権利たる性質を骨抜きにされた最低所得保障

ノエル・ビュルジ(Noelle Burgi)
国立学術研究センター付属ソルボンヌ政治研究センター研究員、パリ

訳・岡林祐子

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 フランスで1988年に導入された制度、社会参入のための最低所得保障(RMI)の受給者数は、導入時から3倍に増えた。2006年6月現在で111万1000人が受給している。支給額は、単身者で月額433.06ユーロと低額である。にもかかわらず、歴代の内閣はさまざまな改革を加え、この「生存権」の適用範囲を次第に狭めてきた。「良い」貧民と「悪い」貧民という古くからの区別を復活させることによって。[フランス語版編集部]

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 フランス政府は最近、労働法、最低社会保障、職探しに関する規則と手続き、雇用に関わる公共サービスなどについて、まだ検討中のものも含めて、一連の措置を打ち出してきた。これらの措置は、対象者の一人ひとりに対し、彼らが望むと望まざるとにかかわらず、財政コストの最小化という厳しい規律に服従するよう迫るものだ。たとえば、2004年1月1日には、社会参入のための最低所得保障(RMI)の所管を地方に移す法律が施行された。同法により、県はRMIの支出を計上しなければならなくなったが、この新しい義務に対応できるような収入はない。県議会が動かせる調整変数は2つだけだ。どちらを採用しても、県民に負担を強いることに変わりはない。つまり、増税するか、受給者数を減らすためにRMIの適用条件を厳しくするかの二者択一である。言い換えれば、この法律が施行されたことで、県議会に大きな権限を与えつつも、その役割を予算厳格化の番人に限定し、これを上から監督するシステムが成立したのである。

 しかし、財政コスト最小化の原則は、公金支出を抑えようという観点だけから導入されたわけではない。「雇用対策」のコストは非常に高く(2005年には300億ユーロ超)ついている(1)。しかも、新たな法的措置で重視されているのは、補助金付きの雇用と低賃金層向けの手当である。たとえば、2006年3月23日(2)に可決された「再就職および最低社会保障受給者の権利と義務」に関する法律では、補助金付きの無期雇用契約の締結が認められるようになった(3)。RMI受給者を雇い入れた雇用主は、RMIとほぼ同額の補助金を長期にわたって受給できることになる。これ以外にも再就職手当のような措置によって、企業向けの直接・間接補助金制度はかなり充実している。つまるところ、財政コスト最小化という規律は、再分配の原則を変更し、賃金所得者にさらに不利となる方向に進んでいるのである。その結果、低賃金層は増大し、ますます多くの国民が、RMIの受給額と法定最低賃金(SMIC)でフルタイム働いた場合の月収の間という貧困線上に追い込まれている。

 1970年代中盤から、競争ルールを普遍化し、自然なことにしようという努力が、稀に見る執拗さで続けられている。それに気をとられるあまり、ここのところ実施されてきた質的な急転回を見落としてはならない。政府が打ち出している一連の措置は、かつてないほど「場所取り争い(4)」をあおり立てている。それは不完全雇用、雇用の欠如、あるいは「耐えがたい仕事(5)」の強制といった状況下で、どうにか生き延びようとすることでしかない。個人は存在基盤を破壊され、強迫観念につきまとわれ、しばしば他人そして自分自身に憎しみを向ける。これがワークフェア(勤労福祉制度)という血の通わない単語で言い表される状況の、巧みに隠されている側面であり、生活に関わる唯一の側面なのである(6)

 こうした変化へといたる道が、前もって定まっていたというわけではない。多くの研究者は、RMI制度が始まった当初から、非専門職の賃金引き下げを助長することを危惧していた。しかし、この措置が危機的な不況下にあった1988年に、緊急に実施すべき一時的な措置として考案されたことを思い起こす必要がある。

 RMI法案の報告を行なったアリエ県選出の社会党議員ジャン=ミシェル・ブロルジェは、下院議員たちに向かって、RMIだけで貧困問題を解決できると信じてはならないと何度も注意を促した。ブロルジェによると、この制度は「脱線する危険」がある。とりわけ、特定の層の国民に最初は「酸素ボンベ」として働いていたものが、やがて彼らを閉じ込める「ゲットー」に変わってしまうかもしれない。その危険を防ぐために、「政府は(・・・)RMIだけでは導き出せない(・・・)解決策を(・・・)ひねり出すという決意をはっきりと示すような施策を打ち出す」必要がある(7)。「社会参入のための最低所得保障」という発想と実施方法を2年半以内に再検討し、それを踏まえて雇用と社会問題について徹底的に議論することをブロルジェは期待していた。

 RMIが発足した時点では、貧困と社会的不安定化の問題が制度の片隅に追いやられることのないよう、他にも慎重な配慮がなされていた。RMIはそもそも憲法上の権利に由来するものとして導入された。それは、公権力によって保障された適切な生存手段を、公共体から得る権利である。立法の趣旨として、この権利と結び付いた職業的または社会的な参入に関して、条件に適う雇用が提供されていないこと、あるいは行政の対応が緩慢で不十分なことにまで、RMI受給者が責任を負うなどというのは論外だった。それゆえ、社会参入は「国民的な絶対的要請」であることが謳われた。つまり、受給者の義務というだけでなく、立法府の義務でもあり、さらには社会全体の義務でもあるということだ。受給者を法的に保護する一連の措置がとられたのもそのためである。当初のRMI制度の下では、受給者は社会参入契約を交わすよう求められていた。契約が守られず、受給者に非があると証明された場合、手当の支給停止という罰則も規定されていた。とはいえ、この契約は、がちがちの権利と義務で縛りをかける手段というようなものではなく、目的は受給者の参加を保障することにあった。受給者の与り知らないところで外から選択肢を押し付けるものではなかったのだ。

ソーシャル・ワーカーたちの奮闘

 実際の運用においては、RMIが最も困窮した層に対する差し迫った国民的義務であることが「忘れられて」いる。RMIはもはや権利ではなく、恵まれない人たちに「寛大にも」与えられる恩情という側面と、縮小される一方の失業手当制度の受け皿という側面を併せ持つものに変わってしまった。1979年以来、とくに82年以降の数々の制度変更により、失業手当を受ける権利は、とりわけ勤続年数の短い賃金所得者と長期失業者に対して縮小されてきた。その結果、受給期間の終了にともない、RMIを申請する失業者の数が自動的に増えている。

 適切な手段を欠いているにもかかわらず、社会参入を促進するという重責を一身に背負い、その役割を演じようと孤軍奮闘してきたのは、主にソーシャル・ワーカーである。彼らは日々、あれこれと解決法を工夫してはいるが、それらはRMI受給者にとっても、彼らに重い制約を課している政府機関にとっても、また彼ら自身にとっても満足のいくものではなかった。万難を排して最貧困層の「生存権(8)」を守ろうとする彼らの努力は、雇用削減を促す巨大な競争機構の前では、何の重みも持たなかった。社会的弱者層の拡大を食い止めることはできず、特筆すべき例外的なケースもあったとはいえ、熾烈な経済競争の被害者となった多数の人たちが就職活動で失敗を繰り返すのを止めることもできなかった。こうした失敗が引き起こしてきたのは「自らを葬り去る」ことである。それは自分の仕事やこれまでの努力の意義を葬り去ることでもある。34歳の女性は次のように言う。「社会参入なんて無理。私はずっと同じレベルにいて、決して上に上がれない。役所は、私がものすごく努力していることを分かっているくせに、これに報いるどころか、やる気をそいでいるだけ。私たちにすごんでみせるのよ」

 ソーシャル・ワーカーたちは、管理主義的な論理の下で、追求すべき目的と、その実現のために使える手段の狭間に立たされてきた。しかも、そうした葛藤に決着をつけるだけの自由な裁量を認められていたわけでもない。彼らは解決不能な問題(求人と住宅供給の不足)を避けて通り、失業者の弱々しい求め(仕事がほしい)に耳を塞ぐための戦略を編み出さざるを得なかった。たとえば、失業を病理であるとして、RMI受給者の不正や下心への疑念を膨らませるような、乱暴な心理学をやたらに援用した。「失業対策」と呼ばれる政策が公的機関によって扱われ、正当化される過程において、ソーシャル・ワーカーたちはたとえ本意ではないにしろ、極めて実践的な役割を果たすことになったのだ。

 失業中のRMI受給者に対しては、繰り返されつつも先のない方策(面接の受け方や履歴書の書き方といった研修)が用意されているが、そこに参加するような力のない者も多い。彼らは命じられた社会的ゲームをそつなくこなすことを学習した。自分の経歴と噛み合わなくても、やる気があり自立しているという体裁を、できる限りうまくとってみせることだ。そうした現状の下で、失業問題の担当機関、ソーシャル・ワーカー、あるいは失業者自身に深く係わる大きな問題、つまり失業者の「雇用可能性」、さらに厳密に言うと彼らの労働観が、真剣に吟味されることは一度もなかった。

 しかし、受給者の労働観は、その経歴を子細に検討したり、さしあたり確認できる長所と短所を並べ上げたりするだけで読み取れるわけではない。彼らの人物像から推し量れるわけでもなく、各自がRMIの仕組みの中で道を切り開き、サポート者(9)の期待に応えるために採ってきた戦略から引き出せるわけでもない。それは、一人ひとりが日常的に行なっている生存のための闘い、私が2004年から2005年にかけてインタビューした150人の受給者のひとりの表現によれば「飛び立つ」ための闘いを核として築かれるものだ。飛び立つというのは、RMI受給者の大半にとって、とくに両親といつまでも同居を余儀なくされている男性にとって、社会の中で自立した人間的な居場所を作り上げるのに成功することを意味する。仕事をしても将来につながらず、仕事につながる将来を思い描けないRMI受給者は、さまざまな人々に囲まれつつも、そうした闘いをまったく孤独のうちに進めるしかない状況に追い込まれている。

「リスク」要因とみなされる受給対象者

 法律その他を通じて政府が最近打ち出している措置は、こうした現状に終止符を打つものであるという。しかし、その目的は「生存権」の内実を取り戻すことではない。ミシェル・フーコーが大いなる先見の明をもって論じたように、「新自由主義的な統治性」は人間性を考慮することなしに圧倒する。それが打ち立てるゲームのルールの目標は、「競争メカニズムが、時々刻々、社会のあらゆる層にわたって、調整者の役割を果たす(10)」ようにするための社会変革を徹底的にお膳立てすることにある。

 そうした状況下で、各個人の「雇用可能性」を判断する第一の基準は、移転所得(失業手当とRMI、あるいはそのどちらか)の受給権が切れる「リスク」の一語に圧縮されることになる。この基準は単純だ。多くの受給権のある人ほど、のべ受給期間が長くなり、「リスク」要因とみなされる。リスクを避けるために、こういう人は、できるだけ早く片付けるべき「重点」失業者となる。求職者が法的にどの分類に入るにせよ、人間的な代償を顧慮せずに受給期間を短縮する手段はいろいろある。そうした手段に基づいた「就職サポート」手続きは、今では極めて取り締まりに近いものになっている。そこでは管理システムと、手を焼かせる受給者に対する懲罰システムが、混然一体となっているからだ。「再犯者」という単語さえ用いられる。

 こうして貧困の問題は、就労者の場合も含めて、原因ではなく結果だけで捉えられるようになった。許容範囲内の、「自然」に生まれる貧困状態が、暴力の爆発や公的な「連帯」制度への財政依存という形で、競争メカニズムの円滑な運行を妨げてはならないという見方である。今日主流となった観点からすれば、貧困者を社会協約につなぎ留めることは、彼らが被った損害に対して補償を(たとえ不十分かつ一時的で、再検討の必要があるものであれ)認めることとは違う。損害を被るのは、競争だけだ。貧困者を社会協約につなぎ留めるというのは、社会の運命を決するという熾烈な競争へと、彼らを否応なしに引きずり入れるルールを作り上げることにすぎない。「完全排除を禁ずる条文」が設けられているのは、公秩序に対する異議申立が、公秩序を危険にさらすような一線を越えるのを防ぐためなのだ。

 社会的な目標がこのように切り下げられれば、当然ながら、公と民の境界を引き直そうという動きが起きてくる。自発的なものでかまわないとしつつも、個別の活動や取り組みの積み重ねを通じて、民間レベルにおいて人間的連帯の思想に中身を与えるという責任を果たすことが求められている。

 とはいえ、そこで引かれつつある境界線は、国家の介入が当然とされる領域と、「経済法則」によって国家が介入しないことが望ましいとされる領域とを分かつものではない。公秩序の番人は現在、あまりに手に負えない(増大する一方の)貧困者に対し、それなりに「ソフト」な取り締まりを実施している。しかし、多数の人々を「道端に放置」したり、「レ・ミゼラブル」な人々を感化院、一般病院、その他の慈善施設といった日陰に閉じ込めたりするつもりはない。

 公秩序の番人は、強力な介入姿勢の下に、貧困層を「生かしめる」ことを自任する。それは要するに、彼らを「規律に従わせる」ということだ。個人はそれぞれ、互いに競争しあう極小企業に変えられてしまう。たとえ生活の面において、彼らが存在基盤を見出せなくなり、自分自身と他人を葬り去るような状況に追い込まれるとしても。

 現在の「民主主義の欠如」の中核をなすのは、こうした生活性の否定である。それは生身の人間にはついていけないような規範を作り出す。まさに、無規律的な規範と言うべきである。この規範の下で、市民の基本的な社会的権利は骨抜きにされる。生活者が、既成の秩序にとって有害とみなされる不服従という形で声を上げた場合、政治的強権と懲罰措置が再発動されることは必至である。フランス政府が社会問題、とくに失業対策に関する一連の法規制において、取り締まり的な姿勢へと舵を切ったのは、このような論理に基づいている。

(1) Direction de l'animation de la recherche, des etudes et des statistiques (Dares), << Le cout de la politique de l'emploi en 2004 >>, Premieres informations et premieres syntheses, no.25.2, Paris, June 2006.
(2) 初採用契約(CPE)が大問題になっていた時期に、つまり目立たないうちに可決された。
(3) 具体的には、RMI地方分権法によって創設された活動最低所得・社会参入契約(CI-RMA)を指す。この契約は当初の規定によれば、最長18カ月の有期契約でなければならなかった。新法は、補助金の支給期間に上限を設けつつ、無期契約による雇用を可能にした。
(4) Vincent de Gaulejac and Isabel Taboada Leonetti, La Lutte des places, Desclee de Brouwer, Paris, 1994.
(5) Laurence Thery (ed.), Le Travail intenable. Resister collectivement a l'intensification du travail, La Decouverte, Paris, 2006.
(6) See Anne Daguerre, << Emplois forces pour les beneficiaires de l'aide sociale >>, Le Monde diplomatique, June 2005.
(7) Jean-Michel Belorgey, << Rapport fait au nom de la commission des affaires culturelles, familiales et sociales >>, Journal officiel, debats de l'Assemblee nationale, no.161, 1988, pp.82-83.
(8) カール・ポラニーは、19世紀英国における「自己調整的」市場確立に先行した試行的措置、いわゆる「スピーナムランド法」に関連して、「生存権」に言及している。「生存権」をめぐる彼の記述は、RMIの行き詰まりと現在の改革の動きを理解するのに有益である。カール・ポラニー『大転換』(吉沢英成ほか訳、東洋経済新報社、1975年)参照。
(9) 求職者をフォローし、彼らの就職という社会「参入」を「サポート」する者を指す。
(10) Michel Foucault, Naissance de la biopolitique. Cours au College de France, 1978-1979, Gallimard-Seuil, Paris, 2004, p.151.


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2006年10月号)

* 第三段落「RMIとほぼ同額の補助金をいつまでも受給できることになる」を「RMIとほぼ同額の補助金を長期にわたって受給できることになる」に訂正、原註(3)に「新法は、〜」以下を追記(2006年12月12日)

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