素顔のリビアを探して

エラン・ド=ゲルラシュ特派員(Helen de Guerlache)
ジャーナリスト

訳・近藤功一

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 2006年5月15日、ベネズエラに対する制裁措置を発動した同じ日に、アメリカはリビアとの関係正常化を発表した。大量破壊兵器を放棄して以後、かつて人権侵害を非難された「ならず者国家」は、ワシントンに国際社会の一員と認定されるようになった。カダフィ大佐が舵を切った「新たな流れ」は、証券市場を開設するというリビアの決定にも表れている。[フランス語版編集部]

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 古代遺跡や洞窟壁画を楽しもうと地中海を渡ってリビアに入国すれば、思わぬ場所で土地の少女がこんなふうに話しかけてくるのに驚くことだろう。「ジュ・スイ・マラードって曲知ってるかしら」。南西の端にある小さな町、作家イブラヒーム・アル・コーニー(1)の出身地のガートでも、町の人がこのセルジュ・ラマの曲を口ずさんでいるのに気づく。こんな体験を繰り返すうちに、都市部に砂埃が舞い、歩道はでこぼこで、パリ郊外のようなオンボロの団地が立ち並んでいても、「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマヒリヤ国」で何かが変化したことがわかるだろう。

 10年間に及んだ国際的な孤立状態の後、リビアは世界とのコンタクトを取り戻した。それは外交関係の回復といったレベルにとどまるものではない。すでに3年前からティーンエイジャーは、堅苦しいリビア国営テレビを見限って、オーディション番組「スター・アカデミー」などに夢中になっている。もちろんこれはフランスの番組ではなく、レバノンの衛星チャンネルLBCが放送しているアラブ版だ。シャンソンの古典「ジュ・スイ・マラード」がリビアの砂漠地方まで浸透したのが2004年。今ではリビアでもテレビ番組をザッピングするのが当たり前になった。

 厳しい体制の下でも、パラボラアンテナの普及に伴って、新しい風が吹き込んでいる。以前は5000ディナール(約45万円)だったパラボラアンテナは、200ディナール(2万円弱)にまで値下がりし、大衆に手の届くものとなった。住宅の屋根に偽の貯水槽を作りつけ、そこにアンテナを隠した時代は今は昔だ。いたるところに安いネットカフェがある。砂塵が舞い上がり、電子機器には不都合な環境ながら、コンピューターがある家は珍しくない。数カ月前からは、大容量回線も使えるようになった。

 国民の学歴も高く、多くの大学があり卒業生も数多い。非識字率は14%以下で、若い世代はほとんど読み書きができる。ただ、外国語教育は1984年に政治的な理由で中止され、最近になってようやく再開されたが、レベルは悪化している。

 もうひとつ、新たに見られるようになったものは旅行である(その持ち合わせのある人にとってではあるが)。多くの航空会社がリビアに乗り入れており、出国ビザを取得する必要もなくなった。うまく多額の政府奨学金を得て海外に留学したり(セブハに住むフランス語教師によれば月額1600ユーロ)、大きな国営企業の職員なら研修や駐在に出るチャンスを狙う。「これほど多くの人が旅行する国を見たことがない」とマグレブ諸国に拠点を置くフランス人企業家は断言する。移民輩出国ではないことから、リビア人にとってヨーロッパ諸国のビザ取得はアルジェリア人ほど面倒ではない。長いこと世界から孤立していた国に欧米の観光客が訪れるようになったことも、とくに海外に出ることのできない人々にとって、世界との接点を取り戻す機会になっている。

 こうした外界への開放に加えて(政府高官は外界こそがリビアに対し閉鎖的だったのだとして「開放」とは言わない)、30年以上続いた国家統制経済が終わり、3年前から経済改革政策が始まっている。大幅な関税引き下げに象徴されるように、ほとんどの輸入財に関して国の独占が廃止された今では、民間部門について議論することはもはやタブーではない。「隣に右ならえで、壁を壊して店に改造するといったことがどこでも見られるようになった」と、ある駐在員は語る。まだ政権の周辺だけとはいえ、実業家も増えてきた。

 輸入の自由化に伴い、誰でも海外製品を購入するために融資口座を開くことが可能になった。ガルガレッシュ通りやベン・アシュール通り、トリポリ中心街のショーウインドーには、最新の電子機器や家電製品、高級インテリア、ブランドの服や中国製の服、何でも揃っている。国の補助金を受けた地元産品を不正に輸出する者はいても、空っぽのかばんを持ってマルタやチュニジアに行き、商品を詰め込んでこっそり戻ってくるような者はもういない。

 ここ数年の民営化により、消費意欲は旺盛だ。37歳のオマルは、アラブ首長国連邦のドバイで衛星放送受信機を買いつけ、リビア南部の町で売りさばいた(飛ぶように売れた)。その収入で、セブハでネットカフェを開業し、両親の家の上に部屋を建て増しし、そしてもちろん結婚もした。公務員の月給が200ディナール(2万円弱)という御時世で、結婚には少なくとも8000ディナール(約70万円)の大金をはたかなければならない。

お洒落なカフェに携帯電話

 銀行は1年以上前から、有利な住宅ローンを始めている。貸付額は平均4万ディナール(約360万円)、金利はこれ以上ないほど低く抑えられ、しかも返済期間は20年や40年でよいなど、夢のような好条件だ。今後数年間で住宅35万棟を建設する計画もあり、土木建設業界はセメント不足に陥るほどのブームに沸いている。

 それに賃貸は外国人向けなので、住宅は建設するほうが手っとり早い。リビアの住宅事情がどうなっているかというと、1970年代後半に「家はそこに住む者のもの」とする原則が打ち出された結果、数千人のセカンドハウスが没収され、ホームレスのリビア人による占有が全面的に認められた。時代は変わり、政府は没収した財産の返還や、不法とされるようになった占有者への立ち退き補償金を口にするようになった。しかし、この決定は政府の姿勢をアピールするという意味が強く、実施はまだ具体化していない。

 この1年半で首都にできた3つのスーパーマーケットのひとつメハリで、リビア人もカートを押しながら買い物するようになった。このスーパーは、400平方メートル足らずとはいえ、国内では最大で、唯一きちんとした駐車場を完備している。これはポイントが高い。韓国車を中心とした自動車の保有台数は年々増大し、最近も大きな買い換えラッシュがあった。自家用車の所有は、体制の思想的支柱となっている1973年のカダフィ大佐の著作『緑の書』の中で基本的権利のひとつとされており、補助金によって大々的に支援されている。とくに医者、軍人、治安局員などの公務員は優遇されている。所有者は非常に有利な条件でローンを受けられる。石油会社のホワイトカラーである33歳のナジュマは、「おかげで2、3年前から街中をスムーズに走ることができなくなった」と、毎日の渋滞に苛立つ。

 買い物をしたり、夕暮れ時に大通り沿いでぴかぴかの車を運転することは、若者たちの時間つぶしでもある。友人の訪問や家族の祝い事、宗教的な祭礼以外にこれといった娯楽がなく、彼らは退屈しきっている。サッカー以外に(しかも国内チームのうち2つはカダフィの息子が経営している)、文化活動やスポーツイベントはほとんどない。しかも、リビアの革命原則に反するような団体の設立は、刑法207条によって極刑と定められている。

 とはいえ、トリポリの高級住宅地や、旧市街、「緑の広場」などには、シックなカフェやレストランのテラスといった新しい社交場も見られるようになった。最近では3カ月前に、高級住宅地ベン・アシュールに小奇麗なカフェテリア、イワンがオープンした。お洒落な内装に赤い革張りの肘掛け椅子、飲み物のメニューも豊富である(当然アルコール類はない)。ジェルで整髪し、携帯電話を手にし、流行のファッションをまとった若者がたくさんいる。人口が560万人のこの国で、300万人が携帯電話を持っている。そして携帯の電話網は広がり続けている。

 「この3年で最も変わったことと言えば、日が落ちてからでも通りで女性を見かけるようになったことだ。女性たちは、夜中までやっている新しい店に買い物に行き、カフェでお茶をしている」と、アルジェリア人の駐在員は嬉しそうに語った。

 しかし、社会には伝統や社会規範が色濃く残っている。顔を覆うスカーフは「悪魔の創造物」であると発言するなど、時に欧米のフェミニストたちが賞賛さえするカダフィの発言とは大きな隔たりがある。イスラムは部族内の強固な連帯とともに、人々の日々の生活の中で大きな地位を占めている。

 35歳のラティファは航空会社に勤務しているが、自分で事業を起こしたいと考えている。やりたいことはカーテン作りや部屋のインテリア、心配の種は資金をどうするかだ。「イスラムは融資に対する利子を禁止している」から、銀行で融資を受けるつもりはない。いざ事業が始まれば、他人の家に一人で入らなければならないが、そうした行為は良い目で見られない。「でも、家にいるのも、こうしたことを決めるのも、たいていは女性だから、快くドアを開けてくれるはず」と彼女は言う。

 男女別の生活スタイルは、中規模都市などにまだ残っている。学校は必ずしも共学制ではなく、結婚式のお祝いは別々のテントで執り行われる。多くの家庭には2つの居間があり、男性、女性がそれぞれ分かれて昼寝や食事、応接に使っている。

女性たちの立場

 外資系企業で経理をしているファリダは、リビアでは珍しくスカーフをしていないが、「良いことではないけど」と語っている。いつかは腹を括る日が来るだろう。結婚がそのきっかけになる可能性は高い。しかし、2人の姉妹同様、30歳を過ぎた彼女は、独立した生活に慣れきっており、焦って相手を見つけようとはしていない。何人かの友人はすでに離婚し、仕事を続けている。「離婚した後の問題は、その後どこに住むかということ。一人で住むのは悪い目で見られるし、そうなると両親の家に戻ることになる。でも、普通は新しく結婚した弟に場所を取られているし、出戻りはあまり歓迎されない」

 リビア女性は近隣諸国と比べて、大きな権利を享受している。とはいえ、道徳的なタブーは根強く残っている。悪い評判を立てられないよう、一人旅や遠距離通学を禁止されている女性もいるし、夫以外と性的関係を持った女性には暴力が振るわれ、世間体を傷つければ村八分にされる。しかしながら、リビア女性は、自由に夫を選ぶことができ、離婚手続き上も不利ではない(双方それぞれ離婚を申請でき、相当額の扶養料を得られ、一方的な離縁は廃止された)。

 政府指導者は、女性が働くことを強く後押ししており、「この10年間で幼稚園や託児所は大幅に増加した」と、中学校で生物教師をしているラビアは説明する。大学では男子よりも人数が多い女子学生は、教師、公務員、外資系企業の秘書、歯医者、医者、エンジニア、建築士などになっている。しかしながら、女性の仕事が素晴らしいことだと持ち上げられ、高い教育を受けていても、女性の正規就業率は国連開発計画(UNDP)によれば26%でしかない。ちなみにサウジアラビアは22.4%、レバノンは30.7%、チュニジアは37.7%である。

 男性はおおむね、社会の変化を冷静に受け止めている。「家にお金があればあるだけ、家を建てるために大きな借金をすることができる。そして離婚費用も安くすむ」と、セブハ地方に住むトゥアレグ族のアブダッラーは断言した。46歳の彼には、同じ家の違う階に住む2人の妻と18人の子供がいる。望んで結婚した最初の相手となった第二夫人は、情報処理の技術者である。生業である家畜の取引が繁盛しているので、第三夫人を探そうと思っている。

 一夫多妻制は、法律で禁止されているが、南部の町では容認されているようだ。そこでよく引き合いに出されるのは人口比である。1人の男性に4人の女性という割合だという。若い男性の行動を見れば、死亡率がとんでもなく高いのかと思いたくもなるが、ごく最近の人口調査の結果は明白である。リビアは、男性より女性が少ない珍しい国のひとつなのだ。

 アルコールの消費は厳禁で、観光客は滞在期間中ずっと禁酒を覚悟しなければならない。自家製のナツメヤシの地酒に挑戦するか、外交官の家に招いてもらうという手もある。一定量のストックが許されているのは外交官だけで、これに多国籍企業の幹部は大いに不満を持っている。南部では、炎天下の14時から17時までに加え、祈りの時間も店が閉まってしまう。

 伝統の力が強かろうと弱かろうと、ほとんど製造業のないこの国に新しい製品が流れ込むにつれ、購買力の大小が強烈な問題になりつつある。関税率の引き下げによって輸入業者の利益は増えたが、輸入品の価格は下がっていない。市場に安い中国製品があふれるようになったにしても、20年以上も据え置きの公務員の給料が不十分なことに変わりはない。民間と公共部門の所得格差は、開く一方である。窓やドアの製造会社を営む29歳のアブデルカデルは、「仕事が立て続けにあるときは、2週間で1000ディナール(約9万円)稼ぐこともできる」

 公共部門の職員(最新の調査によると、170万人の労働人口のうち教師、公務員、医療従事者などを含む90万人が公共部門で働く)は、やりくりのために副業を増やしている。タクシーの運転手をやる者もいる。「病院の局長はみんな、午後になると私設のクリニックに行く」と情報通は教えてくれた。「大学で教鞭もとるし、薬の輸入もする」。店を開く者もおり、午前中は家族が切り盛りするかアフリカからの移民を雇う。南部の国境地帯で、ニジェール人やモーリタニア人からフランス語で声をかけられるのはよくあることだ。

 しかし、かつては街道沿いに鈴なりになって仕事口を探していたアフリカ人たちの姿は、2000年に人種差別に端を発した暴動事件(2)が起き、国外追放が行われてから見かけなくなった。欧州連合(EU)との協力政策のもと、正規の身分証の携帯は必須である。「ソマリア人の家政婦が3カ月の間いなくなった」と、家族がトリポリに住んでいる在英の情報処理技術者ムハンマドは語った。「バスを降りるところを警察に呼び止められ、身分証を提示することができなかった彼女は、すぐさま収容センターに送り込まれてしまった」

リビア人の新たな口癖

 薄給を補うような再分配システムは健在だ。リベラル派のガネム前首相は、トマトペーストといった一部の製品の補助金をカットしようとして支持率が急落し、撤回を余儀なくされた。パン、砂糖、油といった基本的な食料品には現在も補助金が出ており、水道は南部も含めて全国に引かれており、ただ同然である。電気もほぼ100%近く行きわたり、料金も安い。メーターはほとんどなく、ある場合も訴えられるおそれは低いから、電気公社に料金を支払わないこともよくある。

 ガソリンだけは30%値上がりしたが、満タンにしても7ディナール(約600円)もかからない。質のよいサービスを求めて新設の私立に流れる者も多いが、公立の病院や学校は無料である。そして、失業保険も整備されつつある。

 結果として、UNDPによる人間開発指数のリビアの順位は、世界で58番目、アフリカでは1位となっている。就学率はほぼ100%で、平均寿命は73.6歳である。

 僅か560万人の人口ながらアフリカでも広大な国のインフラは、老朽化し、沿海部に集中している。道路網は国土を広くカバーしているが、路面の状態は悪化している。ひとつには気候のせい、また南部からの貨物トラックが増えているせいだ。運転手は同じ車線を走ることが多く、対向車が来るぎりぎりで車線を変更する。セブハやガートのような南部の町には、公共の交通手段やタクシーもない。都市部では、でこぼこでゴミだらけの道路を歩くのに、しっかりとした靴を履いたほうがよい。町の清掃状態はかなりひどい。

 不満の広がりは感じられるが、それを口にするときには目の前の舗道に目を走らせる。「緑の書に書かれているように、民主主義とは人民による人民の支配のことだ」と、観光ガイドでアラビア語の教師でもあるイブラヒームは力説する。彼がリビアのジャマヒリヤ体制を熱心に擁護するのにはわけがある。教師としての給料はもらっているが仕事はせずに、彼は3年前から南部の治安局の5人いる副責任者の1人を務めている。「みんな私を知っている。私は国と人民の橋渡し役だ。私たちの国は、人間の体に似ている。すべての器官は連動しなければならず、そうでなければ大混乱になってしまう。手と足は警察だ。脳が私たちで、目が市民全体だ。もし隣人と問題が起きたり、妻を殴る夫がいれば、私に電話が入り、当局にそれを報告し、問題を起こした者を呼び出す。みんなが連動している。これこそが民主主義だ」

 すれ違った警官たちは彼に元気よく挨拶してきた。「みんな私の配下にあることを分かっている」と自慢げにイブラヒームは言った。治安局員証の効力は絶大で、さらに有意義な情報を提供すれば(実際には密告)、乗用車を買うための補助金、住宅ローン、様々な許可証など、大きな報賞が与えられる。「でも、もし学校で私が必要とされるときは、いつでも準備ができていなければならない」。まさに聖職だと言うべきか。「そして私は、イブラヒームの友達なのさ」と彼のアシスタントはおどけてみせた。

 往時は首都であった東部の都市ベンガジの雰囲気は、また異なったものだ。2006年2月に起こったムハンマドの風刺画に対する抗議デモが、最終的には体制批判に転じたように、大胆な批判が口にされている。トリポリの発展を前にして、ここには不満がたまっている。かつて王制を支持したサヌーシー教団の牙城であるベンガジは、激しい弾圧を受けている反政府イスラム主義勢力の拠点でもある。部族の連帯がいたるところに及んでいて、「影響力のある部族に逆らって、復讐や名誉の殺人を事件として取り上げようとする判事はほとんどいない」とベンガジに住む20歳のハサンは説明する。

 しかし国民の異議申立は、うんざりムードといった形でしか表れていない。リビアのジャマヒリヤ体制の根幹をなす地方人民委員会(3)の出席率は落ちている。2005年度は300億ドルという記録的な石油収入によって国庫が潤っている中、体制には当面のところ、再分配システムや大規模なインフラ整備プロジェクトを通して、社会の合意を取り付けるだけの資金がある。しかしながら、100以上の衛星放送チャンネルを視聴できるリビア人は、中東地域の中で自分たちがどう位置付けられているかを知り、不満を隠さない。「なぜリビアはアラブ首長国連邦のように発展していないのか。この産油国は1970年代には我が国と同様、ただの砂漠地帯の小さな国でしかなかったのに」。これがリビア人の新たな口癖になっている。

(1) 現代の偉大なアラビア語作家の一人であるイブラヒーム・アル・コーニーは、欧米ではまだほとんど知られていない(訳註:日本語では次の紹介書がある。奴田原睦明『遊牧の文学:イブラヒーム・アル・コーニーの世界』、岩波書店, 1999年)。
(2) 2000年9月、アフリカ系移民を標的とした暴動は、100人以上の犠牲者を出した(公式には死者6人)。当時250万人いたアフリカ系移民は、現在は60万人に減っている。
(3) 地方人民委員会の数は400以上ある。直接民主主義を実現するためにカダフィが考案した体制の下部機関。18歳以上の市民は出席して改善すべき点を論じなければならず、人民の「決定事項」は委員会から上級機関に伝達される。3日間の会期中、すべての店はシャッターを下ろさなければならない。この地方人民委員会には、革命委員会のメンバーが入り込み、目を光らせている。決定事項が実際には逆の方向、つまり上から下へ流れるようになっていることを知らない者はない。そのため、何か実利にあずかれそうだという場合を除いて多くの人が出席しなくなり、最近カダフィはそのことに不満を漏らしている。


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2006年7月号)

* 小見出し「女性たちの立場」から四つ目の段落「家禽の飼育」を「家畜の取引」に訂正(2009年1月3日)

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