EUとロシアのパートナーシップに向けて

ニーナ・バシカトフ(Nina Bachkatov)
ウェブサイト russia-eurasia.net 編集、
ブリュッセル大学・リエージュ大学教員

訳・三浦礼恒

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 2006年11月にヘルシンキで開催された欧州連合(EU)とロシアの首脳会議は、かねて予想されていたように失敗に終わった。しかしながら、この会議は少なくとも、両者の関係の再定義を迫るという収穫をもたらした。関係の悪化は2003年の終わり、つまり1999年の時点で明らかになっていた一連の問題が解決されないまま、EUが新規10カ国への東方拡大に突き進んだ時期にさかのぼる。苦心の末にまとめられた共同声明の文言は、首脳会議の面目を立てるものではあったが、今回の会議の失敗の原因はEU内部にある。「プーチンによるEUの分断」という強迫観念に付きまとわれたせいだ。

 プーチン大統領が何かしたわけでもないのに、わずか一カ月足らずのうちに、EU25カ国は二度の会合によって大きく分裂した。一つ目は、10月20日にフィンランドのラハティで開催されたモスクワ代表団との晩餐会である。二つ目が、11月24日にヘルシンキで開かれた首脳会議だった。この時ポーランドが拒否権を発動したことで、2007年1月に期限切れとなるEU・ロシアのパートナーシップ協力協定の更新交渉が暗礁に乗り上げたのだ。

 この野心的な協定は、1994年に調印されたが、チェチェン戦争のせいで発効は1997年にずれ込んだ。目的は、自由貿易地域を創設するという目標の下に、経済・財政・司法の各分野でロシアとEUの基準を近づけることにある。しかし実施状況ははかばかしくない。ロシア側の経済状況、実施手続きの煩雑さ、専門家と政治家との連携の欠如、ロシア国内の政情(チェチェン、汚職、人権侵害、国家の経済介入)などのせいだ。最大の原因は、プーチン大統領がフランスおよびドイツの首脳と良好な関係を維持しているにもかかわらず、EUとロシアの間に拭い去れない不信感があることだ。

 協定の内容は幾度も修正されてきた。特に1999年にはEUが「共通戦略」を打ち出して、両者の協力関係を政治分野、民主主義の強化、核の安全保障、犯罪対策にまで拡大しようとした。その結果、EU・ロシア関係は冷え込んだ。冷却期間は2001年10月にプーチン大統領がブリュッセルを訪問するまで続く。

 関係好転の絶頂は、2003年5月のサンクトペテルブルク首脳会議だった。当時のEU15カ国は、ロシアが(EUへの加盟は考えられないにせよ)ヨーロッパの一員であることを認めた。また、ロシアは「市場経済国」であると認定した。これはロシアが世界貿易機関(WTO)に加盟するためには必要不可欠なステップである。両者の協力は、経済関係、司法・内務、文化・教育、対外安保という4つの「柱」へと拡大された。EU・ロシア常設合同理事会の創設を通じて、モスクワは自国の利害に関わる場合にはEUの案件に口をはさむ権利を獲得した。

 2003年の終わりに、情勢は一変する。対外関係担当のパッテン欧州委員が、加盟予定国も含めたEU25カ国で協議するための修正協定案の準備に当たり、モスクワとの対立点、とりわけ人権問題に関する対立を強調したからだ。彼は独立国家共同体(CIS)諸国との関係強化を提言するとともに、ロシアのWTO加盟にはエネルギー部門の改革が必要だと主張した。これに憤慨したクレムリンは、手持ちの唯一の圧力手段であるパートナーシップ協力協定の修正問題を振りかざし、新たなEU加盟国への協定拡大は認めないと言い出した。

 この状況が打開されたのは、例によってタイムリミット間際になってからだった。EU東方拡大直前の2004年4月27日、ルクセンブルクで開催されたEU・ロシア常設合同理事会の場で、2つの文書が採択された。ひとつは、パートナーシップ協力協定に新たなEU加盟国10カ国を加える議定書である。もうひとつは、EU側が貿易交渉を再開することや、バルト三国のロシア系マイノリティの状況にもっと関心を向けること(1)、ビザを緩和すること、ロシアの飛び地カリーニングラードへの通行を容易にすることを約束した文書である。しかし2004年5月、25カ国への拡大から10日後に、EUは「新たな近隣関係」政策を採択した。ロシアはこれを自国周辺地域への非友好的な介入政策と受け止めた。2004年11月にプーチン大統領が京都議定書に批准するという姿勢を見せたにもかかわらず、EUとロシアの緊張は解けなかった。

協力関係の足を引っ張っている要因

 両者の誤解は、冷戦末期からソ連崩壊の時期にまでさかのぼる。ロシア人たちは当時、圧制からの解放を自分たちの手で成し遂げたと考えており、あまり疑問を持つことなく「市場経済と民主化」という2つの劇的な変化に賛同した。それが現実的な選択であり、1991年に自ら否定したシステムの対極にあるものだと考えたからだ。さらに、彼らは自分たちを敗者だとは考えていなかった。高い教育を受け、自国を存続させるために方向感覚を働かせたロシア人は、予想外の力を発揮した。したがって、彼らの目標は欧米モデルをそのまま採り入れることではなく、それをうまく移し替えることにあった。欧米モデルは、当初これを信奉し始めた人々の間でさえ、早い時期に疑問視されるようになった。

 欧米モデルが疑問視されるようになったのは、ソ連時代のように無知とプロパガンダによるものではなく、むしろ逆に、世界をよりよく知るようになったからだ。時が経つとともに、EUとロシアは互いにますます型にはまった見方をするようになった。ロシアにとって、EUは経済的には大きな存在だが政治的には小さな存在にすぎない。EUにしてみれば、ロシアは今なお世界的な大国のつもりでいる地域大国でしかない。

 両者の協力関係の足を引っ張っている要因はほかにもある。EUの中では、ロシア・ユーラシア問題の担当官は頻繁に異動してしまう。ロシア専門家も足りない。ロシアの側でも、米加研究所に相当するようなヨーロッパ研究所は未だに創設されていない。アジアや中東については育っている若手の専門家が、ヨーロッパに関しては出てこない。ブリュッセルにおいて、信頼できる協議の相手と見なされているロシア人は、反体制派の人々である。欧州委員たちは自国の専門家を信頼する傾向があるため、多国間的な考え方よりも二国間的な見方が強まっている。

 また、ソ連共産体制下での経験という傷口を抱え、宗旨替えして間もない者の強固な信念に拠って立つ新規加盟国は、旧ソ連に関する部会に大量に人員を送り込み、ロシアと協力関係を結ぼうとする「古いヨーロッパ」諸国のおめでたさを正そうとする。新規加盟国はウクライナやグルジアといったCISの国々を大いに持ち上げる。主として過去の経験によって現在のあり方を規定しようとする「新しいヨーロッパ」諸国の姿勢に対して、「古いヨーロッパ」諸国は押され気味で、現在の西欧の基盤を築いた仏独和解の方法がロシアについても応用できるはずであることを説明できずにいる。

 新規加盟国の到来は、大西洋関係の強化という影響ももたらした。ポーランドやバルト三国にとって、東方の「脅威」から自国を守ってくれる力があるのはアメリカだけだ。2003年のイラク危機の最中に、フランスやドイツ、ベルギーといった一部の国々はモスクワに接近し、あるいは「文明の衝突」を拒絶する姿勢を共有したが、EU全体としては、共通外交政策とコンセンサスを追求しなければならないことがロシアとの接近を阻害している。

 だが、中国とアメリカによって支配されるだろう明日の世界において(2)、EUが自ら望むような役割を果たそうとするのであれば、ロシア・CISブロックとの協力関係は必要不可欠だ。実際にはそれどころか、ロシアを不快にさせるようなことはヨーロッパにとって良いことであり、ヨーロッパを不快にさせるようなことはロシアにとって良いことだといった状況になっている。他方、忘れられがちなことだが、EUとアメリカはエネルギー問題に関して、民主的とは言いがたいカフカスや中央アジアの国々をめぐって競合関係にある。にもかかわらずアメリカの論客がブリュッセルにやって来て、討論会やセミナー、円卓会議などの場で、ヨーロッパのエネルギーの安全保障における「大西洋関係」の重要性を説くといった場面は数知れない。

 こうしたアメリカの攻勢に当たっては、よくあるように、ロシアからの参加者が格好の論敵に仕立てられている。ロシア人たちは口べたで、態度が横柄であるうえに、相互のまとまりが悪く、陰謀論に傾いている面もあるという絶妙なスタンスを提供しているからだ。

 エネルギー協力問題のうちには、モスクワとブリュッセルの関係の曖昧さが余すところなく表れている。EUにとって、エネルギー安全保障とは、供給の保証を意味している。そのためEUは、ロシア市場を投資家に開放すべきであること、生産を最大限に増やし、価格を抑えるべきであることを強調する。ロシアにとって、エネルギーの安全保障とは、最良の価格での輸出が保証されることを意味している。モスクワは外国の投資家を排除しているわけではないが、エネルギーという重要分野を市場原理だけに委ねることはできないと考えている。ロシアは資源を長期的に維持すること、利益率が極めて高いヨーロッパの供給部門を含めた全関連部門に関与することを望んでいる。

数々の空想

 この問題はすぐさま政治化、さらには軍事化した。エネルギーの国家管理に乗り出す国もあり得るという発想は、企業活動の自由を唱える者には評判が悪い。他の国の追随を引き起こすおそれがあるだけになおさらだ。ロシアに続いて既にカザフスタンやアゼルバイジャンでも、国家が機能せず、地元の関係者が経験未熟だった時代に締結され、外国の投資家に極端に有利だった契約を見直そうという動きが起きている。

 EUがエネルギー分野における自らの脆弱さに気づくことになった大きなきっかけは、ロシア・ウクライナ間の危機である。彼らはそれを親欧米的な国に加えられた懲罰であると見なした(3)。そのためEUは、モスクワからの圧力に過敏になっている新たな近隣諸国への援助を強化することを決定した。対外関係担当のフェレロ=ヴァルトナー欧州委員は11月下旬に、CISを含めたEU近隣の「友好諸国圏」において民主化改革を促進し、エネルギー関連のインフラを整備するために、10億ユーロ規模の基金を創設すると発表した。

 軍事問題としては、カスピ海の軍事化が1999年から始まっている。当初の目的はアゼルバイジャンの油井の保護であり、次いで対テロ戦争の一環としてカフカスの石油パイプラインを防衛する必要が生じた。さらに、まさに新たな任務を模索している北大西洋条約機構(NATO)の関与が議題に上っている。2006年11月にNATO首脳会議が開かれていたリガで、会期中にジャーマン・マーシャル基金が主催した会議の席上、アメリカのリチャード・ルガー上院議員は条約5条の適用範囲をエネルギー安全保障にも広げることを提唱した(4)。彼の主張によれば、「発砲することなしに」経済を麻痺させる能力のあるロシアは、重大な懸念材料にほかならない(5)。12月14日、フィナンシャル・タイムズ紙は、NATOの経済専門家による秘密報告書を公表した。モスクワは「天然ガスのOPEC」を創設するつもりでおり、警戒が必要だという内容である。

 ヨーロッパは、1990年代に行った選択の是非を問い直すどころか、空想をたくましくしているだけのように見える。例えば、プーチン体制は飽くまで例外であって、代替わりすればパートナーシップを再開できるという考えが、一見識だということになっている。だが、事態は明らかだ。後継者の時代になれば手法が変わることはあるかもしれないが、基本的な方針は変わらないだろう。中国とインドの台頭という要因もあいまって、ロシアは世界情勢が自国に有利な方向に傾きつつあると感じている。

 もう一つの空想は旧ソ連諸国に関するものであり、モスクワの支配下から引き離すだけで、民主化と市場化が進展するという。だが、EUが投入する追加資金はまるで役に立っていない。EU内部の手続きが煩雑であるうえに、政治・経済改革の前進という条件を援助に付けているせいで、ロシアに大きな行動の余地を残しているからだ。これらの諸国にとって、ロシアは旧知のパートナーである。そしてEUがこれらの諸国から大量の移民労働者を受け入れたり、商品を買い入れたりしようとしない現状では、必要不可欠のパートナーでもある。CIS諸国がもっと経済的に発展すれば、ロシアとの関係について思い煩う必要がなくなり、モスクワか欧米かの二者択一を迫られずに済むようになるだろう。

 ブリュッセルではさらに、ヨーロッパがロシアのガスを必要としているのと同じぐらい、ロシアはヨーロッパの資本を必要としているという説が流布している。そこでは、ロシアがエネルギー分野を市場原理だけに委ねるつもりがないことや、消費国と生産国は立場が異なることが忘れられている。生産国はあちこちから引っ張りだこであり、中国のような消費大国は将来のエネルギーを確保するために大金を支払う準備がある。しかも、欧米のエコノミストの中には、ロシアは油田やガス田の所有権を全面的に握りつつ、欧米企業を下請け業者として利用する体力を身に付けたと考える者もいる(6)

 確かにEUとしてはロシアを弱体化させる力がある。しかし、アメリカが大国として君臨し、中国も台頭する明日の世界において、モスクワとパートナーシップを結ぶことで手持ちのカードを増やせるのではないだろうか。

(1) しかしながらEUは、バルト三国の加盟に関する当事各国の国民投票の際には、「市民権のない者」65万人に投票権が与えられなかった事態を黙認している。
(2) Cf. Roger Cohen, << Welcome to the new bipolar world - China versus America >>, International Herald Tribune, Neuilly-sur-Seine, 23 November 2006.
(3) See Vicken Cheterian, << La "revolution orange" perd ses couleurs >>, Le Monde diplomatique, September 2006.
(4) 北大西洋条約第5条では、NATO加盟国に対する攻撃は全加盟国に対する攻撃とみなすことが規定されている。
(5) Eurasia Daily Monitor, Vol.3, No.222, Washington, DC, 1 December 2006.
(6) Marshall I. Godlman, << Behold the new energy superpower >>, International Herald Tribune, 11 October 2006.


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2007年1月号)

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