ラテンアメリカは燃えているか

モーリス・ルモワーヌ(Maurice Lemoine)
ル・モンド・ディプロマティーク編集部

訳・近藤功一

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 2005年5月11日、ブラジルで開かれていた南米・アラブ連盟諸国の初の首脳会議が閉幕を迎えた。この会議では、南米大陸が独立独歩を貫くこと、これまで押し付けられてきたアメリカの単独行動主義を拒否することが表明された。南米各地で民衆運動が燃え上がり、左派政権が成立し、同盟相手の大統領が失脚し、アメリカの旗色は悪い。とはいえ、ラテンアメリカ諸国の間で足並みが揃っているとは言えない。[フランス語版編集部]

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 こんな伝説がある。一時期、ボリビアのラパスに到着したジャーナリストは、みな決まって大統領府に面したムリージョ広場で向かい側にあるホテルを取り、「クーデターの見える」部屋を頼んだものだという。21世紀初頭、新たな伝説が生まれようとしている。大統領職にある人間は、万一に備え「ヘリコプターにすぐに乗り込める」オフィスを要求することになるだろう。2001年アルゼンチンのデ・ラ・ルーア、2003年ボリビアのサンチェスに続き、2005年4月20日にエクアドル大統領のグティエレスが、大統領府であるカロンデレト宮から脱出できたのも、こうした空中の命綱があったからだ。

 かつて救世主と迎えられた男の悲しい末路である。2000年1月、先住民を主体とする民衆蜂起に支えられ、マワ大統領を失脚させるも、束の間に終わったクーデターが起きた。その首謀者の一人がグティエレス大佐だった。この将校は、いささか拙速に「エクアドルのチャベス」にたとえられ、6カ月間にわたる投獄、軍からの除名にもかかわらず、貧しい先住民の強力な組織であるエクアドル先住民連合(CONAIE)の政治部門、パチャクティク運動と同盟を組み、2002年11月の大統領選に勝利した(1)

 その後たった数カ月で、元大佐はパチャクティク運動出身の閣僚をはじめ、仲間をことごとく裏切った。国際通貨基金(IMF)の主張に与し、この地域で「ブッシュの最高の盟友」であると自認した。

 次々と不評な政策を打ち出し、卑劣な政治工作を重ねたグティエレスは、2004年12月8日、ついに度を越してしまった。この日、彼の「指揮下」にある議会与党は、最高裁判所をリストラし、31人の判事のうち27人をすげ替えた。2005年3月31日、これら新任の裁判官は、ブカラム元大統領とノボア元大統領に対する係属中の裁判を無効にした。ブカラムは汚職のかどで1997年2月に罷免され、ノボアは2000年から2003年の任期満了後に、対外債務の再交渉における不正と資金流用の疑惑をかけられていた。それぞれパナマとドミニカ共和国に亡命していた2人の元大統領の帰国が、民衆の反乱を引き起こすことになる。

 不満を募らせていた軍から見放されたグティエレスは、国会からも見捨てられた。100人の議員のうち60人が、道連れになるのを避けるために大統領の解任に賛成した。解任理由は「職務放棄」、つまりグティエレスが「憲法を遵守しなかった」というものだが、法的な見地からは疑わしいと見る者も多い。しかしながら、この盟友への強力な支持を最後まで表明してきたアメリカ政府は、「ヒューズが飛ぶ」のをおとなしく見ていた。「機構制度」と「政体の正統性」を維持することが、誰もの最優先命題となっていた。

 人口の43.9%にあたる2億2500万人の貧困層を抱え、あまりにも長いこと自由原理主義の下におかれていたラテンアメリカで、各国政府はいつ爆発するかもしれない火薬庫の上に座している。「番犬たち」は現状維持に躍起になって、「自分の境遇を受け入れろ。経済危機の間でさえ、金で幸福が買えるわけではない」と説いてみせるが(2)、民衆があきらめの境地から「社会的正義だって。そいつは毎日少しずつ近付いているさ。まるで水平線のようにね」とつぶやくだけの時代はもはや過ぎ去ったようにみえる。

 1960年代以来初めて、アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、ベネズエラといった複数の国で左派政権が成立し、社会を見下して疎外してきた「市民なき共和国」の流れを変えようとしている。ただし、ワシントン・コンセンサスから大きく距離を置いた発展モデルを唱えているのは、キューバのカストロのほかベネズエラのチャベスだけだ。西半球の様々な場所で繰り広げられる抗議運動に直面したアメリカは、絶対的な同盟諸国との関係強化を試みる。メキシコ、中米、それにアンデス諸国である。アンデス諸国の中で、グティエレスのエクアドルは(サンチェスのボリビアと同じく)コロンビアと並ぶ重要な地位を占めていた。

民衆の怒り

 90年代以降のワシントンの攻勢は、北米自由貿易協定(NAFTA)(3)を皮切りとして、自由貿易協定という形をとってきた。その最たるものが、2005年1月に妥結すれば大陸中に超自由主義のウイルスを撒き散らすはずだった米州自由貿易圏(FTAA、スペイン語ではALCA)構想である。しかしこの構想は、社会運動「反ALCA大陸キャンペーン」による抵抗、南米共同市場(メルコスール)(4)による拒絶、ベネズエラによる抵抗にあい、立ち往生に至っている。

 こうした困難を回避するために、帝国は急いで中米諸国およびドミニカ共和国と中米自由貿易協定(CAFTA)を結び、エクアドル、コロンビア、ペルーと二国間協定を締結した(5)。すでに頓挫したFTAAのように、これらの自由貿易協定(FTA、スペイン語ではTLC)は狭義の経済分野に加え、国家運営、労働法制、知的財産権、環境、天然資源とエネルギー資源、衛生と教育をも包括したものだ。見せ掛けの交渉によってラテンアメリカ諸国が手にしたのは若干の条文変更でしかない。アメリカ政府は重要項目に関しては一切妥協せず、自国利益だけを考慮した。

 あからさまと言っていい新植民地化の動きを前にした民衆は怒りに燃えている。ちまたではこんなことが語られている。「やがては国が民営化されてしまうだろうよ。このまま行けば、ある朝目覚めてみると、国がコカ・コーラのものになってしまうことだってある」。中米では、激しい抗議運動が巻き起こっている。ペルーやエクアドルでは、FTAに関する国民投票の実施を政府に求める署名運動が展開中だ。ボリビアでは、社会組織の圧力によって、「total locura capitalista(資本主義のまったくの狂気)」ともじられたTLC(FTA)に関する政府交渉の進展が阻止された。

 しかしながら、最近起こったボリビアとエクアドルの大統領転覆によって開けた展望は、今のところ不確かで曖昧なものでしかない。2000年12月のアルゼンチンのように、「みんないなくなってしまえ」という叫び声がエクアドルの街頭を埋め尽くした。ラパスやブエノスアイレスのときと同じように、政党や政治指導者とは関係ないところで自然発生した階層縦断的な蜂起(独立系ラジオが大きな役割を果たした)は、CONAIEやパチャクティク運動をも蚊帳の外へ追いやった。両組織の指導者たちは(短期に終わったとはいえ)グティエレス政権入りした責任を問われたからだ。

 ボリビアで(無所属の)メサ副大統領がサンチェスに替わったように、エクアドルでも(医者で無所属の)パラシオ副大統領がグティエレスに取って代わった。つまりどちらも強い支持基盤を持っていない。

 アルゼンチンでも似たような状況下で、大統領に就任したペロン党のキルチネルが、中道左派寄りの政策運営を行うという望外の驚きをもたらした。政府がIMFに抵抗し、民間債務についてモラトリアム宣言をしたのである。この措置は、債権者が65.6%の債権放棄を受け入れた後、2005年3月に取り消された。キルチネルは3月10日、数百のデモ参加者によるガソリンスタンドの占拠に直ちに反応して、燃料価格を3%上げた石油会社のシェルとエッソに対するボイコットを呼び掛けた。しかし、極めて緊迫した社会情勢はほとんど改善されていない。

 エクアドルではパラシオ新大統領が、非常に不安定な状況にある国の舵を取っている。信念からか、それとも民衆の圧力を和らげるためか、コレア経済大臣は「貿易協定は遵守されなければならないが、隷属状態で交渉することがあってはならない」と語る(6)。ガンダラ内務大臣も次のような意向を発表している。FTA交渉を中断すること。鉱山と石油に関するすべての契約を見直すこと。プラン・コロンビア(7)とは距離を置くこと。アメリカに対して西部マンタの軍事基地を提供した1999年の協定の取り消しを検討すること。マンタ基地はコロンビアのゲリラを標的にし、500人のアメリカ兵が展開する米軍南方軍司令部の戦略的施設である(8)。しかしこの最後の点に関しては、ケニー米大使との昼食会の後、パラシオ大統領は後退を強いられた。エクアドルはボリビアと同じシナリオをたどることになるのだろうか。

守勢にまわるアメリカ

 ボリビアでは、民営化の影響に対する抗議から起こった第一次「水戦争」、そして同様の理由によって勃発し、死者80人、負傷者500人を出した「ガス戦争」によって、超自由主義者であるサンチェスは逃げ出した(9)。2004年7月18日、エボ・モラーレスが率いる最大野党、社会主義運動(MAS)に支持された後継大統領のメサが「ガスの国民投票」を実施すると、民衆の圧倒多数は石油資源の国有化に賛成を表明した。社会運動は以下の4つの点を求めて結束した。ベネズエラのボリーバル革命の基本法制定にならった制憲議会の招集。FTAAおよび(または)FTAの拒否。多国籍企業アグアス・デル・イジマニ(フランスのスエズ・リヨネーズ・デ・ゾーの系列)の排斥。多国籍企業連合による開発に50%の税金を課す(国民投票で承認済み)などの措置を定める石油資源法の制定。

 しかしながら、社会からの突き上げとIMFや世銀、多国籍企業からの締め付けとの板挟みとなったメサは、10カ月に及ぶ論争を通じて、そんな法律は国際社会が承服するはずもなく(10)、施行「不可能」だと主張した。2005年5月17日、メサはしぶしぶ国会議長に法案の可決を許した。その瞬間にも、民衆運動の最急進派は国有化要求を続けていた。一言でいえば、メサにはもう国を統治する力がなくなっていた(11)

 市民の不服従が広がったことにより反対勢力はある種の拒否権を手にしたが、基盤が強化されたわけではない。いわゆる伝統政党はイデオロギーと民衆基盤を欠いており、社会的事件で脇役しか果たさなくなっている。フェリペ・キスペ(パチャクティ先住民運動、MIP)やエボ・モラーレス(MAS)といった急進派の指導者は、当初メサと手を組んだことに個人的責任があるとされ、最近結ばれた「ボリビア国民の尊厳と主権のための協約」を裏切れば「共同体裁判」にかけると脅されている。

 どうしようもないフジモリ政権がめちゃくちゃなトレド政権に代わったペルーでも、近いうちに同じような状況が起こりうる。道路の封鎖、公共施設の占拠、失敗に終わった2005年1月1日の国粋主義者の退役軍人グループ(エトゥノカセリスタ)による武装蜂起、治安部隊と国軍の衝突、といった事件が相次いでいる。汚職と社会破綻を前にして、際限のない論争が続いている。2006年の任期満了までトレドを政権にとどめておくべきか、それともそれ以前に「失脚」させるべきか。しかしここでも政党とその指導者たちへの拒否反応はあまりにも大きく、交替要員となりうる政治家は出てきていない。

 ニカラグアも同様だ。2000年4月と5月に燃料価格の高騰に対する激しいデモに揺れ、80人以上の市長(152市のうち)がボラーニョス大統領に問題の解決、さもなくば辞任を迫った。万一のときに野党サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)に統治できる力があるかは明らかではない。FSLNは(民主主義がないという国内事情から)大きな危機に瀕しており、かつての活動家や支持者が多数離反しているからだ。

 これら諸国の状況は、代替構想の名に値するものが出てきていないだけに、不確かで混迷化の危険をはらんでいる。とはいえアメリカ政府が「手兵」をひとつ、またひとつと失って、守勢にまわっているのは確かだ。米軍南方軍司令部のクラドック将軍によれば、「ボリビア、エクアドル、ペルーでは、体制への不信感、信頼の欠如をバネにして、反米、反グローバリゼーション、反自由市場の扇動家が現れている(12)」。さらに悪いことに、ブラジル=アルゼンチン=ウルグアイ=ベネズエラ枢軸(背後にはキューバの影)が、事態の収拾を図ろうとする米国務省のあらゆる方策を頓挫させてしまう。

 2004年7月、フロリダ州フォート・ローダーデールで開催された米州機構(OAS)総会で、アメリカが米州人権憲章を修正して、「民主主義から徐々に離れつつある」国々を孤立させ、さらには介入できるようにしたい(目的はベネズエラだ)と提案した際も、慇懃な微笑みを返されただけだった。2004年11月16日から18日にエクアドルのキトで開催された国防相会合で、ベネズエラ、ブラジル、ボリビアは不介入を唱え、コロンビアと中米諸国によって支持されたラムズフェルド米国防長官の主張を拒絶した。これは、「予防安全保障」という新しい構想を実行に移し、ラテンアメリカ多国籍軍を創設するというもので、米国防総省の指揮下におかれることは言うまでもない。

ベネズエラという大きな骨

 最も忠実な手下であるウリベが率いるコロンビアでさえ、アメリカの政策は哀れな足踏み状態にある。コロンビア政府に対して過去6年間で33億ドルに上る軍事援助を与え、戦闘ヘリのブラックフォークやヒューイを65機以上も供与し、新設の精鋭部隊を3個大隊も養成しているにもかかわらず、コロンビア軍は内紛に陥っている。

 左翼ゲリラのコロンビア革命軍(FARC)に対するこれまでで最も野心的な攻勢として、南部に1万7000人の兵士を展開したプラン・パトリオットでも、山岳地帯とジャングルで奇襲作戦を繰り広げる遊撃ゲリラを追い詰めることができず、重装備の大隊が敗北を喫した。2005年4月27日にボゴタを訪れたライス米国務長官が、きたる9月でプラン・コロンビアを終了する(アメリカの支援は続ける)ことを公式に発表した瞬間も、政府軍は南西部で手痛い打撃を受け、国軍内部は激しい危機に見舞われていた。要職にある4人の将軍が罷免されたことからしても(13)、米国防総省が押し付けてくる軍事ドクトリンの変更や実戦での敗北によって、プライドをがたがたにされた国軍内部の深い亀裂は明らかだ。

 アメリカ政府の喉にはもうひとつ大きな骨が引っかかっている。「ベネズエラはラテンアメリカの不安定化を煽っている」とライス長官は2月に警告した。近隣諸国によるベネズエラ大統領の「ルーラ化」(14)をねらって強力な外交圧力をかけたが、失敗に終わっている。それに、この大統領は他人に操られるような人間ではない。4月26日、ライス長官は南米の4カ国(チリ、ブラジル、コロンビア、エルサルバドル)訪問を開始したが、ブラジルではベネズエラのボリーバル革命に対する批判的な声明を少しも引き出すことができず、チリでも丁重に断られてしまった。

 チャベスの型破りの政策が近隣諸国を熱狂させているというわけではない。チャベスはメルコスールの統合モデルを「資本の強制と商業主義の論理に服従すること」であると見なしている。「現実主義」に転向し、IMFから称讃されているブラジルと同じ見方には立っていない。彼は社会政策の側面が強い米州ボリーバル代替構想(ALBA)(15)の実施をことあるごとに唱えており、3月4日に以下の声明を出すまでに至っている。「我々は21世紀において新たな社会主義を発明しなければならない。資本主義は持続可能な発展モデルではない」

 とはいえ、2004年12月8日に発足した南米諸国共同体(CSN)(16)の強化を図っていくこと、単独行動主義を拒否し、国家間の平等を基礎とした国際秩序を作り上げること、といった点に関しては両国の目標は共通している。これらの目標の仕上げを飾るのが経済協定(エネルギー関連、産業関連)だ。一例をあげれば、ベネズエラは石油産業の需要として、毎年アメリカから50億ドル分のモノとサービスを輸入している。チャベスは、今後これらの輸入の25%をアルゼンチンとブラジルから行いたいと考えている。それに、この2カ国の大統領は、持論がどうあれ自国の民衆に配慮しなければならない。アルゼンチンのピケテーロス(失業労働者)やブラジルの土地なし農民が、自分たちの代弁者は自国の大統領よりチャベスであると感じているのは有名な話だ。

OAS事務総長選の舞台裏

 しかしながら、アメリカ政府にとって最悪の事態はその後に起こる。2004年10月以降、OASではロドリゲス事務総長が在任なんと17日間で辞任したせいでトップが不在となった。この前コスタリカ大統領は、フランス企業のアルカテルから賄賂(240万ドル)を受け取った疑惑が退任後に持ち上がり、国内で裁判にかけられたのだ。そこで3人の候補者が立候補した。まずメキシコのデルベス外務大臣。元世銀顧問で保守派に属する。次にチリのインスルサ内務大臣。かつてアジェンデの顧問を務め、1994年に外務大臣に任命されてから閣僚を歴任した。最後にホワイトハウスが支持する候補者、前エルサルバドル大統領のフローレスだ。彼は現職時に、象徴的な規模の部隊をイラクに派遣した(現在も駐留している)。

 アメリカ大陸と(キューバを除く)カリブ諸国の34カ国からなるOASの60年の歴史で、ホワイトハウスの支持を受けていない候補者が勝ったことはない。だが、フローレスは強い圧力にもかかわらず完全に孤立しており、アメリカ政府は屈辱を避けるために、4月11日の第一回投票を待たずに立候補を取り下げるよう要請した。

 アメリカが一義的に、ばりばりの市場経済と手を切ることもなく、2004年にはFTAも締結しているチリとの間に、NAFTA加盟国であるメキシコと比べて多くの相違を見出していたわけではない。しかし何かの際に直談判に及ぶような場合、チリ政府の方がメキシコ政府よりも駆け引きの余地を持っている。アメリカ政府は南の隣国メキシコに対してなら、400万人(あるいはそれ以上)の非正規滞在者に関し、取り締まりか合法化かを選択することで圧力をかけることができる。これらの人々のメキシコへの送金は2003年現在で380億ドルに上っており、観光収入をしのぎ、輸出額の半分に相当する。

 一方、チャベスはチリのインスルサを熱烈に支持した。彼にも理由がある。「南米」の連帯に加えて以下のことが挙げられる。メキシコのフォックス大統領がブッシュとの友好関係を維持していること。2006年大統領選の革命民主党(PRD)の候補者であるメキシコシティの左派市長ロペス・オブラドールに対して、メキシコ政府が転覆工作を仕掛けたこと(17)。メキシコが国連人権委員会でキューバ非難決議案に賛成票を投じたこと(18)。フローレスを支持した諸国は、米国務省の意向を受けて、メキシコのデルベスへの票集めに動いた。

 5回にわたる投票にもかかわらず、インスルサとデルベスはそれぞれ17票の同数のままだった(選出されるには18票必要)。ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、エクアドル、ベネズエラ、ドミニカ共和国に加え、カリブの10カ国がチリの候補者に投票した。アメリカ政府はあらゆる手段を尽くしたが、次の票決が予定されていた5月2日の直前にはインスルサ有利に傾きかけていた。決着は4月29日に付くことになる。この日、ライス長官と複数諸国(エルサルバドル、パラグアイ、コロンビア、チリ、カナダ)の外務大臣、デルベス、インスルサ両候補の間で会談が持たれた。驚いたことに、この会談の後、メキシコのデルベスは立候補を取り下げると発表したのである。

 「コンドリーザ・ライスは、デルベス支持を続けるのが失策になることを理解したのだ」とワシントンに本部がある組織、インターアメリカン・ダイアローグの所長ピーター・ヘイキムは分析する。「1票か2票の差で勝っても、アメリカのせいで大陸が分断したと思われてしまう。それよりも可能性が高かった負けの場合は、アメリカにとって大きな敗北となっただろう(19)」。このような状況の中で、アメリカ政府は面子を保つために、「総意を受けた候補者」インスルサに道を譲ることを受け入れたのだ。彼は最終的に5月2日、31票を集め当選した(2票の棄権と1票の白票)。

 直前まで策略を尽くしたアメリカ政府が、票決の大きな敗北者であるのは明らかなようにみえる。しかしながら、チリ内務大臣の勝利を進歩主義者のOASトップ就任と見ることは誤りだろう。舞台裏を最後まで間近で見守ったある外交官によると、「様々な状況証拠が示しているように、アメリカは道を譲る前に、インスルサからもチリ政府からも、OASのベネズエラやキューバに対する政策その他に関して約束を取り付けた」

 そういうわけで、アメリカの「裏庭」はかつてないほど政治的に分裂している。たとえ、新しい事務総長が何かの拍子にワシントンの望む方針に従おうという気になったとしても、彼がOASを思い通りに動かせる保証はどこにもない。

(1) ローラン・トラニエ「エクアドル先住民勢力はいま」(ル・モンド・ディプロマティーク2005年4月号)参照。
(2) Cromos, Bogota, 20 December 1999.
(3) NAFTAは1994年に創設、メキシコ、アメリカ、カナダにより構成。
(4) メルコスールの1994年時点での創設メンバー国はアルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイ。また1996年にボリビアとチリ、2003年にペルー、2004年にコロンビア、エクアドル、ベネズエラが準加盟国となっている。
(5) チリ議会は他国に先駆けて2003年10月にFTAを承認、翌1月に協定発効を見た。エルサルバドル、ホンジュラス、グアテマラはCAFTAを批准している(が、アメリカ議会は未承認)。
(6) Sally Burch, << Ecuador, cambio de rumbo ? >>(エクアドル、方向転換か), Alai, Quito, 22 April 2005.
(7) 麻薬対策などをうたったコロンビア政府の社会経済計画。アメリカが強力に支援しており、左翼ゲリラ対策の色合いも強い。[訳註]
(8) エルナンド・カルボ・オスピーナ「プラン・コロンビアの国境地帯で」(ル・モンド・ディプロマティーク2005年2月号)参照。
(9) イグナシオ・ラモネ「ボリビア」(ル・モンド・ディプロマティーク2003年11月号)参照。
(10) アルゼンチンは、世界銀行の投資紛争解決国際センター(ICSID)で34件の係争を抱えている(Raul Zibechi, La Jornada, Mexico, 1 April 2005)。
(11) メサ大統領は2005年6月6日に辞任を表明、ロドリゲス最高裁長官が暫定大統領となった。[訳註]
(12) 2005年3月9日、アメリカ議会での発言。
(13) 陸軍副司令官・統合参謀本部長ロベルト・ピサロ将軍、陸軍作戦部長ファビオ・ガルシア、陸軍人事部長エルナン・カダビド、陸軍監察官ハイロ・ピネーダの4人である。
(14) ブラジルの「ルーラ」ことルイス・イナシオ・ダ・シルヴァ大統領の穏健政策を示唆している。
(15) ALBA実施に向け、キューバ=ベネズエラ間の第一回会合が2005年4月18日ハバナで開かれ、両国の経済協力が深まった。
(16) CSNは、メルコスール諸国、アンデス共同体諸国(ボリビア、コロンビア、ペルー、エクアドル、ベネズエラ)、スリナム、ガイアナからなる。
(17) 野党PRDの同市長は、病院に通ずる道路の用地として収用した土地に関し、裁判所が出した工事中止命令に従わなかったとして起訴され、2005年4月に下院により不逮捕特権を剥奪された。しかし100万人規模の抗議デモを前にしたフォックス大統領は、検事総長をクビにするという措置をとらざるを得なかった。[訳註]
(18) 国連人権委員会の委員国を務めるラテンアメリカ諸国は、アメリカが提出したキューバ非難決議案に賛同した。メキシコ、コスタリカ、グアテマラ、ホンジュラスは賛成票を投じ、アルゼンチン、ブラジル、ドミニカ共和国、エクアドル、パラグアイ、ペルーは棄権した。
(19) BBC Mundo(ロンドン)、2005年5月2日放映分。


(2005年6月号)

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