子供か仕事か、欧州女性たちのジレンマ

アンヌ・ダゲール(Anne Daguerre)
ミドルセックス大学研究員、ロンドン

訳・青木泉

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 西欧では、我々の想像に反して、出産適齢期にある女性が未だに仕事と家庭の板ばさみになっている。経済協力開発機構(OECD)の研究によれば(1)、このような女性たちの労働市場への参入の度合は、家庭での役割の重みに直接左右される。政府が保育政策に熱心でない国では、24〜49歳の女性が仕事を始めたり続けたりするには、今でも出産と育児が障害となっている。政府予算の大きさは、それぞれの国における女性の役割に対する見方(母親なのか労働力なのか)に密接に結びついている。これらの国は2つのグループに分けられるだろう。

 1つ目のグループにはドイツ、スイス、オランダ、イギリスが含まれる。これらの国では幼児保育は個人の問題と考えられている。女性の価値は、第一に子供を産み、家庭を守るという伝統的な役割にあるとされる。イギリスでは戦後の社会保障制度の基礎となったビヴァリッジ報告(1942年)が、女性は出産までは働いてもよいが、その後の一番の責務は子供の世話をすることだ、と言っている。この報告書は、保育所や幼稚園といった託児施設への予算組みについては全く言及していない。

 こうしたコンセンサスの根底には、母親こそが子供との関係で絶対的な影響力を持ち、それゆえに他人に託すことはできない、という考え方がある。当時の教育理論、特に精神医学者ジョン・ボウルビィ(2)によれば、母性剥奪は幼児に不安や抑鬱、非社会的行動の増加といった精神病理を引き起こすという。託児施設が不足している事実の背景にはこの説がある。このような困難にもかかわらず働く女性の比率は増加を続け、1959年の49%から99年には69%となった。しかし、子供が1人いる女性では41%、2人いる場合は61%がパートタイムで働いているのが現状だ。

 この状況が問題にならないわけがなく、特に専門的労働者の不足と、フェミニストの権利主張が大きく働いた。こうして90年代終わりに、労働組合、企業家、フェミニスト団体など多様なグループが連合して、国に対して4歳未満の児童の託児計画を要求した。97年に、ブレア政権は国家保育計画(National Child Care Strategy)、確かなスタート(Sure Start)という2つのプログラムを始動させた。「国家保育計画」は国の管理下にある施設が就学前児童を受け入れることを目的とする。「確かなスタート」は、その対象を恵まれない地域の子供に限定し、認知・心理・身体の発達を助けようというものであり、親子関係がスムーズに行くための手助けと両親への支援も実施される。「確かなスタート」は予算4億5200万ポンド(約870億円)、3年計画で開始された。

 両プログラムのおかげで、97年からこれまでに長期・短期の託児所の収容可能児童数は38万2000人分増加した。また、幼稚園の数は1991年から2003年の間に倍増し、3800カ所になった。仕事を持つ女性も増え、1997年から2002年で77万人増加した。それでもやはり、36カ月未満の子供のための公立施設がほとんどない状況は変わっていない。3歳児のうち保育所に入れるのはたった58%、それが4歳児になると65%が公立の幼稚園に受け入れられている。しかし3〜4歳児が公立の施設に無料で入れるのは週に12時間、つまり1日2.5時間に限られる。必然的に私立の施設に頼らざるをえず、イギリスにおける託児費用は平均で家計の30%を占める。高度な専門性を持たず、それゆえ収入の低い女性にとっては、労働時間を減らすか仕事を辞めてしまう方が経済的である。

 子供のいない女性の就労率が72.4%であるのに対し、子供のいる女性のそれは65.4%に下がる。女性の3分の1が出産後に退職する。5歳未満の子供を1人持つ女性のうちフルタイムで働く女性は10%にすぎない。

「カラスの母」という烙印

 ドイツ西部でも同じような状況で、子供をよそに預ける女性は「カラスの母」(語義的には「子供を捨てる母」)と呼ばれる。こうした烙印と託児手段の欠如により、60年代終盤に生まれた世代の女性の10人に4人は子供を産むことをあきらめるだろうと、ほとんどの研究で推測されている。高学歴の女性の40%は子供を持たずにいる。そして子供のいる女性のほぼ半分(正確には49%)は週20時間以下で働くパートタイム労働者だ。

 フランス国立学術研究センターの研究員ジャンヌ・ファニャーニは言う。「3歳未満児のうち公立または私立の保育所で受け入れられるのは2%にすぎません。3〜6歳児の64%は学校制度の外にある保育園に通いますが、これらの施設の多くは午前中しか開いておらず、昼の給食を出すところはほとんどありません(3)」。さらに、小、中学校も朝8時から午後1時までしか開いていない(4)

 人々の考えはなかなか変わらない、とジャンヌ・ファニャーニは考える。「託児施設は社会主義国だった旧東ドイツの文化と政治を象徴するものとして捉えられており、そうした烙印もまた、乳幼児の集団保育に対して西ドイツ人が文化的、観念的に強いためらいを示す一因となっている」からだ(5)

 就学前児童(4歳未満)の託児制度に投入される予算が、ドイツでは2002年時点でも国内総生産(GDP)の0.8%でしかないという事実は象徴的だ。同種の予算はオランダではGDPの0.6%、あらゆる分野で施設不足のチャンピオンのイギリスでは0.5%にすぎない。比較研究の対象としたもう一つのグループの場合には、デンマーク2.7%、フランス1.3%、スウェーデン1.9%となる。

 スウェーデンは、仕事と家庭の両立に基づいた男女平等政策の先駆者だった。この国の労働組合や社民政党はドイツのそれとは違い、女性運動からの加勢も受けつつ、ダブルインカムのモデルを熱心に推進してきた。政府は60年代終盤からダブルインカム家庭の形成を奨励する措置を採り、71年には夫婦は個別に課税されるようになった。欧州における家族政策の専門家マリー=テレーズ・ルタブリエが示すように、妻が仕事を持つ方が夫が労働時間を延ばすよりも有利な制度になっている。

 72年の社会民主労働党大会に際して当時のパルメ首相は、「男女平等は労働市場を通じて実現される。女性の働く権利は支援されるべきだ」と強調した(6)。両親の一方が育児休暇を利用すれば1年後には仕事に復帰できる。市町村による幼児保育サービスも始動した。これは両親が仕事と家庭を両立できるようにすることと、子供の福祉と早期の社会化を確立すること、という2つの役割を果たす。待機児童が増加するなかで、95年には市町村に対して託児の必要な幼児の受け入れ先を早急に設けることを義務づける法律までできた。

 しかしながら90年代以降、幼児保育に関する予算の伸びが、特に中央政府でペースダウンしてきている。関連予算は94年にGDPの2.2%だったのが99年には1.8%、2002年には1.9%と推移している。経済危機も手伝って、4歳未満の子供が1人いる母親の就労率は1990年の85%から2002年には77.5%に減った(7)。スウェーデンでは昔から多かったパートタイム労働者も大きく減少し、1990年の59%から2000年には47%に下がった。

フランスの制度の問題点

 フランスの家族政策はドイツとスウェーデンの中間に位置し、これまでずっと、働く母親というモデルを優遇してきた。政府は19世紀末以来、高い出生率を維持するためには女性の就労をむしろ当然のことと捉え、その促進に力を入れてきた。働く女性の積極的な支援政策が大きく飛躍したのは、1970年から90年にかけてのことである。都市部では公立の保育施設や個人経営の保育所が作られた。また、2歳半の子供(実際には3歳児)は無料で幼稚園に通わせることができる。75年から90年の間に収容可能児童数は倍増し、女性の就労率は(子供が2人の場合)82年の66%から90年の78%に増えた。

 80年代以降、政府は(政権の左右を問わず)女性が家庭に戻るように仕向け、この分野への予算を削減しようとの思惑から、政策方針を大幅に転換した。85年には左派のファビウス内閣が出産と育児への一種の賃金として養育親手当(APE)を設けている。3人目の子供を産んだ女性が最長3年間の休職期間後に復帰できるようにするための制度である。94年には右派のジュペ内閣がAPEの対象を広げ、子供が2人いてそのうちの1人が3歳未満である女性も加えた。この手当の受給者数は94年末の14万人から、97年末には50万人以上に増加した。

 同じ時期に、公認保母雇用援助手当(AFEAMA)、自宅保育手当(AGED)、税額控除など、自宅保育への優遇措置がいくつも作られている。公立の保育所は(都市部では変則勤務の拡大や通勤時間の長時間化が見られるというのに)預ける時間帯に関して融通が利かず、数も足りないため、AFEAMAとAGEDは成功を収めた(受給者数は前者が99年に50万人以上、後者が93年に1万2500人、97年には8万人)。

 APEは実のところ、高度な専門性を持たない女性の早期退職を促している。第二次大戦後初めて、こういった女性の就労率が低下し、1993年の62%が2002年には50%を割った。一方で高学歴の女性たちは、休職期間が長引くことを当然厭う。また、集団保育の拡大よりも経済的支援に重点を置けば、裕福な家庭が優遇される。自宅保育は高くつき(1歳児で1カ月当たり平均1050.68ユーロ)、収入が高ければ高いほど税額が大きく減免されることになるからだ。さらに、サービスの民営化が進むにつれ、公立施設への予算にもブレーキがかかる。保育所の収容可能児童数は伸び悩み、1996年までは年間5000人増だったのが、以降は年間2000人以下になった。

 こういった障害にもかかわらず、3歳未満児の56.6%が保育所に入るか育児補助を受けており(8)、25〜49歳の女性の就労率は上昇し続け、68年に45%だったのが現在では80%になっている。ジャンヌ・ファニャーニは「子供が1人だけのフランス人女性は、欧州連合(EU)諸国の母親のうち最も就労率が高い部類に入ります(就労率85.4%)」と言う。しかしながら、1980年代終盤からパートタイム労働が、特に女性のそれが非常に広がった。女性のパートタイム就労率は1980年の8%から、2000年には32.6%と激増している。ほとんどの場合、この就労形態は本人の選択によるものではない。

 欧州全体を見れば、失業の拡大にもかかわらず、女性の就労率は幼い子供を持つ母親も含めて年々増加している。これは、ある国にとってはその家族政策に沿い、また別の国にとっては反する結果となっている。北欧諸国とフランスの例は、女性が労働市場に参入し、あるいはそこにとどまり続けるために、働く母親への支援、特に保育政策が決定的な役割を果たすことを示している。

(1) フロランス・ジョーモット著「女性の労働市場参入:OECD諸国における過去の傾向と主要な決定要因」(パリ、OECD、2003年)。
(2) John Bowlby, << Some pathological processes set in train by early motherhood separation >>, Journal of Mental Science, no. 99, 265-272, 1953, London.
(3) ジャンヌ・ファニャーニ「母親の仕事と働く母親への支援政策」(雑誌『アンフォルマシオン・ソシアル』第102号、パリ、80-89貢)。
(4) ミッシェル・ヴェリエ「子供か仕事か、選択を迫られるドイツ人女性」(雑誌『マニエール・ド・ヴォワール』第68号、2003年4-5月)参照。
(5) ジャンヌ・ファニャーニ、前掲。
(6) マリー=テレーズ・ルタブリエ「北欧諸国の家族政策と1990年代の社会的・経済的変化への適応」(『フランス社会問題雑誌』第4号、2003年10-12月、パリ、487-514頁)より。
(7) アンヌ=マリー・ドーヌ=リシャール、アニタ・ニーベリ「仕事と家庭のはざまで:スウェーデン・モデルの変遷について」(『フランス社会問題雑誌』第4号、2003年10-12月、515-527頁)。
(8) フランスでは3〜6歳児のほとんど全員が学校教育機関に入っている。


(2004年11月号)

All rights reserved, 2004, Le Monde diplomatique + Aoki Izumi + Saito Kagumi

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