独裁時代の清算に歩み出したチリ

ホセ・マルダブスキ(Jose Maldavsky)
ジャーナリスト

訳・岡林祐子

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 アウグスト・ピノチェト将軍に反体制派を逮捕、監禁、処刑するよう命じた責任があることは知られていた。2004年11月28日、独裁政権下の拷問が3万5000件にのぼることを示す衝撃的な文書をチリ政府が公表すると、さらに戦慄が走った。しかし、「質実」と思われていた独裁者が25年にわたって、複雑な金融ネットワークを張りめぐらせて少なくとも1300万ドルを秘密口座に隠していたことは、長い間知られていなかった。[フランス語版編集部]

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 「誰もが生きるため、希望もない動物的な貧しい生のために激しく争っている。こうした生でさえも当人にとっては、すべての他人の生を犠牲にするほどの価値があるのだ。このような良心の死、あらゆる連帯感の嘲弄、人間の尊厳の忘却は、肉体の死よりもはるかに悲しいものである」

ルチアーナ・ニッシム・モミリャーノ


 そこに我々がいる。ピノチェト将軍の秘密警察の施設内に、我々の拷問者たちの声が響く。有無を言わせない、下劣な口調だ。恐怖を感じる。服を脱がされ、日に何時間も裸で、目隠しをされて、一群の見知らぬ者たちの前で、襲われ、罵倒され、滅多打ちにされ、睾丸に電気ショックを加えられるという辱めを受ける。

 そして私もそこにいる。この見知らぬ人々は何を理由に私を責め立てるのか。ジャーナリスト、法律家、政治家、学生、ストリートチルドレン、農民といった人々が弾圧の標的になっていると書いたことだろうか。組織的な人権侵害が、都市部でも農村部でも、共同生活や協力体制の発展を妨げていると書いたことだろうか。捕らえられた人々は、職務訓練を受けておらず捜査能力のない兵士から、しばしば拷問を受けていると書いたことだろうか。鼓膜が破れるほど乱暴に耳を叩いたり、棒で打ちのめしたり、足首を棒に縛り付けたり、そのほか様々な残虐行為が常態化していると書いたことだろうか。さらに「後ろ手に縛られたまま銃殺された人々の死体の山」を暴露したことだろうか。

 生きながらえるチャンスはある。監獄の吐き気を催すような空気でさえ、これだけの暴力を受けた後では、呼吸できることが贈り物のように思えるだろう。それからしばらくすると、命あることが不条理だと、抵抗運動の中で死んでいった同志に対して不当なことに思えるだろう。

 かなり長い間、軍の指導者たちは、独裁政権下で起きた拷問、失踪、暗殺事件は「個人の責任」に属する「行き過ぎ」で説明がつくという考え方を支持していた。ピノチェト将軍の後任となったイスリエタ陸軍司令官は、1999年には次のように述べていた。「軍政時代に誰も過ちを犯す者がいなかったと言えば、それは誤りであろう。しかし、人権侵害が政策として制度的に行なわれていたと言い立てるなら、それも事実を歪めることだ」

 アジェンデ政権を転覆させたクーデターから31年あまりが過ぎた2004年11月5日になって、ようやく大きな転換が訪れた(1)。「チリ国軍、ある視点の終末」と題された公文書の中で、陸軍司令官のチェイレ将軍が「チリ国軍は、処罰に値する倫理的に受け入れがたい過去の行為に関し、組織として認められる責任を負うという決断を厳しいながらも不退転のものとして下した」と述べている。

 同年11月28日には、ラゴス社会党政権が、大統領の要請により組織された「政治犯拘留・拷問問題委員会」の報告書を公開した。1973年から90年にかけての17年間の独裁時代に、軍事政権の当局者が実行していた不当拘留ややりたい放題の拷問についての重苦しいこの報告書により、3000件の暗殺と失踪、3万5000件の拷問に関するピノチェト将軍の責任が裏付けられた。チリ国内のあらゆる新聞が、確認できた2万8000人の被害者の氏名を掲載した。監禁や拷問に用いられた800以上の施設と3600人以上の拷問者の名も突き止められた。

発覚した多額の裏金

 拷問被害者のこの膨大なリストに自分の名がはっきりと記されているのを見ると鳥肌が立つ。なぜなら、それと認定されなければ、償いはありえないからだ。そして、償いがなければ、心穏やかに暮らすことはできない。ナチスによる大虐殺から生還した人々の中には、プリーモ・レヴィのように、心の傷を乗り越えることができずに、ついには自殺してしまった人もいる。昨日の「敵」が自身の犯した罪を認めることで、かつてその手にかけられた人々の苦痛、そして屈辱は、少しずつ和らげられることになる。

 チェイレ将軍は、当時のチリが政治的対決状態にあったにしても、独裁政権が犯した罪は正当化できないと断言している。この軍人は、チリ軍もまた冷戦の「待ったなしの激動」を免れえなかったと述べつつ、こうも言う。「世界紛争というこのシナリオが、チリで起きていた人権侵害の弁明になるだろうか。私はきっぱり『否』と答える。人権侵害は誰にとっても決して正当化できるものではない」

 こうした態度表明があったのは、チリの裁判所が161人の軍人を人権侵害の罪で起訴した時期に相当する。かつての独裁者アウグスト・ピノチェト自身も喚問されている。グスマン判事は、2004年11月25日に89歳を迎えたピノチェトが裁判に耐えられるかどうかを見極めるための医学的、心理的鑑定の結果、起訴を決定した。2002年には、微量の出血による「軽度の皮下質性痴呆」があったため、彼は反体制派の失踪と暗殺に関する最初の訴訟を免れることができた。しかし今回は最高裁判所がグスマン判事の決定を有効と認めた。つまり、1970年代から80年代にかけて南米諸国の軍部独裁政権が共同で、反対分子一掃のために推進した「コンドル作戦」の一環であった1件の暗殺と9件の誘拐事件について(2)、ピノチェトを起訴するとの決定である。

 将軍の民間や軍部の元協力者たちが、かつての指導者に対して初めて距離を置くようになった。人権侵害が暴露されたこと以上に彼らに壊滅的な打撃を与えたのは、ワシントンのリグズ銀行にピノチェトが預け入れた裏金の存在が2004年7月に発覚したことだ。歴史の目配せと言うべきかブーメラン効果というべきか、そこにかつての同盟国がとどめの一撃を与えることになる。アメリカで、上院の委員会が通貨監督庁の監査内容を公開したのだ。パトリオット法、テロ行為(これの対象は国家テロではない)への対策、およびマネーロンダリング規制法の強化に従い、通貨監督庁はリグズ銀行を調査した。その結果、ピノチェト将軍の預金額を証明する書類が存在しないこと、アメリカ、スペイン、イギリス、チリの間で口座間の資金移動が行なわれていること、そしてそれらはバハマに拠点のある2つの幽霊会社を介して行なわれていることが判明した(3)

 かつての独裁者が保有する金額は1300万ドルを超えると見られ、125の口座と投資先(リグズ銀行内の28口座と米系金融機関の97口座)に振り分けられている。このためチリでも、新規の司法調査が始まった。こうした新しい証拠が出てきたことで、とくに陸軍内などで支持者たちが持っていた質実な軍事政権というイメージが崩れた。

 ラゴス大統領はチェイレ将軍の文書を「歴史的な前進」と評した。そして、人権侵害を軍がはっきりと断罪したことで「チリ大統領としての誇りと満足」が得られたと表明した。

あるジャーナリストの告白

 しかしながら、チェイレ将軍が新しく打ち出した方針が、軍内部で意見の一致を得ているわけではない。海軍司令官のベルガラ将軍、空軍司令官のサラビア将軍、警察軍司令官のシンフエゴス将軍は、独裁政権時代に実行された罪に関する軍部の集団責任を否認している。ピノチェトの秘密警察であるチリ情報局(DINA)で長官を務めたコントレラス将軍は、チェイレ将軍の姿勢を「背信行為」だと糾弾さえしている。コントレラス将軍は、直近の協力者たちとともに、反体制派を暗殺した罪で禁固刑を宣告されたばかりである。

 政治犯として投獄されていた元囚人の協会は、逆に、政府の人権報告書が「不完全かつ不十分」であり、「真実、正義、完全な補償の期待水準を満たしていない」と非難した。この協会によると、報告書に掲載された3万5000人は「暴行被害者の10%にしか相当しない」。そして「裁判所に近日中に告訴する予定の拷問者の氏名を公表する」と発表している。協会は「拷問者たちが法律により50年にわたって身分を秘匿されているために、真実を完全に掘り起こすのが困難となり、彼らが処罰されずにいること」を遺憾とする。被害者に支給される補償金(月額112ユーロ相当)が「はした金」にすぎないことは言うまでもない。協会の声明は続けて次のように言う。「国家が拷問を実行した軍人に対して『心労』手当を給付していること」そして、「被害者が置かれている状況や、新自由主義モデルがチリ国民の中で最も貧しい階層に引き起こしている社会的・経済的な惨状を認識しているにもかかわらず」、銅の売却収入の10%を軍に交付しているのは「恥ずべきこと」である(4)

 独裁政治は、自分が撒いた恐怖の種を糧にする。ピノチェト将軍の独裁政治は、今もなおチリ国民につきまとっており、警戒を怠ってはなるまい。ボロディア・テイテルボイムは「ピノチェト派は現在も権力の座を狙っている」と言い切る。作家であり共産党指導者でもある彼が示唆するのは、ピノチェト政権下の高級官僚であったホアキン・ラビンが、2000年に実施された前回の大統領選挙で49%に迫る票を獲得し、2006年の選挙にも出馬表明したことだ。しかしながらラゴス大統領は、「政治犯拘留・拷問問題委員会」の衝撃的な報告書を表沙汰にし、チリという国を過去に立ち向かわせることによって、次回選挙に向けた勢力図を変えてしまいそうな政治的勇気を持っていることを示した。

 チリ国民間の和解が本当に始まったと断言するには、まだ少し早すぎるだろう(5)。しかし、新しい「時流」を最も端的に表す兆候は、チリ人ジャーナリストのマリア・アンヘリカ・デ・ルイヒが範を示した後悔の念である。彼女は、アジェンデ政権の最大の反対勢力だったチリの大手日刊紙エル・メルクリオの名物記者の一人であり、自分の過ちを告白する長大な記事を最近発表した。「私は単純なことを夢みていた。愛情、少しばかりの官能、小さな家、息子のための良い中学校といったようなことだ。私の喜びは、良い文章を書き、知的な質問をして取材相手を困惑させることだ。DINAの拷問施設に関するルポを書こうだなんて、エル・メルクリオの誰が思いついただろうか。いいえ、誰も、私でさえも思いつかなかった。私は誰を非難することもできない。私はこれまで記事の検閲を受けたことがない。私はひどい人間だった。こうしている間に、拷問者たちに動物、ビン、電流、拳を性器に押し込まれたチリ人女性たちがいた。彼らは彼女たちの子供や親を殺した。その同じ時間に、私はというと、息子に物語を読み聞かせ、恋人がいて、ジャーナリスト仲間と一緒に浜辺に繰り出していた。すべての人に許しを請いたい。いや、それでは誰にも請わないことになるだろうか。私はあなた、ジャーナリストのオリビア・モラに許しを請いたい。アジェンデの旗を振っていたあなた、急進派左翼のあなた、党派主義に陥ることなく信念に人生を賭けたあなたに許しを請います。あなたは誰かを殺したいとは決して思わず、社会正義を実現したいと願っていた。オリビア、許してください。あなたの子の命を奪った恐怖の鎖を断ち切るために、私は何もしなかったのだから」

(1) トマス・ムリアン「サルバドール・アジェンデの破れた夢」(ル・モンド・ディプロマティーク2003年9月号)参照。
(2) ピノチェト将軍はパリで欠席裁判を受けることになるかもしれない。チリで行方不明になったフランス人、ルネ・シャンフロー、エチエンヌ・ペスル、ジョルジュ・クラン、ジャン=イヴ・クローデ・フェルナンデスの家族の弁護士団のヴィリアム・ブルドンによると、彼が重罪院で裁かれるのは「もはや時間の問題」であるようだ。パリ地方裁判所の検察は2004年10月15日に予審終結の請求を行なった。
(3) 将軍の秘密口座に関する訴訟を回避するため、リグズ銀行は独裁政権の被害者に対して約690万ユーロ相当を支払うことを承諾した。
(4) この10%の予算の交付は、独裁政権時代の初期に、ピノチェト将軍が決めたものである。チリは世界最大の銅産出国である。
(5) 2004年11月29日、アルゼンチンにおいて、インターポールのチリ国家中央事務局の請求により、「サルバドール司令官」を通り名とするセルヒオ・ガルバリーノ・アパブラサ・ゲーラが逮捕された。マヌエル・ロドリゲス愛国戦線の指導者であるアパブラサは、独裁政権に緊密に協力していた極右政党所属の上院議員ハイメ・グスマン暗殺の「頭脳犯」として検挙されている。同年12月28日、チリ最高裁判所はアパブラサの引き渡し請求を承認した。


(2005年4月号)

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