フランス郊外団地で火を噴いたものは何か

ローラン・ボネリ(Laurent Bonelli)
パリ第十大学研究員、欧州委員会プログラム The Changing Landscape
of European Liberty and Security フランスチーム

訳・瀬尾じゅん

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 何千台もの自動車が焼かれ、学校、託児所、体育館などの公共施設が壊され、国家非常事態宣言が発令された。4700人近くが尋問を受け、400人余りが禁固の実刑を言い渡された(11月25日現在)。2005年の10月末から11月半ばまで、フランス全土を揺るがした騒乱の結末は、物的にも人的にも心理的にも重いものとなった。だが、一体何が起こったのか。

 フランスでも外国でも多くの評論家の意見は一致している。今回の危機的状況のなかに見えたのは、彼らが思い思いに「狼の群れ」「我々の世界の敵」、あるいは「植民地独立後」の下層プロレタリアートの前衛と呼ぶ者たちの一撃により、我々の社会が崩壊する前兆であるという。そして「フランス型モデル」の終焉だとか、「共和国の法を無視した別個の社会の発達」、あるいは「都市民の品性の危機」を強調する。こうした評論家たちは、自分の政治的、社会的な利害に沿った一般論の大ぶろしきを広げる前に、もっと地道に、集団行動を分析するときの基本原則をきっちり踏んでみてもよかっただろう。つまり、今回の騒乱を理解するためには、その社会的背景、勃発のきっかけ、そして偶発性(同じ原因が必ずしも同じ結果を生むとは限らないこと)に立ち返ってみるべきなのだ。

 今回の暴力行動の背景には、第一に、労働者層の再生産の危機がある。1970年代後半に始まった経済危機と、フォード式に替わる生産方式への移行に促された産業構造の変化によって、彼らの生活は根底から揺さぶられた。一方ではオートメーション化、情報化、そして工場の転出によって大量の失業者が生まれるとともに、他方では臨時雇用や一時雇用が企業の間に広まった。この二つの要因が、かねて(経済成長と強力な福祉国家を基盤とした)賃金社会の到来によって改善されていた労働者層の生活不安を再び助長することになった(1)

 こうした傾向は特に若年層に深刻な影響を与えた。フランス国立統計経済研究所(INSEE)のデータを見ると、この数週間にニュースになった団地地区では、15歳から24歳までの失業率が際立っている。南東部グリニー市のグランド・ボルヌでは41.1%(市全体では27.1%)、南西部トゥルーズ市のレヌリーとベルフォンテーヌでは54.5%(同28.6%)、南西部ポー市のウス・ド・ボワでは31.7%(同17%)、パリ郊外クリシー・スー・ボワ市からモンフェルメイユ市にかけての大規模団地では37.1%(同31.1%)、北西部ナント市とサンテルブラン市にまたがるベルヴューでは42.1%(28.6%)といった具合に。

 賃金の不安定化による影響は、経済的な面だけにとどまらなかった。労働者層の若者たちは、人生の方向を見失ってしまった。将来が不確かになれば、不動産の取得、結婚、余暇のような長期的な計画を考えることはできない。刹那的に、毎日をどうやって切り抜けるかということしか考えられず、ちょっとした悪事への誘惑に負けやすくなる。

 その一方で、教育の大衆化によって、以前なら退学になっていたような生徒たちも学校にとどまるようになった。彼らは社会的に上昇できるかもしれないという一時の希望を膨らませ、両親が生きる労働者の世界をますます疎ましく感じた(2)。しかし、学校というものが社会の上下関係を変えるわけでない以上、希望はすぐに萎んでいく。失望した生徒たちは野次や挑発を繰り返し、学校をやめる者も多い。上に挙げた団地地区では何の卒業資格も持たない者の割合が、国内平均17.7%に対し、30-40%にも達する。

 さらに、過去20年間の都市政策の影響を付け加えるべきだろう。帰る故郷もなく、上に述べたような様々な生活不安に直撃された大家族は(ゲットー化するところまではいっていないものの)特定の周辺地区に集中するようになっていった(3)

警察の姿勢

 このように、労働者層の危機的状況は根本的に社会的なものなのだ。それは一つには労組や政党のような集合組織の衰退として、また他方では内部競争の激化(「フランス人」対「外国人」、「定職のある労働者」対「終身の臨時雇い」)となって現れた。その結果、彼らは根深い鬱屈を抱え、身近な生活に閉じこもるようになった。90年代初頭以降、こうした状況を見た政治家たちは、有権者が「治安対策を求めている」と主張するようになる。

 社会関係が治安問題として読み替えられたことに応じて、警察の戦略も変化した。90年代初頭から、聞き込み型の警察活動、あるいは社会党の幹部らがもっともらしく語っていた地元密着型の警察活動よりも、出動型の警察活動が重視されるようになった。この変化をなによりも物語るのが犯罪対策部隊(BAC)の拡充であり、警官のなかには、自分たちの職務が「軍隊化」されていると非難してはばからない者もいる。

 この部隊は、フラッシュボール(ゴム弾を用いるピストル)や、最近ではテイザー(致命傷は与えない電気ショック式の武器)といった攻撃・防御用具を備え、捜査にいそしむよりも「とびかかる」ほうが先に立つ。「地域に平穏を取り戻す」ことを政治家らが主張するなかで、警察の部隊が日常的な出動で行っていることのほとんどは、犯罪のないところでの取り締まり、違反行為のないところでの職務質問であり、こうしたことが緊張を引き起こしているのだ。たむろしたり、投石したりする若者たちのグループに対して警察は意味もなく不審尋問を繰り返し、見下した態度で臨み、ときには乱暴を振るう。「侮辱罪」や「暴動罪」による取り調べもしょっちゅうだ。

 聞き込みよりも出動が優先されているという事実は、警察の統計にもまざまざと表れている。警察や憲兵に記録のある事件は1974年から2004年で2倍になったが、麻薬取締法違反で尋問を受けた者は39倍、外国人法違反では8.5倍にまで増えている。同じ時期、事件解決率は43.3%から31.8%へと著しく後退した。別の言い方をすれば、警察活動は軽微な犯罪に集中しており、それが記録に残るのは、警官が市街に展開したり、ある種の社会グループへの職務質問を強化したりした結果なのだ(4)。それが治安機関とこれらのグループの関係を悪化させる大きな原因となり、いわゆる「都市型」暴力の多発を引き起こしている。秩序の維持も崩壊も、治安機関の対決相手だけが作り出すものではなく、治安機関もまた同じぐらい重要な当事者であることは忘れられがちである。

 労働者層は30年にわたる自由主義政策によって押しつぶされ、経済的、社会的、精神的に追い詰められている。それに加えて、彼らの子供たちを警察活動(と福祉政策)によって管理しようとする戦略が進められている(5)。郊外が爆発する理由には事欠かない。もっと頻繁に爆発しないほうが不思議なくらいである。

 2005年10月の終わりにフランスを揺るがした一連の暴力行動が起きたきっかけは、クリシー・スー・ボワで、警官の職務質問から逃げようとした二人の若者の悲劇的な死にあった(三人目は重傷を負った)。地元住民の怒りと憤慨は、治安部隊との衝突、自動車や路上施設への放火や様々な破壊行為となって表れた。お決まりのこと、と言えなくもない。

 「都市型暴力の専門家たち」は、集団的暴力の発生には警察にも責任があるという点についてはすぐに口を閉ざそうとする。内務省総合情報局の元幹部局員リュシエンヌ・ビュイ=トロンが、このことを図らずも実証している。彼女によれば、1991年から2000年の間に同局に記録された341件の暴動のうち、警察が(直接的あるいは間接的に)関連していた事件が3分の1あるという(6)。暴力発生の責任という点に関しては、この数字にさらに、裁判所の下した決定と、ガードマンや私人による犯罪行為も加えて考えるべきだろう。

なぜ放火に走ったのか

 クリシー・スー・ボワの出来事は、この点では過去に起こった悲劇と変わらない。しかし、それは大きく波及した。このことはじっくり考えてみなければならない。拡大に伴って質的な変化が起きたことを第一に挙げておく。警官組合アリアンスの副書記長ジャン=クロード・ドラジュは「はじめは警察との衝突だったのが、今では小さなグループに分かれて都市型ゲリラのように動き回り、治安部隊と直接衝突しようとしない」と言う(7)。直接の対決が減ったのは、近しい者(家族、仲間、知り合い)が死亡して激情に駆られたという場合でもないかぎり、何十人、何百人もの個人が治安部隊と衝突するような事態にはならないからだ。

 クリシーでも、似たような死亡事件が起こった他の地区でも、怒った住民は「若者」だけにとどまらなかった。警察との衝突には加わらないまでも彼らの気持ちは理解できるという多くの大人や家族が、同じ怒りを共有した。事件そのものはよそで起きたことだという地区の場合は、この点が根本的に異なる。そうした地区では、行動を起こすのは互いに顔見知りの小グループだけで、やり方も異なってくる。その一つが自動車への放火という行為なのだ。

 放火行為は2005年の秋に始まったわけではない。2003年には2万1500台(一晩で平均60台)の自動車が燃やされたが、集団的暴力とは無関係な場合がほとんどだった。動機はばらばらだったにしても(盗んだ車の処分、家族との諍い、保険詐欺など)、一部の地区ではありふれた出来事になっている。簡単に実行でき、人目を引くことのできる放火行為(自動車に限らず、公共のゴミ箱なども)は、少年たちのごく普通の抗議手段になりつつある。代弁者となる組織もなく、政治的につまはじきにされている彼らにとって、それだけが世の中に向かって声を上げる唯一の手段なのだ。

 平和的な行動に訴えるというのは、なんらかの正当な代表集団に属していなければ採れない手段であって、ある社会集団には可能でも、他の社会集団には不可能である。公にひんしゅくをかうような行動に走ったからといって、それを犯罪行為とみなしてはならない。最近の騒乱に加わった者のなかには、過去や現在、将来の犯罪加担者もいるだろうが、そうした者たちの犯罪行為は、ここ数週間に働いた力学とも、その噴出とも無関係である。今回の件で裁判所に召喚された者の大部分に前科がなかったという事実は、主にこうしたことで説明が付く。

 長年にわたる社会的、経済的状況の悪化、そして警察による職務質問の強化によって、放火という暴力的手段の温床はできあがっていた。今回の拡大の引き金は、内務大臣が過激な言葉遣いに走り、それをテレビをはじめとするメディアが集中的に報道したことにある。サルコジ大臣は、労働者層への軽蔑心と威勢のよい男らしさをごちゃ混ぜにした発言を公に繰り返すことで、騒乱を煽ってしまった。これにより、一部の地域で積もりに積もった屈辱感と恨みが結晶化して、かっこうの標的を得ることになったからだ。強硬策を熱心に支持する内務大臣は、ここで断固たる態度をとっておけば、政治的に有利な立場に立つとともに、自分の治安政策に対する抵抗勢力を突き崩すこともできると考えたに違いない。彼の計算は短期的には正確であるかもしれない。しかし、それは暴力行為を激化させたばかりでなく、団地の住民たちの心のなかに、将来の影響を予想できないような痕跡を残すことになるだろう。さらにもう一つ、メディアの影響力は絶大だった。

 ストライキのときの集会ではまず最初に、ストに同調した他の集配所、大学、事業所の名前が列挙される。同様に、今回の地域的な動きがまたたく間に広がったのは、それらを包み込んでいく集団の力学が働いたことが大きい。この点に関して見事な反響装置となったのが、全国マップで発火地区を示し、破壊の「番付」を書き立てた新聞雑誌である。隣の団地よりも「上に」立とうという気持ちが次々と連鎖反応を引き起こしたことに加え、こうした報道態勢が各地で暴力行動を同じ時期に、同じ形で、拡大させることになる。そして、全国的な動きになっていますというストーリーがもっともらしく聞こえるようになった。

社会政策の後退ではなく充実を

 このように集団行動に関する社会学の基本原則に沿って考えるならば、今回の危機的状況をもたらした力学を理解できるようになる。急進的イスラム主義勢力や犯罪組織による策動などという主張はまったく問題にならない。この奇説はせいぜいのところ、そんなことを言う人々の状況に対する無理解を示すだけのものだ。悪くすると、事態を掌握できていないことや、対処のために過激な措置をとったことを正当化しようとする恥知らずな策動の表れである。

 というのも、今回の事件にひそむ最大の危険の一つが、おそらくそこに巣食っているからだ。ヨーロッパ憲法条約が国民投票によって否決されたとき、この国の政府はそれを即座に、規制緩和のいっそうの推進を求める意思表示であると読み替えた。同様に、2005年秋の騒乱は、社会政策を後退させるための新たな口実として使われていくだろう。労働者層の若者が抱える将来不安への対策としてこれまでに打ち出されたのは、職業訓練を始める年齢を14歳に引き下げるという方針の表明、中学校での全国統一カリキュラム廃止の見通し、単純労働市場の柔軟化の促進といったことでしかない。社会の結束や秩序の維持に有害な効果しか与えないことが指摘されている警察と裁判所の強圧策が、今後ますます進められることになるだろう。一部の議員たちは以前から、制裁措置として福祉手当の支払を停止することを思い描いていたが、そうした議論が再び活発になっている。犯罪防止に関するブニスティ報告や「少年少女の騒乱」に関する国立保健医療研究所(INSERM)の報告のような極めて反動的な報告書が脚光を浴びている。こうした現状に表れているのは、貧しい家庭や移民の子供たちの「反社会的」な行動を病理現象になぞらえる姿勢である。

 この姿勢は、政治的な競争の構造を利用しようとする。政府は「成功した者」対「現状を乗り越えようとしない者」、「被害者」対「加害者」、「フランス人」対「一夫多妻の家族」といったように労働者層の内部競争を煽ることで、福祉や賃金による保護を打ち砕き、政府の擁護する不平等な秩序に対して個々ばらばらに反対する勢力を突き崩そうとしているのだ。政治的に責任のある左派勢力は、この機を捉えて、30年にわたる保守革命によって労働者層の内部に作り出された亀裂を修復できるような変革構想を打ち出すべきだろう。

 社会党は非常事態宣言の延長を放置するという失策を犯した。共産党や極左団体は、「新たな危険階級」となりつつある人々に代替策を提示することも、こうした人々の特殊事情を掬い上げることもできないでいる。つまり、これらの左派勢力は変革の道に進もうとはしていない。こうした体たらくでは、今回の危機的状況への「解決策」を示してみたところで、そもそもの原因を悪化させることにしかならないだろう。実感をともなった連帯意識を作り直すことが、これまで以上に必要とされている。職業、宗教、出身の違う人々が共有できる政治目標を掲げた組織を生み出すことが、その成員に将来への展望を開いていく道である。それは、自由主義者とその信奉者たちが、日々、郊外をはじめとする様々な場所で執拗に破壊を試みている社会福祉の成果を奪還する道だ。

(1) ロベール・カステル『社会問題の変容』(ガリマール社フォリオ評論叢書、パリ、1999年)参照。
(2) ステファヌ・ボー、ミシェル・ピアルー「職業高校の生徒と町の労働者との対話」(ル・モンド・ディプロマティーク2002年6月号)参照。
(3) 要注意地区動向研究所の2004年度および2005年度の報告書(パリ、省庁横断都市委員会)を参照のこと。
(4) それとともに、諸々の複雑な犯罪の取り締まりが放棄されたことは、『1999年に実施された刑事政策に関する法務省報告書』(犯罪事件・恩赦局、2000年、27ページ)に書かれている通りである。
(5) ローラン・ボネリ「社会問題の治安問題化」(ル・モンド・ディプロマティーク2003年2月号)参照。
(6) リュシエンヌ・ビュイ=トロン『暴力の根源:暴動から共同体主義まで』(オーディベール社、パリ、2003年)63ページ以下。
(7) ラジオ局フランス・キュルチュール、2005年11月9日放送分。


(2005年12月号)

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