アメリカの夢、ヨーロッパの夢

ジェレミー・リフキン(Jeremy Rifkin)
ペンシルヴァニア大学教授、
ワシントンで経済動向研究財団を主宰

訳・ジャヤラット好子

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 アメリカンドリームは、死の本能によって色濃く染められている。我々は、どんな代価を払ってでも自立性を追い求める。我々は消費に明け暮れ、あらゆる欲望に屈し、地球上の資源を浪費している。歯止めなき経済成長に優先権を与え、強者に報い、弱者を疎外する。個人的な利益を守ろうとする心労にむしばまれ、自分たちの欲するもの、自分たちにふさわしいと考えるものを獲得するために史上最強の軍事機構を作り上げた。自分たちを選ばれし民とみなし、それゆえに、地球上の富に対して正当という以上の分け前を手にする権利があると考えている。不幸なことに、我々の個人的な利益は単なる利己主義へと少しずつ姿を変えつつある。我々の文明は殺戮の文明となっている。

 どういう意味か。ごく単純なことである。我々が世界で最も貪欲な消費者であることに異議を唱える者は、いずれにせよアメリカには一人もいないだろう。だが、我々は消費と死が混然と結びついていることを忘れている。「消費(consumption ; consommation)」という言葉は14世紀初頭に遡り、その語源は英語にもフランス語にも見出される。「消費する(consume ; consommer)」のもともとの意味は、破壊する、略奪する、屈服させる、使い尽くすということだ。この言葉は暴力性に満ちており、20世紀に至るまで否定的な意味しかなかった。1900年代初めには、医療関係者も公衆も、結核の意味で「消耗(consumption ; consomption)」という言葉を使っていたことを思い起こしたい。消費という言葉が肯定的に受け入れられるようになったのは、20世紀になって広告代理店が、消費とは選択のことだと説き始めてからのことだ。20世紀最後の四半世紀に、いずれにせよアメリカでは、消費者の選択が代表民主主義に取って代わるようになってきた。消費者の選択は、その崇高なる新たな地位を反映して 人間の自由の究極の表現であるとされる。

 現在、地球全体の人口の5%を占めるにすぎないアメリカ人が、世界のエネルギーの3分の1以上、他の地球資源についても相当量を消費している。我々は、各人の飽くことなき欲望を満たすために見境なく貪り食っている。この病的なまでに強迫的な振る舞いは、我々の周囲にある全てを殺し、消費することにより、生存と繁栄を続けていこうとする歯止めなき欲望から生まれている。鋭い視点で文明を考察するエリアス・カネッティは、あるときこう記した。「我々はみな一面の死骸に囲まれた王者だ」。もしアメリカ人が、費用のかさむ自分たちのライフスタイルを永続させるために、一生のうちに強奪し、消費している生き物の数、地球上の資源や物質の量について考えてみたなら、この殺戮に愕然とするに違いない。世界中で多くの人々が、アメリカのすさまじい消費を見て、我々の文明を殺戮的だと捉えていることに驚くべきだろうか。

 我々は、本当にそれだけのものでしかないのか。アメリカの経験を非難する者は、そうだ、アメリカは事実そうなっていると断言するだろう。それは間違いだ。アメリカの経験には、もう一つの別な側面がある。我々の国は、新参者を迎え入れている。我々は、人はみな人生においてセカンドチャンスを享受すべきだと固く信ずる。虐げられた人々を保護し、逆境を生き抜く人々を賞賛する。人生の責任は最終的には個人が負うものと考える。それぞれの行動の結果を引き受ける。こういったことが、我々の個人主義のもう一つの側面であり、現在もなお我々の救いとなりうるだろう。もし、我々の個人的な責任感が、死の本能を振り払い、生の本能を助けるならば、アメリカはもう一度、世界に道を示すことができるだろう。

 人類という家族は、地球という広大な生命共同体に対する「個人倫理」を採択するという仕事を、まだ成し終えていない。つまり、もし本気で事態を変えたいのならば、我々と同類の他の人間や、我々が共有する生命圏のためになる約束が、深い個人的な感情から生み出され、また同時に集団レベルで法制化されるようにしなければならない。みながそれぞれの責任を自覚する世界でしか、倫理は実りあるものとなりえない。もし我々アメリカ人が、自分たちの深い個人責任感情の範囲を広げ、地球規模の倫理を守るために物質的な富の個人的増大という狭小な目標を放棄するようになれば、我々はアメリカンドリームを引き続き、生まれつつあるヨーロピアンドリームとうまく両立させる方向へと、作り替えていくことができるだろう。

生きるために働く

 アメリカで、このような180度の転換が起こる可能性はどれぐらいあるだろうか。まず、すでに少数派ながら相当数のアメリカ人が、「普遍的倫理」と呼びうるものへの感受性を見せている点を指摘したい。彼らが消費者として、職場や地域共同体でとっている行動には、地球規模の新たな意識を反映した責任感が示されている。彼らは人間の普遍的な権利を拡大し、自然の権利を保護しようという取り組みを支持する。車を選ぶときも、献立を考えるときも、また株を取引するときも、「悪寒」を促進させるような活動へは加担しないと自覚をもって決意している。彼らは地球市民となったのだ。(中略)

 これに対しヨーロピアンドリームは、人間意識の第三段階(1)へと向かう旅を道徳的に先導するために必要な条件をすべて備えている。ヨーロッパ人は、新たな約束の地にたどり着くために、理念上の道路地図を作製した。そこでは、生の本能や地球の不可分性が、再び確認されることになるはずだ。私は、彼らの誠実さを疑うものではない。いずれにせよ、エリートやインテリ、そして統一ヨーロッパを支持する中産階級の新世代に関しては疑わない。私が知り合ったヨーロッパの人々は、本気で夢を描いている。彼らが生きたいと願う世界は、あらゆるものが包摂され、道端に放っておかれる者が一人もいない世界である。

 2003年に全ヨーロッパ諸国でピュー世論調査センターが実施したアンケートによると、大多数のヨーロッパ人は次のように考えている。「政府の干渉なく個人が自由に目標を追求できるようにするよりも、政府が誰も生活に困らないようにすることの方が重要である」。世界の富裕国すべての国民の中で、政府の干渉なく目標を追求する自由が大事だと見るのはアメリカ人だけで、そうした回答が過半数(58%)を占める。政府が「誰も生活に困らないようにするために、意欲的に対策をとる」ことを好ましいとするアメリカ人は、34%にとどまった。また、2002年に実施されたギャラップ社の世論調査によれば、貧しい国々へ援助を拡大することについても、ヨーロッパ人の70%近くが、もっと援助を増やすべきだという意見を持っているのに対し、アメリカ人の半数近くが、富裕国による援助は現在でも多すぎると見ていることがわかった。

 地球規模の繋がりを求めるヨーロッパ人は、自分たちの文化アイデンティティを持ち、地域に根ざしていこうという感覚の喪失を望まない。彼らは、自立性の中ではなく関係性の中に、自由を見出す。今ここで質の高い生活を享受することを追い求める。それは彼らにとって、将来世代の利益を守るために地球との持続可能な関係を維持することでもある。10人中8人のヨーロッパ人が、自分たちの生活に満足していると言い、11項目の中から20世紀の大きな成果を選ぶという質問に対しては「生活の質」という回答が58%にのぼり、「自由」に続いて第二位となった。また、目下の緊急の課題として、69%が環境保護をあげた。環境問題を懸念するアメリカ人は4人に1人にとどまり、際立った対照を示している。さらに興味深いのは、ヨーロッパ人の56%が「環境の悪化を止めたいのなら、我々の生活と発展の様式を根底から変革する必要性がある」と考えており、世界のあらゆる国民の中で、持続可能な発展の最も積極的な擁護者であることを示した点だ。

 ヨーロッパ人は、働くために生きるのでなく、生きるために働く。仕事は生活のために不可欠ではあるが、それだけで生活が決まるわけではない。ヨーロッパ人はキャリアよりも、自己実現や、社会の豊かさ、社会的な団結に重きをおいている。非常に重要、あるいは大いに重要と思う価値観は何かという質問に対しては、95%が「他人を助けること」を重要事のトップにあげている。92%が、人をありのままに尊重することが非常に重要と考えており、84%が、よりよい社会の創出に参加することを大いに重要と捉え、79%が、個人の発展にもっと時間と労力をかけることに賛同している。その一方で、高収入を得ることが非常に重要、あるいは大いに重要だと回答したのは、半分以下(49%)にとどまった。つまり、このアンケートであげられた8つの価値観のうち、金銭的な成功は最下位であった。

 ヨーロッパ人は、人間の普遍的な権利と自然の権利を擁護しており、そのための規定が採択されれば従う心づもりがある。平和で調和のとれた世界に生きることを望み、この目的の実現に向けた外交政策と環境政策の推進を、ほとんどの者が支持している。

双方の夢から最良のものを

 とはいえ、私は、ヨーロピアンドリームが確固たるものかどうかとも自問する。文化の多様性と平和的共存をよしとするヨーロッパの約束は、アメリカの9・11や、スペインで2004年3月11日に起きたようなテロ事件に耐えうるだけの強さを備えているだろうか。ヨーロッパ人は、世界経済が長期的に大きく後退し、さらには世界的な不況に陥った場合にも、互助と持続可能な発展という原則を守り続けるだろうか。民衆の蜂起や街頭の暴動に直面した場合にも、重層的かつ開放的で、プロセスを重視するような統治形式を掲げる根気強さを持ち続けるだろうか。

 これはまさに恐るべき挑戦であり、人々の勇気とともに、彼らの夢の力強さと実現可能性が試されることになる。よその人々がアメリカをどう思うにせよ、アメリカンドリームはこの試練に、良くも悪くも耐えてきた。我々はごく最近まで、きわめて暗い時期でさえも、夢の実現を決してあきらめることがなかった。ヨーロッパ人は、生まれつつある彼らの夢について同じことを言えるだろうか。

 さらに個人責任の問題がある。これはアメリカの強みであり、ヨーロッパの弱点である。ヨーロッパには、夢に法的な形を与える道があるかもしれない。つまりEU指令を公表し、包括的な合意を結び、作業グループを創設し、基準を定めるという道である。こうしたことはすでに実行されており、なかなかうまくいっている。とはいえ、責任という個人的感情が、新たな旅に付き物の嵐を避けられるほど深く確固たるものでないならば、いかに立法や行政の取り組みが進められ、知的な支援が集まったとしても、何の役にも立ちはしない。ヨーロピアンドリームは沈んでいくだろう。

 私がヨーロッパとアメリカを股にかけて仕事をするような生活を始めてから、かれこれ20年近くになる。あえて言わせてもらうなら、私の現在の最大の懸念は、ヨーロッパ人の希望が新たな将来ビジョンを維持できるほど強固なものなのかという点にある。夢には、楽天主義が必要である。それを信じることが必要である。アメリカ人は希望と楽天主義に満ちあふれているが、ヨーロッパ人を一括して捉えた場合、アメリカ人ほどの楽天性はない。せいぜい言えるのは、彼らの新たな一体感によって、慎重な希望が芽生えつつあるということぐらいである。世論調査からは、新たな世代の楽天主義もまた、ほどほどのものにすぎないことがわかる。おそらく我々は、それ以上のことを期待できないだろうし、また期待すべきではない。アメリカンスピリットのトレードマークとなってきた無条件の楽天主義は、我々にとって必ずしもよいことばかりではなかったのだから。

 地球規模の脅威が高まる世界では、現実的なリスク評価によって緩和され、割り引かれた熱狂の方が、おそらくは適切である。その一方で、長い歴史を通じて多くの不幸な政治的・社会的事件に見舞われ、多くの殺戮を経てきたことからすると仕方のないことではあるだろうが、ヨーロッパ人には非常に悲観的な一面がある。失敗は、希望を滅ぼす。だが、それは同時に、人々を強くし、抵抗力を養い、また賢明にする。ヨーロッパ人が、ある種の冷笑主義を乗り越えていく必要は、アメリカ人がおめでたい楽天主義を終わらせる必要と同じぐらい、困難で刺激的なものになる。とはいえ、どんなに魅力的な夢であっても、悲観主義と冷笑主義によって暗く落ち込んだ雰囲気の中で力を持つことはできない。

 大西洋の両岸それぞれで、怒る人もいるかもしれないのを承知のうえで、我々がある種の教訓を共有していることを示唆しておきたい。間違いなく、我々アメリカ人がなさねばならないのは、他の人々に対して、また我々の暮らす地球に対して、自分たちに集団的な責任があることを進んで認めることである。我らが友であるヨーロッパ人の側では、個人責任をもう少し負ってみても無益ではないだろう。アメリカ人はもっと慎重で、もっと抑制の利いた物の見方をし、ヨーロッパ人はもう少し楽天主義と希望を前面に出すようにするのがよい。双方の夢から最良のものを共有することで、我々は人間意識の第三段階へと向かう旅へともに歩み出すために、よりよい装備を得ることになるはずだ。

 我々は、激動の時代を生きている。世界の大部分は闇に吸い込まれ、多くの人間が道標を失っている。ヨーロピアンドリームは、混迷の世界に一筋の希望の光を示している。それは、団結と多様性、質の高い生活、自己実現、持続可能性、人間の普遍的な権利、自然の権利、そして地球の平和という新時代へと、我々をいざなってくれる。長いことアメリカンドリームには、そのために死ぬほどの価値があると言われてきた。新たなヨーロピアンドリームには、そのために生きるだけの価値がある。

*本稿は The European Dream の仏訳書 Le Reve europeen, Fayard, 2005 の結論部分である。

(1) ジェレミー・リフキン『地球意識革命』(星川淳訳、ダイヤモンド社、1993年)は、本能に関するフロイトの理論を背景として、イギリスの弁護士・哲学者オーウェン・バーフィールドによる人間意識の歴史の三段階説を引き、「意識的・自覚的な選択によって、もういちど自然のT体Uに参加すること」を第三段階として位置づける。[訳註]


(2005年4月号)

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