ダカール・ニジェール特急を守れ!

ヴァンサン・ミュニエ(Vincent Munie)
ドキュメンタリー映像作家

訳・福島ひろこ

line
 2007年2月25日に大統領選を迎えるセネガルは、重大な政治危機の渦中にある。同じ日に議会選挙も予定されていたが、不正が認められるとの国務院の判断によって延期となった。セネガル社会が2000年の大統領選挙で、アブドゥラエ・ワッドに託した期待が実現したとはとてもいえない。目下、ダカール・ニジェール線の民営化に対し、鉄道員たちが激しい反対闘争を繰り広げている。これは、西アフリカ諸国で労働組合意識が復活していることを示す事件である。[フランス語版編集部]

line

 かの有名なダカール・ニジェール特急の話をしよう。この鉄道を白人たちが建設してから一世紀後、今度は別の白人たちがやって来た。今回の白人はカナダ人で、セネガル西部の都市ティエスにある本社ビルに椅子を構えている。それにしても、鉄道の運行状況がこれほどひどかったことはない。レールは交換されなくなり、枕木の下に敷く砂利はボロボロ。レールを固定するためのボルトはどこかに消え失せ、枕木は割れている。特に目も当てられないのは、レールの「炎上」だ。暑さで膨張して反り返り、締結部のナットが外れてしまうのである。それだから電車は脱線する。毎日のように台車が横転し、機関車が跳ね上がり、分岐器や貯水タンクがつぶれてしまう。西部ギンギネオからティエスまでの短い区間でさえ、電車の最高速度は時速30キロがやっとだ。東部タンバクンダからマリ国境地点キディラまでの160キロは、時速10キロで16時間かかる。

 車内の様子を見てみよう。座席はへこみ、トイレは影も形も見当たらない。45度から48度の焼けつくような空気が流れ込み、誰もが喉の渇きに苦しむ。1座席あたり3万5000CFAフラン(約8400円)という高い料金を払ってこれである。それだけならまだいい方だ。3日間にわたる長旅を続ける電車の中には、もっと目立たない一団も紛れ込んでいる。無賃乗車の人々だ。駅に近づくと、電車が止まる前に車両から飛び降りて身を隠し、また動き出すと飛び乗る。この方法のいいところは、無料であること。悪いところをいえば、とてつもなく危険で、まるで落ち着かず、直射日光に晒され、この裏社会の仕切り役に服従しなければならない。電車はしょっちゅう脱線するので、乗客はゆうに半日みなければならない。作業員たちがジャッキ一つで車体を持ち上げレールに戻すのに、それだけかかるのだ。

 2006年12月、ダカール。「アフリカ鉄道会合」と銘打った集会が開かれ、労働組合が集結した。彼らは、アフリカ各地で既定路線の鉄道民営化に反旗を翻している。この集会で大きな喝采を浴びたのが、ダカール・バマコ線の鉄道員たちである。2003年にフランスとカナダの合弁会社、トランスライユに買収されてからというもの、この長い歴史を誇る路線の鉄道員たちは、実に見事な闘いぶりを示してきた。ダカール・バマコ線を手に入れたトランスライユの経営方針は、地域にとっても従業員にとっても惨憺たるものだ。貨物輸送を優先させて、乗客輸送をおろそかにし、給料をカットして、従業員の社会的権利をないがしろにする。632のポストを廃止し、労働組合には圧力をかける。やると言ったはずの投資はほったらかし、等々。このトランスライユ社に対して、セネガルとマリに広がった鉄道員たちの抗議運動は、西アフリカでの労働組合意識の復活を体現している。

 2006年の3月中旬と7月中旬には、抗議行動として大規模なストライキとデモ行進が実施され、厳しく弾圧された。従業員は首になり、不当に解雇された。経営陣は労使交渉を拒み、組合にスパイを送ろうとしたり、脅しをかけたりという行動に出た。ダカールの組合活動家ピエール・ヌドイェをはじめ、解雇や停職など懲戒処分にされたセネガルとマリの鉄道員21人の処遇をめぐり、組合と経営陣はいまも火花を散らしあっている。

 トランスライユの経営陣は、まずセネガルとマリの法律の違いに目をつけ、待遇を変えることで両国の労働者を分断しようとした。しかしこの作戦は失敗に終わった。長年の経験を積んだ鉄道員組合の方が一枚上手だったからだ。セネガルの鉄道労働者連合(FETRAIL)とマリの鉄道労働者組合(SYTRAIL)は手を結び、さらに、鉄道の統合的発展と復興を求める市民集団(COCIDIRAIL)も結成された(1)。両国の労働組合は、会社側に対するいくつかの要求を中心として、すぐに団結を固めた。その要求とは、具体的には鉄道員の利益と組合の権利を守ること、またトランスライユが買収前に約束したように必要な投資を行ない、旅客部門を維持することである。

 2007年2月25日に大統領選を控えたセネガルでは、またもや「電車」が政治上の争点となりつつある。組合活動家は、トランスライユの「莫大な利益」(とその国外移転)を槍玉に挙げ、本社ビルに椅子を構える白人幹部の権柄ずくを非難する。彼らはマリの仲間と声を合わせて、自分たちの政府がフランス・カナダ資本のトランスライユに「屈している」と糾弾する(2)。こうした状況では、セネガルの諸政党も、競いあって鉄道整備計画を発表せざるを得ない(3)。2006年12月、セネガル、マリ両国とトランスライユは危機の打開に向け、2003年に民営化を要請した世界銀行の仲介により、パリで協議を開いた。しかし事態の紛糾は静まらなかった。

 守勢に立たされたセネガルのハビブ・シ設備大臣は、「鉄道を貿易の発展に役立てるような、長期的な解決策を見出す」ために、監査を実施すると発表した(4)。地域経済を発展させるには、鉄道は重要なポイントだ。しかも、コートジヴォワール情勢が悪化した結果、従来の物資供給ルートや港湾輸送ルートは利用しにくくなっている。

植民地の道具から、住民のためのものへ

 いまではダカール・ニジェール線を走る電車はほとんどない。セネガルの首都ダカールからマリの首都バマコを経由してクリコロまで、1259キロもの距離を1メートル軌間のレールがつなぐ。この路線にとって、植民地時代の栄光は既に過ぎ去ってしまったようだ。貨物列車は毎日運行しているが、名高いダカール・ニジェール特急は一週間に一本しか走らない。その上、いつも数日の遅れが出る。乗り込んでみれば、ボロボロの車両や廃れた駅、故障した機関車が目に飛び込んでくるばかり。数時間にわたって止まったり、脱線したりもする。2003年に民営化される何年も前から、構造調整を課された政府は、この路線への投資をストップしていた。鉄道員たちは、さびれていく仕事道具を前にして、何もできずに呆然としていた。FETRAILのリーダーで停職中のヌドイェは、「民営化は不可避だと思わせるために、すべては意図的に放置されたのでは、と考えることだってできる」と語る。

 この路線の衰退により、死傷者が出ているわけではないにしろ、沿線住民の一部が社会から取り残されてしまったことは事実である。駅の周りをうろついて、無認可の物売りで生計を立てる者、車庫や線路で働く鉄道員、電車に乗って都市部まで農産物を売りに行く農村の女性。はるかピレネー山脈の向こうでも、ウラルの山奥の寒村でも、ピーナッツが生い茂るアフリカの平原でも、徐々にさびれていく電車の路線が意味するのは、つまりは見捨てられた住民である。アフリカの真ん中に敷かれたダカール・ニジェール線のひん曲がったレールは、公共サービスというものに対する新自由主義勢力の拒否反応の表れなのだ。

 1870年頃、サハラ横断鉄道の建設計画を推進したのは、当時フランスのセネガル総督だったルイ・フェデルブである。この鉄道は徹頭徹尾、フランス帝国主義の産物であった。目的は多岐にわたる。まず、部隊の輸送手段として活用するという戦略があった。この部隊自体が、周辺住民の「同化」政策を支える戦略的手段であった。19世紀末にまず建設されたのは、ダカールから北西部サン・ルイまでの区間である。これが、カイヨル地方でラト・ディオール王が起こした反乱を叩きつぶす決め手となった。サハラ砂漠を横断する「弧状」鉄道は、当時シエラレオネやリベリア、ナイジェリアに進出していたイギリスの植民地拡張に対する防波堤の役割も担っていた。ダカール・バマコ線は1923年に完成する。工事は難航を極め、植民地政府はブルキナファソから労働者を根こそぎ連行して、奴隷状態で働かせた。

 2つめの目的は、経済的なものである。この幹線鉄道は、奥地からダカール港まで一次産品を運ぶための輸送ルートであった。ダカール南東のカオラックに至る支線は、ピーナッツの運搬に用いられた。さらに、開通と同時にこのフランスの鉄道は、3つめの役割を担うようになる。それは沿線地域の安定化である。事実、鉄道が通った地域は社会・経済的な発展を遂げ、駅の周りにはありとあらゆる商売が生まれた。1940年当時のダカール・ニジェール鉄道は、活気あふれる一大企業であり、フランス領西アフリカ(AOF)の綿業・鉱業の先兵となっていた。1946年には、全線で働く鉄道員は総計8000人にも上った。

 この鉄道公社は白人が幹部を占める植民地組織であり、人種差別的な原則に貫かれていた。白人と黒人の待遇には、愕然とするほどの違いがあった。例えば同じ役職でも、白人の給料は黒人の2倍に及ぶこともあった。黒人鉄道員の大半は日雇いであり、生活はこの上なく不安定だった。彼らのみすぼらしい住居は、ティエスの住宅地バラベイにあるトゥバブ(ウォロフ語で「白人」の意)の大きな一戸建ての官舎とは雲泥の差があった。ティエスには最も大きな鉄道車庫があり、地域一帯の労働者たちが集まっていた。このティエスで、1930年代に、ダカール・ニジェール鉄道土着労働者組合(STIDN)が結成されたのである。

 労働運動は1938年、次いで1946年に爆発的に盛り上がった。1947年10月21日に始まったストライキは、6カ月にわたって全線を麻痺させた。彼らの要求はただ一つ、「同等の仕事には同等の賃金を」だった。フランス領西アフリカでは、労働組合権は1937年に認められていたが、政党の結成は1946年まで禁止されていた。こうした状況下で、鉄道員たちの単純明快な要求が、セネガルとマリの人々の間で、独立へ向けた第一歩と見なされるのは時間の問題だった(5)。西アフリカ全域で、住民はスト労働者に合流し、団結を深めていった。イブラヒマ・サールを指導者とする鉄道員たちの運動を前にして、鉄道公社のフランス側経営陣はついに折れた。

 こうして、鉄道はその目的を変えた。植民地の野望のための道具であった鉄道は、人々の独立に向けた踏み台へと姿を変えた。彼らは自分たちの土地を横断する鉄道を自らの手に取り戻したのだ。以後、ダカール・ニジェール鉄道はセネガル人とマリ人のもの、住民とその繁栄のためのものとなった。1960年、独立を実現したセネガルのサンゴール大統領は、鉄道の円滑な運行を公共サービスの使命の一つと考えていた。政府は鉄道の保守管理に助力を惜しまなかった。

貨物が1000トン、それで充分

 しかし1980年代に入ると、鉄道の老朽化が始まる。投資はストップし、設備は古くなってしまった。さらにトラックとの競合により、鉄道で採算をとるのは至難の業となった。2003年、マリとセネガルの両政府は、世界銀行の指示に従って民営化を受け入れた。次いで入札が行なわれ、フランスとカナダの企業連合カナック=ジェトマ(6)が25年間の営業権を手に入れた。その際の条件には、落札業者は旅客部門を維持する責任を負うという運営協定が含まれていた。そして、新経営陣は合弁会社トランスライユを設立した。同社はすぐさま、632人の鉄道員の解雇と早期退職、12駅の早期閉鎖を発表した。駅に停車する電車のおかげで生計を立てていた人々の日常生活は、さらに不安定になってしまった。鉄道の採算は回復したが、経営陣は新たな投資には時期尚早だとみている。民営化のときの約束とは裏腹に、車両の更新や丘陵地帯の線路の改修に関しては、トランスライユはひたすら出し惜しみをした。

 そういうわけで、運行中に何のトラブルもないと、機関士は「ついてるぞ」とか「奇跡だ」などと口にする有様である。それでも電車は日々1000トンの貨物を積んで、線路の上をひた走る。しめて年間36万トン。トランスライユが掲げる目標38万トンまであと一歩である。要するに、速度はさておき一日一本だけ走らせておけば、それでもう充分なのだ。したがって、トランスライユの採算は、次のように単純な等式で書き表すことができる。独占事業権+控えめな目標+最低限の投資+「現代流」の福利厚生=若干の利益(7)。同社はいまのところ、これで満足している。

 というのも、カナック=ジェトマ連合はダカール・バマコ線を保有することで、民営化済みの他のアフリカの鉄道会社に対して、存在感を発揮できているからだ。他の鉄道会社とは、コートジヴォワールとブルキナファソのシタライユ(仏企業ボロレ系列)、カメルーンのカムライユ(ボロレ系列)、ガボンのセトラグ(仏企業エラメット系列)、トーゴのトーゴライユ(トーゴ企業ウェスト・アフリカ・セメント系列)などである。これらの路線をつなげてサハラ横断列車を走らせるという国際プロジェクト「アフリカライユ」の中で、カナック=ジェトマ連合は戦略的な地位を占めているのである。

 それに、ニジェール川に向かう途中のどこかで、新たな黄金郷が見つかる日が来ないとも限らない。そのあかつきには、カナック=ジェトマ連合としては、見つかった鉱物資源を大西洋岸まで輸送する運賃をかなりの高額に設定できる。多額の投資を厭う理由はない。それに比べれば、「特急」のもぐりの売り子、駅に店開きした食堂の店主、鉄道労働者や旅客といった連中は、ものの数ではない。

 いまのところ、ダカール・ニジェール鉄道の危機的状態を打開するには、トランスライユの「盛り返し」に期待するか、国営に戻すかしか道がない。2006年にバマコで開催された世界社会フォーラムで、COCIDIRAILは同席していた西アフリカの活動家たちとともに、鉄道の再国有化を明確に主張した。ダカール・ニジェール鉄道の利用者と従業員は、自分たちの闘いをアフリカ全土の闘いの象徴として位置づけようとしている(8)。12月6日にはダカールで「アフリカ鉄道会合」が開かれ、関係諸国の労働者たちも結束を強めている。このまま事態が変わらなければ、「特急」はだんだんと退場に追い込まれ、鉄道会社の労働条件はさらにひどくなり、鉄道と関わる住民が困窮していくのは必至だろう。にもかかわらずトランスライユは、アフリカと世界を隔てる目に見えない覆いのおかげで、欧米諸国からの批判を免れ、傍若無人に振る舞い続けている。

 こうした問題は、何もアフリカ特有のものではない。COCIDIRAILのリーダーで、2004年10月にトランスライユに解雇されたティエクラ・トラオレによれば、マリとセネガルの労働組合の主張は、「ヨーロッパで聞かれるような要求と変わらない。公共サービスの問題についていえば、多くの点で共通しているほどだ」。違いといえば、アフリカがいまだに賄賂天国であり、組織的な略奪が行なわれているという点だけだ。仮にフランスで、欧州委員会以外の何らかの国際機関が、ナント・トゥールーズ区間の民営化を要求したとしよう。買収側の企業の事業戦略が住民の利益や国益に反する場合でも、その企業が白紙手形を与えられたとしたら、どうだろうか。営業権を獲得したのが中国企業で、労働組合との対話を頭ごなしに拒否したとしたら、どうだろうか。

 ところがダカール・ニジェール線の場合には、外資が25年に及ぶ営業権を手にしている。そして、この外資が世界銀行の支援、セネガルのワッド政権の共謀、マリのトゥーレ大統領の受身の姿勢のもとに、経済の生命線であり、国民の誇りでもある鉄道を略奪している。セネガル人にもマリ人にも、この民間事業者が旅客輸送のことなど端から考えておらず、貨物輸送の「強化」だけが路線の(とりあえずの)収益源だと考えていることがよくわかってきた。つまり、列車の運行を正常に戻すための投資など、期待するべくもないのである。

 したがって「ダカール・ニジェール特急」の存続は、この公共鉄道を商業原理よりも上位に位置づける政治決定ができるかどうかにかかっている。しかしいまのところ、セネガル政府もマリ政府も、営業権に伴う義務をトランスライユに突きつけようとはしていない。その対決に打って出ているのは、激しさを増す闘争を3年間にわたって続けている労働組合だけなのだ。

(1) http://www.cocidirail.info/
(2) http://www.cocidirail.info/index.php?Actualites
(3) Cf. for example Le Quotidien, Dakar, 4 December 2006.
(4) Wal Fadjri, Dakar, 7 December 2006.
(5) サンベーヌ・ウスマン『神の森の木々』(藤井一行訳、新日本出版社、1965年)参照。
(6) 現在、カナックはアメリカのサヴェージ社、ジェトマはジャン・ルフェーヴル・グループの傘下にある。
(7) COCIDIRAILの試算によれば、収益額は1カ月につき10億CFAフラン(約2億4000万円)。
(8) http://www.fsmmali.org/article148.html?lang=fr


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2007年2月号)

* 後ろから三段落目「ヨーロッパで聞かれるような」の前のカギ括弧の種類を訂正(2008年12月2日)

All rights reserved, 2007, Le Monde diplomatique + Fukushima Hiroko + Okabayashi Yuko + Saito Kagumi

line
表紙ページ 本紙の位置づけ 有志スタッフ
記事を読む 記事目録・月別 記事目録・分野別
メール版・お申込 読者の横顔
リンク(国際) リンク(フランス)