ニカラグア移民とコスタリカ経済

ラファエル・バイユ特派員(Raphaelle Bail)
ジャーナリスト

訳・近藤功一

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 サンディニスタ革命の後、ニカラグアに何が残ったのか。1979年7月17日にソモサ独裁政権を崩壊に導いた闘いの記憶。反革命勢力を使って攻撃を仕掛けたアメリカに対する苦々しい感情。1990年、戦争と飢餓に苦しむなかで実施された選挙での痛恨の敗退。以後の歴代政権が強行した新自由主義政策がもたらした惨禍。2006年11月5日の大統領選でのオルテガの勝利によって、この悪循環を断ち切ることができるのか。何万人ものニカラグア人が国外に出ていく状況を作り出した社会的混乱に、終止符は打たれるのか。[フランス語版編集部]

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 毎週月曜の夕方になると人々はそこに集まる。目立つのは老人、女性、子供たちだ。埃くさい2つの路地の交差点で、みな小型トラックの到着を待ちわびている。ニカラグア北部のサンタ・ローサ・デル・ペニョンの村人たちはみな、コスタリカからの知らせを待っている。宅配車が灰色の土煙を蹴立てて現れると、押し合いへし合いだ。手紙や封筒に忍ばせたお金、はては小型冷蔵庫。サンタ・ローサから出稼ぎに行った人々が、隣国から家族に送ってきたものだ。村の生活は彼らの支援で成り立っている。仕送りは月10ドルから100ドルほどで、「日々の食費」「子供の帳面」「医薬品」「借金の返済」に費やされる。ニカラグア政府が公共サービスを減らしてからは、対処策を講ずる力もない人々に学費や医療費が重くのしかかっている。定期的にドルが入ってくるとはいえ、サンタ・ローサが何とか生活できる程度でしかない。

 この地域では昔から農業が中心だったが、現在はもうほとんど生産していない。「自分たちが食べる分ぐらいです。それ以上はどうしようも」と、フリオ・アントニオ・ニーニョは雑草が生い茂った自分の畑でつぶやいた。「井戸や灌漑施設に投資などできません。というのも、利子はとても高く(40%)、銀行はしっかりとした保証のある大農園にしか貸しませんから」。ニカラグアの小農家はみな同じことを言う。2000年初めの国際相場暴落に始まるコーヒー危機のせいだ。

 国民の半分は農村で生活している。確かに前の政府は、農民たちの状況を懸念しているとの声明を公式に出した。しかし実際の経済政策は、別の方向を向いていた。国境を開放し、輸出作物をもって国際競争力を高め、経済特区への外国投資を増やすことだ。任期間近のボラーニョス大統領は、そうした政策で数千の雇用を創出したと言う。この「成果」にニーニョは苦笑いをした。「そうですね。村の女性の中には、特区の繊維工場に働きに出た人もいます。何もしないよりはましですから。でも給料はコスタリカの半分です」

 口をついて出たのは「コスタリカ」だ。サンタ・ローサの住民の5人に1人は、この国に現在、あるいは過去に出ていっている。ニカラグア全体では、国境を流れるサンフアン川の対岸のコスタリカに50万人、その他の国々に30万人、総人口の約14%にも及ぶ。資金のないカンペシーノ(農民)にとって、コスタリカはごく自然な行き先である。バスで数時間の距離で、しかも最近まではビザも必要なかった。合法的に入国する場合でも、10ドルかそこら貯めれば行けるのだ。

 多くのニカラグア人は、国にいた時の職業が何であれ、バナナ、コーヒー、パイナップル、砂糖、オレンジといったコスタリカの大農園でペオン(農業労働者)として働く。この隣国は、労働力を大量に必要とする農業ビジネスの多角化で成功した。「1月からはコーヒーで、その後は順次、他の作物の収穫です」と、サンタ・ローサでの苦労ばかりの畑仕事にうんざりし、毎年不法に入国を繰り返すニーニョは説明する。「うちの村のみんなと同じように、フリホル(マメ)の種を蒔く時期だけ戻ってきます。あっちではニカラグアよりも2倍は稼ぐことができるから」

 歴史的には、ソモサの独裁政権から1980年代の内戦という暴力の時代にも、ニカラグア人は南の隣国に逃げ道を求めていた。しかし、90年代から、それは経済移民に替わった。生活のための移住である。内戦が終結すると、動員解除された数千の国軍兵士と反革命派戦闘員が、カネも当てもないまま路傍に放り出された。ニカラグア経済は彼らを吸収するだけの体力を持ち合わせていなかった。

「負の価値を体現する」ニカラグア人

 当時、ニカラグア政府の優先課題は、民営化と歳出削減であった。経済成長率が高く、周辺諸国に比べて福祉制度がはるかに充実したコスタリカは、手の届くエルドラドとして映った。「我々の政府は、国外移住に実質的な利益があるとみた」と、移住者とその家族を支援するNGO、ニカラグア移住者のための市民社会ネットワーク(RNSCM)のマルタ・クランシャウは分析する。「失業による圧力を和らげるからだ。しかし、この現象が国内にもたらしている影響も表面化しています」。その影響の一部は、ちまたに流通する分析に反するものだ。

 国際移住機関(IOM)や国連は、ニカラグアが国外移住者からの送金によって、発展軌道に乗るだろうと考えている。しかし、フィールドワーク調査によれば、同国の輸出総額を上回る9億ドルの送金の多くは、ぎりぎりで暮らしている国民の日々の生活を楽にすることに振り向けられている(1)。RNSCMはもうひとつ、すぐには数値化できない別の現象が起きていることも指摘する。「父親だけ、または母親だけが出国したケースで、何千という悲劇が起こっていることが徐々に明らかになってきた。全体的にみると、社会への影響は甚大です」と、クランシャウは語る。ばらばらになった家族、祖父母に育てられた子供、父子または母子家庭、就学放棄。ニカラグア社会の将来はどうなるのか。

 サンタ・ローサで、息子と嫁が子供を残して村を出てしまったというお爺さんに話を聞いた。「妻と私で孫を育てているが、孫たちとの関係は時に非常に難しい。それにコスタリカに無許可で滞在している息子がとても心配だ。やりくりの方法を他に探すべきだと考える時もある。私たちも彼らも危ない橋を渡っている」

 コスタリカの首都サンホセでは、ニカラグア人はすぐにわかる。肌は黒っぽく、髪の褐色も濃く、作業着や着替えを入れたリュックを必ず背負っている。男は建設現場か警備員で、女は家政婦として働いている。季節労働者の大部分は、無許可就労である。数年間滞在している者も変わりない。コスタリカで生活する「ニカ」の半分だけが、合法滞在だと言われている。そのほとんどが、大農園の厳しい労働に従事している。しかし430万人の「ティコ」、つまりコスタリカ人の大半は、人口の10分の1を占める彼らを好ましく思っていない。

 「コスタリカ人の目には、ニカラグア人は負の価値を体現するものとして映っている」と、サンホセ大学の社会学者カルロス・サンドバルは言い放った。彼によると、コスタリカのアイデンティティの中核には一群の強固な観念がある。それは、コンキスタドール(征服者)上陸時の先住民人口が少なかったという経緯から、中央アメリカでは際立つほど肌が白いこと、暴力的な政変がほとんどなく、安定した民主主義を保ってきたこと、そして経済成長率が高く、地域で唯一の福祉国家であることだ。近隣諸国にとっても、コスタリカ自身にとっても、この山がちの小さな国は、「中央アメリカのスイス」なのだ。先進国の観光客がビーチやジャングル、過ごしやすい気候を求めて、環境ツーリズムに押し寄せる国が他にあるだろうか。

 ここからみると、多くの戦争を経験し、ことあるごとに不安定化するニカラグアは、貧しくてもしかたのない未熟な国として映る。コスタリカでは、黒っぽい肌の住民は、暴力的、無知で信頼できない、泥棒を繰り返す、アルコール中毒といったイメージで語られる。「ニカのようになるな」という悪口が「馬鹿になるな」という意味で使われる。こうした潜在的な排外感情が(逆にニカラグアでもアンチ・コスタリカの差別意識がかなり強い)、国境を流れるサンフアン川の航行権をめぐる古くからの紛争が悪化するたびに頭をもたげる。しかし、この2つの国は肩を並べて生きている。いや、むしろ生きていたと言った方がいいかもしれない。2005年の終わりにコスタリカで新しい移民法が可決されてから、状況が悪化したからだ。

新しい移民法と経営者の懸念

 コスタリカ政府は新法の制定にあたり、移民があふれるアメリカと同じ方針を採用した。ノーベル平和賞受賞者で、法案を作った政党とは違う政党出身のアリアス新大統領は、この「過酷」な法律によって移民警察が新たなゲシュタポになりかねないと懸念を表明した。アメリカで審議中の法案をモデルにしたコスタリカの法律は、合法的な移民に対してもいっそうハードルを高くし、非正規滞在者や彼らに住居や労働を提供する者をあぶり出そうとする。ただし、実際の適用には、人手と資金を必要とする。この国にその持ち合わせはない。

 この法律は、高まる国民感情を象徴したものなのか。それは確かに限界にまで達していた。2005年11月のある夜、サンホセから30キロほど離れた町工場の敷地内に侵入しようとしていたらしきニカラグア人の青年に対し、工場主が2匹のロットワイラー犬を解き放った。通報を受けた警察官が平然と見守るなかで、この若者は2匹の大きな番犬にかみ殺された。一部始終が撮影されていて、テレビニュースのトップを飾った。コスタリカで起きた初めてのヘイトクライム(憎悪犯罪)によって、両国間の緊張は頂点に達した。

 数カ月後、ニカラグア人の日曜日の社交場になっているサンホセのメルセー公園の色鮮やかな花壇の横で、グスタボは次のように語った。「その日、私たちは本当に怖かった。人種差別には慣れていたけれど、こんな死に方なんて、あまりにも恐ろしすぎる。ニカラグアでも、みな怖がっている。いとこの女の子はエルサルバドルに行くことにした。ここより危なくないし、ビザもいらないから」。持ち寄った故郷の味をつまみながら、「ニカ」たちは不安を口に出す。「法律ができた以上は、合法的な立場になりたいとみんな思っている。それまでは、そんなことは気にしなかったのだが。ニカラグアでも身分証明書なんて持っていなかったし、ここでは『もぐり』でいる方が都合良いぐらいだ」。28歳のグスタボは、5年間にわたって非正規滞在を続けてきた。地方の建設現場で働く彼は、毎週末サンホセまで妻と子供に会いに来る。他の人と同じように、ここで息子が生まれてよかったと語った。「これで、この子はコスタリカ国籍になる」

 コスタリカの空気が変化したことや、エルサルバドルで労働力の需要が高まったことで、最近ではニカラグアからの移民は鈍化しているようだ。コスタリカの経営者は、こうした変化に懸念を示す。2006年8月、この国の輸出企業組合は、労働力不足のせいで輸出が15%減少する可能性があると不満をぶつけた。輸出の約25%は、今でも農業部門が稼ぎ出しているのだ。

 確かにコスタリカ経済は、中央アメリカでは珍しく、第二次産業、第三次産業も発達している(特にエコツーリズムが成功している)ものの、まだ農業生産に大きく依存している。バナナの輸出は世界第2位、コーヒーもトップクラスで、花やメロンなどの「ニッチ」な産品も展開する。そこにニカラグア人労働者は欠かすことができない。バナナ生産地のサラピクでは労働者の40%以上がニカラグア人である。多くのエコノミストによると、過渡期にあるコスタリカ経済にとって、ニカラグア人はすばらしい調整弁となってきたし、今後もその役割を担っていくだろう。国際競争に臨む大規模な輸出農家にとって、生産コストを最低水準に抑えられるのは大きなメリットだ。ニカラグア人労働者は、専門的労働にシフトしたコスタリカ人に代わって、農業、建設部門で働いている。また、ハウスキーパーの間口を広げることにより、コスタリカ人女性の労働市場への参入を促してきた。

 中央アメリカ全域に展開する陸運企業の創業者で、有力な経営者団体に加盟するオスカル・アルファロは、個人的見解だとして次のような視点を示す。「コスタリカ人は、ニカラグア人が必要であることを理解しなければならない。我が国の移民政策では、経済的リアリズムよりも治安的な発想が先立っている。この政策が、ごく基本的な連帯精神からかけ離れていることは言うまでもない」

サンホセ郊外のスラム街

 アルファロは、1998年10月にハリケーン・ミッチがニカラグアに大打撃を与えた後、コスタリカが15万2000人の移民を合法化したことを語った。「両国間には今後も係わり合いがあるだろう。しかし・・・」と、彼は言葉を継ぐ。「そうした係わり合いには、一定の枠組みが必要だ。不法滞在を終わらせなければならない。それは、外国人にも開かれた我が国の医療、教育システムに重くのしかかっている。彼らは社会保険費を支払っていないのだから」という彼の発言は、コスタリカの多数派意見そのものだ(アルファロは、経営者たちも不法滞在者の社会保険費を支払っていないことには言及しなかった)。

 コスタリカ政府自身も、大量の移民によってこの小さな国にのしかかる社会保険費について述べ立てている。外国人排斥があるとしてニカラグアが米州人権裁判所(2)で行った提訴に応ずる形で、コスタリカ政府は自国の医療保険公庫が国籍を問わず、救急患者と妊婦の費用を負担していることを強調した。それに加え、初等教育は誰に対しても無料であることにも言及した。「このような措置をとっているのは、発展途上にあり、しかも移民率が先進国をもしのぐ110‰に達する国である。この値は、国民一人あたりの国内総生産(GDP)が世界で最も高いルクセンブルクと同じ水準である」

 サンホセ大学のサンドバルによると、コスタリカは矛盾のまっただ中にある。コスタリカは、経済を支え、世代交代を行っていくために移民を必要とする。しかしコスタリカ社会は、冷静に移民を受け入れることができなくなっている。「文化の違いも、確かに問題の一因ではある。しかし、『ニカ』への反発が非常に強まったのは、我が国が90年代に経済危機に陥った時だ。その傾向は、特に最も打撃を受けた層で強かった」

 再配分と公共投資に力を入れるコスタリカの社会モデルは、ヨーロッパ型システムに近づくことを目指している(3)。しかしながら、80年代になると新自由主義の論理がこの国を席捲した。教育、医療、住宅関連の公共投資は減少した。今日、生活水準の低下に最も苦しんでいるのは、下流中産階級の人々である。「最も排外感情が強いのは、没落した階層だ」とサンドバルは解説する。「違いを目指してきた私たちの社会は、衰退しかかっていると感じており、その感情を移民たちにぶつけている。我が国のモデルの弱体化が、経済政策によるものだとは考えもせずに」。1999年には、それまで対象者に制限のなかった貧困層向け就学援助金が見直された。外国人への交付を拒否する自治体も出てきたからだ。将来を懸念するコスタリカは、一部の北側諸国と同じように、「国民」とそれ以外との線引きを少しずつ採り入れるようになってきた。

 サンホセ郊外のスラム街グアラリリでは、山の手にあるまばゆいショッピングセンターからの排水が、ごちゃごちゃに建ち並んだ家の間を流れている。数千人の移民がそこで生活している。グアラリリは一見ではニカラグアに似ているが、ここでは大半の住民は仕事を持っているし、どの家も水道と電気が通っている。ニカラグアよりましだ。貧しく、不潔で、時に密売人の巣窟にもなっているグアラリリとその評判は、移民だけのものではない。貧困に陥った数百のコスタリカの家族も集まってきている。「ここでは、人種差別の問題はない。みなにとって現実は同じだから」と、住民の多くは語る。「ニカ」と「ティコ」がより良く共生していくための様々な取り組みが始まったのも、こうしたコスタリカで最も貧しい地区からだった。「こうした取り組みは良い効果を上げている」と、サンドバルは説明する。「ニカラグア人について語られている風説には、根拠薄弱なものがあることの証明になっている。例えばニカラグア人が雇用を奪っている、だとか。実際には、彼らはコスタリカ人がもうやりたがらない仕事に就いてくれている」

 しかし、ニカラグア人とコスタリカ人の友愛を説いて回ればそれでよいというわけではない。現在はそうひどくない水準にある失業率(たった6.5%)についても、一部の評論家は上昇する可能性を懸念している。労働市場で今以上に「国民」と外国人の間の競争が激しくなった時、この発展途上国の危ういバランスは持ちこたえられるだろうか。グアラリリで、メルセー公園で、大西洋側の大農園で、すでに緊張した状況が、もはや手に負えないものになってしまうかもしれない。

(1) RNSCMが3つの地域で実施した調査によると、家族が受け取った仕送りが優先的に使われるのは、食料(57%)、医療(12%)、学費(17%)、借金の返済(12%)となっている。
(2) http://www.corteidh.or.cr
(3) 人間開発指数をみると、コスタリカはクロアチアと順位が近い。http://hdr.undp.org/hdr2006/statistics/


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2006年12月号)

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