カトリーナ被災地に群らがる禿鷹ども

マイク・デイヴィス(Mike Davis)
近著 The Monster at Our Door. The Global Threat of Avian Flu,
The New Press, New York, 2005

訳・瀬尾じゅん、斎藤かぐみ

line
 9月24日から25日にハリケーン・リタが通過すると、アメリカ人はほっと胸をなでおろした。しかし、その1カ月前にカトリーナが引き起こした甚大な被害、そしてブッシュ大統領による災害対策のずさんさは、今なお彼らの心に重くのしかかっている。ホワイトハウスは「これまで以上に大きくすばらしい」ニューオーリンズを「再建」すると宣言したが、総額2000億ドルの復興計画でいちばん得をするのは、大統領御用達の企業だろう。イラク戦争からもたっぷりと配当金をもらい、災害便乗資本主義を得意分野とする企業である。彼らはこの機会に乗じて、ニューオーリンズの貧しい黒人を「浄化」し、低湿地に追いやって、この街にいわばジャズのディズニーランドを作り出そうとするに違いない。[フランス語版編集部]

line

 ニューオーリンズを破壊したハリケーンは、8月23日にバハマから200キロの沖合いで発生した強い大気の乱れによって生まれた。この「熱帯性低気圧カトリーナ」は、4日間かけてメキシコ湾上を通過するあいだに、まさに怪物へと変貌した。異常に高温化した海水(平年の8月より摂氏3度も高かった)から大量のエネルギーを吸い込んでカテゴリー5、風速290キロの大型ハリケーンとなり、高さ10メートルの巨大な高潮を生み出した。

 カトリーナが吸い取った熱エネルギーはすさまじいもので、「その通過後に一部の海域で水温が30度から26度へ急激に下がった」ほどであった(1)。カリブ海のハリケーンがこれほどまでに勢力を増した例は過去にもまれだ、と気象学者たちは震え上がった。カトリーナのこれほどの強暴化という事実がハリケーンの規模に対する地球温暖化の影響を示すものなのかという問題は、研究者の間に大きな議論を呼んでいる。

 29日火曜日の朝、ミシシッピ川デルタ地帯にあるルイジアナ州プラクマインズ郡に上陸したとき、カトリーナはカテゴリー4(風速210-249キロ)に衰えていた。しかしそれは、カトリーナの通り道にあたってしまった原油輸入港の町、小さな集落、ケイジャン(旧仏領カナダ移民の子孫)の漁村に住む人々にとってわずかな慰めにしかならなかった。プラクマインズ郡、それにミシシッピとアラバマ両州の沿岸部一帯で、カトリーナの手のつけようのない猛威が低湿地に襲いかかった。そのあとには、ヒロシマに負けないぐらい荒廃した風景が残されていた。

 当初、ニューオーリンズの130万人の市民は被害を受けないだろうと思われていたが、ハリケーンの進路は右にそれ、その中心は、同市から東に55キロの地点に移動した。最も強暴な突風は免れたものの、海抜下にあり、北のポンチャートレイン湖、東のボーン湖という二つの大きな塩水地帯に囲まれたこのルイジアナ州の大都市は荒れ狂う水に飲み込まれた。

 二つの湖にハリケーンが引き起こした高波により、黒人の多い東部地区と、白人労働者の住む隣町セントバーナードを防御するはずだった堤防が決壊した。この堤防の高さが不十分で、富裕層の住む地区の堤防に比べて低いことは周知の事実だった。公式の避難勧告は出ておらず、あふれ出した水は、寝込みを襲われた数百人の住人にとって死の罠となった。正午近く、これよりも強固だった運河地区の17番ストリートの堤防も決壊した。

 観光地フレンチクォーターとガーデンディストリクト、それにオーデュボン公園のような高台に造られた富裕層の住む地区は浸水を免れた。しかし、そこ以外はどこもかしこも屋根の高さまで冠水し、15万軒近くが被害をうけ、あるいは倒壊した。そしてこの街は、住民の支援に駆けつけることも新たな堤防を建設することもできなかった大統領に対する皮肉を込めて「ジョージ湖」という渾名を戴くことになった。

 「暴風雨は差別をしない」と主張したジョージ・W・ブッシュも、後日に認めざるを得なかった。この災害のうちに、階級および人種間の不平等の刻印を押されていないものは一つもない。ハリケーンは、すべてのアメリカ市民を守るという国土安全保障省の約束の化けの皮を剥いだだけでなく、黒人やヒスパニック系住民が多くを占める大都市を連邦政府がかえりみず、彼らの生死に関わる社会基盤の整備を怠っていたことを白日の下に曝したのだ。

重ねられたシミュレーション

 連邦緊急事態管理庁(FEMA)の信じられない無能ぶりはなんだったのか。それは、国民の生死に関わる機関の幹部ポストを、政界上層にうまく取り入ったというだけでやる気もなく、政府の介入はいかんとイデオロギー的に決め付けるような人物に与えることが、いかにばかげているかを示すものだった。FEMAの官僚主義による驚くべき腰の重さを考えると、政府がデイヴィス・ベーコン法(2)に基づく現行の賃金規定を一時的に停止したり、ハリバートン、ショウ・グループ、ブラックウォーター・セキュリティといった、イラクはティグリス川のほとりでボロ儲けしたばかりの企業の禿鷹ビジネスマンたちに、ニューオーリンズ再建と「治安」の門戸を開放した際の素早さには舌を巻くしかない。

 ニューオーリンズの苦悶が、連邦政府の怠慢によるものだとしても、責任は知事と市長にもある。ネーギン市長(民主党)はアフリカ系アメリカ人の富裕な企業家で、ケーブルテレビ会社の役員を務め、2002年に白人票の87%を得て当選した(3)。市民の安全の最終責任は彼にあり、住民のおよそ4分の1は貧しさ、あるいは身体的な事情から自動車を持っていなかった。2004年9月にハリケーン・アイヴァンに襲われた際に事前対策の不足が問題にされていたにもかかわらず、車のない人や病院の入院患者たちを避難させるために必要な手段を講じなかった信じがたいほどの無能さ加減は、ネーギン個人の無能を反映しているだけではない。そこで暴露されたのは、おんぼろ団地や街はずれに住む貧しい市民の命運など知ったことかという、この町の白人エリート層にも黒人エリート層にも共通したエゴイズムだ。

 これは予告された災害だったのだろうか。事実、国土安全保障省のチャートフ長官がいけしゃあしゃあと断言したのとは裏腹に、アメリカのこれまでの歴史のなかで、これほど正確に予想された災害はかつてなかったのだ。カトリーナがものすごい速度で勢力を増したことに専門家たちが驚いたのが事実だとしても、大型ハリケーンが及ぼす被害については、彼らに疑問の余地はなかった。

 今回カトリーナにやられた東部地区のかなりの部分が、1965年9月にも、ハリケーン・ベッツィによる洪水に襲われている。そのときの忌まわしい経験以来、ニューオーリンズの町の脆弱さについては徹底的に調査されており、この調査結果は広く知られていた。1998年のハリケーン・ジョージは幸いにもそれほど被害はなかったが、その後、いっそう研究が進められた。ルイジアナ大学による精緻なコンピューターシミュレーションは、南西からカテゴリー4のハリケーンが上陸した場合、町は「実質的に全壊する」という結果をはじき出した(4)。ニューオーリンズの堤防や防壁は、最大でカテゴリー3のハリケーンを防御できるよう設計されていたが、2004年に陸軍工兵隊によって行われた新たなシミュレーションでは、そのレベルのハリケーンを防御することさえもおぼつかないことが判明した。

 ルイジアナ州の沿岸部の防波島と湿地帯は恒常的な浸食を受けており(年間60-100キロ四方が水没している)、そのせいで、ニューオーリンズが高潮に襲われるたびに、波の高さが高くなっている一方、町とその堤防の地盤沈下がゆっくりと進んでいた。たとえカテゴリー3のハリケーンでも、進行速度がかなり遅い場合は町のほぼ全体が洪水に襲われる可能性があった(5)

 こうした予測の意味を政治家たちにもっとよくわからせる必要があったのなら、そのほかに、ハリケーンが直撃した場合に予想される被害を正確に算出した研究も発表されている。どのコンピューターシミュレーションでも恐ろしい数字がはじき出されていた。少なくとも都市部の160キロ四方が水没し、8万人から10万人の死者が出るというものだ。2001年、この調査結果を知ったFEMAは、ハリケーンによるニューオーリンズの洪水を、近い将来に合衆国本土で起こりうる三大災害の一つに数え上げた(他の二つはカリフォルニア大地震とマンハッタンのテロ攻撃である)。2004年、ハリケーンの活動が再び活発化しているという気象学者の発表を受けて、連邦政府は精緻なシミュレーション「ハリケーン・パム」を行った。またしても、数万人の被災者が出るとの結果がはじき出された。

 これに対するブッシュ政権の回答は、洪水対策を急かすルイジアナ州の要請をはねつけることだった。防御手段の役割を果たす沿岸湿地帯の大規模な再整備計画「コースト2050」という、10年にわたる研究調査と協議の成果は棚ざらしにされた。堤防の保守や建設のための予算は繰り返し削られ、ポンチャートレイン湖周囲の防波堤は未完成のまま放っておかれた。

FEMAの内情

 陸軍工兵隊もまた、ワシントンの新たな優先事項のあおりによる予算削減の犠牲者であった。つまり、高所得者層への大幅減税、イラク戦争への出費、そしてなんとも皮肉なことに「国土安全保障」費の増加といったことだ。政治的な下心があったのは言うまでもない。ニューオーリンズは黒人が過半数の街であり、ここの有権者はルイジアナ州の選挙でしばしば民主党を有利に導いてきた。あけすけに党派的な連邦政権がその政敵に対して、ニューオーリンズ周辺をカテゴリー5のハリケーンから守るために25億ドルもの贈り物をするはずがあるだろうか(6)

 事実、共和党の元下院議員であった工兵隊長が2002年に洪水対策予算の減額に異議を唱えたとき、ブッシュは彼を退任に追い込んだ。

 とはいえ、不公平な見方はしないようにしよう。連邦政府はルイジアナ州に、かなりの額の注ぎ込んできたのだから。ただし、それは港湾企業や海事企業のため、また共和党の票田地域に便宜を図るための施設工事の費用であった(7)

 予算面での蛮勇だけでは飽き足らず、ホワイトハウスはFEMAを骨抜きにするという無責任な手段に出た。この機関はウィット長官(当時は閣僚級の処遇)の時代には、クリントン政権の自慢の種の一つであった。1993年のミシシッピ川の氾濫や、1994年のロサンゼルス大地震の際、その効果的な救援活動には誰もが称讃を惜しまなかった。

 しかし、2001年に共和党員がFEMAの幹部ポストを手に入れると、彼らはまるで征服地を取り仕切るような姿勢で臨んだ。かつてブッシュ選挙陣営の首脳だったオルボー新長官は、主だった洪水・ハリケーン対策計画の多くを縮小した。2003年に退任すると、イラク関連の契約をゲットしようとする企業のためのコンサルタントに転職し、莫大な報酬を得た(そして、同じ路線をまっしぐらというわけで、先ごろルイジアナ州に舞い戻り、復興事業で甘い汁をたっぷり吸おうとたくらむ企業のために、事情通としての才能を全開させている)。

 2003年に国土安全保障省に統合され、省レベルから格下げになったFEMAは、組織がガタガタになって回らなくなった。2004年にはスタッフが、「災害予防に通じた幹部の代わりに政治家に縁故のある利権屋や、まともな経験も知識もない初心者が送り込まれてきたこと」を告発する文書を議会に送っている(8)

 オルボー長官の後任となったブラウン長官が、まさにそのものだった。災害予防のことにはズブの素人の共和党の弁護士で、履歴書は適当にでっち上げていて、大統領のお誉めにあずかった一週間後に解任された。ブラウンの下で、それまで多岐にわたっていた職務を狭められ、予算も削られたFEMAは、ひたすらテロ対策に努め、アル・カイダに対するマジノ線(9)の構築に突っ走るようになった。

 マイアミにある全米ハリケーン・センターのメイフィールド所長は、2005年8月28日のビデオ会議でブッシュ大統領(テキサスにて休暇中)と国土安全保障省のスタッフに対し、カトリーナがニューオーリンズを壊滅させる途上にあると警告した。「準備は万端だ。この種の自然災害は何年も前から想定していたからね」と、ブラウンは余裕を見せた。数カ月前から、このFEMA長官は国土安全保障長官とともに、新たな全国緊急対策計画を自画自賛していた。大災害が起きた場合には、さまざまな政府機関が空前無比の連携をとるはずだった。

 だが、実際にニューオーリンズ一帯で浸水が始まると、電話口に責任者を呼び出すのは到底不可能であることがわかった。救助隊員と市の職員は有効な通信手段を失っていた。FEMAがあらかじめ現地で調達しておくはずだった配給用の食糧、飲料水、砂袋、石油、移動式トイレ、バス、船、ヘリコプターといった必需物資も足りなかった。連邦機関に広く動員をかけるためには「全国的事件」という法的な認定が必要だったが、その認定を行うのにチャートフ長官は浸水が始まってから24時間あまりも費やした。

貧困層の追放

 屋根の上や病院のベッドの上で力尽きたニューオーリンズの数百人にとって、恐竜並みに鈍重な頭脳しかもたない国土安全保障省が、災害規模の公式認定にぐずぐずと時間をかけてしまったことは致命的だった。チャートフは9月2日の時点でもなお、世界中のテレビに流れたスーパードームの無秩序と絶望の情景を「流言飛語」にすぎないと述べ、全米公共ラジオ(NPR)のリポーターを唖然とさせた。ブラウンはといえば、「避難命令を聞こうとしなかった」犠牲者のほうに非があるのだといきり立った。自動車がなかったとか、車椅子でバトンルージュに向かうのは無理があるとか、そうした事情はまるで関係ないと言わんばかりである。人口の少なくとも5分の1が自力で町を脱出できない状況にあることは、複数のシミュレーションの結果でも示されていた(10)

 ラムズフェルド国防長官によれば、カトリーナの悲劇はイラクとは何の関係もない。とはいえ、ルイジアナ州兵の3分の1以上と重機のかなりがイラクに出払っていたことで、救助活動は初動の時点からつまずいた。救援の手が届いていれば、市庁舎にとっても有用だったはずだ。非常用発電機を動かすディーゼル燃料がないせいで、緊急司令本部は最初から使い物にならなかった。つながる電話が一つもなかったために、市長と側近は2日にわたって外界から遮断されていた。市が2002年以来のべ1800万ドルの連邦補助金を使って、こうした状況に職員を対処させる訓練を重ねていたことからしても、市政の運営体制が崩壊したのは驚きだ。

 2004年9月にレベル3のハリケーン・アイヴァンが来たときも(市への直撃は最後の瞬間に免れたが)、ネーギン市長は受け身の姿勢を厳しく批判された。このときも貧しい住民を避難させる手段は何も考えられていなかった。市当局はこうした批判を受けて、貧困地区向けに3万本のビデオを制作したが、配布はされていない。中身は「市が動くのを待つな。州が動くのを待つな。赤十字が動くのを待つな。さあ行け」というものだ。市がそのためのバスも電車も用意しない以上、貧しい住民は徒歩で避難するという想定である。スーパードーム内の衛生状態と治安が我慢の限界に達すると、数百人が徒歩で町を出て、郊外の白人地区グレトナに通じる橋を渡ろうとした。しかしパニックを起こしたグレトナの警察部隊は、人々の頭越しに射撃を始め、橋の手前に押し戻した。

 冠水のただなかに放置された住民の一部は、自分たちの市の信じがたい怠慢の背景に、ニューオーリンズの根深い社会的、人種的な亀裂を読み取った。地元の経済エリート、そして彼らと手を結んだ市の幹部が、貧困層を高い犯罪率の原因であるとして、市外に追い出したがっていたことは周知の事実である。ある地区では、昔から町の風景の一部になっていた公営団地が取り壊され、代わりに高級住宅とスーパーマーケットが建てられる。また別の地区では、子供が夜間外出禁止令を破ったという理由で、団地の住人が叩き出される。これらの行為の目的は、ニューオーリンズを巨大なテーマパークにして、貧困層を観光客の目に付かないよう、低湿地やトレーラー・パーク、刑務所などに押し込めることにあっただろう。

 こういうわけで、ニューオーリンズの白人度を高めて治安をよくしようと主張する一部の人々にとって、カトリーナは天の配剤だった。ルイジアナ州のある共和党指導者は、ワシントンのロビイストにこんなふうに語ったという。「やっと、ニューオーリンズの団地が片付いてくれたよ。我々ができなかったことを、神が代わりにやってくださったのさ(11)」。人影の消えた街路と瓦礫と化した居住区は、ネーギン市長にとっても願ったり叶ったりである。「我々の町から初めてドラッグと暴力が消えた。この状態を維持したいものだ」

 現在アメリカのあちこちで避難生活を送っている数万人の貧しい借家人に対して、地方行政や連邦政府が安い住宅を提供するために多大な努力を傾けないかぎり、ニューオーリンズはいわば民族浄化を見ることになりかねない。「低地第9区」のように海抜下にある貧困地区の一部を、富裕者地区を守るための貯水池に改造しようという話もすでに聞かれる。この点に関してウォール・ストリート・ジャーナル紙は、「そうなればニューオーリンズの貧困層の一部は自分の住んでいた地区に二度と戻れなくなってしまう」と指摘している(12)

イラクの次はニューオーリンズ

 ネーギン市長は、すでに「土地囲い込み運動」推進派への配慮を見せている。住民の75%がアフリカ系アメリカ人だというのに、全16人の復興特別委員会の構成を白人8人、黒人8人にすると発表したのだ。1990年代初めに大統領選の予備選挙で勝利を収め、世を震撼とさせたネオナチのデヴィッド・デュークの地盤だった郊外の白人地区も、自分たちの利益を擁護する構えでいる。隣のミシシッピ州の共和党指導層は、このルイジアナ州の大都市を民主党の金城湯池にしておくつもりはない。陽気な気風とジャズ文化の源流となったニューオーリンズの昔ながらの黒人地区が、これらの渦巻く利害のなかを無事に切り抜けられるとは思いにくい。

 ブッシュ政権はといえば、ケインズ主義の色濃い財政政策と超保守的な社会工学の取り合わせで、事態を乗り切りたいと考えている。周知のように、カトリーナの当座の影響は大統領に対する支持の急落、それにアメリカのイラク駐留に対する支持の急落だった。共和党の覇権が一時的に危うくなっている風向きだ。1992年のロサンゼルス暴動以来初めて、貧困や人種間の不平等、国家の介入といった民主党の古典的なテーマが世上の関心を占めるようになった。ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、エドワード・ケネディ上院議員のような進歩派がニューディール政策の復活(たとえばメキシコ湾岸の洪水管理と海岸線の復旧を行う大規模な連邦機関の創設計画)などという奇策に走る前に、共和党が「知的にも政治的にも攻勢を立て直す」べきだと檄を飛ばしている(13)

 極めて保守的なヘリテージ財団は、ブッシュをルイジアナの泥沼から引っ張り出そうとして、保守派の論客や共和党の下院議員、それにレーガン時代に司法長官を務めたエドウィン・ミースのような過去の人を集めた勉強会を次々に開催している。

 9月15日、大統領は復興についての演説を行うにあたり、人影のないままライトアップされたニューオーリンズ市内の由緒ある広場、ジャクソンスクエアを舞台とした。上気した面持ちで、200万人のカトリーナ被災者に対し、ホワイトハウスが財政赤字をいとわず2000億ドルにのぼる損害の大部分を負担することを約束した(それでも資産家向けに新たな大規模減税を提案するのを思いとどまりはしなかった)。

 大統領は次いで、その支持基盤の超保守派が前々から熱望していた一連の改革を発表した。教育や住宅のバウチャー(利用券)制度、教会の役割の強化、民間部門に対する大幅な税控除、「湾岸オポチュニティ区域」の創設、石油採掘に関わる環境規制その他の連邦規制の停止などだ。

 ジャクソンスクエアの演説は、ブッシュ語に通じた者にとって、記憶のツボを刺激するような味わい深いものだった。以前にもユーフラテス川のほとりで似たような約束を聞きはしなかったか。ポール・クルーグマンが新聞論説で酷評したように、イラクを「保守派の経済政策の実験場」にするのに失敗したホワイトハウスは、ピロクシー(ミシシッピ州)や第9区(ニューオーリンズ)の傷心の住民をモルモットにしようとしているのだ(14)。ブッシュ大統領の復興計画づくりに力を貸したのは「共和党研究グループ」である。この有力グループの世話役の一人であるペンス下院議員に言わせれば、共和党は被災地の瓦礫のなかから、資本主義の理想郷を出現させるという。「我々は湾岸を自由企業の誘致拠点にする。官が取り仕切るニューオーリンズを復興するなどというのは問題外だ(15)

 現在ニューオーリンズの工兵隊を指揮しているのが、以前イラクの土木工事を監督していた士官だというのは暗示的だ(16)。低地第9区が水中に消え失せようと知ったことではない。フレンチクォーターのキャバレー店主は今からほくほく顔だ。じきにハリバートン社の労働者、ブラックウォーター社の傭兵、ベクテル社の技師がバーボンストリートに連邦政府のカネをばらまきに来てくれる。「すてきな時間の過ぎゆくままに」。ニューオーリンズのケイジャンたちと同様に、ホワイトハウスでもそう言っているに違いない。

(1) Quirin Schiermeier, << The power of Katrina >>, Nature, no.437, London, 8 September 2005.
(2) ニューディール時代に施行された法律で、公共工事にあたって現地の最低賃金を遵守することを義務づけたもの。同法はかねてから、共和党保守派のターゲットになっている。[フランス語版編集部註]
(3) 2004年の大統領選でルイジアナ州ではブッシュが過半数をとったが(56.7%)、ニューオーリンズは伝統的に民主党の地盤である。
(4) Josephe Suhayda による研究で、以下にその記述がある。 Richard Campanella, Time and Place in New Orleans : Past Geographies in the Present Day, Gretna, Los Angeles, 2002, p.58.
(5) John Travis, << Scientists' fears come true as hurricane floods New Orleans >>, Science, New York, no.309, 9 September 2005.
(6) Andrew Revkin and Christopher Drew, << Intricate flood protection long a focus of dispute >>, The New York Times, 1 September 2005.
(7) << Katrina's message on the corps >>, editorial, The New York Times, 13 September 2005.
(8) Ken Silverstein, << Top FEMA jobs : no experience required >>, Los Angeles Times, 9 September 2005.
(9) 第一次世界大戦後にフランスが対独防衛のために築いた要塞線。難攻不落とされていたが、ヒトラーの電撃作戦によって突破される。[訳註]
(10) Tony Reichhardt, Erika Check and Emma Morris, << After the flood >>, Nature, no.437, 8 September 2005.
(11) バトンルージュ選出のリチャード・ベーカー下院議員の発言(Wall Street Journal, New York, 9 September 2005)。
(12) Jackie Calmes, Ann Carrns and Jeff Opdyke, << As gulf prepares to rebuild, tensions mount over control >>, Wall Street Journal, 15 September 2005.
(13) << Hurricane Bush >>, editorial, Wall Street Journal, 15 September 2005.
(14) Paul Krugman, << Not the New Deal >>, The New York Times, 16 September 2005.
(15) John Wilke and Brody Mullins, << After Katrina, republicans back a sea of conservative ideas >>, Wall Street Journal, 15 September 2005.
(16) << Mr. Bush in New Orleans >>, editorial, The New York Times, 16 September 2005.


(2005年10月号)

All rights reserved, 2005, Le Monde diplomatique + Seo June + Saito Kagumi

line
表紙ページ 本紙の位置づけ 有志スタッフ
記事を読む 記事目録・月別 記事目録・分野別
メール版・お申込 読者の横顔
リンク(国際) リンク(フランス)