科学技術を民主的に討議する

ジャック・テスタール(Jacques Testart)
フランス国立保健医療研究所研究部長

訳・瀬尾じゅん

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 フランス人の好きな人物10人のなかには、スポーツ選手が2人、ポップシンガーが2人、映画俳優が2人入っている(1)。しかし、政治家や、組合活動家、作家や研究者、「識者」や起業家は一人も含まれていない。この不面目な事実は、世論調査のたびに繰り返し示されて、誰もが知るところとなっている。だが、こうした調査結果を手がかりに、民主主義とは何なのかと考えてみる者はいない。多数者の疎外あるいは幻想を是認する民主主義は「最悪の制度である。ただし、それ以外のすべての制度を別にすれば」という信念が確立されているかのようだ。アリストテレスがかつて言ったように「多数者の意思は法の力を持つ」を前提として、多数派のなまの心情には比類のない価値があるということが主張される。

 しかし為政者は、世論調査の結果、道徳的に容認できなかったり(死刑の存続)、経済ロビーにとって容認できなかったり(遺伝子組み換え作物への反対)する風向きを感知すると、重要な問題について多数派の意向を問うことをやめる。政権は、その正統性の基盤となる民主主義という政治制度を体現していると謳うが、この制度の実際の活用は政界内部の駆け引きだけにとどめている。

 ポルトガルの作家ジョゼ・サラマーゴは、本紙で発表した記事のなかで、有権者が次回の選挙まで個人的な政治行動を放棄することになる委任の仕組みに疑問を投げかけ、「民主主義の根本について議論を尽くす」べきだろうと述べた(2)。長い間信じられていたように「教育」の平均水準が高くなりさえすればヒューマニスト的な意識が生まれる、とは現実としていえそうにない。バカロレア合格者が多数を占める世代でも、これまでの伝統的な社会と根本的に違う選択をしているようには見えない。

 その一方で政策決定者は、急速かつ、たいていは不可逆的な科学技術の発展のなかで、将来世代に大きな影響を及ぼすことになる重大な決定を下すように迫られる。議員たちは市場から圧力を受けているが、新しいテクノロジーの普及に関わる決議を行うにあたり、必要な能力を持ち合わせていないことがほとんどだ。特に市民団体で活動している場合などは、一般の市民がその問題について政治責任者よりよく理解していることもある。

 とはいえ、市民活動家たちの専門知識は、在野のものにとどまらざるを得ない。公に認められた専門家であれば、ほとんど常に産業界との利益相反という状況におかれているとしても、その専門知識が政策決定に活用されるのとは対照的である。「同一の階層の出身者から成り、国民に対して決して責任を負うことなく、相互に引き立て合うような(・・・)一部の集団の意向を重視することで、市民の意向を遠ざけるという役目を担う専門知識や能力という思想」は警戒したほうがよい(3)。つまり、今こそ新しいやり方を発案すべき時、参加の度合を高めることによって、代表民主主義の欠陥の修復を試みるべき時なのだ。その実例はすでに幾つもある。

 例えば、地域住民が、意向調査や地元で開かれる意見交換会、協議会などを通じて、自分たちの要望を表明できる機会が増えている。国全体に関わる課題に関しては、専門家グループ(いわゆる「賢人」委員会)、直接の当事者から成るパネル(討議グループ)、さらには関係者ではない人々から成るパネル(市民会議)が活用される。単なる御都合主義にすぎないとのそしりを免れるためには、こういった場で集められた国民の意見が公共政策に生かされる必要がある。だが、すべてのケースでそうなっているとはとてもいえない。最もとんでもない例は、遺伝子組み換え植物をめぐるものだろう。

市民会議という試み

 遺伝子組み換え植物の戸外での、つまり閉鎖空間ではない環境での栽培は、フランスでは1998年の市民会議、2002年の「四賢人委員会」、2003年から2004年にかけてのさまざまな公聴会、そして、多くの世論調査の結果によって、継続的に非難されている。農業大臣、環境大臣、研究大臣が、電子メール(という民主的に疑問のある方法)によって意見を募集したときも、閉鎖空間ではない環境での実験栽培に90%以上が反対を表明した。にもかかわらず、この茶番劇を企画した人たちは、実験を続行すべきであるとの結論を出したのだ。欧州委員会も負けてはいない。委員会は2004年5月19日、遺伝子組み換え植物の輸入凍結を解除したが、世論調査は70%以上がヨーロッパでの栽培に反対という結果を示し続けてきた。電子メールで意見を送るようにとの英語で書かれたもっともらしい呼びかけ「Submit a comment by e-mail」に対して送られた回答も、まったく考慮されなかった。

 ヨーロッパなどでは、ここ20年ほどの間に重ねられた経験を通じて、遺伝子組み換え、エネルギー資源の選択、生殖補助医療、携帯電話の中継基地といった新しいテクノロジーに関わる問題をはじめ、確証のない現状に対処するための政策提案が、素人である市民によって練り上げられるようになった。このような討議では、あらかじめ充分な情報提供が行われたうえで見識ある判断が示されることになるのだが、「参加型」民主主義といっても市民全員が関与するわけではない。「対話型民主主義」(4)の最も有望な形態の一つである市民会議(5)なら、15人程度と少ない人数にもかかわらず、いろいろな住民をそれなりに代表した構成にすることが可能である。希望者のなかから抽選で選ばれた数十人をさらに絞り込むにあたり、年齢や性別、職業、政治的見解、地域の別が一定の割合となるようにするからだ。市民会議という手続きの目的は、見識ある判断を下すための材料が事前に与えられたとしたら、という物理的には実現不可能な仮定のもとで、国民全体の意見になると思われるものを引き出すことにある。

 そこで行われるのは、技術的な問題に関する教育だけではない。市民パネルは、問題を理解し、意見を交換し、責任感をもって行動できるような状況に導かれる。遺伝子組み換え作物の使用に関する会議の最終会合について関係者が述べたように、参加者がライバル意識を持つようになったのは明白だった。市民パネルは記者団に対し、「各自が落ち着いて問題と向き合うことができたので、全員がささやかな誇り、それに率直さを共有する雰囲気が生まれた。ジャーナリストを含む多くの参加者が心の底からそう感じた」との総括を発表した(6)。こうした市民パネルは、明確な目標に沿って任命される必要がある。判断を下すために役立つなら、確証がないという指摘や相互に対立する説も包み隠すことなく、すべての情報が与えられなければならない。市民パネルの作業は、社会心理学者の支援を受けながら、考えられる情報操作にあわないように進められなければならない(このため参加者の氏名は任期終了まで伏せられる)。そして、「素人専門家」集団となるのを避けるために、終了後は解散される。

 こうした会議では、参加する市民に与えられる情報の性質が、重要なポイントの一つになる。情報の客観性を保証するための最良の形式は、運営委員会を作ること、そこに会議の働きをよく知っている進行役以外に、さまざまな意見、さらには相互に対立する意見を持った専門家を含めることだろう。訓練プログラムは、この委員会の総意に基づいて組み立てられる(扱われる議題、提供される文書、講師役の選定)。こうした会議では市民団体も、運営委員会に加わったり、講師役になったりする役目を担うことができる。彼らは、制度に組み込まれた専門家の大半が示す専門知識とは多くの場合に逆を行く対抗知識をもたらす。

 市民会議の経験を通じて、次の二つのことが明らかになった。第一に、参加を受諾した市民はみな、学習し、理解し、分析し、そして根拠ある判断を下すことができた以上、充分な能力があったといえる。第二に、これにかかりきりになることを受諾したのは、参加を打診された者のなかのほんの少数(ほぼ3人に1人)にすぎない。最大の拘束は、情報提供を受け、他の人たちと議論し、質問し、匿名かつ無給で意見を表明するという目的のために、何週間にもわたって週末を返上しなければならないことだ。

手続きの公平性

 この二つの事実から、民主主義の正しい働きについて考えてみることができるのではないだろうか。学習し、理解することを受け入れた市民の多数派による選択に政治を合致させるのが民主主義であり、こうしたプロセスがすべての人に開かれていることを、なぜ認めようとしないのか。民主主義をなにか魔法のように考えて、判断の根拠にできる材料を事前に与えられることもなしに、複雑な問題に対して意見を持つことが誰にでもできると信じ込むのは終わりにしなければならない。フランス人権宣言に「法は総意の表明である」という一節が盛り込まれたとき、それが前提にしていたのは、表明される意思は市民による政治的な作業を基にして構築されるということだ。

 国民というのは市民全体から成っており、その一部を排除するなんて問題外だという論理からすると、以上のような提言はエリート主義だと言われてしまうかもしれない。確かにその通りではある。しかし、選挙の際に棄権する人の数が増え続けているのは、好んで棄権しているのだと言われるが、これも排除ではないだろうか。投票を求められた人のうち30%、50%、あるいはもっと多いかもしれない。重要なのは、社会の隅っこに追いやられた一部の国民と、社会を背負って立つ別の一部との間に亀裂があると決め付けたりしないことだ。すべての市民に投票が求められるのと同様に、誰もがなんらかの市民会議で議論をし、意見を言うよう、抽選で指名されるようにすればよい。拘束の大きさのせいで辞任する人の割合が、選挙の記録的な棄権率と同じぐらいになったとしても、その人たちの一部は、投票所に出向くよりも、市民会議に参加することのほうに意欲を持っていたかもしれない。

 討議民主主義とは、選挙で選ばれた議員から成る議会と、抽選で選ばれた市民から成る議会との対決をお膳立てすることではない。第一に、市民フォーラムは、結成のきっかけとなった問題について意見を述べるやいなや消滅する。そして、他の問題については(あるいは、もし必要であれば同じ問題について)、同じく素人である他の市民が、自分の心情を述べることになる。第二に、名前を伏せられていて、選挙によって委任されたわけでもない人々に、法律を書かせようなどとは誰も思わない。国会の役割を持ち上げて、公共の利益に至る道だなどと言うつもりはない。政治的な約束事には必ず責任の所在が明らかであること、法律の場合なら国民を代表していることが必要だろうという意味だ。市民会議についての法律の規定(議題の明確の定義や運営のコントロールが必要)には、議員が市民会議の出した結論を審議し、その結果を公にする義務を盛り込むべきだろう。

 参加の実践についても委任の実践とまったく同様に、一つの地域や国を超えて広がり、世界規模で行われるという状況を想定できる。つまり、グローバルな脅威(気候変動、環境リスク、生命倫理)に関わる評価を下すことは専門家だけの管轄ではなく、国際機関が世界規模の討議民主主義を主導することがあってもよい。

 この道筋はまだ実験段階であるが、革命的である。そこでは、責任感を持ったパネルが出した見識ある判断に正当性があり、対話型手続きに公平性があることを認めるもう一つの民主主義の輪郭が描き出されているからだ。「公平な措置とは、それに関わるすべての人に、その措置が公平であるという確信を作り出すような手続きに従って採られた措置である(7)」といえるからだ。こうした手続きは、もちろん新たなテクノロジーに関わる複雑な課題に対処するために必要であるが(8)、民族紛争や政治紛争の解決にも大きく寄与するものだろう(9)

 1981年にフランスで死刑制度が廃止された時の例を取ってみよう。この野蛮な制度に終止符を打つに至った法務大臣ロベール・バダンテールの公約は、「乱用された代表民主主義」の一例である。それは特別の委任なくして下された重大な決定だった。もし国民投票に訴えたとしたら、熟慮の結果というより衝動的な「選択」が導かれ、おそらく逆の結論が出たことだろう。それだと「乱用された参加型民主主義」になってしまう。しかし、市民会議に通った経験のある人々は、もし市民会議のやり方を死刑の問題に使ったとしたら、結論は法務大臣の立場と同じものになっただろうということを知っている。参加者が責任感を持ち(自発的な「スーパー市民」)、熟考する状況におかれること(厳粛性、問題の掘り下げ、議論の交換、ライバル意識)によって、知性、道徳心、利他主義といった人間の主要な美質が、大半の参加者の表に出てくるようになるからだ。

(1) フランス世論研究所とジュルナル・デュ・ディマンシュ紙が行った2004年7月25日付の世論調査による。
(2) ジョゼ・サラマーゴ「民主主義の何が残っているのか?」(ル・モンド・ディプロマティーク2004年8月号)。
(3) アンドレ・ベロン、アンヌ=セシル・ロベール『意想外の国民』(シレプス社、パリ、2003年)。
(4) ミシェル・カロン、ピエール・ラスクーム、ヤニック・バルト『不確かな世界で行動する−技術民主主義試論』(スイユ社、パリ、2001年)。
(5) この手続きは、デンマークで「コンセンサス会議」と呼ばれる。デンマークでは1980年代に始まり、それなりに制度化されている。アメリカのロカ研究所のウェブサイト(http://www.loka.org)とフランスの市民科学財団協会のウェブサイト(http://www.sciencescitoyennes.org)を参照。
(6) ダニエル・ボワ、ドミニク・ドネ=カメル、フィリップ・ロクプロ「討議民主主義の一例:農業および食品における遺伝子組み換え作物の使用についての市民会議」(『フランス政治学雑誌』50 (4-5) 779 809号、2000年)。
(7) 『不確かな世界で行動する』(前掲)。
(8) シュザンヌ・ド=シュヴェニェ、ダニエル・ボワ、ジャン=クリストフ・ガルー『議論されるバイオテクノロジー−科学的民主主義のために』(バラン社、パリ、2002年)。
(9) 「市民会議:公論の美徳」(雑誌『科学・文化の横断』、2002年第二四半期)。


(2005年2月号)

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