果たすまでに、15年近くも待たなければならなかった。大統領となったレーガンが、感情をこめてよく引き合いに出したのは、ジョン・F・ケネディの名前である。1960年の選挙の際にニクソンに向かって、ケネディの「若々しいラフな髪型の下に潜んでいるのは古臭いカール・マルクスだ。ビッグブラザー的な国家という考え方は何も目新しいものではない。ヒトラーは自らの国家を社会主義と呼んだではないか」と言って、この民主党候補をこき下ろしていたことは(25)、もはや忘却の彼方だった。レーガンがケネディを絶賛したのと同程度にサルコジがジョレスを評価しているのかは、サルコジの今後の施策によって間もなく知れることだろう。

 そこで問題となるのは、つまりは誠意だろう。過去5年間のうち4年間は大臣の職にあり、財界と大半のメディアの厚い支援に事欠かないサルコジが、「ポリティカル・コレクトネス」問題で追及されてきたなどと言えた義理だろうか。この点についてもアメリカの前例が参考になる。1961年のこと、ソ連出身の移民でベストセラー作家のアイン・ランドが、「アメリカで最も迫害されているマイノリティ、それはビッグビジネス」という身も蓋もないタイトルの論考を書いた(26)。南部諸州の黒人がいまだに参政権を行使できなかった時代の話である。別の例を挙げると、田舎の中産階級の象徴だったニクソンは、ケネディ家からも、この写真うつりのいい東部の名家一族に魅了された大手メディアからも、自分は見下されていると感じていた。イェールとハーヴァードで学んだブッシュも長いこと、自分を反逆者と見なしていた。進歩派スノッブたちの世界で途方に暮れている、少しばかり田舎くさいテキサス野郎というイメージだ。

 自分たちはいつも反逆者だという右派の妄想をわずか二文に圧縮した表現が、レーガンのいくつかの有名な演説のスピーチライターだったペギー・ヌーナンの回想録に見出せる。共和党が何十年と政権を担当しても、そうした妄想はおさまることがない。「私の世代の女性が保守派になるなんて、いったいどういうことなのかと決まって聞かれる。私の反逆が始まった時期を特定するのは難しい」。数ページ後ろで、彼女はある皮肉を述べる。ただし、それは民主党員についてのことだ。「彼らは何でも持っている。32歳にして年俸5万ドル、あらゆるものを手にしているくせに、いまだに四面楚歌のように感じているのだ(27)」。簡にして要を得た表現ではないか。32歳のサルコジは、国内で最も富裕な町のひとつヌイイの市長を務めていながら、自分はいつもはみ出し者だと語っていた。フランスの政治的言説は、いつしか政治家の胸中をめぐる与太話に侵されている。つまり、このお坊ちゃんは、思春期の自尊心を傷つけられたことで、殉教者に変貌したというわけだ。そして、些細なことで傷はうずき出す。彼は数週間前に、こんなふうに語っている。「2002年から、私はシステムの埒外で自分を作り上げてきた。そのシステムは私がUMP(民衆運動連合)党首になることを望まず、内相たる私の考えをしりぞけ、私の提案に反対していた(28)」。だが今度は、この悪ガキが勝利に輝いたのだ。

「早起きする」フランス

 普通に考えれば、財界の支持を受け、所得税の急激な引き下げや相続税の減免、法人税の引き下げを主張する候補者が、民衆の代弁者を名乗るのは難しいはずだ。その快挙に多少とも成功したのが、アメリカの場合はレーガンであり、最近ではブッシュである。長らく民主党の牙城となっていた斜陽産業地域(ミシガン州、ウエストヴァージニア州)での彼らの選挙戦を見れば、どういうことか合点がいく(29)

 彼らの成功の大きな原因は、愛国的な国民意識(反共、反テロ)に訴えかけ、「強大な収税吏」に対する「弱小な納税者」の恨みをかき立てたことにある。「伝統的な道徳価値」へのこだわりを示し(中絶や同性愛に反対し)、暴力と犯罪の最大の原因は司法の「甘さ」にあると断じることも忘れはしない。サルコジの一連の主張は、これらを下敷きにしつつ、強烈な宗教色を抜いたものだ。とはいえ、この新大統領は、「社会問題に比べてスピリチュアルな問題がはなはだしく軽んじられている」という説の持ち主である(30)

 アメリカであれフランスであれ、右派が庶民層で成功を収めたのは、選挙対策に長けていたからだけではない。労働者や活動家の組織が弱まって、多くの低所得の有権者が、政治や社会との関係を個人主義的に捉えるようになったせいもある。「選択」「能力」「労働の価値」といった主張は、この層を狙い撃ちにしたものだ。こうした人々の視点からすれば、さらにひどい状況に陥らないよう、学校や居住地を選びたい。自分には能力があるはずなのに、その見返りを受けていない。仕事はハードなのに、稼ぎはごくわずかで、失業者や移民とたいして変わらない。彼らにとって、金持ちの特権は縁が遠すぎて、どうも実感が湧いてこない。

 こうした話もまた今に始まったことではない。1960年代の終わりのアメリカも同様だった。楽観論と野心と平等を軸とし、みなの生活が底上げされるという希望に満ちたルーズヴェルト式の左派のポピュリズムは、国際競争にさらされるなかで下流転落の不安が広がるにつれて、右派の「ポピュリズム」へと変質した。右派の糧となったのは、現在の社会的地位を維持できず、自分たちより惨めな連中に追いつかれてしまうのではないか、という多くの庶民の不安感だった。富裕層と貧困層、資本家と労働者の間にではなく、月給取りと「福祉受給者」、白人と人種マイノリティ、まじめに働く者とズルをする者の間へと、共和党が経済的分断線の引き直しに成功した発端は、この時代にさかのぼる。

 レーガンは大統領に就任するまで10年間にわたり、「80の名前、30の住所、12の社会保険証を使い分け、税引き後所得が15万ドル以上にもなる福祉クイーン」という話(作り話)を語り続けた。1980年代になると、レーガンの参謀のひとりだったリー・アトウォーターが率直に述べるように、共和党の戦略は見るも明らかになってきた。彼はスーパーで売られる安価なゴシップ紙、ナショナル・エンクワイアラーについて、こんなふうに言っている。「キャディラックを5台も持っているくせに、1974年このかた税金を払っていない億万長者の誰それ、といった話がいつも載っているような新聞だ」。こういうことを民主党はほとんど語らなくなっていた。「階級闘争」論とのそしりを受けたくないからだ。同紙にはその一方で、アトウォーターに言わせれば、「ベランダのひさしの下に座って、食料クーポンで買った酒をすすっているようなやつについての記事も載っている」。この手の話に共和党は飛びついた。

 サルコジにとっても、「何もしない人々、働こうとしない人々が、早起きしてハードに働く人々の犠牲の上に暮らしている」のはもってのほかだ。彼は「早起きする」フランスと「福祉を受ける」フランスとを対立させた。断じて不労所得で暮らす人々との対立ではない。ときには、こんなふうに庶民の間の対立をかき立てる主張の中に、アメリカ式に民族や人種の話を持ち込むこともある。狙いは票の底上げだ。2006年6月22日に南西部アジャンで次のように演説したときには、聴衆から空前の長さの喝采が送られた。「他人の労働のおかげで暮らすことを故意に選んだ人々、自分はあらゆるものをもらってよいが、自分自身は誰にも何の義理もないと考えている人々、何もしないくせに、あらゆるものをすぐさま欲しがる人々、生計を立てるために苦労するかわりに歴史の中に閉じこもって、フランスが自分たちに対して負っていて、いまだに清算していないという幻の負債を追い求める人々、努力と労働を通じて社会に溶け込もうとするよりも、記憶をむやみに燃え上がらせて、誰にもそんな義理はないはずの償いを求めようとする人々、フランスを愛さない人々、フランスに何も与えようとしないくせに、フランスにすべてを求める人々、私は彼らに向けて言う。この国土にとどまるには及ばない、と」

 共和党所属の反逆者たるヌーナンは、この度の大統領選を見て新たに開眼した。「再びフランスを称讃できるようになってほっとした。賢明にも保守派を選出したから、というだけではない。選び方がまたよかったからだ(31)

(1) See Serge Halimi, Le Grand bond en arriere : Comment l'ordre liberal s'est impose au monde, particularly the chapiter IV << La droite americaine dans un theatre en feu >>, Fayard, Paris, reprint 2006.
(2) 共和党大会での演説、マイアミ、1968年8月8日。
(3) Adlai Stevenson, speech of 3 October 1952, quoted in John Gerring, Party Ideologies in America 1828-1996, Cambridge University Press, Cambridge, 2001, p.249.
(4) 民衆運動連合(UMP)党大会での不公正に関する演説、2005年11月30日。Quoted in Eric Dupin, A droite toute, Paris, Fayard, 2007, p.143.
(5) 一部の急進左派でさえ、そんなことはしなくなった。See << Nommer l'ennemi >>, Le Plan B, No.6, Paris, February 2007.
(6) 一般教書演説、1978年1月19日。
(7) ロナルド・レーガン、1980年7月17日のデトロイト共和党大会での演説。
(8) ニコラ・サルコジ、UMP党大会での不公正に関する演説、2005年11月30日。
(9) フランソワ・オランド、テレビ局フランス3「フランス・ユーロップ・エクスプレス」、2007年5月13日放映分。
(10) ニコラ・サルコジ演説「労働のフランスに向けて」、アジャン、2006年6月22日。
(11) ニコラ・サルコジ、マルセイユ演説、2007年4月19日。
(12) ニコラ・サルコジ、サンテティエンヌ演説、2006年11月9日。この演説の主要部分が2007年5月2日にラジオ局フランス・アンテール「もし私があそこにいたら」で放送された際、言語学者ダモン・メヤフルがサルコジとロワイヤルの演説を比較して、たとえば2007年1月1日から4月末までの間に、「配当」という言葉は一度しか(ロワイヤル演説)使われていないと指摘した。
(13) ニコラ・サルコジ、前掲演説、2006年6月22日。
(14) 2007年5月6日、ジョニー・アリデーは祝賀会場となったパリの高級レストラン、フーケッツを出たところでこんなふうに語った。「彼が約束を守ることを私は知っている。ニコラ・サルコジは言ったことをやるだろう」
(15) ニコラ・サルコジ、トゥールーズ演説、2007年4月12日。
(16) Nicolas Sarkozy quoted in Carl Meeus, << PS : le choc des ambitions >>, Le Point, Paris, 17 May 2007.
(17) Nicolas Baverez, La France qui tombe, Perrin, Paris, 2003, p.83.
(18) 元IMF専務理事カムドシュなどからなる作業グループが、『奮起、フランスの新しい経済成長に向けて』と題して、2004年10月にフランス経済・財務・産業省に提出した報告書。[訳註]
(19) 「労働の価値」に賛同するバヴレズは、「最も貧しい層にとって、自由な時間とはアルコール依存、暴力の増長、犯罪行為を意味している」と語っている(20ミニュット紙、パリ、2003年10月16日付)。
(20) Nicolas Sarkozy, L'Express, Paris, 17 November 2005.
(21) See Serge Halimi, << Quand la droite americaine pensait l'impensable >>, Le Monde diplomatique, January 2002.
(22) Le Figaro, Paris, 17 April 2007.
(23) アメリカ穏健保守主義の「父」とされ、1964年の大統領選に共和党から出馬した(結果は敗北)バリー・ゴールドウォーターが発案した表現。
(24) See the feature articles on General Electric in Le Monde diplomatique, November 2006.
(25) << Text of 1960 Reagan letter >>, The New York Times, 27 October 1984.
(26) 以下の著作に再録。Ayn Rand, Capitalism, the Unknown Ideal, Signet, New York, 1967.
(27) Peggy Noonan, What I Saw at the Revolution : A Political Life in the Reagan Era, Random House, New York, 1990, pp.15 and 26.
(28) Le Figaro, 17 April 2007.
(29) See Serge Halimi, << Le petit peuple de George W. Bush >>, Le Monde diplomatique, October 2004.
(30) Philosophie Magazine, Paris, April 2007.
(31) Peggy Noonan, << Everything old is new again >>, The Wall Street Journal, New York, 14 May 2007.


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2007年6月号)

All rights reserved, 2007, Le Monde diplomatique + Abe Sachi + Kondo Koichi + Saito Kagumi

line
表紙ページ 本紙の位置づけ 有志スタッフ
記事を読む 記事目録・月別 記事目録・分野別
メール版・お申込 読者の横顔
リンク(国際) リンク(フランス)