中国が展開する非対称外交

マルティーヌ・ビュラール特派員(Martine Bulard)
ル・モンド・ディプロマティーク編集部

訳・岡林祐子

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 中国語では、ある単語の意味は、語そのものにもまして文中の位置関係に左右される。この法則は、中国の地政学的戦略にも完璧に当てはまる。北京から上海に至るまで、政府代表者や著名なシンクタンクの論客、それに大学研究者たちは、当節の流行語を看過するわけにはいかない。安定という単語である。

 この語の意味を正しく理解するためには、常に変化を続けるこの国の現状という文脈に置いてみなければならない。国家指導者たちは、これまでになく頻繁に外遊を行なっている。大学の研究の場は、かつてないほど外部に開かれており、政権の露払いという新しい役割を演じている。外国から潤沢な資金を得ている機関も例外ではない。たとえば、名だたる北京大学では国際関係学院の超現代的な3棟の建物が、左側の棟は香港の会社、中央はイタリア企業、右側は香港の別の会社の資金援助をそれぞれ受けて建てられた。各棟は別々の建築家が設計したが、全体としては調和がとれており、歴史的な景観にすっかり溶け込んでいる(1)。開放は放棄を意味しない。同様に、安定は硬直を意味しない。

 大多数の中国人にはとても手の出ない高級品の溢れ返る豊聯プラザの向かいにある外務省のオフィスで、孔泉報道局長はもったいぶって「中国は、何にもまして、安定した、発展につながる近隣関係の促進を望んでいます」と説明した。北京から1000キロメートル以上離れた上海の有名な復旦大学に赴き、米国国際開発庁(USAID)が費用の一部を負担した新築のアメリカ研究センターで、核問題の専門家であり、建前論を語らない沈丁立教授に話を聞いても、やはり安定という語がこぼれ出す。彼が何よりも恐れているのは、地続きの朝鮮半島や、中国の石油輸入の半分近くを支えている中東が、いつなんどき不安定になるやもしれないことだ。

 沈教授は独特の言い回しで、「現状維持外交」とも呼ばれるものを理解するための鍵を提示する。中国政府にとって、経済成長計画と世界的な野心を妨げかねない混乱よりも、あまり望ましくはないがアメリカが作り上げた既成秩序の方がまだしもだ。経済が成長すれば、国内の社会協約の基礎が確かなものになり、体制の長期的存続がともかくも保証される。世界的な野心というのは、孔局長の言い方を借りるなら「国際舞台において中国に与えられてしかるべき地位」を取り戻すことだ。今日の中国は、昨日の中国よりも発言力を持ち、より活動的である。しかしそれとて、さらに国力が向上した明日の中国の比ではないだろう。

 一般通念に反して、中国外交は経済だけで動いているのではなく、原料や穀物の確保だけを目指しているわけではない。たしかに国際関係は、エネルギーや食糧の確保に有利な方向に築いていく必要がある。しかし、経済という要素は、中国が地域そして世界の中で思い描く大きな自己像の一部をなすにすぎない。それは、国際的に認められるために欠かせない、平和的な舞台装置の部品なのだ。「過去500年間の歴史」という言い方をよく耳にする。強い経済力なくして、主張が聞き入れられた国はない。

 ごく最近の中国の歴史は、三期に分けて考察することができるだろう。第一期は、いまだ報道がご法度の天安門事件(2)に関連する。事件のトラウマは、体制自体が問題視されることへの恐れから生じているわけではない。反体制的な政治活動は相変わらず禁じられている。ただし知識人にとっては、事件によって逆に活動の自由が広がった。よく指摘されるように、中国政府が外国向けに支払った代償は大きい。ソ連が軍事用を中心としたハイテク機器を中国に供給する余力を失っていた時期に、西側諸国が対中禁輸を始めた事態もその一例である。

トップではなく中心を占めること

 天安門事件の衝撃は、米中の「蜜月」の終焉が始まったことを告げていた。アメリカとの良好な関係は、1971年10月25日に台湾に替わって中国が国連加盟を認められ、その翌年ニクソン大統領が訪中して以降、経済発展の一要素となった「戦略的パートナーシップ」を築くに至るまで、およそ20年間続いた。次いで、両国は長い失望の時期に入る。多数の事件(1999年に起きたベオグラードの中国大使館空爆事件など)が起こり、アメリカは中国が目の敵にするライバルである日本との関係を強化した。

 二つ目の重要事件は、ソ連の崩壊である。この反目していた同志の消滅を惜しむ者はいない。しかし、ソ連がアメリカとの無意味な対立で疲弊し、軍拡競争で出費が嵩んでいたことは、多くの大学研究者の指摘するところだ。ある国防問題の専門家は、匿名にするようにと念を押して、こんなふうに言う。「アメリカは競争と軍事費の激増を煽ろうとします。しかし、我々は国防を強化するために軍備を近代化するだけに留めなければなりません」。中国の軍事費がすでに国内総生産(GDP)の2.4%に上っていることからすれば、この「抑制」は事実というよりも見せかけにすぎない。しかし、予算の増額を要求する参謀部門に対しては、大いに意義のある主張となる。

 より一般化すれば、中国外交筋の見るところ、世界が二つの陣営に分かれていたことが、結局のところ多大な出費を引き起こしたのだ。アメリカが体現する「一極世界」を誰もが不満に思ってはいるが、「二極世界」に戻りたいと願う者はない。たとえば、発展途上国の盟主になるなど論外だ。それは諦めを意味する。孔局長は、アフリカ(3)やラテンアメリカの国々との関係の重要性を強調して、次のように述べる。「我々は多くの発展途上国とともに、国際機関の民主化という問題意識を持っています。しかし、それで一極を形成することは問題外です。冷戦の構えから脱却しなければなりません。『発展の分かち合い』の方が好ましい。相互の譲歩を前提とした交渉の構えを確立しなければなりません。貿易が発展すれば争いが増えます。交渉の精神で問題を解決しなければなりません」。制度に縛られた精神ではいけないということだ。

 実のところ、中国政府の意図は、自国が第一級の地位を、ただしトップではなく中心を占めるような多極世界の構築に参画することにある。中国は、支配ではなく影響力の行使を目指している。両者の微妙な違いは字面だけのことではない(4)。この国が栄華を極めた11世紀から17世紀にかけて、世界最大の艦隊を保有し、高い経済力と技術力を備えていたにもかかわらず(5)、ヨーロッパ人と違い、ひとつの民族も文明も滅ぼすことはなかったことを思い出されたい。

 三つめの重要な出来事は、中国政府が1997年から98年にかけてアジアを襲った金融危機をうまく利用したことだ。為替管理を維持し、国際通貨基金(IMF)からの圧力をはねつけることができた唯一の国であった中国は(6)、日本を含むすべての国が低迷していた時に、発展の機会を失わずにいた唯一の国でもあった。さらに良いことに、人民元の相場をドルに固定していたので、金融危機の只中にあったアジア地域の安定回復に一定の役割を果たすことができた。困難に直面していた「小竜」諸国に対して、低率の融資や援助さえ提供した。

 政権内部の新世代指導者は、胡錦濤主席の提唱する「4つのノー」に基づいた戦略方針を徐々に打ち立てた。それは「覇権主義にノー、力ずく政治にノー、ブロック政治にノー、軍拡競争にノー(7)」、つまり「信頼関係を築き、困難を緩和し、協力関係を発展させ、対決を回避する」ということだ。大国アメリカやアジア地域の競合諸国に引き比べて自らの弱点を意識する中国政府は、「非対称外交」と呼べるような外交を展開している。二国間関係を重んじつつ地域の国際機関にも積極的に参加し、全方位的に経済関係を強化しつつ過去の領土問題を縮小するという、きわめて機動的な外交である。

ロシア・インド・朝鮮半島

 たとえばロシアとは、2005年6月2日にウラジオストックで、東部国境に関する協定に調印した。この紛争は4300キロメートルにわたる国境線のわずか2%をめぐるものであったが、第二次世界大戦後の両国関係を損ねてきた。「国境線の全てが法的に画定されるのは、中ロ関係史上初めてのことだ」とプーチン大統領は交渉の最終段階で述べた。

 その数週間前の2005年4月11日、インドのシン首相と中国の温家宝首相が、1962年以来対立の種となってきた国境問題の解決に向けた議定書に署名した。インド北東部では、中国がアルナチャル・プラデシュ州の大部分(9万平方キロメートル)の領有権を主張し、北西部では、インドがカシミール地方のアクサイ・チン地区(3万8000平方キロメートル)の領有権を主張してきた。孔局長は「我々はまだ協議を開始したにすぎません。しかし、国境問題を公式文書で取り上げたのはこれが初めてのことです」と指摘する。歴史的な一歩であり、中国政府は引き続き、この二つの人口大国の間に自由貿易圏を創設することを望んでいる。

 インドとの新しい外交関係が、かつての同盟国、中でもパキスタンとの関係に影響を及ぼさないはずはない。「インドとパキスタンの紛争に関して、我々は中立的になりました」と北京大学で面会したアジア・アフリカ研究所の楊保ユン[最後の字は竹冠に均]教授は断言する。彼によると、パキスタン政府は「長い間、緊張関係から利益を得てきた」が、「考え方が変わり始めている」という。たとえば、60年前から閉鎖されていたカシミール横断バスの運行が再開したことも、この変化を物語るものだ(8)

 中国の「平和的台頭」の徴候は他にもある。たとえば、原子爆弾を製造する心づもりがあると公言した北朝鮮とアメリカとの間に2002年10月に始まった危機に介入した。中国政府は、この問題を解決するために設けられた六者協議(中国、韓国、北朝鮮、日本、ロシア、アメリカ)の発案者として、ブッシュ政権の激しい声明でますます憤慨する北朝鮮を宥めようと苦心している。

 中国が朝鮮半島の核武装化を望まないのは明らかであり、もし北朝鮮が「核実験を始めるなら、我々は援助を打ち切ることになる」と楊教授は明言する。しかし、どのような圧力をかけるべきかについては見解が分かれている。部分的にでも援助を打ち切るべきだと考える人は、2003年にうまいタイミングで「技術上の事故」が起きたおかげで、北朝鮮への石油の引き渡しを減らし、金正日総書記を交渉再開に応じさせたという前例を挙げる(9)。しかし、沈教授のように、すでに惨憺たる状況にある同国の体制は「援助が打ち切られれば、希望を失い、最悪の事態に向かう」ことになると考える人もいる。

 ある元外交官は、一言でいえば「朝鮮は不愉快な重荷になっています」と言う。「権力者一族のために、人々が飢えて死ぬような政体です。しかし、中国は身動きが取れず、前に進むことも後戻りすることもできません」。軍の一部には、結局のところ核武装化はそれほど重大な問題ではなく、紛争の際に「朝鮮が中国の前哨となることに変わりはない」といった発想もある。とはいえ、中国政府は積極的な外交を展開するために、同盟政策を修正する心得もあることを(ワシントンに対してはともあれ、少なくとも近隣諸国に対して)見せつけてきた。その証拠に、古くからアメリカの同盟国であり、北朝鮮の不安定化を危惧する韓国との関係を強化した。韓国は、東ドイツの統合に伴うドイツの困難を見て、隣国の独裁体制に対して慎重な姿勢を取るようになっている(10)

日本との関係の悪化

 中国という虎の足元にささった大きな棘が日本である。「過去30年の間に、両国関係がこれほど悪化したことはありませんでした」と楊教授は気を揉む。取材した人々すべてが同様のことを口にした。占領期に日本が犯した罪を矮小化する歴史教科書や、戦犯が祀られている靖国神社への小泉首相の参拝など、日本が自国の歴史を正面から見つめ直そうとしないことが何度も話題にされた。中国自身が自国の歴史に対して明晰で批判的な視点を持っているとは言えない。しかし、日本軍による占領の拠点となった中国北東部の瀋陽(旧奉天)にある博物館を訪れてみれば、彼らのトラウマを理解する助けになるだろう。そこには、1931年以降に日本軍が行なった殺人、拷問、医学実験の証拠品、さらに日本の要人が最近行なった修正主義的な発言の内容が展示されている(11)。2005年春の、よく統制の取れた学生が主体となり、労働者の参加がほとんどなかった反日デモを話題にすると、北京と同様にこの町でも、しばしば次のような反論を受けた。「もしドイツの指導者が戦争犯罪者の墓参りをしたら、あなたはどう言いますか」

 制海権の上で戦略的な位置を占める海峡にあり、日本では尖閣、中国では釣魚台と呼ばれる列島に関する領土問題に加え、米日間の軍事協力強化も批判の的になっている。大阪大学の坂元一哉教授は「日本は過去60年にわたり目立たないようにしてきたが、今や太平洋地域におけるアメリカの保安官代理としてオーストラリアに取って代わろうとしている。そして、21世紀におけるアメリカ国防構造の柱の一本になった」と考えている(12)。日本国憲法の見直し(13)、イラクへの部隊派遣、米陸軍第1軍団司令部(太平洋とインド洋における軍事作戦を担当)のアメリカ西海岸から東京南郊のキャンプ座間への移転などを見れば、この説にも一理ありそうだ(14)。両国の軍事協力強化は、中米日3カ国のきわめて特殊な関係における主要な争点ですらある。

 さらに、アメリカは日本の国連安全保障理事会の常任理事国入りを支持している。中国は直ちに拒絶し、拒否権の発動さえほのめかしている。「安保理入りを考える前に、日本は地元諸国のコンセンサスを取り付けるべきだろう」と中国の王光亜国連大使は2005年6月26日に発言した。中国政府は、小泉首相の軍国的な傾向に激しく抗議した韓国(15)、同じく常任理事国入りを目指しているインド、そして中国の圧力が効くような経済関係を築いているアフリカ諸国を味方につけることで、この勝負に勝てると考えている。

 そして、台湾が日米安保条約の対象に明記されたことで(16)、中日関係は決定的に悪化した。1972年の国交正常化以来、日本はずっとこの問題から距離をおいてきた。アメリカ自身も「一国二制度」を方針としてきた。ある外交官に言わせれば、台湾が中国に統合されるには「100年かそれ以上かかる」が、「分離は不可能」であり、住民、軍、政府にとって容認できるものではない。

 したがって、ここ数カ月の強硬な発言や、2005年3月に採択された反国家分裂法は、攻撃的というよりは防御的なものであるといえる。台湾とその同盟諸国にとって越えてはならない一線を明確にしたわけだ。軍事作戦を行なえば、政治的、外交的、経済的な代償は計り知れないものになるだろうと、誰もが認めている。しかし2005年7月中旬に朱成虎少将は、「アメリカが中国の領土を攻撃すれば、我々は核兵器で反撃せざるを得ないだろう」と言い放った。個人的な発言ではあったが、これを否定する見解は出されていない。中国政府は、アジアと世界における大きな飛躍の機会として重視する2008年のオリンピック開催直前に、台湾が独立宣言するのを恐れている。それが威嚇、また他方では懐柔につながっている。

 かつての敵であり、1949年以来中国に足を踏み入れていない国民党(17)の指導者たちは、2005年5月初旬、盛大な歓待を受けた。胡錦濤主席は、最近ラテンアメリカ諸国を歴訪して、石油(ベネズエラ)、原料、穀物、大豆(キューバ、メキシコ、ブラジルなど)の確保という主要目的に加え、「台北と緊密な関係のある」主に中央アメリカの国々に対して「中国がそれ以上に大きな市場であること」を知らしめようとした。さしあたり、中国の指導部は、対中投資を行なった8000人ほどの台湾人企業家が台北に圧力をかけることを期待している。ブッシュ政権はこの同盟相手の独立気運を抑えにかかり、日本も動きを控えるようになった。

中国の前途

 対立が沈静化したわけではない。ある元外交官は次のように述べる。「歴史の中で、この地域には強い中国と弱い日本、それから弱い中国と強い日本の時代があった。今後は日本と対等な中国が出現するだろう。そうすると、日本はバランスを失うことになる」。力関係は一転するが、力の均衡にはほど遠い。中国は、日本をしのぐアジア第一の対米輸出国であり、主に米国債からなる外貨準備高では日本に次いでアジア第二位である。しかしながら、中国のGDPは日本の約40%しかない。もし中国がワシントンに対して、銀行家の役割から降りてドルを売ると脅したとしても、日本がすぐにドル防衛のために介入するだろう。

 力関係が不均衡であるにせよ、競争は続いている。日本の側が「政治小国」の地位を脱し、アジア地域における世界のリーダーの役割を果たすことを目指せば(国連安保理の常任理事国入り、それは中国に限らず近隣諸国が広く危惧する日本の再軍備を引き起こすだろう)、中国の側は世界におけるアジアのリーダーとしての役割を確立しようとして、多国間機関に活動の場を広げている。2001年に世界貿易機関(WTO)に加盟したことで、中国は決定的な一歩を踏み出した。また、地道な働きかけにより、まさに冷戦期の機構である東南アジア諸国連合(アセアン)(18)でも足場を固めた。1991年にオブサーバーとなった後、現在では諸機関に加わっており(19)、さらに2004年11月にはアセアンとの自由貿易圏の創設を合意にこぎつけた(20)

 中央アジアでは、2001年6月に上海協力機構を(ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンとともに)設立し、自国の貿易上の目標(石油の調達など)をあらわにした。アフガニスタン戦争以後、この機構は大きく政治性を帯びた。中国はロシアとともに、域内への米軍基地建設を懸念しており、他の諸国とも、独立運動と目されるイスラム主義運動(中でも中国内のイスラム教徒であるウイグル族による運動)への懸念を共有する。最近キルギスが行なったように、反体制運動を粉砕するのに中国が抵抗感を覚えることはない。

 つまり、アメリカの研究者デヴィッド・シャンボーが記したように、「中国政府の二国間または多国間の外交は、アジア地域で非常に巧みに信頼を得てきたのだ。その結果、大半の国が中国を良き隣人、建設的なパートナー、話を聴いてくれる相手、恐怖感を与えない地域大国として見ている(21)」。だからといって、新しい発展モデルとして、外交問題評議会(アメリカ)と外交政策センター(イギリス)のメンバーであるジョシュア・クーパー・ラモが示唆するような「北京コンセンサス」(22)が存在するといえるだろうか。中国が、アジアの経済・政治連合の頭目になりうるだろうか。それに足る経済力を持ち合わせていないことは確かである。この国の輸出の3分の2は、自国に進出し、国外で設計された製品の組み立てを行なう外国企業によって占められているのだ。

 たしかに、中国はいくつかの最先端部門(光ファイバーや携帯電話など)に食い込んでいる。有名ブランドの獲得や技術移転を目的として、外国の研究所を誘致したり、企業を買収したりすることで、高級商品にシフトしようと躍起になっている。目下のところ、中国の成長は勢いはあるものの、脆弱な金融制度のために不安定でもあり、生産の面ではアセアン諸国と日本に、輸出の面では欧米諸国に大きく依存した状態にある(23)。たとえばアメリカとの関係にわずかでも障害が生まれれば、それは中国の活況に対する事実上のブレーキとして働き、一触即発の政治問題となってしまうだろう。

 専門家の中には、ヨーロッパの仏独関係のような中日関係を夢みる者もいる。2005年春の反日デモが繰り広げられていたのと同じ時期に、北京で日本、中国、韓国の知識人が集まって討論会を開いた(24)。3カ国の歴史学者が共同編集した教科書も5月に刊行された。しかし、こうした動きはまだ周辺的なものに留まっている。そしてアメリカは、この地域で権力(軍事力の傘)の委譲を進めるつもりがあるとしても、地域大国の出現をすんなりと受け入れるようには思えない。それが日本であれ、まして中国ならなおさらだ。

 しかしながら、中国は速やかに、混乱なしに前進していくことを望んでいる。それでも、ある外交官が言うには「なんらかの魅力的な文化を持っていなければ、影響力を行使することはできません。たとえば大昔は中国語がそうでした。消費だけでは不充分なのです。西洋のコピーではない独自の価値観を作り出さなければなりません」。そのために立ち働いている者もいる。しかし、彼らには公共の議論の場がない。取材協力者の一人が言ったように、政治的自由を封じれば「中国は自らを封じる」ことになるだろう。

(1) 北京大学は、1860年10月、アヘン戦争の折に仏英軍が略奪した円明園に隣接している。
(2) 1989年6月4日、労働者を交えた学生のデモが大規模に弾圧された。この問題は、たとえば北京の清華大学では社会運動の歴史を扱う講義で論じられているが、他の場所では有無を言わせない検閲が実施されている。中国に住む外国人やごく一部の親仏派だけが視聴するフランスのテレビ局TV5のニュース番組も検閲の対象となり、アナウンサーがこの事件に触れるやいなや画面が暗転した。
(3) ジャン=クリストフ・セルヴァン「アフリカに経済攻勢かける中国」(ル・モンド・ディプロマティーク2005年5月号)参照。
(4) フランソワ・ジュリアン『外(中国)について考える』(スイユ社、パリ、2000年)参照。
(5) See Angus Maddison, << Chinese economic performance in the long run >>, Development Centre of OECD, Paris, 1998. フィリップ・S・ゴラブ「植民地化以前のアジアの繁栄」(ル・モンド・ディプロマティーク2004年10月号)も参照。
(6) この金融危機の間、マレーシアは為替管理を再導入した。中国は2005年7月に元をわずかに切り上げた。
(7) 2004年4月の演説。以下の文献による。Joshua Cooper Ramo, The Beijing Consensus, The Foreign Policy Centre, London, 2005.
(8) 2005年4月7日以降、172キロメートルに及ぶバス路線がカシミール地方のパキスタン側のムザファラバードと、インド側のスリナガルを結んで運行している。
(9) 2004年9月、国際問題専門誌『戦略と管理』が北朝鮮を厳しく批判する記事を掲載したために、停刊に追い込まれた。
(10) イグナシオ・ラモネ「韓国の危惧」(ル・モンド・ディプロマティーク2005年7月号)参照。
(11) 展示には、再軍国主義化に反対する日本国内の一連の声明とデモに関する内容が追加された。
(12) Quoted by Simon Tisdall, << Japan emerges as America's deputy sheriff in the Pacific >>, The Guardian, London, 19 April 2005.
(13) 憲法第9条の規定を削除すると、日本は自衛隊を正規軍に変えることができるようになる。
(14) See Chalmers Johnson, << Coming to Terms with China >>, http://www.tomdispatch.com/index.mhtml?pid=2259
(15) 2005年3月23日に盧武鉉大統領が発表した「国民へ宛てた談話」。
(16) 1996年に調印された戦略合意が、2005年2月20日にワシントンにおいて見直された。
(17) 蒋介石が率いた国民党は1949年に台湾に退いた。この政党は50年間台湾の与党であったが、現在は野党になっている。
(18) 1967年、バンコクにおいて創設された。加盟国はマレーシア、フィリピン、タイ、インドネシア、シンガポールであった。後にブルネイ、ヴェトナム、ミャンマー、ラオス、カンボジアの各国が加盟した。
(19) 中国はアジア太平洋地域の安全保障問題を扱うアセアン地域フォーラム(ARF)と、アセアン+3(中国、韓国、日本)に参加している。レジーヌ・セラ「中国、地域大国」(雑誌『国際問題』第6号、2004年3-4月)参照。
(20) 関税は2010年までに段階的に廃止される。
(21) << China engages Asia. Reshaping the regional order >>, International Security, Washington, vol. 29, no. 3, Winter 2004-2005.
(22) The Beijing Consensus, op. cit.
(23) 中国は日本とアセアンの経済成長の牽引車的な役割を果たしているが、これら諸国との貿易は赤字に転じている。中国の輸入の大部分は中間製品で占められており、これを加工して輸出しているのだ。このため、中国の経済は脆い構造になっている。
(24) 「新空間を求めて」と題した円卓会議の議事録が、雑誌『読書』第6号(北京、2005年6月)に掲載されている。汪暉「アジア概念の再構築」(ル・モンド・ディプロマティーク2005年2月号)も参照。


(2005年8月号)

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