CIAによる拷問の海外委託

スティーヴン・グレイ(Stephen Grey)による調査
ジャーナリスト・作家

訳・近藤功一、斎藤かぐみ

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 ここにひとつの奇妙な物語がある。ドイツを基地として使用する民間機、ヨーロッパの国の公道での誘拐、グアンタナモやアブー・グレイブよりひどい拷問の物語だ。登場人物は一人の弁護士、複数のスパイ、そして一人のテロリスト容疑者だ。それは実話なのだ。こんなことが起こりうるのも、アメリカ中央情報局(CIA)の元局員が我々に語ったように、「人権という概念が伸縮自在である」からだ。

 事件は9・11テロの少し後、2001年12月18日の午後に始まった。移民問題が専門のスウェーデンの弁護士シェル・ヨンソンが、顧客の一人であるムハンマド・ゼーリというエジプト人の亡命申請者と電話で話していたときのことだ。「ゼーリに通話を止めるよう命令する声が突然聞こえました」とヨンソン弁護士は語った。「スウェーデン警察が彼を拘束しにきたのです」

 しかしながら弁護士は、政府が性急な判断を下さず、亡命申請をきちんと検討するという約束を取り付けた。ゼーリがカイロへの送還によって拷問される危険があると考えたからだ。ヨンソン弁護士は30年にわたるキャリアの中で、これほどあわただしい送還に立ち会ったことはなかった。拘束されてから5時間後、ゼーリはもう一人のエジプト人アハメド・アギザとともにストックホルムのブロンマ空港から飛び立った。

 この事件は秘密裏に遂行された(表沙汰になったのは2年後である)。ブロンマ空港の滑走路には、アメリカの諜報員を乗せた飛行機が乗り付けていた。彼らは2人の容疑者を尋問し、手錠を掛け、オレンジ色のつなぎを着せ、何かドラッグのようなものを服用させた後、飛行機に押し込んだ。このアメリカの諜報員たちは何者なのか。「黒の覆面をつけているが制服姿ではなく、ジーンズをはいていました」とヨンソン弁護士は語った。「スウェーデンの治安警察は、完全にプロのやり口だと断言しています」。それは10分もかからずに行われた。「過去に経験を積んでいることは明らかです」と弁護士は付け加えた。

 数カ月の間、この出来事に関しても覆面をしたアメリカの諜報員の素性に関しても明るみに出ることはなかった。しかし国内で懸念の声が高まったことを受け、スウェーデン議会が調査を開始した。公表された証拠資料によって、空港で何が起こったのかが確認され、アメリカ諜報員の素性が明らかにされた。それらの報告書のひとつの中で、拘束作戦を指揮した治安部門のアルネ・アンデーションは、問題の夜に飛行機便を確保できなかったことを認めている。「我々はアメリカの友人、つまり同業者であるCIA からの申し出に応じることにした。これによってヨーロッパ全土の上空通過権を備え、迅速な国外追放を可能とする飛行機を使用することができた」

 拘束した2人のエジプトへの送還に同意したスウェーデン政府は、彼らが虐待を受けることはなく、在カイロ領事館の外交官が定期的に面会できるという確約を外交ルートで得ていると明言した。しかし2人が虐待を受けたと訴えていたことを明るみに出すことはなかった。それどころか議会や国連の委員会に対して、囚人がそういった訴えを表明したことは決してなかったと断言した。実際には、2人は最初に刑務所での面会を許されてから、ひどい拷問を受けていると表明していたのだ。ヨンソン弁護士によると、「ゼーリは拷問の被害者だ。彼は凍り付くように寒い小さな独房に移され、殴られた。最もひどい拷問は電気を使ったもので、医者が見ているなかで、体の敏感なあらゆる部分に何度も電極が押し付けられた」

 その後ゼーリは釈放され、起訴されることもなかった。しかし彼はエジプトからの出国を許されず、刑務所への監禁に関して公言することもできなかった。アギザは現在も投獄されている。何度も刑務所で彼と面会した母ハミダ・シャリバイはカイロで取材に応じ、次のように語った。「息子はエジプトに到着すると、覆面をかぶせられ、手錠を掛けられ、建物の地下に連れて行かれた。そして尋問と虐待が始まった。質問に対する答えが返ってこないと、電気ショックが与えられ、殴られた。(・・・)初めの1カ月は素っ裸にされ、寒さに凍えていた」

 このスウェーデンでの事件にアメリカの諜報員が関わっており、それに続いて拷問行為があったという事実が確認されたことによって、9・11以降くすぶっていた疑念に最初の具体的な証拠が挙げられたことになる。アメリカが拘束者の世界的な不法移送に、組織的に関与しているのではないかという疑念である。世界各地の公的機関や報道機関による調査によると、アメリカはイスラム主義活動家を組織的にマグレブ・中東諸国へ搬送している。そこで彼らを待ち受けているのは、アメリカ諜報員には実行が認められていない手荒な尋問だ。ある人々はこのシステムを「拷問代行」と名づけている。

 アメリカ人によって誘拐されたテロリスト容疑者の移送は、アフガニスタンやイラクのような紛争地域だけではなく、ボスニア、クロアチア、マケドニア、アルバニア、リビア、スーダン、ケニア、ザンビア、パキスタン、インドネシア、マレーシアなど世界中で行われている。「特別引き渡し」というのが、このシステムを指すCIAの公式用語であり、いかなるアメリカの現職の政府関係者も公の場でこのことを話題にしようとはしない。しかし、CIAの元高官で1990年代末にウサマ・ビン・ラディン追跡部門を率い、2004年11月に退職したマイケル・ショワーは、BBCのインタビューで詳細な説明をし(1)、スウェーデンの事件がもっと巨大なシステムの一部にすぎないことを裏付けた。

 彼によると「身柄を捕らえ、第三国に移送するというやり方を作り上げたのは、テロリストの細胞組織を解体、破壊し、メンバーを拘束するという任務が政府によって(CIAに)与えられたからだ。テロリストをどこに置いておけばよいというのかとCIAが政策決定者に訊ねると、それはあなたがたの仕事だという答えが返ってきた。だから我々は、司法府が容疑者や有罪確定者の行方を追っている諸国を助けるために、このシステムを作り上げた。そういった人間を海外で拘束し、彼らが検挙されている国に送り出すのだ」

民間機による容疑者の移送

 憲法上の権利センター(CCR)のバーバラ・オルシャンスキー弁護士は、「特別引き渡し」のシステムに関する調査をしている一人である。彼女は個々のケースに依拠するだけでなく法的根拠についての調査も進めている。アメリカは拘束者を尋問するために第三国だけでなく、CIAの管理下にあるオフショアの収容所も使っているという。オルシャンスキー弁護士によると、1世紀以上にわたりアメリカは自国の司法権の及ばないところで逃亡者を捕らえ、裁判にかけるためにアメリカ国内に移送してきた。パナマの元大統領、マヌエル・アントニオ・ノリエガはその典型例である(2)。しかしそれは通常の「引き渡し」であった。

 ところがCIAがアル・カーイダとの戦いを開始してから、特に9・11以降は、アメリカに送るためにではなく、他の場所へ移すために拘束するという「特別引き渡し」の概念が生まれた。「引き渡しのやり方ができたのは、1880年代が最初です。アメリカは自国の法廷で裁くために、あらゆる手段に訴えて容疑者を拘束しようとしました。重要なことは、その人物が法廷の場に出されることでした。今日、こうした考えは完全に歪められてしまいました。つまり特別引き渡しとは、アメリカが容疑者を拘束し、拷問をともなう尋問にかけるために特定の国に送り込むことなのです。裁判の手続きは一切予定されていません」とオルシャンスキー弁護士は説明する。

 CIAその他のアメリカの機関は、拘束した容疑者を運ぶために民間機をたびたび使用したという驚くべき事実がある。我々は、こういった航空機のうち不法移送の中心的役割を果たしていると思われる長距離用民間機ガルフストリームV型機の航空日誌を入手した。2001年以来、同機は世界中を飛びまわり、アメリカ領土の外に位置する49以上の目的地に降り立った。同機はヨルダン、エジプト、サウジアラビア、モロッコ、ウズベキスタンにたびたび向かっている。アメリカが容疑者を投獄するために移送した国々である。

 この白い色をした飛行機には、最近までN379Pという民間機としての登録番号のみが記されていた。同機が2001年12月にスウェーデンで2人のエジプト人を送還するために使用されたことについては証拠がある。同年10月パキスタンのカラチでも目撃されており、覆面をした男のグループがテロリスト容疑者をヨルダン行きの飛行機に乗せたという証言がある。

 ガルフストリームの航空日誌を読んだ元CIA秘密諜報員ロバート・ベアによれば、同機は間違いなく「引き渡し」作戦に関与している。1990年代半ばに退職するまでの21年間、中東担当部門にいたこの元CIA局員は、この種の民間機には軍用マークが一切ないので非常に便利であったと説明した。「そいつはペーパーカンパニーを使って動かせばいい。セットアップして、目立ってしまったら解体すればいいし、一晩でそれはできる。必要なら飛行機を替える。よく使う方法だ」

 ベアが言うには、それぞれの国に異なる長所がある。「もし容疑者をヨルダンに送れば、尋問はうまくいくだろう。例えばエジプトに送れば、たぶん容疑者を二度と見ることがない。シリアも同様だ」。シリアのような国は、一見アメリカの敵にように思われるが、イスラム主義活動家との秘密戦争の分野では同盟関係にある。「中東地域のルールは簡単だ。敵の敵は味方になるということだ。これらの国は何らかの形でイスラム原理主義、戦闘的イスラムに苦しめられている」とベアは断言する。長きにわたってシリアはアメリカにイスラム主義者との戦いで協力を呼びかけてきた。「この申し入れは9・11まで拒絶されていた。我々は概して、荒っぽいやり方をするエジプト人やシリア人を避けてきた」。ベアによれば、長年CIAは「引き渡し」を行ってきた。しかし世界貿易センターのテロから後、引き渡しは組織的になり、大規模に実施されるようになった。ベアによると、アメリカによって数百人が誘拐され、中東の牢獄に送られており、その数はグアンタナモより多い。「9・11はジュネーヴ条約をお払い箱にする口実だった。この日は西洋で我々が知っていたような法の優位が終わる日となった」と彼は断言した。

 アメリカ政府内の一部の擁護者に言わせれば、「引き渡し」の目的はテロを撲滅することに尽きる。容疑者をエジプトならエジプトに送り込めば、後に何が起ころうとアメリカの知ったことではない。しかしオーストラリア人容疑者、マムドゥーフ・ハビブのケースは、情報収集もまた目的であることを示している。それは、アメリカの諜報員が公式には行ってはならない拷問を手段とする。オーストラリアのシドニーでカフェを経営していた彼は、9・11の1カ月後パキスタンのアフガニスタン国境近くで逮捕された。ハビブはオーストラリア国籍でありながら、すぐにアメリカ諜報員の手に渡され、カイロに送られた。そこで彼は6カ月にわたり拷問され続けたと彼の弁護士を務めるアメリカ人、シカゴ大学マッカーサー司法センターのジョー・マーギュリーズ教授は説明した。

 「虐待は言葉に尽くしがたいものでした」とマーギュリーズは言っている。「ハビブ氏はしょっちゅう殴られました。手錠を掛けられたまま部屋に連れて行かれ、あごに達するまで水を張られたのです。逃れられないと分かっている、その恐怖を想像できますか」。またあるときは、壁につるされた。「彼の足は、金属の棒を通したドラム缶の上に置かれています。拷問官がドラム缶に電流を流すと、彼は電気ショックを受け、足を移動させなければならず、両手でぶら下がることになります。気を失うまで続けられるのです。尋問の最中に、ハビブ氏はアル・カーイダに関わっていたという自白をして、出された書類にことごとくサインをしました」

 ハビブはそれからアメリカに引き渡され、最初はアフガニスタン、続いてグアンタナモに勾留された。エジプトでサインをした自白書は、軍事法廷で彼に不利な形で利用された。ハビブが受けた虐待に対するマーギュリーズらによる公の抗議の後、2005年1月ようやくグアンタナモから釈放された。CIAはいまだにアル・カーイダへの関与を言い立てているが、オーストラリア政府は、いかなる起訴事由も認められないと明言した。

マイケル・ショワーの率直なコメント

 アメリカから中東の刑務所に送り込まれた容疑者のほとんどは、自分に何が起こったのかも、どんな仕打ちを受けたのかも明かせずにいる。しかし海外移送の目的が尋問にあったことは、マーヘル・アラールの話からも分かる。彼はカナダ国籍の携帯電話技術者で、今でこそ自由に話せる身の上だが、シリアの刑務所への移送を体験した。拘束されたのは2002年9月、チュニジアで休暇を過ごしてオタワに帰る途中、ニューヨークのJFケネディ空港でのことだ(3)。シリア生まれとはいえ現在はカナダ市民なのだから、すぐに家に帰れるだろうとアラールは考えていた。監禁は12日間に及び、続いて鎖を付けられたまま民間機に乗せられた。「革張りのシートを備え付けた飛行機の中で、こんな結構な目にあう何を自分がしたのだろうかと考えてみました。一体どんな情報を提供すればいいのかと」

 シリア秘密警察の本部に連行されたアラールは、棺おけと変わりないような大きさの独房にぶち込まれ、10カ月にわたって拷問を受けたという。「尋問官は右手を開けと言って、しこたま打ちました。あまりの痛さに涙が出ましたが、今度は左の手を開けと命じ、打ちそこねると手首にくらわせてきました。続いて尋問です。本当のことを言っていないと思ったら、また打ってきます。1時間か2時間か。それから部屋で一人にされると、誰かが拷問を受けている音が聞こえてくるのです」

 シリアで監禁されてからほぼ1年後、彼は解放されて飛行機でオタワに送り返された。カナダでもシリアでもなんの起訴事由も挙げられなかった。アラールの事件は政治問題となり、公に調査が開始された。現代の多くの拷問犠牲者と同様、彼の身体には虐待の痕跡はとどめられていない。最大の傷跡は心の中にある。

 アムネスティ・インターナショナルのカナダ支部長アレックス・ネーヴィには、アラールが受けた仕打ちを実話だと確信する根拠がある。「私はアムネスティ・インターナショナルで何年も働いてきたなかで、カナダ国内の難民キャンプでも拷問の生還者に話を聞いたことがあります。収容所から出てきたばかりの人たちです。アラールさんの身に起こったことは私が知っていること、他の犠牲者から聞き知ったことに符合しています」

 では、この「特別引き渡し」システムの責任は誰にあるのか。ワシントンの政権中枢の誰が許可を与えたのか。我々はマイケル・ショワーの住むヴァージニア州フォールズ・チャーチに足を運んだ。対テロ戦で用いられている手法の詳細を知り、彼がCIAでビン・ラディン追跡部門を率いていた時期に引き渡しが常態化した理由を訊くためだ。ショワーはあまり口を濁すタイプの人間ではない。現役時代に「匿名者」という筆名でアル・カーイダについて2冊の本を書いている。2冊目には『帝国の傲慢』というタイトルが付けられた。彼がこれほど機密に触れる問題について、ここまで率直に述べたのは初めてのことだった。

 ショワーは「引き渡し」には必ず弁護士の承諾を受けていたと強調した。「CIAには大規模な法務部がある。情報部門の仕事に法的な裏付けを与える部局は司法省にもあり、国家安全保障会議にも弁護士チームがいる。こうした案件には彼らが何らかの形で関与して、手続きに了承を与えている。変に想像をたくましくして、何か非道を働いているなどというのは、まったく荒唐無稽なことでしかない」。この種の活動の場合、ゴーサインはCIA長官か副長官が出すという。「つまりは情報関係のナンバーワン、ナンバーツーが出すということだ」

 「引き渡し」の対象となったのは、いずれも「街をぶらつかせておくわけにはいかない」人間だとショワーは確信していた。とはいえ「スパイや情報の仕事でミスを避けるのは不可能だ。お遊びでやっているのではなく、いたって真面目に取り組んでいるわけであって、まかり間違うこともある。事実によって反撃を受けるということだ」

 容疑者が虐待を受けるおそれに水を向けると、ショワーは平静を失った。「問題の根本はこういうことだ。アメリカ人が犠牲者となりうる事件に関与したとか、これから関与するに違いないという確証のある人間が街をぶらつかないようにするのは、意味のある活動なのだ」。その人間が拷問されるおそれがあってもか。「我々が拷問を加えたわけではない。エジプトやサウジで起きたとされる拷問の話だって、ハリウッドの影響が強い。エジプトがテロリストにやっていることを心配してみせる一方で、イスラエルがテロリストの容疑者だという人間にやっていることについては非難しないのは、偽善と言っていいだろう。人権というやつは伸縮自在な概念で、その時々の偽善の程度によりけりだ」

 ショワーに対して公平を期すために、彼が「引き渡し」を長期戦術の問題として捉えていることも記しておこう。つまり、イスラム過激派が出てきた一因はエジプトやヨルダンのような強権体制にあり、これらの体制と密接に協力するのは戦略的にあまり意味がないという。「容疑者の拘束は技術的には成功ということになるが、戦略的には失点となる。大きな理由は、ムスリム世界の独裁政権への支援になるからだ」

ドイツやイタリアでも調査を開始

 だが、こうした拘束者に関してアメリカの選択の余地は限られているとショワーは言う。政治家はテロリストがアメリカ国内に送り返され、アメリカの裁判所で判断を下すような事態を望まない。「世界には選択の余地がたいしてないような局面も多々ある。時には悪魔と手を組まざるを得ないこともある」。これらの人間をアメリカの司法制度の枠内でどのように処遇すべきなのか、政策決定者が裁断を下してくれないかぎり、CIAとしては「手持ちの手段でできることをするしかない」

 ショワーによれば、CIAがスンニ派のテロリスト容疑者だとして「引き渡し」をしたのは100人にのぼる。しかしベアのように実際の数はもっと多いとする者もおり、9・11以降、ラムズフェルドを長とする国防総省が世界各地への移送を始め、米軍によって数百人が中東の監獄に送り込まれたと見る。

 国防総省とCIAは「引き渡し」システムに関する取材を拒否したが、我々はブッシュ政権と考えをともにするシンクタンク、アメリカン・エンタープライズ研究所の副所長ダニエル・プレトカに話を聞いた。彼女は「拷問を熱烈に支持するわけではない」として、シリアやエジプトの刑務所の運営方式や治安制度に難色を示しつつ、こんなふうに述べた。「戦時には、まっとうな人のほとんどが絶対に許せないと思うようなやり方で事を運ぶことが必要な場合もある。アメリカがああいうことをルーチン化しているなどと言うつもりはない。ルーチン化されていたとは思えないからだ。つまり、その際にどうしたって何かあるはずだと言うのなら、その何かをどうしたって見つけなければならないが、それが『地中海クラブ』で見つかるはずもない」

 道義的な問題あるいは有効性の問題をひとまず別にするとしても、このような活動はどこまで合法性があると言えるのか。プレトカは、弁護士ではないのでコメントできないと答えた。アメリカが批准し、ブッシュ大統領も支持した国連拷問等禁止条約には「いかなる締約国も、個人を、その者が拷問を受ける危険があると信ずるに足りる実質的な理由がある国へ追放し、送還し、または引き渡してはならない」との規定がある。アメリカの国務省は例年、エジプトやシリア、サウジといった諸国の人権侵害や拷問行為を非難している。たとえば昨年のエジプトに関する報告書にも、この国では拷問が「日常的に執拗に行われている」と記載されていた。

 「引き渡し」がいかにして合法でありうるのか。我々の質問に対し、司法省では誰も回答しようとしなかった。現在のところ、アメリカによる法的根拠は国家機密の領域に属する。ワシントンの公式な立場が逃げ腰にとどまっているのは、司法の場で説明を求められるおそれが強まってきたせいもあるのだろう。自国の裁判所で追及される可能性があるだけではない。CIAがヨーロッパで起こしたとされる拉致事件に関する調査も始まっている。「引き渡し」の際に追放者を乗せるCIAの飛行機の足場となるのがドイツであり、航空日誌を見ていくと、このために使われるガルフストリームV型機とボーイング737型機が、フランクフルト空港で頻繁に発着していることが分かる。

 このドイツで、ハレド・マスリの事件に関する司法調査が始まった。彼はウルムを居所とするドイツ市民であり、2003年12月31日にマケドニアのスコピエで拉致されたと述べている。3週間後に飛行機で、アフガニスタンにあるアメリカの収容所に送り込まれ、そこで何度も殴られたという。4カ月後に解放され、アルバニアで路上に放り出された。彼の陳述はにわかには信じがたいが、航空日誌には彼が2004年1月23日にスコピエで、CIAのボーイング737型機に乗せられたことがはっきりと記されている。航空日誌によれば、同機はマヨルカ島を出発地とし、マスリを乗せてバグダッド経由カブールへと向かった。この事実からすると、ドイツの情報機関としてもマスリの事件を不法な拉致と見ざるを得ないかもしれず、CIAは難しい立場に置かれることになる。

 イタリアでも、アル・カーイダ活動員だとの容疑をかけられた人間がミラノで白昼に拉致された事件について、司法調査が進められている。アメリカの諜報員が、ヨーロッパの親密な同盟国の町中で、この容疑者を令状なしに拘束したという嫌疑である。

 事件は2003年2月16日正午、ミラノのグエルツォーニ通りで起こった。アブー・オマルというエジプト人が、自宅から徒歩10分のところにあるモスクに向かう途中で行方不明になったのだ。目撃者によれば、彼は道端で、小型トラックを歩道に駐車した3人の白人につかまったという。オマルを監視下に置いていたイタリア当局は、事件への一切の関与を否定している。拘束したのはアメリカの諜報員で、アヴィアーノ空軍基地に連行した後にエジプトへ移送したという事態が考えられる。

 事件を担当するミラノの次長検事アルマンド・スパターロは、現時点でアメリカを名指しするのは避けている。しかし、誘拐事件として調査を進めており、オマルが現在エジプトにいるのは確かだと言う。もしアメリカが関与していたとすれば「イタリア法の重大な侵害であり、何がどうあろうと非合法である」と、検事はコメントした。

(1) BBCのラジオ番組 << File on 4 >> のインタビュー、2005年2月8日放送分。
(2) 元CIA諜報員でもあるパナマの「実力者」で、麻薬取引に関与していたノリエガ将軍は、アメリカがパナマに侵攻した「正しい大義」作戦中の1990年1月3日に拘束され、フロリダに送られた。疑義のある状況の下で裁かれ、1992年7月に40年間の禁固刑を宣告された。
(3) ミシェル・グール「カナダの警察国家化」(ル・モンド・ディプロマティーク2005年2月号)参照。


(2005年4月号)

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