希望のヨーロッパ

ジャック・デリダ(Jacques Derrida)
哲学者・著述家、2004年10月9日に死去

訳・逸見龍生

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 同時代の諸問題は一貫してジャック・デリダの思想の糧だった。それゆえに向けられた批判も少なくなかった。「ル・モンド・ディプロマティーク創刊50周年記念祝典」が2004年5月8日、パレ・デ・スポール(パリ)で世界各国の知識人や運動家たちの出席のもとに開催され、壇上にはデリダの姿もあった。社会問題に積極的だったデリダからすれば当然だったろう。以下に掲載するのはこの祝典の日にデリダがおこなった講演の本文である。フランスでデリダが公の場に姿を現した最後の機会のひとつであろう。[フランス語版編集部]

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 フランスの中のパリ、自国語を語るパリ、そしてフランス、ヨーロッパの中のフランス。ヨーロッパの名を担い、比較的自由な公論と政治責任を育み根づかせてきたこれらの場所は、傲らず、逆説や矛盾も犯さず、「もうひとつのグローバル化」の名にふさわしい思想や行動、伝播の拠点となることが可能でしょうか。私の仮説、希望はこの問いに肯定の「ウィ」と返答しようとするものです。以下に述べてゆきたいと思いますのは、この「ウィ」なのです。

 ル・モンド・ディプロマティーク紙の忠実な友として、その愛読者として、私は、この半世紀を通じ、ジャーナリズムの世界で目を見張る冒険心と野心を一貫して発揮されてきた同紙に対し、心からの賞讃の念を捧げます。同紙のこの年月は、成人市民となって以後の私の半生とも重なり合います。ジャーナリズムの世界と申し上げましても、フランスやパリ、ヨーロッパだけが私の念頭にあるわけではありません。五十年というこの歳月は否応なく取り返しのつかぬかたちで過ぎ去りました。けれども、同紙はこの間つねに公正で正確な情報を提供し、時には世界唯一の情報源とすらなってきました。こうしてル・モンド・ディプロマティーク紙は、私の眼に、ジャーナリズムの輝かしい過去を現代へと継承する模範、いやそれ以上の名誉と勇敢さを示すものだったと映るようになりました。同時に未来へ向けての呼びかけだったと、未来へ向けて厳しく課せられた命令だったと信ずるようにもなったのです。

 世界の未来に向けてであります。フランスとヨーロッパの未来だけではなく、それをはるかに超えてひろがる未来に向けてであります。ル・モンド・ディプロマティーク紙が原則としたのは、妥協せず「単独主義」に堕さずに事実を喚起し、ルポし、分析を加えることでした。同紙の原則とはまた、まだ実現していないもの、なお実現が待たれているものの実現に向けて呼びかけることでもありました。はっきりと倦むことなく意見を表明し、評価を下し決断することへ向けての呼びかけだった。それゆえ私は、単に偉大なこの新聞の過去だけを取り上げてこれに敬意を捧げようとしているのではありません。同紙が私たちに迫るもの、私たちや世界の未来に向けて突きつけるものにもまた深い敬意の念を捧げたいのです。つまりこれから私の口にする言葉は、賞讃や敬意だけにとどまらない。私の言葉は明日に向けての祈念でもあるのです。

 1954年5月発行の創刊号「読者に寄せて」を再読して参りました。創刊されたばかりの「ル・モンド・ディプロマティーク紙編集部」の署名があります。しかし様々な点から見て、これがユベール・ブーヴ=メリ(1)本人の書いた文章であることにはまず間違いはないでしょう。

 この新聞の出生届を読み、私は次のようにひとりごちたのです。いつの日か、ル・モンド・ディプロマティーク紙の創刊後半世紀を描く、分析的で綿密な歴史研究がなされるべきだろう。将来の歴史家には膨大な仕事となるが、しかし必須の作業なのだから。そのとき、この新聞は創刊号で明瞭に自己の責務として掲げたものに対して、その後も一貫して忠実だったことが明らかとなるだろう、と。なるほど、同紙はたびたび軌道修正をしてきましたし、しばしば大胆で危険な数々の路線転換もありました。中には激しい論争を呼んだ路線転換もあった。同紙の愛読者たちの間にこうしたたぐいの論争が尽きないのは、むしろ幸いだと言うべきでしょうけれども。こうした紆余曲折にもかかわらず、この忠実さは一貫していたのであります。誰が編集や経営に携わろうとも、この忠実さは変わらずに引き継がれていくことでしょう。

 変わってしまったもの、この明白な事実を否定してしまいかねないもの、それは新聞のほうではない。ル・モンド・ディプロマティーク紙の名前と綴りの同じ巨大な異義語であり、同紙の名前が参照するけた外れに大きな対象である世界それ自身のほうです。ありとあらゆる激動が生じ、世界は激震と亀裂、再編をやむなくされてきました。「外交の世界」と昨日まで呼ばれていたものの概念やその形態はもはや根こそぎにされてしまいました。ル・モンド・ディプロマティーク紙のほうは、その創設時の原理に少なくとも精神の上では何ひとつ修正を加えることはなかった。しかしこれからはそうではない。この新聞は今後もうひとつのグローバル化、もうひとつの世界化の担い手へとみずからを変えてゆくでしょう。

 ブーヴ=メリの「読者に寄せて」を再読した後、私はイグナシオ・ラモネが同紙の代表として署名を書き入れた2004年5月号掲載の巻頭論説「様々な抵抗」(2)をあらためて読み返しました。豊かで内容が濃いと感じられただけではありません。間違いなく数えたとすると、「ウィ」の数とその二倍の数の「ノン」があります。この簡潔に列挙された36の「ノン」と18の「ウィ」の中にすべてが言い尽くされているとも私は思ったのです。これぞまさしく「抵抗への招待」でした。

 私は36の「ノン」、18の「ウィ」のどれにも同意します。これらはもはや私にとって十戒のごとき何かを意味するのではない。むしろ倫理や法=権利、正義、現代の政治、世界の未来に関する指令表、信条表明、信仰告白といったものを表わすのです。今日の緊急の政治課題を前に、創刊50周年の今日、なぜ特にひとつの「ウィ」だけを取り上げたいと考えたか、すぐ後で説明したいと思います。あえて私事に渡って申し上げるならば、かつて私は「抵抗」という言葉への昔からの愛着を公然と語り、この語を自分の書物の題名として選んだことがあります。ラモネの論説のタイトルと同じようにやはり複数形で(3)。また私は、数十年来、端的には1993年の『マルクスの亡霊』(4)と97年の『万国の世界市民たち、もう一努力だ!』(5)の両著や、ほかの様々な場所で、世界市民のコスモポリタニズムを取り上げ、コスモポリタニズムそれ自体に対してではなく、主権と領土国家という一時代前の政治神学に未だしがみついている一部のコスモポリタニズムに対して、非難の論陣を張ってきました。私はまた、世界化と言いながら、実際には世界市場だけを意味しているにすぎないこの語彙の濫用や「道具化」した用法、イデオロギー的・経済至上主義的な偏向を批判してきました。私はこうして「新しいインターナショナル」を擁護してきたのです。かつて私は、抵抗の矛先を向けるべき諸悪を弾劾した後で、いささか長い文章ではありますが、この理念を次のように定義したことがあります。「新しいインターナショナル」とは「数々の犯罪に対し国際法の刷新を図る役割だけにはとどまらない。それはまた、置かれた情況の近さや苦悩、希望を介して結ばれた絆である。まだ慎ましく(これを書いたのは1993年の時点でした)ほとんど秘匿されていながら、しだいに誰の目にも明らかに見えるものとなりつつある絆である。つねに反時代的な絆、身分も肩書きも名前も持たない絆、地下組織ではないにしても、公にされることの稀な絆である。契約も政党も故国も不在の絆、国民共同体とは無縁の絆、どんな国民的境界であろうと、この境界が引かれるよりも手前に、あるいはこの境界を横断して、あるいは超えて初めて作りだされるという意味でのインターナショナルとしての絆、特定の共同体が保有する市民権意識には帰属しない絆、ひとつの階級に帰属しない絆である(6)

 十年以上も前、上記の文章を綴った者としてみれば、生まれてまだまもない「もうひとつのグローバル化」運動のなかでル・モンド・ディプロマティーク紙を見習う動きがますます強まってきたことに嬉しさを禁じえません。例え「もうひとつのグローバル化」を唱える人びとの結束が雑多で時に混乱した印象を与えるにせよ、彼らの結束は私の眼に唯一信頼すべき未来の力であると、未来にふさわしいただひとつの力であると映ることも稀ではないのです。G8やワシントン・コンセンサス、全体主義的な市場、完全自由貿易に抗し、世界銀行や国際通貨基金(IMF)、経済協力開発機構(OECD)、世界貿易機関(WTO)など「悪役」たちに抗する力であると見えているのです。この力はまた今日起きている事態に抗する力でもあります。現在イラクで進行中の事態も忘れてはなりません。ウォルフォウィッツやチェイニー、ラムズフェルドらが、9・11よりもはるか以前から着々と練り上げていた破滅的な計画に即して、着実に事態は推移しています。中東地域を始めとするこの世界覇権の掌握計画については、ラッセル法廷の伝統を汲む「ブリュッセルの法廷」が厳密な法規に則って目下調査中であり、判決を下す準備を進めていることを付言しておきましょう。判決の結果はイスタンブールで公開されることになっています。

 私は、いずれ「偉大なる夕べ」式の革命が勃発して、IMF、OECD、WTOなどといった不吉な頭文字の示す超権力の数々が、みなどれも打倒されてゆくだろうなどという考えは抱いておりません。しかし「もうひとつのグローバル化」の理念を掲げた民衆運動や世論は、今後も倦むことなくますます強い圧力をかけていけば、いつかはこれら超権力を弱め、軌道修正を余儀なくさせていくはずです。一定程度まではすでに修正を受け入れさせてもおります。第二次世界大戦とその勝利国、冷戦の残存である国連や安保理に対する場合も、この点については同様でしょう。

 ブーヴ=メリは1954年の巻頭論説に以下のように書いています。同時代の風潮に乗った指摘でしょうが、愛国的で、ともすればナショナリズムの発露とも見えたであろう見解です。「国際関係の平和的発展のために働く」という共通の任務を実現するには「この新聞の本拠地をパリに据え、フランス語を使うのがふさわしい」。「フランス語はかつてのように外交の場を一手に仕切る言語ではなくなった。しかし相変わらずフランス語は外交分野で最も活用されている言語である」ともブーヴ=メリは書いています。

 五十年を経た現在、私は次のように考えるのです。なるほどル・モンド・ディプロマティーク紙の本拠地は今もパリに置かれ、フランス語が第一言語として使われている。広く国際的規模で読まれ、一級紙として全世界に認められ、諸国語に翻訳されるようになった現在もなお、パリとフランス語をその基軸に置き続けている。しかも、パリとフランス語という同紙の基盤それ自体が、深くヨーロッパに根を下ろしていることは否定しようがない、と。

 こう述べたとしましても、フランス中心主義やヨーロッパ中心主義という閉域に引き籠もろうとしているとは思わないでいただきたい。むしろ上記の事実は、われわれがこれから厳密に考察していくべき解釈作業や意識の覚醒、政治的責務を断固として要請するものであると考えております。いや、そう考えてゆきたいのです。同紙のような新聞がかくたる自由や要請、美質をもって生まれ、生き、生き残ってゆくことのできるような国や大陸、場所を他に想像することは私にはできません。

 今日のような姿を呈し、またそれが予告しているような世界において、パリとフランス語を基軸に活動を持続している同紙の姿勢は、米国の覇権、中国の躍進、アラブないしムスリム諸国の神権政治の拡大のなかで、フランスとヨーロッパの「もうひとつのグローバル化運動」における代替不能な責任を明確に担うよう、われわれに強く要請しているのです。

 私は、ヨーロッパ中心主義的な哲学者とは見られてはおりません。四十年来、むしろそれとは逆の立場にあると言われて非難されてきました。しかし、私は次のように信ずるのです。啓蒙主義の記憶とともに、しかしまた過去にヨーロッパが犯した全体主義、民族大虐殺、植民地主義の数々の犯罪に対する罪の意識も同時に引き受けつつ、われわれは、ヨーロッパ中心主義的な幻想や言辞に耽溺せず、ヨーロッパ・ナショナリズムにいささかも屈せず、現在のヨーロッパ、そして今後変わろうとしつつあるヨーロッパのあり方に過大な信頼も寄せることなく、ヨーロッパの名が今日表象しているものを守って闘ってゆかねばならない、と。来るべき世界でヨーロッパが堅守してゆくべきその代替不能な役割に向けて、そして単一市場や単一通貨、ネオナショナリズムの巣窟、新軍事勢力を超えたものへとヨーロッパが生成していくために、われわれは闘ってゆかねばならないのです。もっとも、私はヨーロッパの軍事力という点については次のように考える方向に傾いております。国連の仕組みを変えてヨーロッパに本部を置き、国連を支援できるだけの軍事力をヨーロッパが備え、支援に向けての対外政策を実施する必要がある、と。技術・経済・軍事大国たる米国の利害に左右されず、その単独主義的な日和見主義に惑わされずに、国連の決議を実行に移す手段を保有しなければならない、と。

 私はこうした観点から、イグナシオ・ラモネが提唱した様々な「抵抗」のうち、特に13番目の「ウィ」を強調し、これを別格に扱っておきたいのです。ラモネは書いております。より社会福祉を重視し商業主義を抑えたヨーロッパにウィ、と。私はラモネの言うウィをさらに展開してこう言います。超権力との覇権争いに自足せず、しかし同時に超権力を野放しにもせず、ヨーロッパ憲法の精神とその政治実践の上で「もうひとつのグローバル化」の推進力たらんとするヨーロッパに、そのための実験場たらんとするヨーロッパに、そしてイラクやイスラエル=パレスチナといった場への介入力をもつヨーロッパにウィ、と。

 二元論に陥らぬ判断に向けて開かれ、過去の啓蒙主義、来るべき啓蒙主義を継承した政治、思想、倫理とはいったい何であるのか、その範例を示すヨーロッパにウィ。

 反ユダヤ主義ともユダヤ嫌悪とも決めつけられることなく、イスラエル政策、特にシャロンとブッシュの政策を批判することができるヨーロッパにウィ。

 権利と土地の奪還と国家の樹立を求めるパレスチナ民衆の正統な祈念を支持できるヨーロッパにウィ。他方でまた、自爆テロや反ユダヤ主義プロパガンダを承認しないヨーロッパにもウィ。こうしたプロパガンダはアラブ世界でしばしば、いや余りにも頻繁に、怪物めいた『シオン賢者の議定書』の内容に繰り返し真実味を与えるのに功を奏しています。

 反ユダヤ主義とイスラム嫌悪の拡大に同時に不安を覚えることのできるヨーロッパにウィ。なるほどシャロンと彼の政策は、到底容認しがたいヨーロッパでの反ユダヤ主義の回帰に直接の責任も負わなければ、その主犯格でもないのは確かです。しかし、この回帰にシャロンが何らかの影を落としていないか、ヨーロッパのユダヤ人のイスラエル帰還を促進する良い機会と見ていないか、そう考えてみる権利をわれわれは求めなければなりません。

 そして最後に、サダム・フセイン体制のおぞましさを拒否し、同時にブッシュ、チェイニー、ウォルフォウィッツ、ラムズフェルドたちの計画を批判できるヨーロッパにウィ。自国の政府や支配層を批判する勇敢さとわれわれ以上の警戒心をもち、私がこれまで列挙してきたすべての「ウィ」に「ウィ」と返してくれるアメリカ人やイスラエル人、パレスチナ人と、われわれが反米感情も反イスラエル感情もなく、イスラム嫌悪もなく連帯することを可能としてくれるヨーロッパにウィ。

 以上が私の夢です。同紙に感謝を捧げます。こうした夢、ラモネによれば「もうひとつの世界は可能だ」という夢を見る手助けをしてくれたからばかりではありません。こうしたことがすべて実現するように、このもうひとつの世界が現実に可能となるために力を与えてくれたことに感謝いたします。世界の何十億の男女がこの夢を分有しています。彼らは産みの労苦とともにこの夢をゆっくりと実現させていくでしょう。実現するその日はきっと晴れやかなものとなるはずです。

(1)ユベール・ブーヴ=メリ(1902-1989)は1944年、パリ解放後ル・モンド紙を創刊、54年にル・モンド・ディプロマティーク紙を創刊、以後69年まで同紙社長および編集長を務め、引退後も両紙の巻頭論説で健筆をふるった。[訳註]
(2) 「抵抗とは、もう一つの世界が可能だと夢見ること」として日刊ベリタに掲載、2004年6月10日。[訳註]
(3) Jacques Derrida, Resistances -- de la psychanalyse, Galilee, Paris, 1996.[訳註]
(4) Jacques Derrida, Spectres de Marx, Galilee, Paris, 1993.[訳註]
(5) Jacques Derrida, Cosmopolites de tous les pays, encore un effort !, Galilee, 1997(「万国の世界市民たち、もう一努力だ!」、港道隆訳、『世界』1996年11月号)[訳註]
(6) Spectres de Marx, op.cit., pp.141-142. 一部デリダによる異同あり。[訳註]


(2004年11月号)

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