フランス「下流インテリ」たちの現実

モナ・ショレ(Mona Chollet)
ジャーナリスト

訳・阿部幸

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 「私は下流のインテリ。ニューロンをショートさせながら、本、雑誌、ウェブページ、ビラ、請願書、といった何ギガバイトもの情報に目を通すけれど、そこから何かを生み出すこともない、そんなインテリのひとりです。ボディを熱するためだけにめいっぱいの石油を消費する機械のように、知力をめいっぱいに消費する下流のインテリ・・・全くの浪費そのもの」。セヴリーヌのブログ(1)には、こうした苦い認識が掲げられている。彼女は28歳。パリで学位を取った後、企業での研修と、求職者に支給される最低限の生活手当と、臨時雇い、そして失業の間を行ったり来たりしている。この侘びしい気持ちは、アレクサンドル(2)にも痛いほどよくわかる。彼は27歳のフリーライター(3)、環境問題に関する学位論文は大手出版社から刊行されている。アレクサンドルが自分のアイデアを業績に結びつけられずにいるうちに、ときに誰かがご親切にも彼の代わりを務めてくれたりする。「電話で記事のテーマをもちかけると、編集長たちは『おもしろい。もっと聞かせてくれないか』と応じてくる。それから2週間後、そこの社員の記者が同じテーマで書いた記事が新聞に載っているというわけさ」

 『生活が不安定なインテリたち』を著したアンヌ・ランバックとマリーヌ・ランバックは(4)、何万人にものぼる彼らのような者たちがたむろする場を「インテリゲンツィアの郊外地帯」と呼んだ。このときの取材では、まず聞き取り調査から始め、それについて「専門家」に分析を求めるという従来のジャーナリズムの手法がまったく使えなかった。取材相手もまた、理論的な分析に必要な道具立てを備え、社会全体の動向に強い関心を持っていて、自らの状況を非常に的確に分析してみせたからだ。しかも、彼らの中には生活不安の問題を仕事のテーマにしている者もいた。レザンロキュプティブル誌のような雑誌は、そこに若者向けの最先端のニッチなテーマがあると見て、一群のライターにわずかな原稿料で、さらには全くのタダで記事を書かせて特集を組んでいる。30代のアンヌとマリーヌ自身もまた「生活が不安定なインテリたち」に数えられる。2人によれば、この集団の特徴は、「上層の社会階層の出身であるか、あるいは『上流』階級に属する『象徴資本』を獲得したにもかかわらず、労働条件と収入の面では下層の社会階層と変わらない」ということだ。彼らのような層の出現は予測可能なことだった。1999年に行われた国勢調査では、高等教育の学位を持つ者の割合は、60歳以上で7.8%であるのに対し、25-30歳では38.2%に増えていたからだ。

 経済がまったくぱっとしない現状では、何か奇跡が起きて若い高学歴者たちがこの運命から逃れられるとは思いがたい。しかし、その事実はなかなか認識されずにいる。頭の中には、高い教養を身につけておけば(仕事でも認められるし)生活は安泰だという考え方が残っているからだ。こうした象徴的な満足感と金銭的なそれとが混同されているのは、雇う側から見れば好都合だ。「仕事は無償で頼まれることがほとんどだ。後できっと役に立つだろうって」とアレクサンドルは語る。「でも、後でって、いつになったらそのときが来るんだ」。最近も、ある映画監督から、企画中のドキュメンタリーに関連した調査をしてほしいという依頼があった。アレクサンドルは何の取り決めも交わさないまま仕事にとりかかり、「お金の話はしていない」と言う。彼らのように関心分野がハイレベルな世界では、自分が金にうるさい偽インテリの本性を突然むき出しにしたかのような気分に陥ることなしに、仕事の対価を要求するのは難しい。

実名を隠して

 そうはいっても、インテリたちは聖人君子ではない。彼らの生活不安は他の人々のそれとおおむね似通っている。「見つけた仕事はすべてやってきた」と語るのはリヨネル・トラン35歳。リヨンで小規模出版社テール・ノワール社を率いている。「大学の教員補助とか、清掃作業員とか、文章教室の主宰とか。連れ合いと僕は運よく安いアパートに住んでいるのだけど、少し前に家主が変わって、それから何日かは家賃が上がるか、追い出されるかするんじゃないかと気が気でなかった。まさに綱渡りの毎日。ささいなことですぐにバランスが崩れてしまうような」。作家のイヴ・パジェスは早くから自著の中で、職種が一定しない人が増えていることを指摘していた(5)。出版社で働く彼は、そこで「8時間3交代制をひとりで」こなすことすらある研修生たちに出くわした。「午前2時にパリから40キロも離れた高速道路の料金所で切符係をしているやつもいれば、スーパーのレジ打ちをやっているやつもいるよ・・・」

 アレクサンドルは、誰かが自分の名前を検索エンジンで調べ、「てんでばらばらなこと」をしていることや、特定の政治的立場をとっていることを知られるのではないかと不安になる。アレクサンドルのように偽名を使わないことにしている者は少数派だ。どんな方法で糊口を凌いでいるのかを伏せておき、あるいは雇い主がたじろぐような社会運動を隠しておくためには、名前の使い分けが必要なのだ。「グリート・ラマーヌ」を名乗る30歳は、このペンネームで月刊誌CQFDに無償で寄稿するかたわら、別の名前でライターやリライトの仕事をして生計を立てている。どちらも実名ではない。「取引先の側が、そこの仕事と私のほかの活動とがつながることを望んでいるとは限らない。それに、もしすべての仕事を実名でやっていたとしたら、全く一貫性のない人間だと思われていたことだろうし。実名を使うのは、何時間もかけて議論するまでもなく、誰に対しても弁明できるような仕事のときだけよ」。抗議デモに繰り出した研修生たちがつけていた白い仮面、偽名の氾濫、匿名の証言の数々に示されるように、口さがない上司に命運を握られた者たちは、半ば息を潜めざるを得ず、自分の思想はゲリラ的にしか表明できないようにみえる。「新人というものはなんらかの意味で年長者との衝突のもとになる、というのが健全な状態のはずだ」とアンヌとマリーヌは指摘する。「だが、実際に起こっているのは全く別のことである。生活が不安定な研究者は、研究所の所長の考えに迎合する。自分の稼ぎが、そこにかかっているからだ」。こうして、不安定な身分で欧州委員会の仕事を手がける社会科学系の研究者たちが、雇用不安を助長する政策の普及に理屈をつけるのに一役買う、といったことが起こる。

 政治的な活動をあげつらうまでもなく、インテリであるというだけで、不信感を抱かせるには十分だ。イヴ・パジェスのところの研修生の話の続きを聞こう。「多くは情熱にあふれ、小規模出版社や雑誌を自ら立ち上げた。一般の出版社では、そういう人間は白い目で見られることがほとんどだ。重要なポストを占めているのは、68年の五月革命のときに様々な立場で運動した人間たちで、豊富とも支離滅裂ともいえる職歴を経てきている。彼らが口にするせりふは、『俺たちは実際に体験したんだ。素晴らしかった。でもそれも終わったことだ』。だから下の世代に関しては、現実的な経済観を教育されたエリート校の新卒者以外は見向きもせず、雇いもしないってわけさ。このような変化が、リベラシオン紙でさえも起こっている。編集者のふりをした商売人がそんなわけでたくさんいて、頭のよすぎる研修生たちを憎らしく思っているんだ」

68年世代の影

 リヨネル・トランもまた、ベビーブーム世代への不満をこぼすのをやめない。テール・ノワール社の新刊のタイトルには、その不満が溢れている。『祭りは終わった』、『砂浜の下は瓦礫』、等々(6)。しかし、「これは、テクニカート誌の『その場所を俺たちに明け渡して、どっかに行っちまえ』式の下卑たやり方とはまるで違う」と言う。「我々自身の抗議の手段を作り上げる必要があるだろう。68年5月の大仰な身振りを繰り返すのでもなく、吐き気のするような浮ついた社会運動に陥るのでもないやり方で」。彼は、個性の開花が価値観として掲げられた時代に育った違和感をぬぐいきれず、この価値観は時勢の厳しさに全くそぐわなかったと考えている。「初めて出版の仕事に携わったのは、リヨンで地元密着の媒体を手がけたときで、19歳だった。もう20年早かったら、僕が当時やろうとしていた企画のうち、少なくともひとつくらいは続いていただろう」。彼が編集した本に著者名がないのは、68年世代の文化だと考えている「エゴの崇拝」への拒否感からだという。偶然の一致なのかどうか、彼が最近創刊した2つの気鋭の新聞、ル・ティーグル紙とル・プラン・B紙もまた、前者はペンネーム、後者は無署名という方式をとっている。グリート・ラマーヌもまた、ペンネームの使用は「共著への貢献」という自分の意図に適っていると言明する。「書いたのは私だと知ってもらうことには興味がないから」

 とはいえ、彼女自身は、五月革命の遺産を受け継いだ生き方を別に問題視はしていない。「仕事は最小限に抑えることにしている。既成の体制に注ぐ時間とエネルギーは最小限にしたいから。私の収入はとても少なくて、うまくやりくりしたり、とても密な相互扶助のネットワークでなんとか補っているのよ」。アンヌとマリーヌの著作には、生活が不安定なインテリたちが経済活動の枠の外で、いかに豊かな社会活動を行っているかが綴られている。独自のテレビ、ラジオ、ウェブサイトといったメディアもあれば、団体をつくって運営する共同食堂もある。セヴェリーヌは、失望が深まるにつれて政治的な意識が高まって、現在ではいくつもの運動や団体に参加している。「第一の社会の隣に、別の社会が存在しているのを発見したの。そのことが、私を救ってくれた」と言う。テール・ノワール社のもう一人の中心人物であるヴァレリーの場合はどうか。両親とも事務員の家族は五月革命の激動にはほとんど無縁だったそうだが、彼女自身はリヨンの政治学院を卒業している。広報関係の会社で働いた後、退職して写真と編集の仕事に専念した。40代になった今、10年来の不安定な生活にくたびれた彼女は、なんとか会社勤めに戻りたいと思っている。それでも、「雇い主が引いてしまうとまずいので」面接では口にしないが、ここ何年かかけてやってきたことを完全に断念せずにすむよう、パートタイムの仕事が見つかればいいと思っているという。

 「革命的エコロジー」というウェブサイト(7)を運営するジャン・ザンのような、生活が不安定なインテリたちが、所得保障制度の整備や、舞台芸術分野の不定期労働者を対象とする保障に準じた継続的な社会保障の整備をまっさきに支持したからといって、なんら驚くべきことではない。彼らは自分の時間のそれなりの部分を、自分にとっても社会にとっても意味のある活動に費やしたいという点にこだわるが、それは経済上の制約によってますます難しくなっている。最近出版された『金が必要、今すぐ』という小説は(8)、借金を抱えて期限付きの労働契約に甘んじたインテリを登場させ、企業社会の恐ろしさを子細に描きだした。必死に仕事を探す人々がこんなにもいるというのに、仕事を批判してみせるとは、と憤る声も上がっている。そのことを予想していた著者は言う。「これではまるで、脚のない者に配慮して、腕のない者が不平を言うのを禁止するようなものではないか」

(1) http://intellodudessous.over-blog.com
(2) 彼の名前は仮名に替えた。
(3) ライターは記事ごとに報酬を支払われる。リヨネル・オカス「有期契約で首をつなぐ放送ジャーナリストたち」(ル・モンド・ディプロマティーク2004年4月号)参照。
(4) アンヌ・ランバック、マリーヌ・ランバック『生活が不安定なインテリたち』(アシェット社プリュリエル叢書、パリ、2002年)。
(5) イヴ・パジェス『職場の小さな静物たち』(ヴェルティカル社、パリ、2000年)および『唾を吐きかけられた肖像たち』(同2003年)。
(6) http://www.editionsterrenoire.com
(7) http://perso.wanadoo.fr/marxiens/
(8) ルイーズ・デビュルス『金が必要、今すぐ』(POL出版、パリ、2006年)。


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2006年5月号)

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