ユートピアを論じ合う国際セミナーにて

セルジュ・アリミ特派員(Serge Halimi)
ル・モンド・ディプロマティーク編集部

訳・斎藤かぐみ

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 2005年8月のこと。政治運動家、文筆家、ジャーナリスト、組合活動家など、60人ほどの人々が、なんとも魅力的な電子メールを受け取った。ノーム・チョムスキーとも親交がある ZNet(1)の主宰者、マイケル・アルバートがメッセージを送った先は、ほとんどが ZNet の関係者だった。10カ月後の2006年6月に、彼の本拠地で5日間の集まりをもちたいというのがメールの趣旨で、その目的は、未来の社会のあり方を論ずることだという。

 彼の提案は、いいところだらけだった。連絡が来たのは1年近く前だから、すでにぎっしり詰まったスケジュールの壁にぶつかることはない。季節は初夏で、場所も快適(アメリカのイースト・コースト沿い、ボストンから100キロほど離れたケイプ・コッドのウッズ・ホール)、海岸もあるし、ちょっとした遠出もできる。それはそれとして本題の方では、全体の活動に関与しない者もいる ZNet の書き手たちが知り合って、1週間近く一緒に頭をひねる機会になる。ノーム・チョムスキーや、バーバラ・エーレンライク、アルンダティ・ロイ、ナオミ・クラインらの参加も打診されていた。

 さらに秀逸だったのは、この企画の枠組みだ。アルバートのメールにはこう書かれていた。「それぞれのセッションで、誰かが未来の展望、戦略、プログラムについて発表する。現在の社会のいけない点、様々な抑圧などについての発表は不可。発表者は事前にメモを配っておく。これも事前に指名された誰かがコメントを加え、その後にみんなで討議する。といった調子でいきたい」。招待を受けた人々のなかには社会フォーラムのベテランで、ポルト・アレグレやアテネでお決まりの弁舌を繰り返してきたタイプの者も多い。今回のセミナーは、「超自由主義」とその追従者に対する連綿たる呪詛から脱皮する機会となるだろう。

 この点に関しては、期待は裏切られなかった。チョムスキーもエーレンライクも、ロイもクラインも来なかったにせよ。著名な者たちほど、呼び声も高かったが、キャンセル率も高かったのだ。セミナーは「プログラム」や「戦略」という面からはやや不満の残るところがあったものの、想像力を発揮して未来を先取りするという点では申し分なかった。ひたすら悪い空模様の下、食事はみなで食堂に行って、午前・午後・夜は発表と討議で缶詰めという生活。こんな次第で、各自の関心は今回のテーマに集中していった。このテーマは、ことにアメリカではちっともホットでない種類のものだ。いわく、もし資本主義が存在しないとすれば、理想的な社会はどのようなものになるのか(「もし〜とすれば」というのはアルバートが多用する言い回しの一つで、近著『希望の実現』では40回も使われている)。

 アルバートはかなり突っ込んだ答えを用意していた。彼は広義のリバタリアンの流れ(2)を汲みつつも、オルタナティブな社会モデルについてチョムスキー以上に考えてきた。彼のモデルは資本主義に依拠せず(市場による調整というのがそもそも駄目だ)、社会主義にも依拠しない(非民主的な前衛だの「調整者」階級だのを出現させずにはおかない)。

 5日間にわたるセミナーの基調となったのが、15年ほど前にロビン・ハーネルによって展開された「参加型経済」の構想である(英語では participatory economy、略して PARECON、フランス語では participalisme)。アルバートのプログラムすなわち「ユートピア」については、多少なりとも説明が必要だろう。彼の著作は多くの国で翻訳されているが、その影響力はあまりに小さい(3)

 参加型経済は「平等」「連帯」「自主管理」をうたうが、賃金の絶対的な平等を説くわけではない。まして「めいめいが自分の必要に応じて」という非現実的とされる考えは採っていない。報酬は「社会的に有用な財の生産」における「努力と犠牲」を基準に決められる。厳しい条件の下でハードな仕事をたくさんこなした者が多くを受け取る。逆に、単に運や生まれに恵まれたというだけで、先進的な機械や技術を利用できたり、芸術的・身体的・知的な天分があるという者が、それで他人より多くを得ることはない。アルバートは経済地代がいかに不公正なものかを体験的に知っている。彼ら「参加主義者」の政治的活動の拠点になっている屋敷の資産価値が、14年間で9倍に膨れ上がったからだ。資本主義体制では「何もしないカタマリが、その2人の所有者の仕事よりも多くを稼ぎ出す」ことのいい証拠だと、彼は皮肉をこめて言った。

 参加型経済が忌み嫌うのは、現場の仕事、掃除の仕事を特定の者に振り、統率の仕事、創造の仕事は別の者に任せるというタイプの社会組織である。フォーディズムの専門分化から誕生した産業モデルは願い下げだ。こうしたモデルが資本主義の国で、また「社会主義」の国でもスタハノフ運動という形で、生産性を大きく伸ばしたにしろ、そこでは労働が人間疎外的で「退屈きわまりない」方式でしか組織されない(自動車の組み立てラインのように)。またアルバートによれば、第三の「階級」たる「調整者」の権力が確立されるが、そのような層の出現は、資本を所有する者と労働力を売る者との対立に社会の主要な弁証法があるとするマルクス主義の図式と矛盾することになる。

 これらの専門家、基幹要員、技術官僚や、彼らの社会を見下した態度、「能力」を根拠とした権威主義が居すわる(あるいは革命の熱狂が冷めた後に復活する)のを防ぐためには、現場の仕事と企画立案の仕事を掛け持ちさせるよう、あらゆる職種に関して業務内容を全面的に見直さなければならないと「参加主義者」は言う。社会的な労働の長所と制約を納得のいくよう配分するには、それしかないと考えるからだ。つまり、ゼネラル・エレクトリックの社長が時にはエレベーターの掃除をしたり、郵便物を受け取ったりし、掃除のおばさんが帳簿を改めたりするということか。いや、もはやゼネラル・エレクトリックであれ何であれ、「社長」も「掃除のおばさん」もない。誰もが平等な立場で、交渉や議論を通じて案分された「バランスのとれた仕事群」を担当する。

噴出する疑問

 そうした構想は、アメリカのように巨大規模で、経済活動が多岐にわたる国にあっては、プロメテウスの見果てぬユートピアにも見えるかもしれない。しかし、私生活のなかの家事の分担には、未来が(ささやかながら)先取りされている。これはただの余録でも、下位レベルの話でもない。すべてが結び付いて、「あるところでの進歩が、ほかのところでの前進と連携していかなければならない」からだ。つまり、すでに参加型経済の形の認められる事業組合があるのなら、そうした組織の存在自体が自主管理型のユートピアの先触れであり、と同時に、きたるべきユートピアの姿を現在において具現するものとなっている。これらの組織は「我々の今ここでの行動のうちに、未知の未来の種を宿して」いるのである。

 1960年代にアメリカ社会を席捲した進歩主義の大波を受けて、アルバートら数人が設立した出版社サウス・エンド・プレスでも、上に述べた原則のいくつかを取り入れていた。現場の仕事と経営の仕事を分けるのはやめようという意識は強烈で、4人の社員のうち1人をやめさせる決定をしたことさえある。この社員はみなにとって悪い結果をもたらす決定を下すことをおそれて、編集面での責任を引き受けようとしなかったからだ。「下っ端」のままでいてもいいじゃないかと主張して、それで共同の業務に貢献できれば充分に満足だと言い切った。そんなのは駄目、というのがみなの答えだった。参加型経済のルールは厳しいが、ルールはルールである。

 逆の状況は考えやすい。出版社の例でいくと、編集者や著者が家事の時間や、道路の補修をしたり、炭坑に入ったりする時間を作るために、調査や執筆の仕事をなげうつのをいやがる場合だ(参加型経済で求められる兼業兼務は複数の産業分野にまたがる)。最初に「人類学的」な見地から異議を唱えたのがスーザン・ジョージだった。人類の歴史のなかで、階級のない社会がかつて存在したためしがあるか。階級の定義のうちに、生産手段の所有権に加え、「調整者」の知識も含めているとなればなおさらだ。この問いに対する(説得力に乏しい)返答にあまり納得できなかった彼女は、「今の仕事で高度な技能を発揮している人は、それに思いきり専念できるようにすべき」だと断言した。この宣告は、アルバートやセミナー参加者の多くが考えていたユートピアの姿にはまるでそぐわない。

 参加型経済の重要ポイント自体は問わない前提の下でさえ、数々の疑問が噴出する。努力と犠牲の報酬を誰が定めるのか。バランスのとれた仕事群を基準とした労働の再編を誰が行うのか。供給(生産)のレベルと種類を誰が決めるのか。需要(消費者)の求めをどうやって予想するのか。それらの問いに対し、不平等で無駄を生み出す市場でも、権威をかさにきるだろう中央の調整者でもなく、「参加型プランニング」が決定を下すべきだという答えが出された。ふむ、しかし、それは何のことで、誰のことなのか。分権化された「入れ子式の協議会」のことであり、「複雑に絡み合った社会主体」のことだという。「一人ひとりが、その選択によって自分がどういう影響を受けるかを考えたうえで発言する権利をもつ。質の高い情報にアクセスし、研修を受け、自分の能力に自信をもつことができる。そして充分な動機付けの下に、自分ならどうしたいかを検討し、相談し、表明することができる」という説明だ。

 実に壮大なプログラムである。それを成り立たせるためには、知識の共有から政治的意識、動機付け、民主的な情報流通にいたるまで、多岐にわたる前提条件が必要になる。こうした全体的なビジョンに対して、時には不信感を含んだ疑問が向けられ、突っ込んだ説明が重ねて求められたのも不思議ではない(4)。アルバートが主催したセミナーの目的の一つは、どうやら上に述べたタイプの自主管理組織を大いに、あるいは少しばかり(という場合の方が多かった)思わせるような実例を通じて、彼のモデルの信頼性を高めることにあったようだ。

 というわけで、ラテンアメリカに目を向ける時が来た。まずはアルゼンチンである。ここでは数年前、「みんないなくなってしまえ」の掛け声の下、オーナーが放置した180の工場を従業員が手中に収めるという運動が起きた。事業組合や物々交換、地域経済システム、自主管理、地区集会も広まった(5)。あらゆる機関に不信感が向けられ(この国で労働組合も含めた諸機関の破綻が目を覆うばかりであったのは事実)、代議制の構築や既存システムによる取り込みを思わせる兆候に対しては強い拒否反応が起きた。生産手段の私有制が崩されたアルゼンチンの事態に、アナーキストは大いに盛り上がった。セミナーに参加したマリー・トリゴナは皮肉まじりに言った。「まるでルネ・クレールの1931年の映画『自由を我等に』で描かれたようなユートピアに連れて行かれたみたい。そこでは工場が勝手に動いてくれて、労働者たちはその間、釣りや昼寝、ピクニックにと、遊んでいられるのよ」

 映画の詩情はさておき、これらの自主管理組織は今や「アルゼンチン、ベネズエラ、ブラジル、ウルグアイで従業員が手中にした300の企業からなる国際連帯ネットワーク」を形成している。2005年11月にはカラカスで、ヨーロッパの生産組織を加えた総勢235団体による会議も開かれた。相互扶助の一例を挙げてみよう。自主管理体制をとるアルゼンチンの日刊紙が、ベネズエラの旅行代理店の広告をただで掲載した。ベネズエラ側からのお返しは、カリブ海の浜辺で過ごすバカンスだった。この種の物々交換は、自主管理組織の存亡を左右する。労働者が切り盛りするほとんどの事業組合は規模が小さく(アルゼンチンで最大のものは470人でやっている陶器工場)、インフラや技術の進歩に追随できず、資本主義市場の衝撃に耐えられないからだ。取引先のなかには、法的地位が不確かな企業との取引に難色を示すところもある。

アルゼンチンの教訓

 問題はまだまだある。それは家族であり、国家であり、「先々の展望」である。家族について、トリゴナはこんなふうに言う。「ホテル・バウエンは従業員が取り仕切るようになってから、85人を雇い入れた。ほとんど全員が、元からいた人の息子や娘、父母に兄弟姉妹だった」。新たなるユートピアでも、ある種の縁故主義が大きく幅を利かしていた。

 お次は国家だ。アルゼンチン政府は放置された工場を従業員が手中に収めることを奨励はしなかった。しかし、ほとんどの事業組合に関しては治安部隊を投入することもなかった。総じて言えば、アルゼンチンの工場の運動は法の狭間で(時には国家の資金援助を受けながら)存続しているにすぎず、拡大する方向にはない。現地に行ってきたアルバートは、その点に関する失望を吐露した。彼の見立てによれば、これらの従業員は、自分たちの勝ち取った成果を他の工場や製作所に広げようとはしなかった。労働の新たな組織化を誇らしげに語りつつも、「自分たちのやっていることが、自分たちがやっている以上にすごいことだとわかっていなかった」

 革命的意識の欠如、「先々の展望」の欠如だろうか。ジョージの見方は違っていた。彼女はATTAC上層部の内紛にいささかうんざりしていたのかもしれない。オスカー・ワイルド(1854-1900年)が当時の社会主義に向けた「会合が多すぎる」という異論、それに彼女は同意の言葉をつぶやきつつ、こう付け加えた。「みんなじきに疲れてしまい、際限のない会議や情宣活動で、余暇を全部つぶそうとは思わない」。このコメントは間接的に、参加型経済とその入れ子式の地区協議会や社内協議会に向けられていた。それぞれ成人25人から50人からなり、参加者みんなが自分たちに関係する問題をしっかりと理解したうえで決断を下せるよう、大いに議論を尽くす。次いで仲間うちから一人が、いつでも罷免可能な代議員に任命され、下部グループだけでは決められない問題を裁決する会議に送り出される(たとえば鳥インフルエンザが流行している時に、小さなコミュニティの独断で、病気の鳥を自由に飛ばせておくといった決定をするわけにはいかない)。ここでも決められないような問題はさらに上部の会議に送られ、以下同文で、六つ目ぐらいに「世界住民全体議会」の番となる。以上の構想はなんだか複雑で、様々な協議会の管轄の範囲もあまり明確でないように見えるかもしれないが、さしあたり青写真にすぎず、明日になったら即実行というものではない。

 アルゼンチンの事業組合が自主管理の実践を社会全体に発信できずにいるように見えたのは、労働者たちが拡大による取り締まりの危険を意識していたせいもある。より多くを望めば、今のささやかな天国も含め、すべてを失ってしまうかもしれない。要するに、自主管理を試みても、国家を敵に回すよりは共存を図った方がよいという考え方でいくならば、国家当局は手をこまねいていても中心部にとどまることになる。他方、アルゼンチンのモデルは経営者の問題について特殊な条件下にあった。雇用主は退散してしまったから、対決があったとは言えないのだ。しかしフォードやトタル、ミッタルといった企業がそれほど簡単に勝負を投げるとは考えにくい。銃撃を始めることなしに勝負が付いた戦争が過去にどれほどあっただろうか。

 事業組合が、数ではアルゼンチン以上のアメリカで開かれた今回のセミナーで、参加者はそれらが支配的な生産様式に大した影響を及ぼしていないことを知った。支配的な生産様式は新たな要因が出てきてもうまく順応する。オルタナティブなメディアしかり、文化的な侵犯しかり、国務長官に女性が就こうと、テレビのキャスターに黒人が登場しようと、どんと来いだ。権威に楯突く別の試みの詳細な報告が始まると、「興味深いけれど所詮はただの余録にすぎないのか」と溜息が漏れた。

 アルゼンチンから来たエセキエル・アダモフスキーは、2001年12月にブエノスアイレスで起きた民衆蜂起に参加していた。彼がその時に得た教訓はこうだ。「国の政策とまったく関わりをもとうとしない運動は、社会の大多数との関係を打ち立てることができない。我々の提案は好ましいもの、実現可能なものとは見てもらえない。抑圧の組織化をもたらす規則や機構は、社会生活の組織化をもたらすものでもある」。だから彼の意見では、「君たちは何を提案するのか」という問いへの答えを用意すること、貧困と人種差別が現に存在し、それはよくないことだと繰り返すだけに終わらないこと、現行システムに対する勝利の可能性を示唆できることも大事だが、混乱から自ずと秩序が出現するなどという考えを捨てることも重要だ。自分たちが提案している事柄をどのようにして誰が引き受けていくのかを、はっきりさせる必要がある。政党は間違いなく社会運動を傘下に収め、そのピラミッド型の権威主義的な価値観を押し付けようとするだろうが、反対側には「組織性の欠如という猛威」が待ち受けていることを忘れてはならない。

 アダモフスキーの発言は、今回のような会合では掟破りと受け止められてもおかしくはなかったものの、さほどのざわめきは起きなかった。かれこれ10年にわたり、部分的でしかない解決策、ネットワーク型のコミュニティ、「権力奪取なき世界改革」といったことばかり語られている現状に、倦怠感が生まれているからだろう(6)。延々と続けられる議論、権威に楯突くという自己陶酔(あるアナーキストが今回そう表現した)、際限のないメディア対策にはもううんざりだ。正面からの脅威にならないものを取り込むことに長けている資本主義に対し、効果はあまりにも低い(7)

夢みる力

 すでにヨーロッパの一部の環境活動家のうちに、こうした倦怠感(あるいは洞察)が見受けられる。たとえばフランスで経済成長の収縮を提唱する運動家の一人ヴァンサン・シェネは、仲間に向けて以下の苦言を呈している。「質素になろうという呼びかけ自体は攪乱的であるとしても(・・・)それはすぐに超自由主義の随伴物、ひいては正当化に転じかねない。呼びかけた者たちは、めいめい思うように生きる自由の余地が現行システムによって与えられていることを思い知る。たとえばアメリカのアーミッシュを考えてみるがいい。彼らのコミュニティは規模が大きく、25万もの人々が自動車もテレビも携帯電話もなしに暮らしている。だが、このプロテスタントのコミュニティがアメリカの消費モデルの拡大に歯止めをかけてきたようには思えない。(・・・)『リバタリアン精神』という表現が、その歴史的な意味に反する形で、彼らの生き方について用いられているが、それは猛烈な個人主義や、社会全体のことを考える力の深刻な欠如の弁明として働くにすぎない。超自由主義は多国籍企業だけでなく、異議申立運動の内部においてさえも、忠実このうえない若年兵を産出しているのだ(8)

 リバタリアンの流れを汲む者たちも、似たような苛立ちを書き記す。ジャン=ピエール・ガルニエの一喝は「もう一つの世界主義者」とその社会フォーラムに向けられたものだが、一部のアナーキストにも当てはまる。「ピラミッドを押し付ける中央集権的な組織なんて要らない、ネットワーク組織をとる『運動の運動』でいこう、とか、国別の枠組みは政治勢力を形づくる前提条件なんかじゃない、一挙に国家横断的な行動路線でいこう、とか、結束が堅く統制がとれた労働者階級なんてなしに、強力な文化資本を備え、自主性と個性の維持を大事にする『市民』でいこう、とか、革命の『偉大なる夕べ』だの『輝かしい明日』などを求めることなく、『具体的なオルタナティブ』と『現実的なユートピア』でいこう、とか(・・・)。こうした『モダンな顔つき』は、ネオ修正主義にほかならず、『民主性』『バランス感覚』『連帯感』『環境保護』を兼ね備えたグローバリゼーションの宣伝に努めているだけだ(9)

 ウッズ・ホールに集まった面々は、修正主義者ではないし、まして「民主的」グローバリゼーションなどという形容矛盾を信じているわけではない。だがガルニエのコメントが多少は当てはまる場合もないではない。つまり問題提起をする際の姿勢のことだ。たとえば、すでに問題が解決されているかのような涼しい顔をする。あるいは「リバタリアン」的なユートピアの若干の先駆形態(ボストンの事業組合、チアパスの先住民運動、アムステルダムの空き家占拠)や、こうした参加型運動の離れ小島をつなぐ様々な「絆」、インターネットや世界フォーラムの構築といったことが、政治戦略の代わりになるかのようなつもりでいる。地域レベルの試みを過大に持ち上げ、「権力奪取なし」には小さな別世界の構築でさえ許さない国レベル、国際レベルの決定(国ごとの生活レベル、税制、自由貿易協定、通貨、戦争、等々)が、そうした試みを左右していることを度外視する。国民国家のなかにも闘争や連帯の場を作り上げ、「グローバリゼーション」が粉砕しようとする労働運動の成果を守ってきたところもあることを一顧だにせず、ひたすら国際主義の正統性を叫び上げる。経済上の連帯よりも、宗教への後退や狭小なアイデンティティへの閉塞が先に立つ傾向が強まっており、搾取される人々、犠牲にされている人々の想像の連合体のなかで、ともすれば「足し算」が「引き算」に負けているというのに、そうした現状を直視しようとしない。

 アルバート主催のセミナーの参加者は、イギリスの組合運動、アメリカの平和運動、ヨーロッパのもう一つのグローバリズム運動、フリーウェア、ベネズエラとの連帯、アフガニスタンにおける女性の権利など、いま現に起こっている無数の闘いに関与し、実際の問題に突き当たってきた人々である。うぶでもないし、自分に酔ってもいない。仮に「資本主義の後」に階級のない社会が実現したとしても、明白な答えのない問題が山積みであることを充分に意識している。子供の人権、ドラッグの合法化、ポルノ、売春、男女の平等に反するような信教の自由の有無、心臓移植のように大きな出費を要する医療資源の配分、動物の扱い、クローン、安楽死、等々(10)

 ケベックの作家ノルマン・バヤルジョンに言わせれば、「アナーキーとは非常に複雑な社会を最小限の権威でもって組織できる可能性」にほかならない。セルビアの作家アンドレイ・グルバチッチはこの点に関して自信満々だった。「革命の時代は終わっていない。21世紀の革命運動は社会主義ではなくアナーキズムに依拠するのさ」。彼は参加型経済という「まさにアナーキーな経済観」はもとより、「チアパスの自治体」や「アメリカのクエーカー教徒の合意形成の仕方」にも啓発されたと言う。「アメリカみたいな国でアナーキストをいちばん大量に採用してきたのは、スターホークやアーシュラ・K・ル=グウィンのようなフェミニストのSF作家だけれどね」と付け加えつつ。

 結局のところ、アナーキーの様態はアナーキストの数だけある。なかにはシャルル・フーリエやロバート・オーウェンのようなマルクス以前の社会主義者の系譜を名乗る者もいる。フーリエやオーウェンは、未来のための煮込み鍋を温める火に、夢が含まれていることを片時も忘れなかった。1949年に、ある右派の思想家もまた、市場の利を説く少数の情宣軍団に向け、社会主義者のやつらと同じように「夢想家たる勇気」をもてと鼓吹した。リベラリズムの理論家、フリードリヒ・ハイエク(1899-1992年)の弁である。「我々に欠けているのは、政治的に今日可能と見える範囲に収まらないリベラルなユートピアを思い描くことだ」。ユートピアに付く形容詞を取り替えてみよう。この言葉は今なお古びてはいない。

(1) http://www.zmag.org/ 1万部の刊行物『Zマガジン』、AV研修センターZメディア・インスティテュートのほか、ニュースに関連したテーマを専門家が分析する日刊のメルマガもある(会員・購読者15万人、購読料は収入に応じて年間30ドルから120ドル)。
(2) 参加者の一人、セルビア人のアンドレイ・グルバチッチはアナーキズムの「基本原理」を次のように要約した。「分権化、自発的団体、相互扶助、ネットワーク・モデルであり、その最大の特徴は、目的が手段を正当化するものだとか、革命家の目標は国家権力を奪取して、銃を片手に自己の世界観を強制することだとかいう考えを拒否するところにある」
(3) 唯一仏訳が出ているのは Moving forward : program for a participatory economy, AK Press, Oakland, 2001 である。本文中の引用の多くは Realizing Hope : Life Beyond Capitalism, Z Books, London, 2006 による。理論の詳細については以下の著作を参照。 Michael Albert and Robin Hahnel, The Political Economy of Participatory Economics, Princeton University Press, Princeton (New Jersey), 1991.
(4) デイヴィッド・シュワイカートとマイケル・アルバートの徹底的な激論を以下のウェブページで読むことができる。http://www.zmag.org/debateschw.html
(5) See Cecile Raimbeau, << En Argentine, occuper, resister, produire >>, Le Monde diplomatique, September 2005.
(6) セミナーに参加したグレッグ・ウィルパートは、ジョン・ハロウェイの理論に感銘を受け、それが最近の自著のタイトルにも影響したと述べた。John Holloway, Change the World Without Taking Power : The Meaning of Revolution Today, Pluto Press, London, 2002 ; Greg Wilpert, Changing Venezuela by Taking Power : The History and Policies of the Chavez Government, Verso, London, 2006.
(7) See Serge Halimi, << Eternelle recuperation de la contestation >>, Le Monde diplomatique, April 2001.
(8) Vincent Cheynet, << Pour en finir avec l'altermonde >>, La Decroissance, Lyon, No.32, June 2006.
(9) Jean-Pierre Garnier, << L'altermondialisme : un internationalisme d'emprunt >>, Utopie critique, No.37, Paris, 2nd trimester 2006.
(10) このリストは主にスティーヴン・シャロムに負っており、前掲のアルバートの近著23-24ページの要約から引用した。


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2006年8月号)

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