欧州への「ノン」を「ウイ」に変えるためには

アンヌ=セシル・ロベール(Anne-Cecile Robert)
ル・モンド・ディプロマティーク編集部

訳・三浦礼恒

line

 まるで押し込み強盗のように、欧州をめぐる議論に一般市民が乱入した。2005年5月29日にフランス人が、次いで6月1日にオランダ人が、欧州憲法条約をはっきりと否決したのである。この事態を受け、イギリスではブレア首相が国民投票の予定を断念する決意を固めることになるだろう。チェコの大統領は既にプラハで同様の意向を表明している。キリスト教民主同盟(CDU)所属のドイツ下院議員、ペーター・アルトマイヤーも「国民投票を行ったら、ドイツ人も反対の票決を下すだろう」と言う(1)。加えて言えば、うんざりするほど聞こえてくる「もう一つのヨーロッパ」を求める声には、ヨーロッパの首脳たちの宿命論的な発言にも鈍ることのなかった期待感が表れている。

 欧州統合構想は、社会的な要求と民主的な要請を満たすものでなければならない。さもなければ、その存在意義は失われる。憲法条約は、起草者たちに言わせれば「必要不可欠だが不完全な」妥協だそうだが、もはや人々の賛同を集めない。渋々ながらの賛同さえもない。実際、もしヨーロッパが生活水準を(雇用、生活不安の改善、購買力、環境といった面で)上げられないのなら、なぜそんなものを構築する必要があるのか。有権者たちはここで初めて、自分たちに適用されている政策、なかでも特に経済政策が、欧州連合(EU)のレベルで下される選択と結びついていると考えるようになったのだ。2002年にフィレンツェ、2003年にパリ、2004年にロンドンの欧州社会フォーラムで見られたように、こうした意識がEU25カ国、4億5600万人の間に広まっているように見える。

 憲法条約の否決という結果を前にしたEUおよび各国の首脳たちは、この理解できない事態に茫然自失となった。彼らの時として傲慢な反応は、ヨーロッパの構築を民主的にやり直す必要性があることを示している。適切な手続きを踏まずに「憲法」を起草するという考えからして、EUに貴族政のごとき色彩を与えるものだ。民衆からの委任がないままコンベンション(制憲会議)によって起草された条約文書は(2)、ルイ18世が1814年に王政復古の基本憲章を民衆に「授けた」ことを思い起こさせずにはいない。

 EUによる決定が市民の日常生活に影響を及ぼすという状況下で、その正統性自体に疑問が突きつけられている。実際、ブリュッセルの諸機関は権力分立の原則を尊重せず、専門官僚制、ロビーの影響、議会の論議、政府間交渉をない交ぜにし、透明性と政治責任を軽視してきた。今回の憲法条約に規定された請願権は、重々しく「市民発議権」と名づけられているが、表現の自由という本来的な権利を確認しているにすぎず、普通選挙の排除という構造的な欠陥を補正するものではまったくない。

 また、市民団体と定期的に対話を重ねることをEU諸機関に促しているI-47条も、選挙プロセスの排除を既成事実化しているように思われる。更に、欧州中央銀行(ユーロと金利に関連する政策の選択はそのまま最終決定となり、各国政府による統制が及ばない)は、EUレベルの民主的モデルが欠如していることを象徴的に示している。これは驚くべき転倒であり、1948年の世界人権宣言に照らせば基本権の侵害のそしりを受けるのではなかろうか。同宣言の第21条3項には「人民の意思は、統治の権力の基礎とならなければならない」ことが記されている。

 EUの民主化は根本的なタブーに触れる。つまり、連邦主義、超国家主義、国民主権などの中から、いずれのモデルを選択するのか、という問題だ。この問いは、困難な議論を引き起こすという理由から、最近まで注意深く回避されてきた(3)。だが、あくまで回避を続けるというのも難しそうだ。様々なモデルを混ぜ合わせた形を考えざるを得ないだろう。すると今度は別の疑問が起こってくる。EUの中で民主制の根拠とすべき正統性はどこにあるのか、という問題だ。国民投票で条約の批准が容認されれば、こうした問いが立てられることはないくせに、批准が否決された場合には、一般市民の意思表示を過小評価しようとする動きが起きる。例えば5月29日のフランス国民投票の結果を受けて、既に「ヨーロッパの全人口の49%を占める」9カ国がこの条約を承認済みであるとの指摘が示された。こうした対比に何かしらの意味があるのだろうか。一つだけ言えるのは、EUがここまで重要になった以上、それは確実に政治的かつ民主的な責任を負うものであるべきだということだ(4)

 欧州統合構想の内容に公然と異議が唱えられているだけに、この責任という点は絶対に重要である。今日まで欧州共同体の構築は、1951年に欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)を考案したジャン・モネの名にちなみ、モネ方式と呼ばれる手法を基礎としてきた。具体的な計画を歯車式に連ねることでヨーロッパを構築するという手法である。断固とした連邦主義者であったモネは、この方式の下で公論を回避することによって、目標を達成できると考えていた。公論は際限のない議論を生み、しばしば失敗の原因となると見ていたからだ。ところが数十年間にわたって逃げ回ってきたあげく、今回の憲法条約否決という結果を受けて、今まで禁じられてきた問いが立てられるようになった。欧州構築の目的とは、結局のところ何なのか。

 欧州構築への賛同や、それに伴う犠牲を正当化するには、もはや平和の理想だけでは不充分である。モネ方式は効果的ではあったが、市民やその関心事を置き去りにして、技術と経済と法律の連合体という「怪物」を作り上げた。この矛盾を見るがいい。EUは全てを手がけているらしいのに、雇用や社会的進歩、国際法、第三世界との連帯といった重要問題は手がけない。共通農業政策の帳尻合わせのような技術的な「快挙」を実現する力はあるらしいのに、各国の歴史の所産たる社会モデルを守ることには無力である。

「もう一つのヨーロッパ」への障害

 ヨーロッパの構築は、徐々に自由主義グローバリゼーションと同一視されるようになった。この罠の中に徐々に吸い込まれていった庶民階級と一部の中産階級は、ジャングルの中でもがいているように感じている。自由主義グローバリゼーションと切り離さない限り、ヨーロッパの構築が固有のアイデンティティの確立として、住民の賛同を集めることができるとは考えにくい。両者を切り離すのは、もう一つのヨーロッパを作り上げるのに必要不可欠な目標でありながら、大きな困難を伴う仕事となる。

 実際、最も衝撃的なのは、EUが固有の政治・社会モデルを構築することに無力であるという点よりも、そうした仕事に頑として取り組もうとしない点である。EUは現在まで、国際的な束縛からの脱却を目指そうとしなかったどころか、この束縛を助長してきた。世界貿易機関(WTO)の交渉に当たり、欧州委員会は各国政府からの委任の下、2001年のドーハ会議や2003年のカンクン会議で見られたように、自由貿易の急先鋒を務めている。EUは金融と自由主義のグローバリゼーションの論理に自らが従うだけでは満足せず、2000年のコトヌ協定に見られたように(5)、南の国々にも熱心に押しつけようとしているのだ。

 とはいえ、グローバリゼーションとの癒着がEUの遺伝子に書き込まれているわけではない。欧州経済共同体(EEC)を創設した1957年のローマ条約では、域内農作物の優遇を規定していた。ロメ協定などを通じて南の国々を援助するためには、自由貿易主義の教条をひねり倒すことなど意に介しはしなかった(6)

 貿易量が世界最大となった現在のEUの基本路線は、域内の人々の利益に適うよう、現在のものに替わる国際関係のビジョンを強く打ち出したりはしない、というものだ。この二枚舌を見よ。EUの諸条約は、ますます自由貿易主義、商業主義の色彩を強めているにもかかわらず、世界の中でEUの地位を確立する手段であると説明されてきた。この倒錯を見よ。人々を互いに競争関係に導きながらのEUの拡大は(本号の記事参照)、中東欧の国々との「連帯」の名の下に進められてきた。EUは、アメリカに代わる列強になるというお題目に終始するばかりで、自己のアイデンティティを打ち立てる固有の価値観を擁護しようとはしない。シラク大統領は、この5月31日のテレビ演説で「ヨーロッパは我々の力を増幅させる」と明言した。だが、イラクでのアメリカの戦争では、全く逆に、世界の地政学の上でEUが物の数に入っていないことが露呈された。イギリスのブレア首相、EUのバローゾ委員長、スペインのアスナール首相のヨーロッパとは異なるヨーロッパの声を響かせ、国連を信頼の失墜から救ったのは、フランスそして「平和陣営」の同盟諸国による厳かな拒絶だったのだ。

 物の数に入ろうとしない原因はいくつもある。それらに立ち向かうことが今こそ必要だ。第一に、いわゆるモネ方式の下で、公論が最初から却下され、ヨーロッパを公共空間として構築することが妨げられてきた。そして25カ国によって構成されるヨーロッパでは、共通市場が最小公約数として大手を振るっている。第二に、ほとんどフロイト的と形容できるような一部諸国とアメリカとの関係が、ヨーロッパの自立の障害となってきた。歴史的な同盟を危うくするのではないかという不安が、戦争や法、暴力や死刑、個人とマイノリティーの地位に関して、ヨーロッパ的な価値観を確立しようとする動きを抑圧しているのだ。第三に、歴史の重みが全うされたわけではない。例えば、政治主体としてのヨーロッパを規定しようとする動きは、力を持つことへの恐れ、植民地や帝国主義、更に国によってはファシズムの過去を顧みての恐れ、という壁に突き当たっている。しかし、そうした逸脱は致命的なものではない。平和主義や反植民地主義、互助組織、労働組合の運動も、同じくらい歴史に根ざしているからだ。

 社会福祉と政治の主体としての、もう一つのヨーロッパは、こうした障害を乗り越えることなしには構築できない。それらがEUの共通利益の設定を妨げているからだ。例えば、南の国々からは多くの人々がEUに移民し、その発展に寄与しているが、EUはアメリカの対テロ戦争に加わることで、これらの国々との関係を単なる治安問題とする見方を強めている。南の国々との協力関係は今や自由貿易の拡大に終始しており、ヨーロッパ・地中海パートナーシップはただのお題目となってしまった。

 想像力を働かせ、広く欧州統合構想を再点検してみることが、EUとその住民のために必要であるように思われる。この作業は、EUの権限を明らかにし、更には見直すものとなる。これまでの歯車式によって、EUの権限は次から次へと雪だるま式に膨れ上がってきた。こうして共通市場は、各国政府の統制が及ばない単一通貨と中央銀行の創設という結果を生み出した。連邦準備制度理事会(FRB)がホワイトハウスと注意深く戦略調整を図るアメリカとも異なる状況である。だが、この中央銀行による政策選択は、加盟各国の金融政策、特に予算と税制の方針を大きく左右する。つまり最終的には、住民の購買力の推移を大きく左右している。

 共通市場がこのように捉えられた結果、極めて多様な分野で欧州規格が数多く定められるようになった。製品の内容物の明確化(象徴的な事例としてチョコレートが挙げられる[7])、公衆衛生面でのルール、また特に共通農業政策や環境政策で顕著に見られる。

これから取り組んでいくべきこと

 このように何もかもを混在させてしまう論理では、25カ国によるヨーロッパの中で、合理性と透明性の欠如がさらに悪化するおそれがある。ならばEUの権威を高め、充分に機能させるためには連邦主義でいくしかないと言う者もいるが、そこでは連邦構想が政治的に正統な根拠を持つのかという点までは検討されていない(8)。生み出された無秩序は、人々を翻弄する暴力の増大をいわば正当化するものとなっている。むしろ必要なのは、EUの権限をいくつかの軸、つまり雇用、社会的進歩、産業分野と科学分野での協力、平和といったことに絞り込むことではないだろうか。共通農業政策を再び各国の手に戻すというドイツの考えは、確かに財政上の理由から出てきたものではあるが、加盟国とEUの間で新たに権限を配分し直すという展望が可能であることを示している。

 経済自由主義と自由貿易に対して包括的な批判を行うにとどまらず、社会福祉の主体としてのヨーロッパを実現するという企ては、部分的にはEUの権限問題と結びついている。こうした経済分野での統合という現状を前に、社会保障制度の統一化をハイレベルから図っていく方向で、社会福祉分野での統合を実現する必要があるのではないだろうか。例えば共通市場やユーロの実現が可能だったように、こうした政策の内容を定める協定を結ぶことも可能ではないだろうか。少なくとも、後退禁止条項を一般化することが必要だと思われる。そうすれば、各国の法制を後戻りさせる論拠としてEUのルールを持ち出すことはできなくなる。しかし、経済自由主義どっぷりの左右両派の各国政府がEUレベルの義務など必要ないという態度をとり、社会福祉分野での既得権を危うくするようならば、こうした条項は名目上のものになってしまうかもしれない。後退禁止条項の適用に関しては、司法機関として政治的な統制を受けるはずもないルクセンブルクの欧州司法裁判所の判断に委ねるべきではない(9)

 同様に、ボルケスタイン指令案を永久にお蔵入りさせる必要がある。この法案は、新たな加盟国についても既存の加盟国についても賃金レベルを引き下げようとするものだった。前者の場合には、国外市場への進出という名の下に企業が低賃金を維持することを奨励する。後者の場合には、競争という名の下に賃金に対する圧力をかける。

 おそらく今回の一般市民の乱入は、社会権条項を設けるだけにとどまらず、ヨーロッパという構築物を総合的に再考し、雇用という基本問題への対策を推進する仕掛けを構想することを促すものだ。そうした取り組みは、フランスの国民投票で反対票を投じた地域が、失業率の高い地域と大きく重なっているだけに、なおさら緊急に必要とされる。失業は高学歴層をも襲っている。例えば、研究活動を守るための抗議運動の中で、研究者たちはフランスとEUが革新的な政策を講じ、研究活動の資金と経験を融通し合っていくべきであると強調した。財政・金融政策に関しても、各国レベルとEUレベルをうまく連動させ、雇用と賃金収入に有利となるよう、付加価値(総額はここ20年間で平均10ポイントも低下)の分配を変えていくべきだという考えが公論の中に現れてきた。

 いわば、ヨーロッパ固有の社会モデルを作り直すということだ。公共サービスを再び中心に据える必要がある。これは社会的、領土的な一体感を支えるものであり、不平等と生活不安に対策を講じるために必要不可欠な媒介である。なのに、2000年のリスボンEU首脳会議以来、その体系的な破壊が計画され、実行に移されてきた。公共サービスはその使命(権利の平等、連帯、国土整備)を果たすために競争原理に束縛されない必要があるにもかかわらず、一般経済利益事業という名の下に、競争原理に服させられている。公共サービスの特殊性は、少なくとも国家の権限を尊重するという枠組みによって認められなければならない。また、例えば交通分野のように、超国家的な公共サービスというレベルでも考えることができるだろう。

 世界的な自由貿易ルール(ヨーロッパ市場を例えば繊維産業のような一部の中国製品に対して無防備にする)から脱却するためには、少なくとも、域内産品優遇の原則を復活させる必要がある(10)

 さらに、もう一つのヨーロッパを生み出すためには、国際関係のビジョンを刷新する必要がある。歴史的な結びつき、政治的な課題、そして移民の流れからして、EUには南の国々に対して固有の政策を定めていくことが求められる。連帯に基づき、自由主義グローバリゼーションの不平等ルールから脱却した政策である。これまで大きくないがしろにされてきた多くの国々との結びつきを作り上げることで、EUは地政学上の重みを増すことになるだろう。

 旧大陸の人々は、自らの繁栄をこつこつと築き上げてきた。彼らは繁栄の代価をわきまえており、その恩恵の大きさを知っている。そこからすると、自由貿易と競争原理への固執は歴史に対する凄まじい否定のように映る。さらに、普通選挙から社会保障に至るまで、所有者階級が過去300年にわたって被ってきた剥奪に対する報復のように映っている。この人間性の退行のスパイラルが集約されているのが、「歪められることのない自由競争」を正義や自由という価値観と同列に置いた欧州憲法条約である。ヨーロッパの構築に対して市民がどうやら疑念を抱くようになった現状で、このスパイラルは延命のための跳躍に打って出ている。

(1) ル・モンド2005年6月1日付。
(2) アンヌ=セシル・ロベール「欧州憲法なる思想クーデタ」(ル・モンド・ディプロマティーク2004年11月号)参照。
(3) 1999年にシュレーダー首相が「連邦主義的」な提案をして、フランスのヴェドリーヌ外相とドイツのフィッシャー外相の間に論争を引き起こした。
(4) アンドレ・ベロン『私がオルターグローバル主義者でない理由』(千夜一夜社、パリ、2004年)参照。
(5) ラウル=マルク・ジェナール「ブリュッセルが押し付けたコトヌ協定」(ル・モンド・ディプロマティーク2005年2月号)参照。
(6) アンヌ=マリー・ムラディアン「時代の流れに揺さぶられるロメ協定」(ル・モンド・ディプロマティーク1998年6月号)参照。
(7) フランスを含む多くのヨーロッパ諸国で、チョコレートを名乗れるのはカカオバターから作られたものに限られる。2003年8月以降、農産物・食品加工産業からの圧力を受けて欧州委員会、次いで欧州議会は、ありきたりの植物性脂肪分を混ぜたものにも「チョコレート」の名を名乗ることを認めるようになった。
(8) アルノー・ルパルマンティエ「主権共有への拒絶」(ル・モンド2005年6月1日付)参照。
(9) クリストフ・ラモー「社会的なヨーロッパは神話か、それとも現実か」(ル・モンド2005年4月13日付)参照。
(10) ベルナール・カセン「市民経済のための十カ条」(ル・モンド・ディプロマティーク1998年5月号)参照。


(2005年6月号)

All rights reserved, 2005, Le Monde diplomatique + Miura Noritsune + Saito Kagumi

line
表紙ページ 本紙の位置づけ 有志スタッフ
記事を読む 記事目録・月別 記事目録・分野別
メール版・お申込 読者の横顔
リンク(国際) リンク(フランス)